麻雀殺人事件

1話 麻雀殺人事件(1)

6,484字 約13分 2007年10月27日 公開

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     1

 それは、目下(もっか)売出(うりだ)しの青年探偵、帆村荘六(ほむらそうろく)にとって、(あきら)めようとしても、どうにも諦められない彼一生の大醜態(だいしゅうたい)だった。

 帆村探偵ともあろうものが、ヒョイと立って手を伸ばせば届くような間近(まじ)かに、何時間も坐っていた殺人犯人をノメノメと逮捕し(そこな)ったのだった。いや、それどころではない、帆村探偵は、直ぐ鼻の先で演じられていた殺人事件に、始めから(しま)いまで一向気がつかなかったのだというのだから口惜(くや)しがるのも全く無理ではなかった。

「勝負ごと()るのは、これだから良くないて……」

 彼はいまだにそれを繰返しては、チェッと舌を打っているところを見ると、余程(よほど)忘れられないものらしい。彼が殺人事件とは気づかず、ぼんやり眺めていたという其の場の次第は、およそ次にのべるようなものだった。

     *   *   *

 それは()し暑い真夏の夜のことだった。

 大東京のホルモンを皆よせあつめて来たかのような精力的(エネルギッシュ)新開地(しんかいち)、わが新宿街(しんじゅくがい)は、さながら油鍋(あぶらなべ)のなかで()られているような暑さだった。その暑さのなかを、新宿の向うに続いたA町B町C町などの郊外住宅地に住んでいる若い人達が、押しあったりぶつかり合ったりしながら、ペーブメントの上を歩いていた。郊外住宅も案外涼しくないものと見える。

 帆村探偵は、ペーブメントの道を横に切れて、大きいビルディングとビルディングの間の狭い路を入ると、突当りに「麻雀(マージャン)」と書いた美しい電気看板のあがっている家の(ドア)を押して入った。彼は暑さにもめげず大変いい機嫌だった。というのもその前夜で、永らくひっかかっていた某大事件(ぼうだいじけん)を片付けてしまったその肩の軽さと、久しぶりの非番を(あじわ)う喜びとで、子供のように、はしゃいでいた。三年こっち()みつきの麻雀を、今夜は思う存分闘わしてみようと思った。

「あ、こりゃ大変だ」

 と帆村は、麻雀倶楽部(クラブ)の競技室のカーテンを開くと、同時に叫んだ。この暑いのに、文字通り立錐(りっすい)の余地のない満員だった。

「いらっしゃいまし。今日は土曜の晩なもんで、こう()んでんのよ、センセーッ」

 麻雀ガールの(とよ)ちゃんが、鼻の頭に噴きだした玉のような汗を、クシャクシャになった手帛(ハンカチ)で拭き拭き、そう云った。

「先生――は、よして貰いたいね、豊ちゃん。あの星尾信一郎(ほしおしんいちろう)氏は本当の先生なのに、あいつのことは、シンチャン、シンチャーンってね……」

「いけないワ先生」と豊ちゃんは、真紅に耳朶(みみたぼ)を染めながらそれを抑えた。「いま星尾さん、いらしっているのよ。そんなこと聞えたら、あたし、困っちゃうワ」

「困るこたァ無いじゃないか、豊っぺさん」と帆村はますます上機嫌に饒舌(しゃべ)った。「こんなことは、聞えた方が目的は早く(かな)うよ。それとも僕、本当にシンチャンに言ってやろうか。豊ちゃんが実は昔風のなんとか(わずら)いをしていますが、先生の御意見はいかがでしょうッてね。だけど僕のことをセンセといいませんて誓ってくれなきゃ、僕やってやらんぜ」

「そんなんないわ」

「豊ちゃん、記録ーゥ」と叫ぶものがある。

「ハーイ、唯今(ただいま)」とそれには答え、それから帆村の方に向き、低い声で言った。

「あのシンチャンのお仲間、今日もお昼からきて特別室でやってなさるのよ。帆村さんも、あっちへいらっしゃらない」

 特別室というのは広間(ホール)の隣りにある長細い別室で、ここには割合にゆっくり麻雀卓子(テーブル)が四台並べてあり、椅子にしても(こま)にしてもかなり上等のものを選んであり、卓子布子(テーブルクロース)に、白絹(しろぎぬ)をつかっているという贅沢(ぜいたく)さだった。帆村が入ってみると、どの台にも客がいた。一番窓際(まどぎわ)卓子(テーブル)に、豊ちゃんの云った「例のお仲間」の四人が、一つの卓子(テーブル)を囲んで、競技に夢中になっていた。帆村は(かたわ)らの長椅子に身を(もた)せて、しばらく席が明くのを待っていなければならなかった。彼は見るともなしに、「例のお仲間」の方に顔を向けていた。

