階段

1話 階段(1)

8,600字 約17分 2007年10月27日 公開

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     1

 出来ることなら、綺麗に抹殺してしまいたい僕の人生だ。それを決行させては()れない「彼奴(きゃつ)」を(のろ)う。「彼奴」は何処(どこ)から飛んできて僕にたかったものなんだか、又はもともと僕の身体のうちに隠れていたものが、或る拍子に(から)を破ってあらわれ出でたものなんだか判然しないのであるが、()(かく)も「彼奴」にひきずられ、その淫猥(いや)らしい興奮を乗せて、命の続くかぎりは(われ)()醜骸(しゅうがい)に鞭をふるわねばならないということは、なんと浅間(あさま)しいことなのであろう。

 嗚呼(ああ)、いま思い出しても、いまいましいのは、「彼奴」が乗りうつったときの()のキッカケだ。あの時、あんなことに乗り出さなかったなら、今ごろは「キャナール線の量子論的研究」も(まと)めることができて、年歯(ねんし)(わず)か二十八歳の新理学博士になり、新聞や雑誌に(まぶ)しいほどの報道をされたことであろうし、それに引続いて、国立科学研究所の部長級にも栄進し、郊外に赤い屋根の洋館も建てられ、大学総長の愛嬢を是非に(めと)ってもらいたいということになり、(すべ)ては小学校の修身教科書に出ているとおりの立身栄達の道を、写真にうつしたように正確にすすんで行ったことだろうと思う。たしかに、それまでの僕という人間は修身教科書の結晶のような男で、そうした栄冠を(にな)う資格は充分あるものと他人(ひと)からも()われ、自分としても、強い自信をもっていたのであった。何が僕を一朝(いっちょう)にして豹変(ひょうへん)せしめたか、そのキッカケは、大学三年のときに、省線電車「信濃町(しなのまち)」駅の階段を守ったという一事件に発する。

 僕の大学の理科に(かわ)(だね)友江田(ともえだ)先生というのがある、と言えばみなさんのうちには、「ウン、あの統計狂の友江田さんか!」と(うなず)かれる方も少くあるまいと思うが、あの統計狂の一党に、僕が臨時参加をしたのが、そもそも悪魔に身を売るキッカケだった。友江田先生の統計趣味は、たとえば銀座の舗道(ほどう)の上に立って、一時間のうちに自分の前をすぎるギンブラ連中の服装を記録し、こいつを分類してギンブラ人種の性質を摘出(てきしゅつ)し大胆な結論を下すことにある。午後五時の銀座にはサラリーメンが八十パーセントを占めるが、午後二時には反対にサラリーメンは十パーセントでその奥さんと見られる女性が六十パーセントもぞろぞろ歩いているなどと言う面白い現象を指摘している。これは昨年度には病気で死んだ人が何千万人あって其の内訳(うちわけ)はどうだとか言う紙面の上の統計の様に乾枯(ひか)らびたものではなく、ピチピチ生きている人間を(とら)えてやる仕事でその観察点も現代人の心臓を突き刺すほどの鋭さがあるところに、わが友江田先生の統計趣味の誇りがあるといってよい。

 で、僕は「省電(しょうでん)各駅下車の乗客分類」という()なり大規模(だいきぼ)の統計が行われるとき、人手(ひとで)が足らぬから是非(ぜひ)に出てほしいということで、とうとう参加する承諾を先生に通じてしまった。やがて部員の配置表が出来て、僕は前にも云ったとおり、比較的閑散(かんさん)な信濃町駅を守ることとなった。

「古屋君、それじゃ御苦労だが、『信濃町』の午後四時から五時までの下車客を、例の規準にしたがって記録してくれ給え。僕も信濃町を守ることになっているんだ。で僕は男の方を取るから、君は一つ婦人客の方を担任(たんにん)してもらいたいんだ」

「先生、男の方は僕がやります。それで先生には……」

「駄目だよ、男の方は全下車客の八十パーセントも占めているんだから、()れない君には無理だと思うんだがネ。婦人の方は数も少いうえに種類も少くて、大抵(たいてい)女事務員とか令嬢奥様といった位のところだから、君で充分つとまると思ってそう決定(きめ)てあるんだ。是非、婦人をひきうけて呉れ給えな」

