電気風呂の怪死事件

3話 電気風呂の怪死事件(3)

7,623字 約15分 2005年8月5日 公開

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 次から次へと、意外な事件の連続と、それにも増して奇怪な事実の発見に依って、居合せた刑事連は、ひとしく驚愕(きょうがく)(まなこ)(みは)った。が、誰よりも彼よりも、歯の根も合わない程(おどろ)いたのは、向井湯の主人であった。

 自分の家の天井に、()うした油断のならぬ節穴(ふしあな)があったことさえ、夢にも知らない事であったのに、その上、誰が持ち込んだものか、望遠鏡やら、活動写真の撮影機やら、吹矢やら、またパンの欠片(かけら)蜜柑(みかん)の皮といった食物まで運ばれていた――など、何が何やら、彼にとって薩張(さっぱ)り訳の判らないことであった。しかも、日頃忠実であって、深い信頼を()けていた由蔵が、僅々(きんきん)の時間に、場所もあろうにこんな所に屍骸と化して(よこたわ)っているとは!

 彼は、天井裏にペタンと坐ったまま、情ないのと恐怖とで涙に暮れていた。と、泣けて泣けて仕方がない程の気持の中にも、何か異常を感じたのだろう、ひょいと立上った彼は、今迄坐っていた足の下をぞろりと()でてみたのち、何かに触れて声を上げた。

「何だ何だ!」

 懐中電灯の光線が、さっと飛んで来た。刑事たちの注視が一様に其処(そこ)へ集った。

「やッ! 電線だ、こりゃ電線だぜ!」

 主人は、一条の細い電線の上に坐っていたのだ。それが足の肉に喰い込んでいた痛みが偶然発見をもたらしたのである。

「電線!」という声に、一同は先刻(さっき)の感電騒ぎのあったことを思い出した。そうだ、井神陽吉が男湯の中で感電して卒倒(そっとう)した事件は、今の今迄、恐らく皆の脳裡(のうり)から忘却(ぼうきゃく)されていたのであろう。それほど、一同は異常に()れていた。それを今、電線の発見から、再び一同の頭には関係づけられて考えられて来た。

 赤羽主任は、つかつかとその電線の所在箇所(しょざいかしょ)に近寄って色々と調べてみた。と、それは蝋引(ろうび)きのベル用の電線で、この天井裏を()い廻っている電灯会社の第四種電線とは、全然別種のものであることが判明した。又、それは大して古いものではないという様なことも判って来た。赤羽主任が、(なお)もその先を辿(たど)って見ると、その電線の一端(いったん)は、電灯線の所謂(いわゆる)第四種線に(から)まって由蔵の屍骸の傍に終ってい、他の一端を探ってみると、棟木(むねぎ)の上に、ベルに用いるようなマグネットがあって、更に下部(かぶ)へ降りて男湯の天井を匍って電気風呂の男湯の配線の中へ喰い込んでいた。専門外のこととて(はっき)りしたことは判らなかったが、とにかく、簡単ながら、男湯の電気風呂へ、何かの仕掛けが(ほどこ)されていることだけは、誰にも首肯(しゅこう)されたのであった。

 赤羽主任の脳裡には、(ようや)く事件の(あや)が少しずつ明瞭になってくるのを覚えた。そして、此の事件の犯人は、この天井裏に潜伏していて、望遠鏡と活動写真撮影機とを使用して、女湯の天井から、犯人の恋人ででもあるらしい肉体美の女を殺し、その藻掻(もが)苦悶(くもん)して死んでゆく所を、活動写真に撮影しようと思ったのでもあろうか。つまり一種の変態性慾者である。そして、その犯行を()げるために、最初、男湯に強烈な電流を通じて、浴客の一人を感電せしめ、その混乱から人々の注意が男湯の方に集っている機に乗じ、犯人はその女を吹矢で殺して、その目的である活動写真撮影を完成し、()ねて恋愛の復讐か何かを遂行(すいこう)したものであろう。――と、これが、赤羽主任が匆々(そうそう)にまとめ上げた推理の筋道であった。

 赤羽主任は考える。――それから由蔵は、何かの異常に気がついて、此の天井裏に上ってみたが、逸早(いちはや)くそれと知った犯人のために、物蔭から吹矢で射殺(いころ)されたに違いがない。それが証拠に、由蔵の屍体には、明かに格闘をした形跡が残っていないではないか。――

