去年

2話 去年(2)

8,730字 約17分 2006年8月16日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 矛盾(むじゅん)した二つのことが、平気で並行されるということは、よほど理屈にはずれた話だけれど、僕のところなどではそれがしじゅう事実として行なわれている。

 ある朝であった。妻は少し先に起きた。三つになるのがふとんの外へのし出て眠っているのを、引きもどして小枕を直しやりながら、

「ねいあなた、まだ起きないですか」

「ウム起きる、どうしたんだ」

 見れば床にすわりこんで、浮かぬ顔をしていた妻は、子どもの寝顔に目をとめ、かすかに笑いながら、

「まァかわいい顔して寝てる、こうしているのを見ればちっとも憎くないけど……」

 ちっとも憎くないけどの一語は僕の耳には(はげ)しい目ざましになった。妻はふたたび浮かぬ顔に帰ってうつぶせになにものかを見ている僕は夜具をはねのけた。

「ねいあなた、わたしの(からだ)はまたへんですよ」

 僕は、ウムと答える元気もなかった。妻もそれきり一語もなかった。ふたりとも()って夜具はずんずん片づけられる。あらたなるできごとをさとって、烈しく胸に響いた。話しするのもいやな震動は、互いに話さなくとも互いにわかっている。心理状態も互いに顔色でもうわかってる。妻は八人目を懐胎(かいたい)したのだ。

「ほんとに困ったものねい」

 と、いうような言葉は、五人目ぐらいの時から番ごと繰り返されぬいた言葉なのだ。それでもこの寝ているやつのときまでは、

「もうかい……」

「はァ……」

 くらいな言葉と同時に、さびしいようなぬるいような笑いを夫婦が交換したものだ。

「えいわ、人間が子どももできないようになれば、おしまいじゃないか」

 こんなつけ元気でもとかくさびしさをまぎらわし得たものだ。

 けさのふたりは愚痴をいう元気がないのだ。その事件に話を触れるのが苦痛なのだ。人が聞いたらばかばかしいきわみな話だろうが、現にある事実なのだ。しかも前夜僕は、来客との話の調子で大いに子ども自慢をしておったのだから滑稽(こっけい)じゃないか。

 子を育てないやつは社会のやっかい者だ。社会の恩知らずだ。僕らのようにたくさんの子を育てる者に対して、国家が知らぬふうをしているという法はない。子どもを育てないやつが横着(おうちゃく)仕得(しどく)をしてるという法もない。これはどうしても国家が育児に関する何らかの制度を設けて、この不公平を()めるのが当然だ。第二の社会に自分の後継者を残すのは現社会の人の責任だ。だから子を育てないやつからは、少くもひとりについてひとりずつ、夫婦ふたりでふたりの後継者を作るべき責務として、国家は子のない者から、税金を取るべきだ。そうして余分に子を育てる人を保護するのが当然だ。僕らは実に第二の社会に対しては大恩人だ。妻の両親も健康で長命だ。僕の両親も健康で長命だった。夫婦ともに不潔病などは親の代からおぼえがない。健全無垢(むく)な社会の後継者を八人も育てつつある僕らに対して、社会が何らの敬意も払わぬとは不都合だ。しかしまた、たとえ社会が僕らに対して何らの敬意を払わないにしても、事実において多くの社会後継者を養いつつあるのだから、ずいぶんいばってもよいだろう……。

 そんな調子に前夜は(から)気炎をはいておおいに来客をへこませ、すこぶる元気よく寝についた僕も、けさは思いがけない「またへんですよ」の一言に血液のあたたかみもにわかに消えたような心地(ここち)になってしまった。例のごとく楊枝(ようじ)を使って頭を洗うたのも夢心地であった。

 門前に立ってみると、北東風がうす寒く、すぐにも降ってきそうな空(ぎわ)だ。日清紡績の大煙突(だいえんとつ)からは、いまさらのごとくみなぎり出した黒煙が、深川の空をおおうて一文字にたなびく。壮観にはちがいないが不愉快な感じもする。

