振動魔

1話 振動魔(1)

7,706字 約15分 2007年11月1日 公開

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     1

 僕はこれから()ず、友人柿丘秋郎(かきおかあきろう)が企てた世にも奇怪きわまる実験について述べようと思う。

 柿丘秋郎と云ったのでは、読者は一向興味を覚えないだろうと思うが、これは無論、僕が仮りにつけた変名であって、もしもその本名を此処に真正直(ましょうじき)に書きたてるならば、それが余りにも有名な人物なので、読者は()ッと驚いてしまうだろう。それにも(かかわ)らず、敢えてジャーナリズムに(そむ)き、彼の本名を曝露(ばくろ)しない理由は――と書きかけたものの、僕は内心それに言及(げんきゅう)することに多大の躊躇(ちゅうちょ)を感じていることを告白せねばならない――彼の本名を曝露(ばくろ)しない其の理由は、彼の妻君である柿丘呉子(かきおかくれこ)を、此後に於ても出来得るかぎり苦しめたくないからなのである。呉子さんは野獣的な今の世に、まことに珍らしいデリケートな女性である。それをちょっと比喩(たと)えてみるなれば、柔い黄色の羽根がやっと生えそろったばかりのカナリヤの雛仔(ひな)を、ソッと()()のうちに握ったような気持、とでも云ったなら、(ほの)かに呉子さんから受ける感じを伝えることができるように思われる。庭の(きり)()葉崩(はくず)れから、カサコソと捲きおこる秋風が呉子さんの襟脚(えりあし)にナヨナヨと生え並ぶ生毛(うぶげ)を吹き倒しても、また釣瓶落(つるべお)ちに()ちるという熟柿(じゅくし)のように真赤な夕陽が長い(まつげ)をもった(つぶ)らな彼女の(そう)の眼を射当(いあ)てても、呉子さんの姿は、たちどころに一抹の水蒸気と化して中空に消えゆきそうに考えられるのだった。ああ僕は、あだしごとを述べるについて思わず熱心でありすぎたようだ。

 このような楚々(そそ)たる麗人(れいじん)を、妻と呼んで、(きた)()(きた)()紅閨(こうけい)(よう)することの許された吾が友人柿丘秋郎こそは、世の中で一番不足のない果報者中(かほうものちゅう)の果報者だと云わなければならないのだった。()し僕が、仮りに柿丘秋郎の地位を与えられていたとしたら――おお、そう妄想(もうそう)したばっかりでも、なんという甘い刺戟(しげき)に誘われることか――僕は呉子さんのために、エジプト風の宮殿を建て、珠玉(しゅぎょく)(ちりば)めた翡翠色(ひすいいろ)の王座に(しょう)じ、若し男性用の貞操帯というものがあったなら、僕は自らそれを締めてその鍵を、呉子女王の胸に懸け、常は淡紅色(たんこうしょく)垂幕(たれまく)(へだ)てて遙かに三拝九拝し、奴隷の如くに仕えることも決して(いと)わないであろう。しかしながら友人柿丘秋郎の場合にあっては、なんというその身識らずの貪慾者(どんよくもの)であろう。彼は、もう一人の牝豚夫人(めぶたふじん)という(ねたま)れものと、切るに切られぬ醜関係を生じてしまったのだった。

 その牝豚夫人は、白石雪子(しらいしゆきこ)と云って、柿丘よりも二つ歳上の三十七歳だった。だが、その外貌に、それと肯く分別臭(ふんべつくさ)さはあっても、(およ)そ彼女の肉体の上には、どこにもそのように多い数字に相応(ふさ)わしいところが見当らなかったのだった。とりわけ、頸筋(くびすじ)から胸へかけての曲線は、世にもあでやかなスロープをなし、その二の腕といわず下肢(かし)といわず、牛乳をたっぷり含ませたかのように色は白くムチムチと肥え、もし一本の指でその辺を軽く押したとすると、最初は軟い餅でも突いたかのようにグッと(くぼ)みができるが、(やが)てその指尖(ゆびさき)の下の方から()みほぐすような(いど)んでくるような、なんとも云えない怪しい弾力が働きかけてくるのだった。それにまだ一度も子供を産んだことのない牝豚夫人は、この数年来生理的な関係か、きめの細かい皮膚の下に更に蒼白い脂肪層の何ミリかを増したようだった。夫人が急に顔を近付けると、彼女のふくよかな乳房と真赤な襦袢(じゅばん)との狭い隙間から、ムッと(むせ)ぶような官能的な香気が、たち昇ってくるのだった。

