麻を刈る

1話 麻を刈る(1)

3,870字 約8分 2018年2月2日 公開

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 明治十二三年頃(めいぢじふにさんねんごろ)出版(しゆつぱん)だと(おも)ふ――澤村田之助曙双紙(さはむらたのすけあけぼのさうし)()合卷(がふくわん)ものの、淡彩(たんさい)口繪(くちゑ)に、黒縮緬(くろちりめん)羽織(はおり)撫肩(なでがた)()()けて、()衣裝(いしやう)(つま)()つた、座敷(ざしき)がへりらしい、微醉(ほろよひ)婀娜(あだ)なのが、(くるま)(わき)(たゝ)ずんで、(はる)たけなはに、夕景色(ゆふげしき)瓦斯燈(がすとう)がほんのり(とも)れて、あしらつた一本(ひともと)青柳(あをやぎ)が、(すそ)()いて、姿(すがた)(きそ)つて()て、(うた)(だい)してあつたのを(おぼ)えて()る。(いは)く、(金子(かね)(をとこ)(なん)にも()らぬ微醉機嫌(ほろよひきげん)人力車(じんりきしや))――少々(せう/\)間違(まちが)つて()るかも()れないが、間違(まちが)つて()れば、()藝妓(げいしや)心掛(こゝろがけ)で、(わたし)()つた(こと)ではない。(なに)しろ()うした意氣(いき)(うた)つてあつた。(あるひ)(くるま)のはやりはじめの(ころ)かも()れない。微醉(ほろよひ)(はる)(かぜ)にそよ/\()かせて、身體(からだ)がスツと(やなぎ)(えだ)(ちう)(なび)心持(こゝろもち)は、餘程(よつぽど)(うれ)しかつたものと()える。

 今時(いまどき)バアで醉拂(よつぱら)つて、タクシイに蹌踉(よろ)()んで、いや、どツこいと(こし)()れると、がた、がたんと()れるから、(あし)(ひきがへる)(ごと)踏張(ふんば)つて――上等(じやうとう)のは()らない――屋根(やね)(ひく)いから(かゞ)(ごし)(まなこ)()ゑて、(くび)(とら)()るのとは()(ちが)ふ。第一(だいいち)色氣(いろけ)があつて()(はゞか)らず、親不孝(おやふかう)(かへり)みざる(ともがら)は、男女(ふたり)相乘(あひのり)をしたものである。(あへ)(ちう)するに(およ)ばないが、(くるま)(うへ)露呈(あらは)丸髷(まるまげ)なり島田(しまだ)なりと、散切(ざんぎり)の……(わる)くすると、揉上(もみあげ)(なが)(やつ)が、(かた)()んで、でれりとして()く。()極端(きよくたん)にたとへれば、天鵞絨(びろうど)寢臺(しんだい)(たて)にして、男女(ふたり)(ところ)を、廣告(びら)持歩行(もちある)いたと大差(たいさ)はない。

 自動車(じどうしや)相乘(あひのり)して、堂々(だう/\)と、淺草(あさくさ)上野(うへの)銀座(ぎんざ)()ばす、當今(たうこん)貴婦人(きふじん)紳士(しんし)(いへど)も、これを()たら一驚(いつきやう)(きつ)するであらう。(たれ)口癖(くちぐせ)()(こと)だが、(じつ)時代(じだい)推移(すゐい)である。だが()のいづれの相乘(あひのり)にも、(ひと)しく(わたし)(くわん)せざる(こと)()ふまでもない。とにかく、色氣(いろけ)(いさゝ)自棄(やけ)で、(おだや)かならぬものであつた。

 ――(すきなお(かた)相乘人力車(あひのりじんりきしや)(くら)いとこ()いてくれ、車夫(くるまや)さん十錢(じつせん)はずむ、()かはす(かほ)に、その()が、おつだね)――()()流行唄(はやりうた)さへあつた。おつだね(ぶし)名題(なだい)をあげたほどである。(なん)にしろ人力車(じんりきしや)はすくなからず情事(じやうじ)交渉(かうせふ)()つたに相違(さうゐ)ない。