 多く社会の後継者をつくるということは、最も高い理想には相違なきも、子多くして親のやせるのも生物の真理だ。僕はこんなことを考えながら、台所へもどった。

 親子九人でとりかこむ食卓は、ただ雑然として列も順序もない。だれの(わん)だれの(はし)という差別もない。大きい子は小さい子の世話をする。(なべ)に近い(ひつ)に近い者が、汁を盛り飯を盛る。自然で自由だともいえる。妻は左右のだれかれの世話をやきながらも、先刻動揺した胸の波がいまだ静まらない顔つきである。いつもほど食卓のにぎわわないのは、親たちがにぎやかさないからだ。

 琴のおさらいが来月二日にある。師匠の師匠なる大家が七年目に一度するという大会であるから、家からも三人のうち二人だけはぜひ出てくれという師匠からの話があったから、どうしようかと梅子がいい出した。梅子は両親の心もたいていはわかってるから、師匠がそういうたとばかり、ぜひ行きたいとはいわないのだ。しばらくはだれも何とも言わない。僕も妻もまた一種の思いを(いだ)かずにはいられなかった。

 父は羽織(はおり)だけはどうにかくふうしてふたり行ったらよかろうという。父は子どもたちの前にもいくぶんのみえ心がある。そればかりでなく、いつとてこれという満足を与えたこともないのだから、この場合とてもそんなことがと心いながらも頭からいけないというのは、どうしてもいえないでそういったのだ。

 母なるものには、もとより心にないことはいえない。そうかといって、てんからいけないとはかわいそうで言えないから、口出しができないでいる。

「そんならわたいの羽織を着て行けばえいわ」と、長女がいいだした。梅子は、

「人の着物借りてまでも行きたかない。わたい」

「そんなら着物を持ってる蒼生子(たみこ)がひとり行くことにしておくか」

 両親の胸を痛めたほど、子どもたちには不平がないらしく話は段落がついた。あとはひとしきり有名な琴曲家の(うわさ)話になった。僕は朝からの胸の不安をまぎらわしたいままに、つとめて子どもたちの話に興をつけて話した。けれども僕の気分も妻の顔色も晴れるまでにいたらなかった。

 若衆は牛舎の仕事を終わって朝飯(あさめし)にはいってくる。()()る当歳の()牛が一頭ねたきり、どうしても起きないから見て下さいというのであった。僕はまた胸を針で刺されるような思いがした。

 二度あることは三度ある。どうも不思議だ、こればかりは不思議だ。僕はひとり(ごち)ながらさっそく牛舎に行ってみた。熱もあるようだ。臀部(でんぶ)戦慄(ふるえ)を感じ、毛色がはなはだしく衰え、目が闇涙(あんるい)()んでる。僕は一見して見込みがないと思った。

 とにかくさっそく獣医に見せたけれど、獣医の診断も曖昧(あいまい)であった。三日目にはいけなかった。()の悪いことはかならず一度ではすまない。翌月牝子牛を一頭落とし、翌々月また牝牛を一頭落とした。不景気で相当に苦しめられてるところへこの打撃は、病身のからだに負傷したようなものであった。

 三頭目の(へい)牛を化製所の人夫に渡してしまってから、妻は不安にたえない面持(おもも)ちで、

「こう()の悪いことばかり続くというのはどういうもんでしょう。そういうとあなたはすぐ笑ってしまいますけど、家の方角(ほうがく)でも悪いのじゃないでしょうか」

「そんなことがあるもんか、間のよい時と間の悪い時はどこの家にもあることだ」

 こういって僕はさすがに方角を見てもらう気も起こらなかったが、こういう不運な年にはまたどんな良くないことがこようもしれぬという恐怖心はひそかに禁じ得なかった。

        四

 五月の末にだれひとり待つ者もないのにやすやすと赤子(あかご)は生まれた。

「どうせ女でしょうよ」

 妻はやけにそういえば、産婆は声静かに笑いながら、

「えィお嬢さまでいらっしゃいますよ」

 生まれる運をもって生まれて来たのだ。七女であろうが八女であろうが、私にどうすることもできない。産婆はていちょうに産婆のなすべきことをして帰った。赤子はひとしきり遠慮会釈(えんりょえしゃく)もなく泣いてから、仏のような顔して眠っている。姉々にすぐれて顔立ちが良い。