 柿丘秋郎が、こんな妖花(ようか)(かかわ)るようになったのは、彼の不運ともいうべきだろう。柿丘でなくとも、どのような男だって、雪子夫人のような女に出遭(であ)うと、()(すく)みでもしたかのように彼女から遠のくことが出来なくなるだろう。だが柿丘秋郎を永らく、雪子夫人の肉体への衝動を起させることなしに救っていたものは、実に柿丘秋郎にとって彼女は、恩人の令夫人だったからである。

 僕は柿丘秋郎の奇怪な実験について述べると云って置きながら、あまりに永い前置きをするのを、読者はもどかしく思われるかも知れないが、実はこれから述べるところの、一見平凡な事実が、後に至って此の僕の手記の一番大事な部分をなすものなのであるからして、そのお心算(つもり)で御読みねがいたい。

 さて、柿丘秋郎が恩人とあがめるという、いわゆる牝豚(めぶた)夫人の夫君は、医学博士白石右策(しらいしうさく)氏だった。白石博士は、湘南(しょうなん)に大きいサナトリューム療院を持つ有名な呼吸器病の大家だった。一般にサナトリューム療院といえば、()軽症(けいしょう)の肺病患者ばかりに入院を許し、第二期とか第三期とかに入ったやや重症の患者に対しては、この療法が適しないという巧みな口実を設けて、(てい)よく医者の方で逃げるのだった。だが吾が白石博士の場合にかぎり、どんな重症の患者も喜んで入院を許したばかりではなく、博士独得の病巣固化法(びょうそうこかほう)によって、かなり高率の回復成績をあげていたのだった。それは世間によく知られているカルシウム粉末を患者の鼻の孔から吸入させて、病巣に石灰壁(せっかいへき)を作る方法と(いささ)か似ているが、白石博士の固化法では、病巣の第一層を、或る有機物から成る新発明の材料でもって、強靱(きょうじん)でしかも可撓(かとう)密着壁膜(みっちゃくへきまく)をつくり、その上に第二層として更に黄金(おうごん)の粉末をもって鍍金(ときん)し、病菌の活躍を封鎖したのだった。

 この白石博士を、柿丘秋郎は恩人と仰いでいると、(ここ)に誌したが、柿丘も実は博士のこの新療法によって、更生の幸福を(つか)んだ一人だった。そして柿丘が、もう一ヶ月遅く、博士の病院の門をくぐるか、乃至(ないし)はもう一ヶ月速く博士の診断を(あお)いだとしたら、彼は更生(こうせい)の機会を遂に永遠に喪ったことだろう。それと云うのが、博士がこの新療法に確信を得たばっかりのところへ柿丘は馳けつけたことになり、いわば博士の公式な第一試術患者となったわけで、また一面において柿丘の病状は第三期に近く右肺の第一葉をすっかり(むしば)まれ、その下部にある第二葉の半分ばかりを結核菌に喰いあらされているところだったので、()しもう一と月、博士の門をくぐるのが遅かったとすると、流石(さすが)の博士もその回春(かいしゅん)について責任がもてなかったのだった。

 ここに一寸だけ、柿丘秋郎の輪廓(りんかく)を読者に示さねばならぬ羽目になったけれど、柿丘秋郎は彼の郷里の岡山(おかやま)に、親譲りの莫大(ばくだい)な資産をもち、彼の社会的名声は、社会教育家として、はたまた宗教家として、年少ながら錚々(そうそう)たるものがあり、(こと)に青年男女間に於ては、湧きかえるような人気がある人物だった。ちょうど病気に倒れる直前には、その宗教団体の選挙があって、彼は猛然なる運動の結果、その弱年にも(かかわ)らず、非常に重要な地位に()いた。(およ)そ宗教家とか社会教育家というものほど、奇怪な存在は無いのであって、彼等のうちで、真に神に(つか)え世の罪人を救うがためにおのれの一命をも喜んで犠牲にしようという人物は、たいへん(まれ)であって、彼等の多くは、たまたま職業を其処にみいだしたのであって、それから後は無論のこと職業意識をもって説教をし、燃えるような野心をもって上役(うわやく)後釜(あとがま)(ねら)み、妙齢(みょうれい)の婦女子の懺悔(ざんげ)を聴き病気見舞と称する慰撫(いぶ)をこころみて、心中ひそかに怪しげなる情念に酔いしれるのを喜んだ。柿丘秋郎の正体もつきつめて見れば、此の種の人物だったが、割合に小胆者(しょうたんもの)の彼は、幸運にも今までに襤褸(ぼろ)をださずにやってきたのだ。これは僕が(ねた)みごころから云うのではない。