「こんなに()()しするのも太陽の黒点(こくてん)のせいだよ」と一番、入口のカーテンに近いところに背を向けて腰を下ろしている理科大学の星尾助教授が言って、麻雀の(こま)をガチャガチャと、かきまわした。

「太陽の黒点なんか蹴っとばせ、てえんだ。――やあ、いいものを引っぱってきた」と機嫌のよいのは、仲間の一人で、星尾助教授の対門(むかい)にいる慶応ボーイで水泳選手をやっている松山虎夫だった。

「今日は、ちっともいいのが来ないわ」と松山の左手に坐っていた川丘みどりが、真紅に濡れているような唇をギュッと曲げて(なげ)いた。そして象牙(ぞうげ)のように真白で艶々(つやつや)しい二の腕をのばして(こま)を一つ捨てた。

「それで()がりだ」と叫んで、自分の手を開けてみせたのは、「豆シャン」と綽名(あだな)のある美少年園部壽一(そのべじゅいち)だった。少年といっても彼は大学の建築科二年だから、仲間の男の中では一番若かったが、川丘みどりは十九だったからこれよりは兄さんだった。

「園部さん、窓をあけてよ、暑いわ」みどりが「お(きつね)さん」と綽名(あだな)されているすこし(あが)気味(ぎみ)()(まぶた)をもった眼を、苦しそうにあげて云った。一番隅っこに居た園部は、立って窓をカタカタと上げた。強い風が窓からサッと吹き流れてきた。

 ちょうど其の時、卓子(テーブル)の一つが明いたので、帆村はその仲間に入れて貰って競技を始めた。その席は、例のお仲間の卓子を正面に見るようなところだったので、彼は(こま)を握る合間(あいま)合間に顔をあげて、星尾助教授の手の内を後からみたり、川丘みどりの真白な襟足(えりあし)のあたりを(ぬす)()して万更(まんざら)でない気持になっていた。

 それから帆村は、だんだんと競技に引き入れられて行ったので、例のお仲間連中の行動を一から十まで観察するわけには行かなかったが、あとから考えると、次に述べるようなことが、気にならないこともなかった。

 第一は、麻雀ガールの豊ちゃんが入ってきて、星尾助教授の背後(うしろ)によりかかり、永い間積極的な態度をとっていたこと、それに対して星尾は、すこし迷惑らしい態度をしているのを知っておかしかった。

 第二は、松山がスポーツ(ごの)みで、

「ええいッ」

 と大声をあげて場に積んである麻雀牌(こま)をひっぱってくることだ。気を付けていると、その度に、彼は麻雀牌の(めん)(きざ)みつけてあるしるしをギュッと強く撫でまわした。それがために、拇指(おやゆび)の腹が痛くなりはしないかと思われた。これは彼の悪い(くせ)である。

 第三は、星尾助教授が、大きい()がりに躍りあがって喜んだ拍子に、隣りの園部の湯呑茶碗(ゆのみぢゃわん)をひっくりかえしてしまったことだ。大騒ぎになって(こま)をどかせるやら、濡れたところを()くやら、新しい卓子布(テーブル・クロース)を持ってこさせて、四人が四隅(よすみ)をひっぱって、(びょう)で卓子へとめるやら、うるさいことであった。一度は、

()ッ、痛ッ!」

 と松山が大声で叫んだので、みると、指の尖端(とっさき)を口中に入れて()めていた。なにか乱暴なことをやったものらしい。それを誰かが野次(やじ)ったものらしくドッと笑声がわきあがったが、どうしたものか、其後(そのご)一座は、たいへん静かであった。

「どうかしたの、みどりさん。どんな気持なんですか、ええ?」

 園部が、その対門(むかい)にいるみどりを頓狂(とんきょう)な声で呼ぶのをきいて、帆村は何とは知らずハッとした。顔をあげてみると、どうしたというのだろう、川丘みどりの顔色が真蒼(まっさお)だった。常から()きとおるように白かった皮膚から、血の()がすっかり引いてしまって、まるで板硝子(ガラス)(かさ)ねておいて、それを(のぞ)きこんだような感じがした。園部は、これも青くないとは云えない顔色に、()るわしげに(まゆ)をひそめて、みどりの顔色をのぞきこんでいる。

「早く医者にみて貰いなさい、僕、すぐ呼んできたげるから……」と園部は、心配で心配でいても立っても居られないという様子だった。

「みどりさん、気分でも悪いのかい」

 星尾助教授も競技の手を休めて言った。

「いいのよウ、()ぐなおるわよ」

「だけど、……そりゃ()て貰った方がいいですよ、ね、ね」と園部は今にも馳け出しそうな姿勢をするのであった。帆村は思いあたるところがあった。例の仲間のうちで、川丘みどりをスポーツ・マンの松山虎夫と、星尾助教授とで張り合っているという世間公知(せけんこうち)のかたわら、園部も実はみどりを恋しているのだという噂はチラリと聞きこんだことがあったが、それはどうやら本当らしい。