 金澤(かなざは)(ひと)和田尚軒氏(わだしやうけんし)(ちよ)郷土史談(きやうどしだん)採録(さいろく)する、石川縣(いしかはけん)開化新開(かいくわしんかい)明治五年(めいぢごねん)二月(にぐわつ)()第六號(だいろくがう)記事(きじ)に、

先頃(さきごろ)大阪(おほさか)より(かへ)りし(ひと)(はなし)に、彼地(かのち)にては人力車(じんりきしや)()()(さかん)(おこな)はれ、西京(さいきやう)近頃(ちかごろ)までこれなき(ところ)追々(おひ/\)(さかん)にて、四百六輌(しひやくろくりやう)伏見(ふしみ)には五十一輌(ごじふいちりやう)なりと()ふ。()追々(おひ/\)増加(ぞうか)するよし……其處(そこ)で、東京府下(とうきやうふか)總數(そうすう)四萬餘(よまんよ)(およ)ぶ。

 と(しる)して、一車(いつしや)税銀(ぜいぎん)(いつ)(げつ)八匁(はちもんめ)(づゝ)なりと()せてある。勿論(もちろん)金澤(かなざは)福井(ふくゐ)などでは、俵藤太(たはらとうだ)も、頼光(らいくわう)瀧夜叉姫(たきやしやひめ)も、まだ()(こと)もなかつたらう。()東京(とうきやう)四萬(よまん)(かず)(おほ)いやうだけれども、()(ころ)にしろ府下(ふか)一帶(いつたい)人口(じんこう)(くら)べては、辻駕籠(つじかご)ほどにも行渡(ゆきわた)るまい、(しか)(いつ)(げつ)税銀(ぜいぎん)八匁(はちもんめ)人力車(じんりきしや)である。なか/\(もつ)平民(へいみん)には()れさうに(おも)はれぬ。(とき)流行(りうかう)といへば、(べつ)して婦人(ふじん)見得(みえ)憧憬(しようけい)(まと)にする……(まと)となれば、金銀(きんぎん)(あひ)(かゞや)く。(ゆみ)(まな)ぶものの、三年(さんねん)凝視(ぎようし)(ひとみ)には(まと)(しらみ)()(おほ)きさ車輪(しやりん)である。(したが)つて、()(ころ)巷談(こうだん)には、車夫(くるまや)色男(いろをとこ)澤山(たくさん)あつた。一寸(ちよつと)岡惚(をかぼれ)をされることは、やがて田舍(ゐなか)まはりの賣藥行商(ばいやくぎやうしやう)(のち)自動車(じどうしや)運轉手(うんてんしゆ)(ゆづ)らない。立志(りつし)美談(びだん)車夫(しやふ)(なん)とかがざらにあつた。

 しばらくの(あひだ)に、(くるま)のふえた(こと)(おびたゞ)しい。

 人力車(じんりきしや)――腕車(わんしや)が、()の《にんべん》に(くるま)()つた、()紅葉先生(こうえふせんせい)創意(さうい)であると(おも)ふ。見附(みつけ)(はひ)つて、牛込(うしごめ)から、飯田町(いひだまち)(まが)るあたりの帳場(ちやうば)に、(人力(じんりき))を附着(くツつ)けて、一寸(ちよつと)(ふん))の()(かたち)にしたのに、(くるま)をつくりに()へて、(おほ)きく一字(いちじ)にした横看板(よこかんばん)を、(とほ)りがかりに()て、それを先生(せんせい)に、(わたし)(はな)した(こと)がある。「そいつは可笑(をか)しい。一寸(ちよつと)使(つか)へるな。」と火鉢(ひばち)頬杖(ほゝづゑ)をつかれたのを(おぼ)えて()る。

