6話 六
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十月の二十四日は力三の四十九日に当つて居た。四五日前に赤坊の命日をすました姉は、その日縫物の事か何かで鶴床に来て、店で兄と何か話をして居た。
お末は今朝寝おきから母にやさしくされて、大変機嫌がよかつた。姉に向つても姉さん/\となついて、何か頻りと独言を云ひながら洗面台の掃除をして居た。
「どうぞ又是れをお頼み申します――是れはちよつぴりですが、一つ使つて御覧なすつて下さい」
その声にお末がふり返つて見ると、エンゼル香油の広告と、小壜入りの標品とが配達されて居た。お末はいきなり駈けよつて、姉の手からその小壜を奪ひ取つた。
「エンゼル香油だよ、私明日姉さんとこへ髪を上げてもらひに行くから、半分私がつけるよ、半分は姉さんおつけ」
「ずるいよこの子は」
と姉も笑つた。
お末がこんな冗談を云つてると、今まで黙つて茶の間で何かして居た母が、急に打つて変つて怒り出した。早く洗面台を綺麗にして、こんな天気の日に張物でもしないと、雪が降り出したらどうすると、毒を持つた云ひ方で、小言を云ひながら店に顔を出した。今まで泣いて居たらしく眼をはらして、充血した白眼が気味悪い程光つて居た。
「お母さん今日はまあ力三の為めにもさう怒らないでやつておくんなさいよ」
姉がなだめる積りでかうやさしく云つて見た。
「力三力三つて手前のもののやうに云ふが、あれは一体誰が育てた。力三がどうならうと手前共が知つたこんで無えぞ。鶴も鶴だ、不景気不景気だと己ら事ぶつ死ぬまでこき使ふがに、末を見ろ毎日々々のらくらと背丈ばかり延ばしやがつて」
姉はこの口ぎたない雑言を聞くと、妙にぶッつりして、碌々挨拶もしないで帰つて行つてしまつた。お末は所在なささうにして居る兄を一寸見て、黙つたまゝせつせと働き出した。母は何時までも入口に立つてぶつ/\云つて居た。鉛の塊のやうな鈍い悒鬱がこの家の軒端まで漲つた。
お末は洗面台の掃除をすますと、表に出て張物にかゝつた。冷えはするが日本晴とも云ふべき晩秋の日が、斜に店の引戸に射して、幽かにペンキの匂も立てた。お末は仕事に興味を催した様子で、少し上気しながらせつせと、色々な模様の切れを板に張りつけて居た。先きだけ赤らんだ小さい指が器用に、黒ずんだ板の上を走つて、かゞんだり立つたりする度に、お末の体は女らしい優しい曲線の綾を織つた。店で新聞を読んで居た鶴吉は美しい心になつて、飽かずそれを眺めて居た。
組合に用事があるので、早昼をやつた鶴吉が、店を出る時にも、お末は懸命で仕事をして居た。
「一と休みしろ、よ、飯でも喰へや」
優しく云ふと、お末は一寸顔を上げてにつこりしたが、直ぐ快活げに仕事を続けて行つた。曲り角に来て振返つて見ると、お末も立上つて兄を見送つて居た。可愛いゝ奴だと鶴吉は思ひながら道を急いだ。
母が昼飯だと呼んでも構はずに、お末は仕事に身を入れて居た。そこに朋輩が三人程やつて来て、遊園地に無限軌道の試験があるから見に行かないかと誘つてくれた。無限軌道――その名がお末の好奇心を恐ろしく動かした。お末は一寸行つて見る積りで、襷を外して袂に入れて三人と一緒になつた。
厳めしく道庁や鉄道管理局や区役所の役人が見て居る前で、少し型の変つた荷馬車が、わざと造つた障害物をがたん/\音を立てながら動いて行くのは、面白くも何ともなかつたけれども、久し振りで野原に出て学校友達と心置きなく遊ぶのは、近頃にない保養だつた。まだ碌々遊びもしないと思ふ頃、ふと薄寒いのに気がついて空を見ると、何時の間にか灰色の雲の一面にかゝつた夕暮の暮色になつて居た。
お末はどきんとして立ちすくんだ。朋輩の子供達はお末の顔色の急に変つたのを見て、三人とも眼をまるくした。