 僕は、それでも断るとは言い出せなかったものの、困ったことになったと思ったことである。女なんか、ひと眼みるのもけがらわしいと思っている僕が(いや(まった)く其の頃は真剣にそう信じていたのである)一時間に(わた)って女ばかりを数えたり分類をするためにジロジロ観察したりするのは実に耐えられないことだった。それに、この立番はその日から向う一週間に亘って続けられるというのだから、鳥渡(ちょっと)想像してみただけでも心臓が締めつけられるような苦しさに襲われるのであった。

 それは夏も過ぎ、涼しい風が(さわや)かに(はだ)()でて行く初秋の午後であった。僕は肩から胸へ釣った記録板(きろくばん)と、両端(りょうたん)をけずった数本の鉛筆とを武器として学究者らしい威厳(いげん)を失わないように心懸けつつ、とうとう「信濃町」駅のプラットホームへ進出した。友江田先生の命ずるところに(したが)い、僕はあの幅の広い、見上げるほど高い鼠色の階段の下に立った。そして乗降の客たちの邪魔にならぬ(よう)、すこし階段の下に沿って奥へ(ひっ)こむことにした。其処(そこ)は三角定規の斜辺についてすこし昇ったようなところで、僕の眼の高さと同じ位のところに、下から数えて五六段目の階段が横からすいてみえているのであった。そこに立ち階段を横からすかしてみれば、この階段を上って出口へ行く乗客の男女別はその下半身(しもはんしん)から容易に解ったし、観察者たる僕は身体を動かす必要もなく(ただ)鼻の先にあとからあとへと現われて来る乗客の下半身を一つ二つと数えればよいのであった。いよいよ時間がきたので、反対側に居る先生が、それッと合図をした。僕は緊張に顔を(あか)くしてそれに答えると、その瞬間、鼻先に幼稚園がえりらしい女の子の赤い靴が小さい音をたてて時計の振子のように()らいで行ったのを「一ツ」と数えて「幼年女生徒」の欄へ棒を一本横にひっぱった。それに続いて黒いストッキングに(かかと)のすこし高い靴をはいた女学生の三人連れが、僕の鼻の前を(かす)めて行ったが、その三人目の女学生がどういう心算(つもり)だか急に駈け上ったので、パッと(ほこり)がたって僕の眼の中へとびこんで来た。僕はもうこの非衛生な仕事がいやになった。

 (しか)し、この仕事をはじめてから三十分も経つうちに不思議な興味が僕に乗移った。駅の階段を上って行く婦人の脚は、だんだんと増えて行った。黒いストッキングが少くなり、カシミヤやセルの(はかま)の下から肉づきのよい二三寸の(はぎ)をのぞかせて行く職業婦人が多くなった。

 その途端に、金魚のように紅と白との尾鰭(おひれ)を動かした幻影が鼻の先を通りすぎるのが感ぜられた。僕は「袴の無い若い職業婦人」の(らん)へ、一本のブルブル(ふる)えた棒を横にひいた。それは脚だけの生きものでしかなかった。脚だけの生きものが、きゅっと(しま)った白い足袋をはき、赤鼻緒(あかはなお)のすがった軽い(きり)日和下駄(ひよりげた)をつっかけている。その生きものを見ていると身体がフラフラする。身体が言うことをきかなくなる。まだ時間が切れないのかな、と思った。