「お、お、おれは」と其の時まで独り黙っていた松山が苦しそうに(うめ)いた。「おれは頭が痛い。眩暈(めまい)がする。少し休みたい、ウウ」

 そう云うと、彼は立ちあがり、フラフラと(へや)を出ていった。

「いやに病人ばやりだな」と星尾が(つぶや)いて、意味なく笑った。

 一本歯の抜けたような松山の空席(くうせき)が、帆村の眼に或る(いや)な気持をよびおこさしめた。それは不吉(ふきつ)な風景である。折角(せっかく)こうして探偵たる気持をわすれて麻雀を打ち、のうのうとした気分になっている筈の彼の心は、いつの間にか()(みだ)されているのを感ぜずには居られなかった。四人の面子(メンツ)が坐っている(はず)麻雀卓(マージャンテーブル)から、一人が立って便所に行ったりすることは、よくあることではないか。それに自分は何故、こんなことを気にしているのだろう。だが、ふりかえって()の倶楽部にきたときからのちのことを考えてみるのに、自分は競技に夢中になりたいと思っていながら、実際は隣の卓子の様子ばかりを気にしていたではないか。彼は、この室に入って来た最初に、川丘みどりが、便所に立ったらしく一度席をあけたのを思い出した。しかしそのときは別になんとも(あや)しむ気にはならなかったのであった。それに今はどうして、気になるのであろうか。空席は同じ一つだが、今の場合は、みどりが気分のわるい様子で、ふさいでいるのが気になるのではあるまいか。若しそうだとすると、或いは自分も、本気でみどりを恋してるのかしら――園部や、星尾や、松山などと同じように。

 松山といえば、どうして彼は帰ってこないのであろう。なぜに川丘みどりが真蒼(まっさお)になってから、急に松山も頭が痛むなどと病気になったのであろうか。果して松山は病気なのかしら。帆村の脳髄のうちには、何時(いつ)()にやら、さまざまの疑問が湧いているのに気がついた。いや、これは浅間(あさま)しい探偵という職業意識である。今夜は仕事を忘れて、ただ麻雀を打っているのではないか。つまらんことは考えまい。――

 そのうちに、取りのこされていた星尾と園部とみどりの三人は、もう勝負を争うことをあきらめたものか、卓子を離れて、この室を出て行った。帆村探偵は、ようやく安易(あんい)な気持になって、競技に夢中になることができたのであった。

     2

 帆村探偵の卓子も、それから三十分ほどして、勝負が終った。最後の風に、莫迦あたりを取った彼は、二回戦で合計三千点ばかりを稼ぎ、鳥渡(ちょっと)いい気持になった。卓子を離れるときに、あたりを見廻すと、どの卓子もすでに客は帰ったあとで、白い真四角の(クロース)の上に(いろどり)さまざまの(パイ)が、いぎたなく散らばっていた。時計を出してみると、もう十一時をすこし廻っていた。

 隣りの広間(ホール)にも客はもう(まば)らだった。豊ちゃんが、睡そうな顔をして、近所の商店の番頭さんのお相手をしていた。

「豊ちゃん、さよなら」

「さよなら、センセ――じゃなかったホーさん」

「みんな、もう帰っちゃったかい」と、聞かでもよいことを帆村はつい()いてしまった。

「お嬢さんに、園部さんにシンチャンは、今帰るからって帰ったばかりよ。松山さんだけ奥に寝ている筈よ」

「ナニ、松山さんは本当に病気だったのか」

 と帆村は、意外だという面持をした。

「あら、どうして? 気分がとても悪いんですって。お医者を呼びましょうかって、先刻(さっき)きいたんだけど、いらないって仰有(おっしゃ)ったのよ。シンチャン達、しばらく見ていなすったんですけれど、もう遅くなったし、帰るからあとを頼むって帰っちゃったんですわ」

「そりゃ、すこし薄情(はくじょう)だな」

「だってシンチャン達、遠いのよ。松山さんだけは、直ぐそこだから、そいでもいいのよウ」

 と豊ッぺは、シンチャン達の郊外生活に同情ある弁明をこころみた。

「じゃ、僕、みてってやろうかな」

 帆村探偵は、(そば)小扉(ことびら)をあけて、小さな階段をコトコトと(くだ)って行った。()り切ったところが狭い廊下になっていて、そこにだだっ(ぴろ)(へや)がある。そこは、この建物にいる皆の寝室だった。障子を開いてみると、果してそこに寝床が一つ敷いてあった。頭が痛いというのに、松山は頭から夜具(やぐ)をひっかぶって寝ていた。