 だが、これだけではまだ()き足りない謎が大分沢山残されてある。

 第一は犯人が一向(いっこう)()げ出した様子がないことである。此の風呂場で感電騒ぎが起ったとき、向井湯の直ぐ向う側にある交番の警官が、バタバタと飛び出して来た浴客の女達のあられもない姿を認めて、彼女等を訊問(じんもん)したことに依って早くも事件を知って、時を移さず表口や裏口に手配をしたことが報告されている。感電事件に居合せた浴客の男達も、陽吉の手当している間に、警官に堅く禁足(きんそく)を命ぜられていた。後から飛び込んで来た近所の連中や通行人さえ、みんな留め置かれている。猫の子一匹だって表へ出たものがないとしたら、犯人は必ず此の向井湯の中に、依然として現在も居る筈に違いない。万一その犯人が由蔵の室の窓から外へ飛び出したとしても、見張りの警官に認められぬということはあり得ない。

 第二に、由蔵が、何故(なにゆえ)にこの天井裏に異常のあることを認めて、此処(ここ)まで上って来たかということである。いくら気が顛倒(てんとう)していた場合とは云え、他の人間に知らせずに、こんな所へ一人で上って来る筈はない。

 第三に、最も不審なことと云えば、女湯で惨殺(ざんさつ)された彼の婦人の着衣も下駄も一物として発見されぬ事である。仮に当時の女湯の客で、手の長い人間か、狼狽者(ろうばいしゃ)が居たとして、その女の着衣を持ち出したとしても、足袋(たび)の片足や、湯文字(ゆもじ)の一枚までも残さぬなどという大胆不敵な行動が、あの際出来るものでなく、下駄の無いことに至っては、もはやそんな生暖(なまぬる)い想像は(くつが)えされるべきことであろう。

 最後に疑問として残ることは、当時数人居たと想像される、いや、居たに相違ない女湯の客が逃げ出す時、どうしてこの女が殺されたことを誰一人として知っていないのであろうか。いくら女は気が弱いと云っても、その辺のことを考えると怪しむべき余地は充分にあろう。が、これも、殺された女が事件を(よそ)に悠々と落ついて、たった一人で何時までも湯槽(ゆぶね)(つか)っているなり、流しているふりしていたと考えれば、幾分合理性も認められるが、浴客中に、もしもその様に落ついた女が一人も居らなかった場合を考えると、天井裏に穏れて、かねて計画の機会を待っていた犯人が人知れず或る女を殺したり、活動写真を撮影したりすることも不可能となって来るから、此の(へん)も尚不審である。

 赤羽主任は考え疲れて、頭がフラフラするのを覚えながら、一同と共に再び階下に降りて来た。

 由蔵の部屋から釜場(かまば)へと梯子(はしご)を降りている時、赤羽主任は、奥の居間から、湯屋の女房が茶盆(ちゃぼん)を持って出て来るのを見た。と、同時に、彼は、ハッタと、忘れていた或事に気がついた。先刻(さっき)、女房が云ったことには、釜場の下で変な裸体の女に突き当った。その女が「女湯の方は何事もない」と云ったのにも(かかわ)らず、僅か幾分と云わせずして、女の屍体が発見されたではないか。女が、女湯の方へ入った時には、女の屍体はどうしても其処にあった筈である。それなのに()の疑問の女は何事も言わなかった。ひょっとすると、その女が、惨殺された女の着衣や下駄を自分の身につけて、()ました顔で表戸から出て行ったのではなかろうか? だが、もしそうだとすると、その女は一体何処から来て、彼女の真実(ほんとう)の着衣や下駄は何処にあるだろうか。仮に、その女が犯人だとしても、まさか女が裸体で天井裏にいたのもおかしいし、また女が女湯から活動を()るなども変な話である。

 ――そう考えながらも、赤羽主任は、(いず)れにしろ、その惨殺された女の着衣と下駄を探すことが、事件の解決に最も役立つものであることを知って、後ろに続いて来た部下の一人に命じた。

「由蔵の部屋の持物を全部洗ってみろ、女の持物が出て来るかも知れないからな」

 梯子を降りかかった刑事の一人は、そう云われて(ただち)に再び部屋へ取って返した。

 やがて五分も経ったと思われる頃、その刑事は由蔵の部屋から顔を出して(いきお)いよく答えた。

「主任、ありました。何だか、おかしなものが出ましたぜ!」

「ふむ、そうか、何だね?」と主任の声。

「ま、ちょいと来て御覧なさい!」

 刑事は頬の(あた)りを変に(ゆが)めて、いやらしい笑いを見せた。赤羽主任は云われるままに梯子を昇って行ってみた。

 室の中央に投げ出された柳行李(やなぎごうり)の中に、一杯女の裸体写真が()まっていたのだ。それは主にサロンの安っぽい印刷になる絵葉書や、新聞雑誌の切抜らしいものばかりであったが、更にその奥の方からは、独逸(ドイツ)文字の学術的な女の裸体研究書などが出て来た。が、それにも拘らず、目的の女の着衣は部屋の何処にも見当らなかった。