 すると今度は階段の下からまた一人、僕としては最も正視(せいし)するに耐えない「袴の無い若い職業婦人」が現われた。その(らん)へ一本のブルブル震えた棒を横にひくと、(こわ)いもの見たさに似た気持で、その白い(はぎ)をのぞきこんだ。僕はあんなに魅力のある脛をみたことがない。実にすんなりと伸びた脛だった。ふくら脛はむちむちと張りきり、乳房のように(ゆら)いでいた。向う脛の(とが)ったふちなどは想像もできないほどまんまるく肉がついていた。その色は牛乳を(こお)らしてみたほどの密度のある白さだった。そのきめの(こまか)い皮膚は、魚のようにねっとりとした(つや)とピチピチした触感(しょっかん)とを持っていた。その白い脛が階段の一つをのぼる度毎(たびごと)に、緋色(ひいろ)の長い蹴出(けだ)しが、遣瀬(やるせ)なく(から)みつくのであった。歌麿(うたまろ)からずっと後になって江戸浮世絵の最も官能的描写に成功したあの一勇斎國芳(いちゆうさいくによし)の画いたアブナ絵が眼の前に生命を持って出現したかのような情景だった。その白い脛が階段を四五段のぼると、どうしたものか丁度(ちょうど)僕の鼻の先一尺というところで突然、のぼりかけたままピタリと階段の上に停ってしまったものだから僕は呼吸(いき)のつまるほど驚いた。僕の五感は針のように鋭敏になって一瞬のうちにありとあらゆるところを吸取紙(すいとりがみ)のように吸いとってしまった。

 ふくら脛のすこし上のところに、まだ一度も陽の光に当ったことがないようなむっつり白い肉塊(にくかい)があって、象牙(ぞうげ)()りきざんだような可愛い筋が二三本()っていた。だがその上を一寸ばかりあがった膝頭(ひざがしら)の裏側をすこし内股の方へ廻ったと思われるところに、紫とも(あい)ともつかない記号のようなものがチラリと見えたのは何であろう。見極(みきわ)めようとした途端(とたん)に、ひとでのような彼女の五本の指が降りて来て僕の視線の侵入するのを妨げてしまった。僕は何故か階段に踏み(とどま)った婦人の心を読むために、はじめて眼をあげて彼女の顔をみあげた。おお、これは又、なんという麗人(あでびと)であろう。花心(かしん)のような唇、豊かな頬、かすかに上気した眼のふち、そのパッチリしたうるおいのある彼女の両の(まなこ)は、階段のはるか下の方に向いていて動かない。その()には、なにか激しい感情を語っている光がある。で、私は彼女の(ひとみ)についてその行方(ゆくえ)を探ってみた。だがそこには長身の友江田先生の外になにものも見当らなかった。僕はしばらく(なお)も遠方へ眼をやったが矢張り何者もうつらなかった。そのときハッと或ることに気付いて友江田先生の顔を注目したのであるが、

「もう時間だ。やめよう」

 と先生が(にわ)かにこっちを見て叫んだ。その声音(こわね)が思いなしか、異様にひきつったように響いたことを、それから後、幾度となく僕は思い出さねばならなかったのだ。気がついて僕は階段を仰ぐと、あの女の姿は、消えてしまったかのように其処に無かった。僕はその場に(くず)れるようにへたばった。

 其の夜、下宿にかえった僕が、悔恨(かいこん)魅惑(みわく)との間に懊悩(おうのう)の一夜をあかしたことは言うまでもない。翌日はたとえ先生との約束でも今日は行くまいと思ったが、午後になると物に()かれたように立上ると制服に身を固めて、いつの間にやら昨日と同じく、「信濃町」駅のプラットホームに記録板を持って立っていた。その日も怪しい(まぼろし)の影を、昨日にも増して追ったのであった。時間の()てんとする頃、前の日に見覚えた若い婦人が、階段を上って行くのを認めたが、この日は別に階段の途中に立ちどまることもなしに、(ただ)一般乗降客にくらべて幾分ゆっくりと上って行くことには気付いたのである。そのために僕は、その若い婦人の脛をほんの浅く(うかが)ったに過ぎなかった。友江田先生の顔色も窺ったが、気にはなりながらもそちらへ(ついや)す時間はなかった。その翌日も又次の日も僕の身体の中には、「彼奴(きゃつ)」が生長して行った。()くて予定の七日間が過ぎてしまったあとには、僕の身体には()えた「彼奴」が跳梁(ちょうりょう)することが感ぜられ、それとともに、あの若き婦人の肢体(したい)網膜(もうまく)の奥に()きつけられたようにいつまでも消えなかった。

