将軍

1話 将軍(1)

8,020字 約16分 1999年1月12日 公開

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     一 白襷隊

 明治三十七年十一月二十六日の未明だった。第×師団第×聯隊の白襷隊(しろだすきたい)は、松樹山(しょうじゅざん)補備砲台(ほびほうだい)を奪取するために、九十三高地(くじゅうさんこうち)北麓(ほくろく)を出発した。

 (みち)山陰(やまかげ)に沿うていたから、隊形も今日は特別に、四列側面の行進だった。その草もない薄闇(うすやみ)の路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷(しろだすき)ばかり(ほのめ)かせながら、静かに(くつ)を鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数(くちかず)の少い、沈んだ顔色(かおいろ)をしているのだった。が、兵は皆思いのほか、平生の元気を失わなかった。それは一つには日本魂(やまとだましい)の力、二つには酒の力だった。

 しばらく行進を続けた(のち)、隊は石の多い山陰(やまかげ)から、風当りの強い河原(かわら)へ出た。

「おい、(うしろ)を見ろ。」

 紙屋だったと云う田口(たぐち)一等卒(いっとうそつ)は、同じ中隊から選抜された、これは大工(だいく)だったと云う、堀尾(ほりお)一等卒に話しかけた。

「みんなこっちへ敬礼しているぜ。」

 堀尾一等卒は振り返った。なるほどそう云われて見ると、黒々(くろぐろ)()り上った高地の上には、聯隊長始め何人かの将校たちが、やや赤らんだ空を(うしろ)に、この死地に向う一隊の士卒へ、最後の敬礼を送っていた。

「どうだい? 大したものじゃないか? 白襷隊(しろだすきたい)になるのも名誉だな。」

「何が名誉だ?」

 堀尾一等卒は苦々(にがにが)しそうに、肩の上の銃を(ゆす)り上げた。

「こちとらはみんな(しに)に行くのだぜ。して見ればあれは××××××××××××××そうって云うのだ。こんな安上(やすあが)りな事はなかろうじゃねえか?」

「それはいけない。そんな事を云っては×××すまない。」

「べらぼうめ! すむもすまねえもあるものか! 酒保(しゅほ)の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」

 田口一等卒は口を(つぐ)んだ。それは酒気さえ帯びていれば、皮肉な事ばかり並べたがる、相手の癖に()れているからだった。しかし堀尾一等卒は、執拗(しつよう)にまだ話し続けた。

「それは敬礼で買うとは云わねえ。やれ×××××とか、やれ×××××だとか、いろんな勿体(もったい)をつけやがるだろう。だがそんな事は(うそ)(ぱち)だ。なあ、兄弟。そうじゃねえか?」

 堀尾一等卒にこう云われたのは、これも同じ中隊にいた、小学校の教師(きょうし)だったと云う、おとなしい江木(えぎ)上等兵(じょうとうへい)だった。が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云う(わけ)か、急に()みつきそうな権幕(けんまく)を見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣(あくらつ)な返答を(ほう)りつけた。

莫迦野郎(ばかやろう)! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」

 その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。そこには泥を()り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと(あかつき)を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に(ひだ)をなぞった、寒い茶褐色の松樹山(しょうじゅざん)が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這(はらば)いながら、じりじり敵前へ向う事になった。

 勿論(もちろん)江木(えぎ)上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾(ほりお)一等卒の言葉は、同時にまた彼の腹の底だった。しかし口数の少い彼は、じっとその考えを持ちこたえていた。それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕(きずあと)にでも()れられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼は(こご)えついた交通路を、(けもの)のように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫(すんごう)の光明も得られなかった。死は×××××にしても、所詮(しょせん)(のろ)うべき怪物だった。戦争は、――彼はほとんど戦争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は戦争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ、×××××××出来る点があった。しかし×××××××××××××ほかならなかった。しかも彼は、――いや、彼ばかりでもない。各師団から選抜された、二千人余りの白襷隊(しろだすきたい)は、その大なる×××にも、(いや)でも死ななければならないのだった。……

「来た。来た。お前はどこの聯隊(れんたい)だ?」

 江木上等兵はあたりを見た。隊はいつか松樹山の(ふもと)の、集合地へ着いているのだった。そこにはもうカアキイ服に、古めかしい(たすき)をあやどった、各師団の兵が集まっている、――彼に声をかけたのも、そう云う連中の一人だった。その兵は石に腰をかけながら、うっすり流れ出した朝日の光に、片頬の面皰(にきび)をつぶしていた。