 (しか)し、()うなると、由蔵に(つい)ても余り軽々しく考えられなくなって来た。何故なら、それらの持物でも判るように、由蔵は立派な変態性慾者であるに違いなかったからである。

 暫くして、又刑事は押入の隅から望遠鏡のサックを()っ張り出した。――赤羽主任の頭は愈々(いよいよ)混乱して来るのであった。……

 と、其の時、釜場へやって来た人間が、やあと声をかけた。それは、赤羽主任のよく知っている警察医(けいさつい)の山村であった。

「御苦労さまで、どうも。所で赤羽さん、あの感電騒ぎをやった井神陽吉という男ですな。大分意識も恢復して来たようですが、先生(しき)りに帰りたい帰りたいと言うのです。言ってきかせても解らないので閉口してますが、どうでしょうな、あんまりあの男の意志に(さか)らうと、心臓が昂進(こうしん)して悪いのですが、お差支(さしつか)えなかったら、あの男を一応帰らしたらと思うんですが――。ええ、もうそりゃ決して逃げられるような身体じゃありませんよ」

「じゃあ帰してやりましょう。警察の者を二三人附き()わしてやって下さい。然し一応身元(みもと)調べをすましたんでしょうな?」

「身元調べでは先刻(さっき)注射の後で、前の交番の村山巡査にやって貰っときましたよ。村山君、ちょっと先刻(さっき)の調査を見せて()れませんか?」

 呼ばれて釜場へやって来たのは、制服の巡査村山辰雄であった。彼は、事件の最初から見張り番に当って、一向犯行の経路も、捜査の経緯(いきさつ)も知らないのであった。

「村山君、他ではないが感電した男の身元調べをやって置いて呉れたそうですが――」

 赤羽主任に問われて、規律的(きりつてき)に「はい」と返事した彼は、懐中から手帖を出してぱらぱらめくっていたが、或る(ページ)を読み上げて報告しようとした。

「おっと、ちょっと僕にだけ見せて呉れ(たま)え!」

 云われて、村山巡査は、四囲(あたり)に湯屋の夫婦やその他役筋(やくすじ)でない人間のいることを知って苦笑しながら、その頁を開いたまま手帖を赤羽主任に手渡した。

 と、見る見る赤羽主任の面には(かがや)くばかりの喜色が(みなぎ)った。

「これだ、犯人は判った!」

「えッ、犯人が判りましたか? あの、井神陽吉が、では、犯人なのですか?」

 キョトンと()せぬ面持で、村山巡査は反問した。

「いや、()うじゃない。樫田武平(かしだぶへい)、あの男に違いない!」

 断乎(だんこ)として云い放った赤羽主任の顔を、事情の判らない一同は不審そうに(みつ)めた。

「いや、有難う、村山君。君の手帖のお蔭で(はか)らずも犯人、いや有力な嫌疑者(けんぎしゃ)が判明した。感謝する!」

 益々意外な赤羽主任の言葉、しかしそれはこうであった。

 初め赤羽主任は、村山巡査の手帖を受け取った時、感電被害者の井神陽吉の身元を一見するのが目的であったことに間違(まちがい)はなかった。が、それを見ようとして、図らずもその調査項目の前に記されてあった文字が、彼をして一道(いちどう)光明(こうみょう)を認めさせたのであった。それは――

微罪(びざい)不検挙(始末書提出)

活動写真撮影業及び活動写真機械及附属品販売業(ならび)にフィルム現像(げんぞう)複写業(ふくしゃぎょう)

樫田武平(二四歳)

   (住所)

 といった、今日の事件に関係なく記入された(おぼ)え書きであったのだ。

 赤羽主任は、それをチラと見るや、(たちま)ちにして脳裡に(わだかま)っていた疑問を一掃(いっそう)し得ることが出来たのだ。というのは、樫田武平なる青年の住所が、村山巡査の管轄区域内の者であること、その職業がこの事件の謎を解くに最も有力なものであること、それに微罪ながらも交番巡査に始末書を取られるといったような行状(ぎょうじょう)などからして、直覚的(ちょっかくてき)に犯人推定を試みたのであった。

 説明を聞いて、共に五里霧中(ごりむちゅう)にあった刑事連もひとしく同意見を()べるに到った。

 だが、何にせよ、その樫田武平の身柄を捜査してみなければ、或は現場不在証明(アリバイ)などの懸念(けねん)もあるので、色めき立った刑事連は、赤羽主任の命を待つものの様にその面を(あお)いだ。

 と、赤羽主任は、何故か悠然(ゆうぜん)と構えて急ぐことを(ほっ)せぬもののようである。

「非常線は張ってある。本署へ行けばきっと捕っているに違いないよ!」

 先刻(さっき)までの陰鬱(いんうつ)そうな顔色にひき代えて、また何と云う暢気(のんき)さだろう!