     2

 翌年の春、僕は大学を卒業した。卒業に先立って僕達理科得業生(とくぎょうせい)中の大先輩である芳川厳太郎(よしかわげんたろう)博士が所長をしている国立科学研究所から来ないかということであったから、友江田先生の意見を叩いてみた。友江田先生は大学に籍がありながら、同時に研究所にも席がある特別研究員だったから研究所の様子はよく知っている(はず)だった。

「……いいでしょう。君さえよいと思うのならね」と先生はしばらく(あいだ)を置いて同意して()れた。僕は先生が二つ返事で賛成して呉れなかったのを不服に思った。それは勿論、先生の慎重なる一面を物語るものであったと同時に、「信濃町」事件(というほどのことではないかも知れないが)に()ける先生の不審な態度も思い(あわ)すことを()めるわけには行かなかった。

 四月になると、僕は研究助手として、はじめて国立科学研究所の門をくぐった。この国研は(国立科学研究所を国研と略称することも、()の日知ったのである)東京の北郊(ほくこう)飛鳥山(あすかやま)の地続きにある閑静(かんせい)な研究所で、四階建ての真四角な鉄骨貼(てっこつは)りの煉瓦(れんが)の建物が五つ六つ押しならんでいるところは、まことに偉観(いかん)であった。僕は第二号館にある物理部へ編入せられ九坪ほどの自室と、先輩の四宮(しのみや)理学士と共通に使う三室から成る実験室とを与えられた。そして研究は、国研の範囲と認める自由な事項を選定してよいと()うことで、四宮理学士と共に、特に所長芳川博士直属の研究班ということになった。四宮理学士は、背丈はあまり高くはないが、色の白いせいか大理石の墓碑(ぼひ)のように、すっきりした青年理学士で、物静かな半面に多分の神経質がひそんでいるのが一と目で看守(かんしゅ)せられた。僕よりは四歳上の丁度(ちょうど)三十歳で、友江田先生よりは矢張り四歳下になっていた。

 僕は最初の一日を、今日から自分のものになった椅子の上にのびのび腰を下し、さて何を研究したものかと考え始めたが、一向に(まとま)りはつかず、考えれば考えるほど、今日の帰り路は、どう取って、定刻までに信濃町まで出たものかと、そればかりが気になりだした。ところへヒョックリ四宮理学士が姿をあらわして、これから所内を案内するから附いて来給えと言う。僕は喜んで椅子から立ち上って一緒に廊下へ出た。学術雑誌で名前を知っている偉い博士たちの研究室が、納骨堂(のうこつどう)の中でもあるかのように同じ形をしてうちならび、白い大理石の小さい名札の上にその研究室名が金文字(きんもじ)(しる)されてあった。最後に豊富な蔵書で有名な図書室とその事務室とを案内してくれることとなった。()ず事務室へ入ると大きい机が一つと小さい机が一つと並んでいる外に和洋のタイプライター台があった。そして四方の壁には硝子(ガラス)戸棚が立ち並んで、なんだか洋紙のようなものがギッシリ入っていた。大きい机の前には一人の二十五六にも見える婦人が、黒い着物に水色の帯をしめて坐っていたが、四宮理学士が声をかけると共にこちらへ立ち上って来て、

「わたくしが佐和山佐渡子(さわやまさとこ)でございます」と丸い肩を丁重(ていちょう)に落して挨拶した。

「理学士佐和山さんです。×大を昨年出られた……」と四宮理学士が(ちゅう)を加えた。僕はその名を知っていた。あの天才女理学士が、こんなに若い女性で、しかもこの研究所に居て洋服はおろか(はかま)もつけていない平凡な服装をしているのを発見して驚いてしまった。あとで知ったことだが、佐和山女史は図書係主任を兼任していてこの(へや)に席があるとのこと、その前の小さな机の一つには一脚の椅子が(から)のまま並んでいた。