 柿丘が、あの病気に(かか)ってその(まま)呼吸(いき)をひきとってしまったら、彼の競争者は、たちまち()えたる虎狼(ころう)のごとくに飛びかかって、柿丘の地位も財産ものこらず(たいら)げてしまい、その上に不名誉な背任(はいにん)のかずかずまで、有ること無いことを彼の(しかばね)の上に積みかさねたことだったろう。柿丘秋郎は、その間の雰囲気を、十二分に知っていた。

(もうこれは駄目だ。最後の覚悟をしよう)とまで、決心した彼だった。そのような危機(ピンチ)を、白石右策博士は見事にすくったのだった。柿丘にしてみれば、博士に救われたのは、病気ばかりではなく、彼の社会的地位も、彼の家庭も、彼の財産も、ことごとく博士の手によって同時に救われたことになるのだった。博士のサナトリューム療院から退院するという日、柿丘は博士の足許にひれふして、潸然(さんぜん)たる(なみだ)のうちに、しばらくは面をあげることができないほどだった。

 柿丘秋郎と白石博士との両家庭が、非常に親しい交際(つきあい)をするようになったのは、実にこうした事情に(たん)を発していた。

     2

 この二組の夫婦は、しばしば一緒になってお茶の会をしたり、その頃流行(はや)り出したばかりの麻雀(マージャン)を四人で打ったり、日曜日の午後などには三浦(みうら)三崎(みさき)の方面へドライヴしてはゴルフに(きょう)じたり、よその見る眼も(むつま)じい四人連れだった。しかしながら、博士と雪子夫人と、柿丘と呉子(くれこ)さんとの関係は、いつまでもそう単純ではあり得なかった。

 そのことを始めて僕が知ったのは、或る夏の終り近い一日だった。雪子夫人には、博士との間にどういうものか子種(こだね)がなかった。それで多量の閑暇(かんか)をもてあましたらしい夫人は、間もなく健康を恢復(かいふく)して更生(こうせい)の勢いものすごく社会の第一線にのりだして行った柿丘秋郎の関係している各種の社会事業に自らすすんで、世話役をひきうけたのだった。その夏は、海岸林間学校が相模湾(さがみわん)の、とある海浜(かいひん)にひらかれていたので、柿丘夫妻は共にその土地に仮泊(かはく)して、子供たちの面倒をみていた。一方雪子夫人は、東京の郊外を巡回する夏期講習会の幹事として、毎日のように、早朝から、郊外と云っても決して涼しくはない会場に出向いては、なにくれと世話をやいていたのだった。

 そこで僕自身のことを鳥渡(ちょっと)お話して置かねばならないが、僕は元来、柿丘と郷里の中学を一緒にとおりすぎてきた、いわゆる竹馬(ちくば)(とも)というやつで、僕は一向金もなく名声もない一個の私立中学の物理教師にすぎなかったのであるが、幼馴染というものはまことに妙なもので、身分地位のまるっきり違った今日でも真の兄弟のように呼びかけたり、吾儘(わがまま)を云いあうことができるのだった。僕は、この有名なる()める友人のお蔭で、その(やしき)に出入しては、自分の財布に相談してはいつになっても得られないような御馳走にありついたり、(たま)には独り身の鬱血(うっけつ)を払うために、町はずれの安待合(やすまちあい)格子(こうし)をくぐるに足るお小遣(こづかい)を彼からせしめたこともあった。彼が呉子(くれこ)さんを迎えてからは、そう(おお)ぴらには、せびることもできなかったが、彼の代りに出版の代作(だいさく)をしたり、講演の筋を書いたりして、その都度(つど)、学校から貰う給料に匹敵するほどの金を貰っていた。呉子さんはこの辺の事情を、うすうす知ってはいたのであろうが、生れつきの善良なる心で、僕をいろいろと手厚く歓待(かんたい)してくれたのだった。