     3

 だが、赤羽主任の推定が真実(ほんとう)であったことは、一同が向井湯を引上げて本署へ立ち帰った時に判明した。

「主任殿、御苦労さまでした。非常線にひっかかった怪しい奴は、みんな留置所(りゅうちじょ)()ち込んであります。そして、たった一人(まった)くおかしな奴がいるんです……」

 一行の帰署(きしょ)を待ち構えていたもののように報告する一人の刑事の言葉を聞いて、赤羽主任はおっ(かぶ)せて云った。

「……束髪の女装をした奴で、名は樫田武平とね、()うだろう?」

「おお、よく御存じで。此間(このあいだ)一度、軟派(なんぱ)の事件で始末書を取った奴です」

 満足そうに同行の部下を(かえりみ)た赤羽主任は、初めて愉快らしい()みを浮べた。

 樫田武平の取調べの結果、事件の一切は判明した。

 彼は、かねて、若い女が苦悶(くもん)して死んでゆく所を映画に撮ろうという、(だい)それた野心を持っていたのだ。それは、多分に彼の変態性の欲望が原因したのであったが、職業とする所の趣味道楽が、ひどく()(かたま)ったことも一部の(いん)をなしていた。で、彼は種々(いろいろ)と研究と計画を(めぐ)らした結果、それが夢でなく実現することが出来ることを発見した。それには、彼の行きつけの風呂向井湯という、電気風呂を利用することが、最も容易な手段であったのだ。

 先ず彼は、日頃おさおさ(おこた)りなく向井湯の内外を研究し、それに、特有の肉体美を備えた若い婦人を一人選んで、彼女の入浴の際、特殊の方法で惨殺しようと計画した。

 事件のあった日の(あかつき)、彼は自家(じか)売品(ばいひん)たるフィルムを一本と現像液を準備して、それに店にあった小形撮影機を一台と、パンや蜜柑(みかん)などの食料品、束髪の西洋鬘(せいようかつら)などを一緒に風呂敷に包み、向井湯の裏口へ(おもむ)いた。そして物蔭に隠れて種々(いろいろ)様子(ようす)(うかが)ったのち、午前十時頃、由蔵の(すき)(ねら)ってその部屋から天井裏に忍び込んだ。彼が()く忍び込むまでには、充分の用意と研究が積まれてあったことは勿論(もちろん)である。彼は、先ず汽罐(きかん)を開けて自らの着衣(ちゃくい)と下駄とをその中に投入して燃やし、由蔵の部屋で由蔵の着衣をそのまま失敬して天井裏に忍び込んだのであった。

 彼は、勿論相当の電気知識を備えていた。(ゆえ)に、男湯の方の感電を計画し、またそれを遂行(すいこう)するための技術上の操作は、十分間も要さずに易々(やすやす)と行われた。それが終ると、彼はかねて探って置いた、由蔵の秘密の(たの)しみ場所たる、女湯の天井の仕掛のある節穴(ふしあな)の処へ来て、由蔵が設置した望遠鏡の代りに、持って来た撮影機を据えつけた。

 やがて、時が来て、当日の生贄(いけにえ)となった例の女(後で判明したが、彼女はお(てる)という二十二歳になる料理屋の女で、その日はこの向井湯の近所に住む伯母の所を訪ねて来た者であった)の肉体に魅力(みりょく)を感じ、愈々計画の実現に(こころざ)したのであった。

 その時は正午少し前だった。女湯の客は、そのお照の他に、僅に三人であった。男湯の方は前述の通り、井神陽吉と他に四人、で、頃合いを計って、彼は男湯の電気風呂に高電圧を加えた。果せるかな、手応(てごた)えがあって、井神陽吉が飛んだ犠牲(ぎせい)となったのである。それからのちは、少くとも表面だけの騒動は前述の通りであった。が、女湯の客のうち、お照を除いた他の三人は、ひとしく(あが)(ぎわ)だったので、隣りの騒動を(きっかけ)匆々(そうそう)逃げ去ったのであった。が、お照はただ一人、湯槽(ゆぶね)の側で間誤間誤(まごまご)していた。というのは、女故(おんなゆえ)(はずかし)さが、裸体で飛び出す軽率(けいそつ)(はば)からせたのと、一人ぽっちの空気が、隣の事件を決して重大に感ぜしめなかったものらしかった。が、何はともあれ、樫田武平にとっては究竟(くっきょう)の機会であった。