「大事にされる所へ生まれて来やがればよいのに」

 妻はそういう下から、手を伸べて顔へかかった赤子の着物をなおしてやる。このやっかい者めがという父の言葉には、もう親のいとしみをこめた情がひびいた。口々に邪慳(じゃけん)に言われても、手ですることには何の疎略(そりゃく)はなかった。

「今に見ろ、このやっかい者に親も姉妹(きょうだい)も使い回されるのだ」

「それだから、なおやっかい者でさあね」

 毎日洗われるたびに、きれいな子だきれいな子だといわれてる。やっかいに思われるのも日一日と消えて行く。

 電光石火……そういう間にも魔の神にのろわれておったものか、八女の出産届をした日に三ツになる七女は池へ落ちて死んだ。このことは当時お知らせしたことで、僕も書くにたえないから書かない。僕ら夫妻は自分らの命を忘れて、かりそめにもわが子をやっかいに思うたことを深く悔い泣いた。

 多いが上にまた子どもができるといっては、吐息(といき)を突いて嘆息したものが、今は子どもに死なれて、生命もそこなうばかりに泣いた。

 矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)……信仰のない生活は、いかりを持たない船にひとしく、永遠に安住のないことを深刻に恥じた。

        五

 七月となり、八月となり、牛乳の時期に向かって、不景気の荒波もようやく勢いを減じたが、幼女を失うた一家の痛みは、容易に()ゆる時はこない。夫妻は精神疲労して物に驚きやすく、夜寝てもしばしば眼をさますのである。

 おりから短夜の暁いまだ薄暗いのに、表の戸を急がしく打ちたたく者がある。近所にいる兄の妻が産後の急変で危篤であるから、すぐに某博士を頼んでくれとのことを語るのであった。

 驚いている間もない。妻を使いの者とともに駆け着けさせ、自分はただちに博士を依頼すべく飛び出して家を出でて二、三丁、もう町は明け渡っている。往来の人も少なくはない。どうしても(くるま)が得られなく、自分は重い体を汗みじくに急いだ。電車道まで来てもまだ電車もない。往来の人はいずれも足早に右往左往している。

 人が自分を見たらば何と見るか、まだ戸を明けずにいる人もあるのに、いま時分急いで歩く人は、それぞれ人生の要件に走っているのであろう。自分が人を見るように、人も自分を見て、何の要事で急ぐのかと思うのだろう。自分がいま人間ひとりの生死を気づかいつつ道を急ぐように、人もおのおの自己の重要な事件で走っているのであろう。

 あるいは自分などより層一層痛切な思いを抱いて、足も地につかない人もあろう。あるいは意外の幸運に心も躍って道の遠いのも知らずにゆく人もあろう。事の余儀なきにしぶしぶ出てきて足の重い人もあろう。

 自分は考えるともなしこんなことを考えながら、心のすきすきに(あによめ)の頼み少ない感じが動いてならなかった、博士は駿河台(するがだい)の某病院長である。自分は博士の快諾(かいだく)を得てすぐ引っ返したけれど、人力もなく電車もないのに気ばかりせわしくて五体は重い。眉毛(まゆげ)もぬれるほどに汗をかいて急いでも、容易に道ははかどらない。