 僕は、柿丘邸の門をくぐるときには、案内を()わずに、黙って入りこむのが慣例になっていた。柿丘が呉子さんを迎えてからは、この不作法(ぶさほう)(きわ)まる訪問様式を、厳格(げんかく)(あらた)めたいと思ったのではあるが、どうも習慣というのは恐ろしいもので、格子(こうし)にちょいと手がかかると、僕はいつの間にやらガラガラとやってしまって、気のついたときには、茶の間の座蒲団(ざぶとん)の上にチョコナンと胡坐(あぐら)をかいているという有様だった。しかし僕は、柿丘邸の玄関と茶の間と台所と彼の書斎と、僕が泊るときにはいつも寝床をとってもらうことになっている離座敷(はなれざしき)との外には、立ち入らぬ様にきめていた。しかし、たった一度、眼も()めるような紅模様(べにもよう)のフカフカする寝室の並んだ夫妻のベッド・ルームを真昼(まっぴる)のことだから誰も居ないだろうと思って(のぞ)きに行き、しかも失敗したことはあるが、まアそのような話は、しない方がいいだろう。

 さて、その夏の或る日のことだった。

 僕は講習会で、つまらぬ講義をすませてから(その講習会に、例の牝豚夫人が参加していたことは云うまでもない)、その夜のうちに、一寸読んで置きたい本があったので、その本が柿丘の書棚(しょだな)にあることを()ねて眼をつけておいたものだから、今日は行って借りてこようと思い、麻布本村町(あざぶほんむらちょう)にある()の柿丘邸に足を向けたのだった。

 玄関をガラリと開けると、僕はいつも履物(はきもの)を見る習慣があった。並んでいる履物の種類によって、在宅中の顔触(かおぶ)れも知れ、その上に履物の主の機嫌がよいか、それとも険悪(けんあく)かぐらいの判断がつくのであった。その日の玄関には、一足の履物も並んで居なかった。では、おん(たい)始め夫人まで、まだ海辺(かいへん)から帰っていないのだなと思ったことだった。

 それなら、ソッと上りこんで、茶の間で昼寝をしているかも知れない留守女中のお(よし)吃驚(びっくり)させてやろうと思って、跫音(あしおと)を盗ませて入っていったのだった。ところが茶の間にはお芳の姿が見えなかったばかりか、勝手元までがピッシャリ締めてあり、座蒲団の位置もキチンと整頓していて、シャーロック・ホームズならずとも、お芳は相当長時間(ちょうじかん)の予定で外出したらしいことがわかった。だが、それにしては、何という不用心(ぶようじん)なことだ。現に僕という泥棒がマンマと忍びいったではないか。

 だが、このときだった。ボソボソいう声がどこからともなく聴えたように思った。耳のせいかしらと、疑いながら、じッと耳を澄ませていると、いやそれは空耳(そらみみ)ではなかった。たしかに人声がするのだ。しかもそれは此の家の中から洩れ出でる話声だった。

 柿丘夫妻はもう帰っていたのだったか。僕は立ちあがるとその声のする方へ、二三歩踏みだしたのだったが、およそ人間が、こういう機会にぶつかることがあったなら、十人が十人(悪いこととは知りながら)と言訳(いいわ)けを吾れと吾が心に試みながら、そっと他人の秘密を盗みぎきするものなのである。僕の場合に於ても、たちまち全身を好奇心にほてらせながら、小さい冒険の第一行動をおこしたことだった。ああ、しかしそれは何という大きい衝動を僕にあたえたことだったろう。話し声の一人は柿丘秋郎にちがいなかったけれど、もう一人の話し相手は呉子さんではなく、なんとそれは白石博士夫人雪子女史だったではないか。

 勝手を知った僕は、逸早(いちはや)く身を(ひるがえ)して、書斎のカーテンの蔭にかくれることに成功した。そこからは隣りのベッド・ルームの対話が、耳を(おお)いたいほど(あざや)かに、きこえてくるのだった。

 そこに聴くことのできた話の内容は、一向に二人の関係について予備知識をもたなかった僕を、驚愕(きょうがく)(ふち)につきおとすに十分だった。読者は、次のくだりを読んで、僕の呆然(あぜん)たりし顔を想像していただきたい。

貴女(あなた)はどうしても、僕の希望に応じて呉れないのですか」

「いやなことですわ、ひどい方」

「こんなに僕が、へいつくばってお願いをするのに、それに(おう)じてはくださらないのですか」

「あたしは、どうあってもいやなんです」

「ほんの僅かな時間でよいのですから、この上に寝て下さい」

「いくらなんでも、貴下(あなた)の前に、そんなあられもない恰好をするのは、いやですわ」

「お医者さまの前へ行ったのだと思って我慢して下さい」

「お医者さまと、貴下とでは、たいへん違いますわ」

「なんの恥かしいものですか、僕が――」

 なにやら、せり合うような気配(けはい)