「ミチ子嬢は何処かへ行きましたか?」と四宮理学士が()いた。

「さア、隣りに居ましょう」と女史は指を厚い()硝子(ガラス)の入った隣室との間の(ドア)(ゆびさ)した。ミチ子嬢といわれる婦人の机の上には、一輪挿(りんざ)しに真赤なチューリップが大きな花を開いて居り、机の横の壁には縫いぐるみの小さいボビーが画鋲(がびょう)でとめてあった。僕はなんとなくこの机の主のことが気懸(きがか)りになった。

 四宮理学士が(ドア)を開いて、となりの図書室を案内してくれた。僕はその室へ一歩を踏みこむなり、思わず「ほーッ」と声をあげてしまった。その室は三十坪ばかりの長方形の室であるが、四方の壁という壁には金文字の書籍雑誌が幾段にもぎっしりとつまっていた。広い読書机が二つほどすこし右手によって置かれ、左手には沢山の小引出を持ったカード函が(かさな)っていた。そしてなによりの偉観は室の中央に(そび)え立つ幅のせまい螺旋(らせん)階段であった。それはわずかに人一人を通せるほどの狭さで、鉄板を順々に螺旋形にずらし(なが)ら、簡単な手すりと、細い支柱で、積み重ねて行ったものだった。思わずその下に立ち寄って上を見上げてみると、螺旋階段はスクスクと伸びて三階にまで達している。その三階の天井は首の骨が痛くなるほど随分と高かった。なんとなく、「ジャックと豆の木」の物語に出て来る天空(てんくう)(おに)(しま)にまでとどく豆蔓(まめづる)の化物のように思われた。螺旋階段の下には事務室へ通ずる入口の外にも一つ廊下に通ずる入口があった。螺旋階段を四宮理学士と二階へのぼると、ここもおなじような本棚ばかりの四壁(しへき)と、読書机とがあり、入口はない代りに、天井が馬鹿に高くつまり二階の天井は元来(がんらい)ないので、三階の天井が二階の天井ともなり、(したが)って三階はバルコニーのようにこの室の上に半分乗り出していて、それへ螺旋階段が続いていた。

「三階へも一度上ってみましょう」と四宮理学士が言った。

 僕は(みずか)先登(せんとう)に立って、冷い螺旋階段の手すりに()()わ手をさしのべたときだった。急に頭の上にドタンバタンという激しい音がすると共に階段の上からネルソン辞典が四五冊、足許(あしもと)へ転がり落ちて来た。

「あら、あら、あら」

 と甘ったるい声が天井から響くと、その急な階段を一人の女性がいと身軽にとぶように下りて来た。

「ミチ子嬢なのだナ!」

 僕は思った。初対面の愛敬(あいきょう)をうかべて上を仰いだ僕は鼻の先一尺ばかりのところに現われた美しい少女の(おもて)を見つめたまま急に顔面を硬直(こうちょく)させなければならなかった。

「図書係の京町(きょうまち)ミチ子嬢。こちらは今日から入所された理学士古屋恒人(ふるやつねと)君。よろしく頼むよ」四宮理学士の声は(ほが)らかであった。

「あらまあ、あたし初めてお目にかかってたいへん失礼をいたしまして……」と彼女は紹介者に負けず朗らかに(うた)った。僕はなんと挨拶(あいさつ)をしたのか覚えていない。ただ「初めてお目にかかって」と言ったミチ子嬢が、本当に、信濃町でこの半年あまり毎日のように彼女の白い脛を追い廻している僕に気がついていないのであろうかどうかを何時までも気にしていた。

 翌日から僕は新しい希望と新しい焦燥(しょうそう)とを持って、自分の研究室へつめかけた。だが、落付いた気持で研究室に坐っていることは出来なかった。幸い、早く研究題目を所長の芳川博士へ報告する必要があったので、その調査に名を借りて、しばしば図書室へ通った。その(へや)には廊下から入れる戸口があったにも(かかわ)らず、知らぬ顔をして研究事務室の(ドア)を先ず押して入り、それから又も一つの扉を押して隣りの図書室へ入った。事務室の扉を開くと、佐和山女史はピリッとも身体を動かさなかったが、京町ミチ子だけはハッとしたように、私の方へ顔をあげ、それからニッコリと笑ってみせるのであった。そのたびに私は身体を硬くして、()いて笑顔を作るのに骨を折った。