 細りゆく命をささえて、病人がさぞかし待ち遠であろうと思うと、眼もくらむばかりに苦しくなる。病人の(かど)を望見したときに、博士は二人引きの腕車で後からきた。自分はともに走って兄の家に飛び込んだ。けれども門にはいってあまりに家のひっそりしているを気づかった。果たして間に合わなかった。三十分ばかり前に息を引きとったとのことであった。博士は産後の出血は最も危険なこと、手当てに一刻の猶予もできないことなどを語って帰った。寄った人の限りはあい見て嘆息するほかはなかった。

 嫂は四十二であった。きのうの日暮れまでも立ち働いておったそうである。夜の一時ごろにしかも軽く分娩(ぶんべん)して、赤子(あかご)は普通より達者である。

 自分は変わった人のさまを見るに忍びなかったけれど、あまり運命の痛ましに、会わずにいるにもたえられない。惨として死のにおいが満ちた室にはいって、すでに幽明隔たりある人に会うた。胸部のあたりには、(せい)名残(なご)りの温気がまだ消えないらしい。

 平生赤みかかった(つや)のよい人であったが、全血液を失うてしもうたものか、蒼黄色に変じた顔は、ほとんどその人のようでなかった。嫂はもうとてもむつかしいと見えたとき、

「わたしもこれで死んでしまってはつまらない……」

 と、いったそうである。若くして死ぬ人の心は多くその一語に帰すのであろう。平凡な言葉にかえって無限の(うら)みがこもっている。きのうの日暮れまで働いていた人が、その夜の明け明けにもはや命が消える。多くの子どもや長年添うた夫を明るい世にのこし、両親が会いにくるにも間に合わないで永久の暗に沈まんとする、最後を嘆く(いとま)もない。

「これで死んでしまってはつまらない」

 もがく力も乏しい最後の哀音(あいおん)、聞いたほどの人の耳には生涯消えまじくしみとおった。自分は妻とともにひとまず家に帰って、ただわけもわからずため息をはくのであった。思わず妻の顔子どもたちの顔を見まわした。まさか不意にだれかが死ぬというようなことがありゃせまいなと思われたのである。

 その赤子がまもなくいけなかった。ついで(おい)の娘が死んだ、友人の某が死に某が死んだ。ついに去年下半年の間に七度葬式に列した僕はつくづく人生問題は死の問題だと考えた。生活の問題も死の問題だ。営業も不景気も死の問題だ。文芸もまた死の問題だ。そんなことを明け暮れ考えておった。そうして去年は暮れた。

 不幸ということがそう際限もなく続くものでもあるまい。年の暮れとともに段落になってくれればよいがと思っていると、息はく間もなく、かねて病んでおった田舎(いなか)の姉が、新年そうそうに上京した。それでこれもまもなく某病院で死んだ。姉は六十三、むつかしい病気であったから、とうから覚悟はしておった。

「欲にはいま三年ばかり生きられれば、都合がえいと思ってたが、あに今死んだっておれは残り惜しいことはない……」

 こう自分ではいったけれど、知覚精神を失った最後の数時間までも、薬餌(やくじ)をしたしんだ。(さじ)であてがう薬液を、よく(くちびる)に受けてじゅうぶんに引くのであった。人間は息のとまるまでは、生きようとする欲求は消えないものらしい。

        六

 いささか長いに閉口するだろうが、いま一節を君に告げたい。この春東京へは突如として牛疫が起こった。いきおい猛烈にわが同業者を蹂躙(じゅうりん)しまわった。二カ月の間に千二百頭を撲殺したのである。僕の周囲にはさいわいに近くにないから心配も少ないが、毎日二、三枚ずつはかならずはがきの報告がくる。昨夜某の二十頭、けさ某の四十頭を撲殺云々(うんぬん)と通じてくるのである。某の七十頭、某の九十頭など、その惨状は目に見えるようである。府内はいっさい双蹄獣(そうていじゅう)の出入往来を厳禁し、家々においてもできる限り世間との交通を遮断(しゃだん)している。動物界に戒厳令が行なわれているといってよい。僕はさいわいに危険な位置をいささか離れているけれど、大敵に包囲されている心地である。もっとも他人の火事を見物するような心持ちではいられないのはもちろんだ。