「暴力に訴えなさるのですか(とキリリとした雪子夫人の声音(こわね)、だが語尾は次第に柔かにかわる)まア男らしくもない」

「でも今を置いては、機会は容易に来ないのですから」

「あたしは、貴下の御希望に添う気持は、一生ありません。貴下も神に(つか)える身でありながら、まだ生れないにしても、一つの生霊(せいれい)(みずか)ら手を下して暗闇(やみ)から暗闇(やみ)にやってしまうなんて、残酷な方! ああ、人殺し……」

「大きい声をしないで下さい。どうしてこれだけ僕が説明をするのに判ってくれないんです。貴女が僕の(たね)宿(やど)したということが判ったなら、僕は一体どうなると思うのです。社会的地位も名声も、灰のように飛んでしまいます。そうなると貴女とだって、今までのように贅沢(ぜいたく)()()を楽しむことが出来なくなるじゃありませんか。僕の病気が再発しても、最早(もはや)博士は救って下さいません。それを考えて、僕は愛していて下さるのだったら、僕の言うことを聞きいれて、この簡単な堕胎手術をうけて下さい」

「何度おっしゃっても無駄よ、あたしはもう決心しているのよ。あたしがお(なか)にもっている可愛いい坊やを、大事に育てるんです」

「ああ、それでは、博士を(いつわ)って、博士の子として育てようというのですか」

「まア、どうしてそんなことが……。右策(うさく)とあたしとの間に子供が無かったのは、右策自身が子胤(こだね)をもちあわさないからおこったことなんです。右策は、それを学者ですからよく知っているのです。だから、あたしが今、妊娠したとしたら、その場であたしの素行(そこう)(さと)ってしまいます」

「だが、僕の子だかどうか判らないとも云える……」

莫迦(ばか)なことをおっしゃいますな。生れてきた胎児(たいじ)の血液型を検査すれば、それが誰の(たね)であるか位は、何の苦もなく判ってよ、それに貴方(あなた)右策(うさく)とは切っても切れない患者と主治医(しゅじい)じゃありませんこと。あなたの血液型なんかその喀痰(かくたん)からして、もう(とっ)くの昔に判っていることでしょうよ」

「ああ、それでは貴女はこれからどうしようというのです。この僕をどんな目に()わせようとするのです」

「あたしは、貴方との間にできた坊やを、大事に育てたいんです。あたしは、もうすっかり決心しているのよ。右策(うさく)がこのことに気付いたときは、出て行けというなら出て行くし刑務所へ送りこんでやろうというなら送りこまれもする。しかしいつか、あたしは自由の身となって、坊やと二人で貴方があたしのところへ帰ってくるのを待つんです」

「ウン判った。さては生れる子供を証拠にして、僕の財産をすっかり捲きあげようというのだな。金ならやらぬこともない。だが、交換条件だ、その胎児を××しまって下さい」

「ほほほ、そううまくは行きませんことよ。お金よりも欲しいのは貴方です。この子供が生きている間は、貴方はあたしの(ふところ)から脱けだすことができないんですわ。あたしは、あなたの地位を(きずつ)けなくてすむもっとよい方法も知っていますのよ。だけど、どうあっても貴方を離しませんわ。貴方はあたしの思うままに、なっていなければならないんですわ。(そむ)けば、貴方の地位も名声もたちまち地に()ちてしまいますよ。あたしがしようと思えば、ね。だがそれまでは、貴方は無事に生きてゆかれるのよ。貴方の生命は、一から十まで、みんなあたしの()(うち)に握られてしまってるのよ、今になってそれに気のついた貴方はどうかしてやしない……」

「……」

「アッ、貴方は短銃(ピストル)を握っているわね。あたしを殺そうというのでしょう。ええ判っているわ。でもお気の毒さまですわね。あたしを殺したら、その翌日と言わず、貴方は刑務所ゆきよ。貴方はあたしが殺されたときのことを準備していないようなぼんやり者だと思っているの? あたしが死ぬと同時に、一切が曝露(ばくろ)するという書類と証拠が、或る所に保管されているのを知らないのねえ」

「ああ、僕は大莫迦者(おおばかもの)だった」

 鳴咽(おえつ)する柿丘の声と、(みだ)らがましい愛撫(あいぶ)の言葉をもって(なぐさ)めはじめた雪子夫人の艶語(えんご)とを()(まま)、あとに残して、僕はその場をソッと滑るように逃げだすと、跣足(はだし)で往来へ飛びだしたのだった。

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