6話 六
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鹽釜まで戻り、鹽涌橋を渡りて、鹿股川を遡る。この橋より鹽の湯までの新道を『お兼道』と稱す。お兼といふ女の開ける所也。お兼はこの土地の産にして、氏家の豪家に嫁せり。殖産の才ありて財産をふやし、慈悲の心に富みて、數百の婢僕を子の如くにいたはれり。名詮自性、お兼は殖産の才と慈悲の心とを兼ねたり。この點のみにても珍とすべきに、死に臨み、遺言して、金五千圓を投じて、この新道を開かしめたり。當年知事たりし三島通庸は、山形縣に、福島縣に、栃木縣に、到る處新道を開けり。鹽原の新道をも開けり。その功や大也。されど官の事業也。お兼の開きしは、ほんの十町内外の路なれども、一女子の私財を以てせり。五千圓は多額とせざれども、一私人の寄附とすれば、少額には非ず。道を開くことを遺言したるは、世にも尊き心根に非ずや。鹽原は名妓高尾を出したるを以て有名なるが、今お兼の出でて、鹽原に光彩を添へたり。お兼の碑出來て、鹽原に新しき名所を加へたる也。
鹽の湯に至り、明賀屋に投ずれば、『和泉屋より電話かゝり居れり』とて、こゝにても第一等の客室に通さる。長廊を下りて浴場に行く。湯槽直ちに溪流に接す。自然の巖穴がそのまゝ湯槽になれるものあり。兩岸の絶壁數百仭、溪流屈曲せるを以て、前後左右みな絶壁、樹木鬱蒼たり。仰げば唯數十間四方の天を見る。眞にこれ洞中の別天地也。浴し終りて、酒し、飯す。番頭氣を利かして枕を持ち來たる。裸男二人に向ひ、『君等は午睡し給へ。余は一寸雄飛瀑まで散歩して來む』と云へば、十口坊、『我も行かむ』といふ。夜光命も、『我も』とて出で立つ。
鹿股川は箒川の水量を二分す。溪深く、山幽に、雄飛瀑を始めとし、咆哮、霹靂、雷霆、素練、萬五郎等の諸瀑あり。鹽原の山中にて、最も深山幽谷の趣をきはむ。殊に雄飛瀑の瀧壺の雄偉なることは、鹽原の諸瀑に冠たりなど、裸男説明しつゝ行く。思ひしよりも遠きに、夜光命も十口坊も口をそろへて、『まだか/\』と問ふ。棧道落ちて一二間ばかり路なし。痩せたる裸男、懸崖にすがりて、つる/\と行く。夜光命も過ぐ。肥れる十口坊は躊躇せしが、さすがに日本男兒也。思ひ切つて、蝸牛の這ふやうにして、漸く過ぐ。それより四五町行きしが、裸男以爲へらく、『雄飛瀑まで行きては、歸路必ず日暮るべし。日暮れては、この路危險なり』とて引返す。二人覺えず喜聲を發す。裸男曰く、『われ旅行を始めてより、幾んど三十年、目ざしたる處に達せずして止みたることなし。今日中途にして歸るは、不思議に非ずや。之を新七不思議の第六と爲さむ。』