 同業者間にはかねての契約がなり立っている。同業中不幸にし牛疫にかかった者のあった場合には何人(なんぴと)もその撲殺評価人たる依頼を拒まれぬということである。それで僕はついに評価人にならねばならぬ不幸が起こった。

 深川警察署からの通知で、僕は千駄木町の知人某氏の牛疫撲殺に評価人として出張することとなった。僕ははじめて牛疫を見るという無経験者であるから、すこぶる気持ちは良くないがやむを得ないのだ。それに僕が評価人たることは、知人某氏のためにも利益になるのであるから、勇を鼓して出かけて行った。

 日の暮れ暮れに某氏の門前に(のぞ)んでみると、警察官が門におって人の出入を誰何(すいか)している。門前には四十台ばかりの荷車に、それに相当する人夫がわやわや騒いでおった。()を通じて家にはいると、三人警部と茶を飲んでおった主人は、目ざとく自分を認めた。僕がいうくやみの言葉などは耳にもはいらず。

「やァとんだご迷惑で……とうとうやっちゃったよアハハハハハ」

 と事もなげに笑うのであったが、茶碗(ちゃわん)を持った手は震えておった。女子どもはどうしたか見えない。巡査十四、五人、屠殺人、消毒の人夫、かれこれ四十人ばかりの人たちが、すこぶるものなれた調子に、撲殺の準備中であった。牛の運動場には、石灰をおびただしくまいて、ほとんど雪夜のさまだ。

 僕は主人の案内でひととおり牛の下見(したみ)をする。むろん巡査がひとりついてくる。牛疫の牛というのは黒毛の牝牛赤白斑(まだら)の乳牛である。見ると少しく沈欝(ちんうつ)したようすはしているが、これが恐るべき牛疫とは素人目(しろうとめ)には教えられなければわからぬくらいである。その余の三十余頭、少しも平生に変わらず、おのおの争うて餌をすすっている。

「こうしているのをいま少しすぎにみな撲殺してしまうのかと思うと、損得に関係なく涙が出る」

 主人はいまさら胸のつかえたように打ち語るのであった。けさ分娩したのだという白牛は、白黒斑のきれいなわが子を、頭から背から口のあたりまで、しきりにねぶりまわしているなどは、いかにも哀れに思われた。牡牛のうめき声、子牛の鳴き声等あい(こん)じてにぎやかである。いずれもいずれも最後の飼葉(かいば)としていま当てがわれた飼桶(かいおけ)をざらざらさも忙しそうに音をさせてねぶっている。主人は雇人(やといにん)に、

「これきりの飼葉だ、ねぶらせておけよ。桶も焼いてしまうのだ。かじってえい……」

 主人の声はのどにつまるように聞こえた。僕は慰めようもなく、ただおおいに放胆(ほうたん)なことをいうて主人を励ました。

 警視庁の獣医も来て評価人も規定どおり三人そろうたから、さっそくということで評価にかかった。一時四十分ばかりで評価がすむとまったく夜になった。警官連はひとりに一張(ひとはり)ずつことごとく提灯(ちょうちん)を持って立った。消毒の人夫は、飼料の残品から、その他牛舎にある器物のいっさいを運び出し、三カ所に分かって火をかけた。盛んに石油をそそいでかき立てる。一面にはその明りで屠殺にかかろうというのである。

 牧夫は酒を飲んだ勢いでなければ、とても手伝っていられないという。主人はやむを得ず酒はもちろん幾分の骨折りもやるということで、ようやく牧夫を得心さした。警官は夜がふけるから早く始めろとどなる。屠手(としゅ)は屠獣所から雇うてきたのである。撲殺には何の用意もいらない。屠手が小さな(おの)に似た鉄鎚(てっつい)をかまえて立っているところへ、牧夫が牛を引いて行くのである。