 図書室へ入った僕は、大抵(たいてい)、螺旋階段をのぼりきって、三階の書棚の前に立ち、並んでいる雑誌の表題や年号を幾度となくよみかえしたり、その書棚の或る一つに雑然と積みかさねられてある雑部門の珍書などを手にとってみていた。最初の考えでは、何時(いつ)かも見たように、此の三階へまたミチ子がやって来るかも知れない。すると土蔵(どぞう)の屋根うらのように薄暗くて階段の(ほか)には出口すらもないこの室のことだから、案外彼女と静かに話でも出来るのではないかと思った。だがミチ子は(つい)に一度もこなかった。しかし僕は相変らずこの三階にのぼることを()めなかった、というのはこの(かび)くさい陰気な室が大変気に入ってしまったからである。なんとなく秘密でも隠されているような魅惑(みわく)が感ぜられた。そうこうする内に、とんでもない事件が図書室の中に起って、僕はこの三階に居たため恐ろしい嫌疑(けんぎ)(こうむ)らねばならないようなことが出来てしまった。

 僕が国研へ入って十日程経った或る日の午後のことであった。例によって僕は事務室をのぞき、ミチ子だけが机の前に坐って手紙らしいものを書いているのを認めた上、図書室の(ドア)を押して入ったが其所(そこ)には誰も居なかった。廊下へ通ずる扉が半開きになっているのが鳥渡(ちょっと)気になった。僕はそのまま螺旋階段を二階へ上って行くと、其所(そこ)にはいつものように四宮理学士の坐る読書机の上に、なんだか厚い原書が開かれてあり、当の四宮理学士の姿は見えなかったが、僕が三階への階段へ一歩足をかけたとき、階段の直ぐ背後に御当人(ごとうにん)がうずくまった(まま)、何か探しものでもしているような姿を認めた。僕は別に声もかけず三階へのぼって行き例のとおり雑部門の珍籍の一つである十九世紀の犯罪科学に関する英国スコットランド・ヤードの報告をひっぱりだして読みはじめた。

 何十分経ったかは知らない。なんだか二階で人の呻吟(うめ)くような声をきいたと思った。するとトントンと二階から一階へ降りて行く人の跫音(あしおと)がかすかに聴えてきた。やがてガチャンと言う硝子扉(ガラスど)にうち当ったような音がきこえてきたが、そのままひっそりとしてしまった。二階の四宮理学士のしわぶきも聴えて来ない。どうしたものか鳥渡(ちょっと)気になったので手にしていた本を(ほう)りだすと、螺旋階段をすかして二階なり一階なりをすかしてみたが狭い視野のこととて別に異状も見当らない。(ただ)、あまり僕の立っているところが高いので三階から下まで急転落下(きゅうてんらっか)しそうな脅迫観念(きょうはくかんねん)(とら)われたので、首を引っこめると、念のために二階へ降りてみた。一見(いっけん)異状はないようであったが、階段のうしろに当る狭い書棚の間から、リノリュームの上に長々と(よこた)わっている二本の男の脚を発見したときには、

「やっぱり、先刻(さっき)やられたんだな」

 と思った。()()わその方に近よってみると、これはたいへん、倒れているのは所長の芳川博士であったではないか。僕は大声をあげて博士を抱き起してみたのであるが、博士の身体はグッタリと前にのめるばかりで、もう脈搏(みゃくはく)も感じなかった。どうしたのかと仔細(しさい)に博士の身体を見れば、ネクタイが跳ねあがったようにソフトカラーから飛びだして頸部(けいぶ)にいたいたしく喰い入っている。それは明らかにネクタイによる絞殺(こうさつ)であることがうなずかれた。

 声に応じて事務室からとび上って来たのが佐和山女史だった。やがて別の入口をとおって四宮理学士が駈けあがって来た。其他(そのた)の所員たちも多勢駈けつけたが、ミチ子ばかりはどうしたものか却々(なかなか)影をみせなかった。

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