 ……(あらた)めて()ふまでもないが、車賃(くるまちん)なしの兵兒帶(へこおび)でも、(つじ)(ちまた)(さか)()(まを)すまでもない(こと)待俥(まちぐるま)の、旦那(だんな)御都合(ごつがふ)で、を切拔(きりぬ)けるのが、てくの()()大苦勞(だいくらう)で。どやどやどや、がら/\と……大袈裟(おほげさ)ではない、廣小路(ひろこうぢ)なんぞでは一時(いつとき)十四五臺(じふしごだい)取卷(とりま)いた。三橋(みはし)鴈鍋(がんなべ)達磨汁粉(だるまじるこ)()くさき眞黒(まつくろ)()(あま)る。「こいつを(らく)切拔(きりぬ)けないぢや東京(とうきやう)()めないよ。」と、よく下宿(げしゆく)先輩(せんぱい)()()つた。

 十四五年前(じふしごねんぜん)、いまの下六番町(しもろくばんちやう)()した(ころ)も、すぐ有島家(ありしまけ)黒塀外(くろべいそと)に、辻車(つじぐるま)、いまの文藝春秋社(ぶんげいしゆんじうしや)(まへ)石垣(いしがき)と、(とほり)(へだ)つた上六(かみろく)(かど)とに(むか)()ひ、番町學校(ばんちやうがくかう)(かど)にも、づらりと()()て、ものの一二町(いちにちやう)とはない(ところ)に、()のほかに()宿車(やどぐるま)三四軒(さんしけん)

――(はる)(さくら)(にぎは)ひよりかけて、なき玉菊(たまぎく)燈籠(とうろう)(ころ)(つゞ)いて、(あき)新仁和賀(しんにはか)には、十分間(じつぷんかん)(くるま)()ぶこと、()(とほ)りのみにて七十五輌(しちじふごりやう)

 と、大音寺前(だいおんじまへ)(ねえ)さん、一葉女史(いちえふぢよし)が、(すなは)(そで)()いて拍子(ひやうし)()つた所以(ゆゑん)である。

 ――十分間(じつぷんかん)七十五輌(しちじふごりやう)(あへ)大音寺前(だいおんじまへ)ばかりとは()はない。馬道(うまみち)(くるま)()まつた。淺草(あさくさ)(はう)(くはし)(こと)は、久保田(くぼた)さん((まん)ちやん)に()くが()い。……(やま)()本郷臺(ほんがうだい)。……切通(きりどほ)しは(せき)()つて(くるま)(たき)(なが)した。勿論(もちろん)相乘(あひのり)(うづ)()いて、(ひと)とともに()つて()ちる、江智勝(えちかつ)豐國(とよくに)あたりで、したゝかな(いきほひ)()つたのが、ありや/\、と(くるま)(うへ)で、(たこ)()(をど)つて()く。でつかんしよに、愉快(ゆくわい)ぶし、妓夫臺(ぎふだい)談判(だんぱん)破裂(はれつ)して――(すゝ)めツ――いよう、御壯(ごさかん)、どうだい隊長(たいちやう)と、(わめ)()ふ。――どうも隊長(たいちやう)。……まことに御壯(ごさかん)。が、はずんで()りて一淀(ひとよど)みして《まは》る(ところ)から、(すこ)(いきほひ)(にぶ)くなる。()らずや、仲町(なかちやう)車夫(わかいしゆ)が、小當(こあた)りに(あた)るのである。「()まねえがね、旦那(だんな)。」(はなはだ)しきは(かぢ)()める。彼處(あすこ)()けると、廣小路(ひろこうぢ)(かど)大時計(おほどけい)と、松源(まつげん)屋根飾(やねかざり)派手(はで)()せて、(また)はじめる。「ほんの蝋燭(おてらし)だ、旦那(だんな)。」さて、(もつと)難場(なんば)としたのは、山下(やました)踏切(ふみきり)(ところ)が、一坂(ひとさか)(すべ)らうとする(いきほひ)を、(わざ)線路(せんろ)(はゞ)めて、ゆつくりと強請(ねだ)りかゝる。(ところ)を、(から)うじて切拔(きりぬ)けると、三島樣(みしまさま)曲角(まがりかど)で、(また)はじめて、入谷(いのや)大池(おほいけ)(みぎ)に、ぐつと(くら)くなるあたりから、次第(しだい)(すご)()つたものだ――と()く。