 最初に引き出したのは赤毛の(ふと)った牝牛(めうし)であった。相当の位置までくると、シャツにチョッキ姿の屠手は、きわめて熟練したもので、どすと音がしたかと思うと、牝牛は荒れるようすもなく、わずかに頭を振るかとみるまに両膝(りょうひざ)を折って体をかがめるとひとしく横にころがってしまう。消毒の係りはただちに疵口(きずぐち)をふさぎ、そのほか口鼻肛門(こうもん)等いっさい体液の漏泄(ろうせつ)を防ぐ手数(てすう)をとる。三人の牧夫はつぎつぎ引き出して適当の位置にすえる。三十分をいでずして十五、六頭をたおしてしまった。同胞姉妹が(しかばね)を並べてたおされているのも知らずに、牛はのそのそ引き出されてくる。子持ちの牛はその子を振り返り見てしきりに鳴くのである。屠手はうるさいともいわず、その牛を先にやってしまった。鳴きかけた声を半分にして母牛はおれてしまう。最も手こずったのは大きな牡牛(おうし)であった。牧夫ふたりがようやく引き出してきても、いくらかあたりの光景に気が立ったとみえ、どうかすると荒れ出そうとして牧夫を引きずりまわすのであった。屠手は進んで自分から相当の位置を作りつつ、すばやく一撃を加えた。今まで荒れそうにしていた大きい牡牛も、土手を倒したようにころがってしまった。警官や人夫やしばしば実行して来た人たちと見えて、牛を殺すなどは何とも思わぬらしい。あえて見るふうもなくむだ話をしている。

 僕はむしろ惨状見るにたえないから、とうに出てしまおうとしたのだけれど、主人の顔に対して暇を告げるのが気の毒でたまらず、躊躇(ちゅうちょ)しながら全部の撲殺を見てしまった。評価には一時四十分間かかったが、屠殺は一時二十分間で終わってしまった。無愛想な屠手は手数料を受け取るや、話一つせずさっさと帰って行った。警官らはこれからが仕事だといって騒いでいる。牛はことごとく完全に消毒的手配をして火葬場へ運ぶのである。牛舎はむろん大々的消毒をせねばならぬ。

 いままで雑然騒然、動物の温気に満ちていた牛舎が、たちまちしんとして寂莫たるように変じたのを見て、僕は自分もそれに引き入れられるような気分がして、もはや一時もここにいるにたえられなくなった。

 僕は用意してきたあらたな衣服を着がえ、牛舎にはいった時着た衣服は、区役所の消毒係りの人にたくしてここを出た。むろんすぐに家へは帰られないから、一週間ばかり体を清めるためその夜のうちに国府津(こうづ)まで行った。宿についても飲むも食うも気が進まず、新聞を見また用意の本など出してみても、異様に神経が興奮していて、気を移すことはできなかった。見てきた牛の形が種々に頭に映じてきてどうにもしかたがない。無理に酒を一口飲んだまま寝ることにした。

 七日と思うてもとても七日はいられず三日で家に帰った。人の家のできごとが、ほとんどよそごとでないように心を刺激する。僕はよほど精神が疲れてるらしい。

 静かに過ぎてきたことを考えると、君もいうようにもとの農業に返りたい気がしてならぬ。君が朝鮮へ行って農業をやりたいというのは、どういう意味かよくわからないが、僕はただしばらくでも精神の安静が得たく、帰農の念がときどき起こるのである。しかし帰農したらば安静を得られようと思うのが、あるいは一時の懊悩(おうのう)から起こるでき心かもしれない。

 とにかく去年から今年へかけての、種々の遭遇によって、僕はおおいに自分の修業未熟ということを心づかせられた。これによって君が僕をいままでわからずにおった幾部分かを解してくれれば満足である。

目次に戻る

感想を書く

目次