「松山さん、松山さん、どうですか、気分は」

 と帆村は、だんだん声を大きくしていったが、松山はウンともスンとも返事をしなかった。

(よく(ねむ)っている……)

 帆村は、そっと障子をしめて(きびす)を二三歩、階段の方へ引返した。が、なにを考えたものか突然彼は、ふたたびとってかえすと、障子をガラリと開け、靴のままヅカヅカと、松山の寝床に近づいたが、ポケットから点火器(ライター)をとりだして、カチッと火をつけると、左手で静かに枕元の方へさしだし、一方の右手を伸ばして夜具(やぐ)(えり)をグッと(つか)むと、ソッと持ちあげてみた。

()ッ――」

 点火器(ライター)淡黄色(あわきいろ)い光に照し出された一つの顔は、たしかに松山虎夫の顔であるには相違なかったけれど、そこには最早(もはや)あの活々(いきいき)とした(ほがら)かなスポーツ・マン松山の顔はなかった。顔面はドス黒く紫色に()れあがり、両眼は(けわ)しくクワッと見開いて()(あた)わざる距離を見つめていた。(あえ)ぎ終った位置に明け拡げられた大きな口腔(こうくう)のうちには、弾力を(うしな)った舌がダラリと伸びていた。真白な美しい歯並には、ネバネバした褐色の液体が半ば乾いたように附着していた。

「すっかり事切れている――どうやら中毒死のようだ。自殺か、他殺か。……」

 流石(さすが)に彼は狼狽(ろうばい)もみせず、大きい声も立てず、だが眉宇(びう)の間に深い(みぞ)をうかべて、なにごとか、五分間ほど、考えを(まと)めているらしい様子だった。どこから風が来るのか、点火器(ライター)の小さい焔がユラユラと(ゆら)めくと、死人の顔には、真黒ないろいろの蔭ができて、悪鬼(あくき)のように(すざま)じい別人のような形相(ぎょうそう)が、あとからあとへと構成され、畳の上から伸びあがって帆村探偵に襲いかかるかのように見えた。

 やがて探偵は、しずかに立って松山の死んでいる室を立出でて、又コトコトと音をたてて階上へとってかえした。彼は、もうセンセイでも、ホーさんでも無かった。それは帝都暗黒界の(キー)を握る名探偵帆村荘六として完全に還元(かんげん)していた。

 彼は麻雀ガールの豊ちゃん、ではない舟木豊乃(ふなきとよの)を静かによぶと、階下の惨事(さんじ)を、手短かに話をしてきかせた。声を出してはいけないと言って置いたけれども、

「まア、松山さんが死んでるんですって!」

 と驚愕(きょうがく)したので、残っていた人達は、早くも事件が発生したことを(さと)って、わッと一時に席を立とうとした。帆村探偵は、そこで()むを得ず、名乗りをあげて、御迷惑ながら、係官が到着して一応取調べがすむまで、御一同は一歩たりともこの室から外へ立出でないように願いたいと申渡して、一同を制した。一方、電話で、この変死事件を所轄警察(しょかつけいさつ)へ急報すると共に、別室に居たこのビルディングの番人に、とりあえず、死体のある室を守らせた。そして今にも泣き出しそうな顔をしている豊乃を(うなが)して、特別麻雀室の入口に立たせ、室内はすべて其儘(そのまま)にとどめさせた。

「シンチャン達の家を知っているかい」

 と帆村は、豊乃に()いた。

 豊乃は、しばらくためらっている様子であったが、それからウンと黙って首を(たて)にふってみせた。

 帆村は、事件の参考人として、さきに帰って行った星尾、園部、川丘みどりの三人を、出来るだけ早く、この場へ召喚(しょうかん)することが必要であると思った。豊乃の語るところによると三人は、ここから十五町ほどある道を市内電車で終点までゆき、そこから急行電車に乗りかえて三つ目のA駅で星尾は降り、小暗(こぐら)田舎道(いなかみち)を五丁ほど行った広い丘陵(きゅうりょう)の蔭に彼の下宿があるそうである。次のB駅に園部は降りる。家は駅のすぐ近くで、両親のもとに住んでいる。そのまた次のC駅で、川丘みどりは降りる。駅の前を斜に三丁ほど入ったところに彼女の伯母の家があって、そこに寄寓(きぐう)しているとのことであった。

 帆村探偵は、改めて電話を署にかけると、彼等の帰宅を(よう)して、即刻(そっこく)現場へ連れ戻ってほしいと希望をのべたのであったが、それは直ぐさま承諾された。

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