 ……(じつ)()いただけで。(わたし)(おぼ)えたのは……そんな、そ、そんな()しからん場所(ばしよ)ではない。(くに)往復(ゆきかへり)野路(のみち)山道(やまみち)と、市中(しちう)も、(やま)まはりの神社佛閣(じんじやぶつかく)ばかり。だが一寸(ちよつと)こゝに自讚(じさん)したい(こと)がある。(さけ)熱燗(あつかん)のぐい(あふ)り、雲助(くもすけ)(ふう)()て、(ちや)番茶(ばんちや)のがぶ()み。料理(れうり)()(かた)心得(こゝろえ)ず。お茶碗(ちやわん)三葉(みつば)生煮(なまに)えらしいから、そつと片寄(かたよ)せて、山葵(わさび)()きもののやうに可恐(おそろし)がるのだから、われながらお()がさめる。さゝ()()くたらしを、ほう/\と()いてうまがつて、燒豆府(やきどうふ)ばかりを手元(てもと)取込(とりこ)み、割前(わりまへ)(とき)は、(なべ)(なか)領分(りやうぶん)を、片隅(かたすみ)へ、群雄割據(ぐんゆうかつきよ)地圖(ちづ)(ごと)(しき)つて、眞中(まんなか)(うめ)(ざう)もつを、(はし)(さき)(あな)をあけて、()はよく(とほ)つたでござらうかと、遠目金(とほめがね)(のぞ)くやうな(かたち)をしたのでは大概(たいがい)岡惚(をかぼれ)引退(ひきさが)る。……(とも)だちは、反感(はんかん)輕侮(けいぶ)()つ。精々(せい/″\)同情(どうじやう)のあるのが苦笑(くせう)する。と()つた次第(しだい)だが……たゞ(くるま)()けては()(かた)がうまい、と――(もつと)御容子(ごようす)ではない――()いてる車夫(わかいしゆ)()められた。(ひろ)(のり)だと、()(した)塀續(へいつゞ)きなぞで、わざ/\振向(ふりむ)いて()()つた(こと)さへある。

 ()るのがうまいと()(した)から、()ちることもよく()ちた。本郷(ほんがう)菊坂(きくざか)途中(とちう)徐々(やは/\)(よこ)()ちたが(てら)生垣(いけがき)引掛(ひつかゝ)つた、怪我(けが)なし。神田(かんだ)猿樂町(さるがくちやう)で、(ほろ)のまゝ打倒(ぶつたふ)れた、ヌツと這出(はひで)(こと)()たが、()つけの賓丹(はうたん)()ふつもりで藥屋(くすりや)間違(まちが)へて汁粉屋(しるこや)(はひ)つた、大分(だいぶ)(ばう)としたに(ちが)ひない、が怪我(けが)なし。眞夏(まなつ)三宅坂(みやけざか)をぐん/\(あが)らうとして、車夫(わかいしゆ)(ひざ)をトンと()くと蹴込(けこ)みを(すべ)つて、ハツと(おも)拍子(ひやうし)に、車夫(わかいしゆ)背中(せなか)(また)いで馬乘(うまの)りに()まつて「怪我(けが)をしないかね。」は出來(でき)()い。師走(しはす)算段(さんだん)()け《まは》つて五味坂(ごみざか)投出(なげだ)された、()(とき)は、懷中(くわいちう)げつそりと(さむ)うして、(しん)(きよ)なるが(ゆゑ)に、路端(みちばた)(いし)打撞(ぶつ)かつて(あし)(ゆび)怪我(けが)をした。最近(さいきん)は……(もつと)震災前(しんさいぜん)だが……土橋(どばし)のガード(した)護謨輪(ごむわ)(さつ)()ふうちに、アツと(おも)ふと(わたし)はポンと(くるま)(そと)眞直(まつすぐ)()つて、車夫(わかいしゆ)諸膝(もろひざ)で、のめつて()た。(けだ)し、()せずして、(ひと)宙返(ちうがへ)りをして車夫(わかいしゆ)(あたま)乘越(とびこ)したのである。(はら)ふほど(すな)もつかない、が、()れは(あと)悚然(ぞつ)とした。……(じつ)(ところ)(いま)でもまだ吃驚(びつくり)してゐる。