 彼は用意の吹矢を取り出すなり、(ねら)()ちに彼女の咽喉(のど)射放(いはな)った。果して、あの致命傷(ちめいしょう)であったのだ。

 転げつ、倒れつ、悶々(もんもん)のたうち返る美人の肉塊(にっかい)の織り()す美、それは白いタイルにさあっと拡がってゆく血潮の色を添えて充分カメラに吸収された。が、十数秒の短い時刻で、(あえ)なくもお照は動かずなってしまった。

 だが、樫田武平は美事な成功に雀躍(こおどり)して、そのフィルムだけを(はず)すと、そのまま逃走しようと試みた。が、その時であった。由蔵は、別の目的を以て同じこの天井裏へ上って来たのである。というのは、彼は感電騒ぎを知るや(たちま)ちにして警察の取調べがこの天井裏の電線に及ぶのを(おもんぱか)って、其処(そこ)は秘密を持つ身の弱さ、望遠鏡を外すために人知れず梯子(はしご)を昇って()い上ったのである。

 当然、樫田武平と由蔵との両人が、高い天井の暗がりで睨み合うことになった。が、何分にも大きな声を出すことを許されぬ場合のこととて、(たがい)に敵視しながらも一言も云わず、必死と(まなこ)を光らし合った。やがて、由蔵は、己が隆々(りゅうりゅう)たる腕力に自信を置いて、樫田武平の華奢(きゃしゃ)頸筋(くびすじ)を締めつけようと襲いかかった。と、早くも吹矢は由蔵の咽喉笛深くグザと突刺さったのであった。――急所を()られてそのままこと()れた由蔵の屍骸(しがい)を見捨てて、樫田武平は怖ろしい迄緊張した気持で変装に取かかった。かねて目論(もくろ)んで置いた通り、彼は咄嗟(とっさ)の間にも順序を忘れずに、女装の鬘を被った。

 そして再び由蔵の部屋へ降りて、由蔵の着衣を脱ぎ捨てると、彼は裸体のまま右手にはフィルムの入った黒い風呂敷を()げて、大胆にも梯子を伝って釜場に降りた。そして女湯の扉口(ドアぐち)へ行こうとした、ちょうどその時彼は其処で湯屋の女房とばったり鉢合(はちあわ)せをしたのみか、ちょっと見咎(みとが)められたのであった。さすがに、これには彼もぎょっとしたが、いかにも柔い嫋々(なよなよ)しい彼の体は、充分に心の乱れた女房の眼を欺瞞(ぎまん)することに成功した。

 そして、彼は、素早く女湯の扉口(ドアぐち)から中へ入って、自分が殺したお照の屍体の側を過ぎて脱衣場へやって来た。それから先、お照の着衣をつけて、下駄を穿()いて、何喰わぬ顔で見張りの警官にも怪しまれずに戸外へ逃走(とうそう)する迄は、難なく行われたことであった。

 が、如何に緻密(ちみつ)の計画と、巧妙の変装を以てしても、白昼(はくちゅう)の非常線を女装(じょそう)で突破することは()なりの冒険であった。

 ――樫田武平が捕縛(ほばく)されるに到ったのも、すべてこの最後の冒険に敗れたがためであった。

 さて、かくして怖るべき「電気風呂」の怪死事件は、犯人の捕縛と共に一切(いっさい)闡明(せんめい)されるに到った。

 やがて、あのフィルムは、警視庁へ移送されてその犯罪捜査に(たずさわ)った一同の役人並に庁内(ちょうない)主脳者(しゅのうしゃ)の前で、たった一度だけ試写された。

 が、(およ)そ其試写会に立会った程の人々は、期待していた若き一婦人の断末魔(だんまつま)の姿を見る代りに、ま白きタイルの浪の上に、南海の人魚の踊りとは、かくもあるかと思われるような、蠱惑(こわく)に充ちた美しいお照の肉体の游泳姿態を見せられて、いずれ物言わぬ眼に陶然(とうぜん)たる魅惑(みわく)の色を(ただよ)わしていたものである。

 何故ならそのフィルムは故意か偶然か、高速度カメラで撮られていたのである。

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