 (えう)するに――(くるま)()ちるものと心得(こゝろえ)()るのである。(しか)して、惡道路(みちわる)と、(さか)上下(じやうげ)は、(かなら)()りて歩行(ある)(こと)――

 これ、當流(たうりう)奧儀(おくぎ)である、と(なに)矢場七(やばしち)土場六(どばろく)が、茄子(なすび)のトントンを密造(みつざう)する(とき)のやうに祕傳(ひでん)がるには(およ)ばない。――(じつ)は、故郷(こきやう)への往復(わうふく)に、()(ころ)交通(かうつう)必要上(ひつえうじやう)()むを()幾度(いくど)長途(ながみち)(くるま)にたよつたため、何時(いつ)となく()るのに()れたものであらうと(おも)ふ。……

 汽車(きしや)は、米原(まいばら)接續線(せつぞくせん)にして、それが敦賀(つるが)までしか(つう)じては()なかつた。「むき(がに)。」「殼附(からつき)。」などと銀座(ぎんざ)のはち(まき)(うま)がる(どころ)か、ヤタ(いち)でも越前蟹(ゑちぜんがに)大蟹(おほがに))を(あつら)へる……わづか十年(じふねん)ばかり(まへ)までは、曾席(くわいせき)(ぜん)(うや/\)しく(はかま)つきで罷出(まかりで)たのを、(いま)から()れば、(うそ)のやうだ。けれども、北陸線(ほくりくせん)(つう)じなかつた時分(じぶん)舊道(きうだう)平家物語(へいけものがたり)太平記(たいへいき)太閤記(たいかふき)(いた)るまで、()だたる荒地山(あらちやま)(かへる)虎杖坂(いたどりざか)中河内(なかのかはち)(ひうち)(たけ)。――新道(しんだう)春日野峠(かすがのたうげ)大良(だいら)大日枝(おほひだ)絶所(ぜつしよ)で、()敦賀(つるが)(かね)(さき)まで、これを金澤(かなざは)から辿(たど)つて三十八里(さんじふはちり)である。(かに)歩行(ある)けば三年(さんねん)かゝる。

 (もつと)も、加州(かしう)金石(かないは)から――蓮如上人(れんによしやうにん)縁起(えんぎ)のうち、(よめ)おどしの道場(だうぢやう)吉崎(よしざき)(みなと)小女郎(こぢよらう)三國(みくに)()つて、(かな)(さき)(かよ)百噸(ひやくとん)以下(いか)汽船(きせん)はあつた。が、(こと)もおろかや如法(によほふ)荒海(あらうみ)(あまつさ)北國日和(ほくこくびより)と、(ことわざ)にさへ()ふのだから、(なみ)はいつも(おだや)かでない。敦賀(つるが)良津(りやうしん)ゆゑ苦勞(くらう)はないが、金石(かないは)(はう)(ふね)(おき)がかりして、(なみ)()(とき)は、端舟(はしけ)二三里(にさんり)()まれなければ()らぬ。(これ)だけでも(いのち)がけだ。冬分(ふゆぶん)往々(わう/\)敦賀(つるが)から()(ふね)が、其處(そこ)金石(かないは)()ながら、端舟(はしけ)便(べん)がないために、五日(いつか)七日(なぬか)(たゞよ)ひつゝ、(はて)佐渡(さど)(しま)吹放(ふきはな)たれたり、思切(おもひき)つて、もとの敦賀(つるが)逆戻(ぎやくもど)りする(こと)さへあつた。

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