「第×聯隊だ。」

「パン聯隊だな。」

 江木上等兵は暗い顔をしたまま、何ともその冗談(じょうだん)に答えなかった。

 何時間かの(のち)、この歩兵陣地の上には、もう彼我(ひが)の砲弾が、(すさ)まじい(うな)りを飛ばせていた。目の前に聳えた松樹山の山腹にも、李家屯(りかとん)の我海軍砲は、幾たびか黄色い土煙(つちけむり)を揚げた。その土煙の舞い(あが)合間(あいま)に、薄紫の光が(ほどばし)るのも、昼だけに、一層悲壮だった。しかし二千人の白襷隊(しろだすきたい)は、こう云う砲撃の中に()を待ちながら、やはり平生の元気を失わなかった。また恐怖に(ひし)がれないためには、出来るだけ陽気に振舞(ふるま)うほか、仕様のない事も事実だった。

「べらぼうに撃ちやがるな。」

 堀尾一等卒は空を見上げた。その拍子(ひょうし)に長い叫び声が、もう一度頭上の空気を()いた。彼は思わず首を(ちぢ)めながら、砂埃(すなほこり)の立つのを避けるためか、手巾(ハンカチ)に鼻を(おお)っていた、田口(たぐち)一等卒に声をかけた。

「今のは二十八珊(にじゅうはっサンチ)だぜ。」

 田口一等卒は笑って見せた。そうして相手が気のつかないように、そっとポケットへ手巾(ハンカチ)をおさめた。それは彼が出征する時、馴染(なじみ)の芸者に貰って来た、(ふち)(ぬい)のある手巾(ハンカチ)だった。

「音が違うな、二十八(サンチ)は。――」

 田口一等卒はこう云うと、狼狽(ろうばい)したように姿勢を正した。同時に大勢(おおぜい)の兵たちも、声のない号令(ごうれい)でもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚(ばくりょう)を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。

「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」

 将軍は陣地を見渡しながら、やや(さび)のある声を伝えた。

「こう云う狭隘(きょうあい)な所だから、敬礼も何もせなくとも()い。お前達は何聯隊の白襷隊(しろだすきたい)じゃ?」

 田口一等卒は将軍の眼が、彼の顔へじっと注がれるのを感じた。その眼はほとんど処女のように、彼をはにかませるのに足るものだった。

「はい。歩兵第×聯隊であります。」

「そうか。大元気(おおげんき)にやってくれ。」

 将軍は彼の手を握った。それから堀尾(ほりお)一等卒へ、じろりとその眼を転ずると、やはり右手をさし()べながら、もう一度同じ事を繰返(くりかえ)した。

「お前も大元気にやってくれ。」

 こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化(こうか)したように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨(ほおぼね)の高い(あか)ら顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範(もはん)らしい、好印象を与えた容子(ようす)だった。将軍はそこに立ち止まったまま、熱心になお話し続けた。

「今打っている砲台があるな。今夜お前たちはあの砲台を、こっちの物にしてしまうのじゃ。そうすると予備隊は、お前たちの行った(あと)から、あの界隈(かいわい)の砲台をみんな手に入れてしまうのじゃ。何でも一遍(いっぺん)にあの砲台へ、飛びつく心にならなければいかん。――」

 そう云う内に将軍の声には、いつか多少戯曲的な、感激の調子がはいって来た。

()いか? 決して途中に立ち止まって、射撃なぞをするじゃないぞ。五尺の体を砲弾だと思って、いきなりあれへ飛びこむのじゃ、頼んだぞ。どうか、しっかりやってくれ。」

 将軍は「しっかり」の意味を伝えるように、堀尾一等卒の手を握った。そうしてそこを通り過ぎた。

「嬉しくもねえな。――」

 堀尾一等卒は狡猾(こうかつ)そうに、将軍の(あと)を見送りながら、田口一等卒へ目交(めくば)せをした。

「え、おい。あんな(じい)さんに手を握られたのじゃ。」

 田口一等卒は苦笑(くしょう)した。それを見るとどう云う(わけ)か、堀尾一等卒の心の(うち)には、何かに済まない気が起った。と同時に相手の苦笑が、面憎(つらにく)いような心もちにもなった。そこへ江木(えぎ)上等兵が、突然横合いから声をかけた。

「どうだい、握手で××××のは?」

「いけねえ。いけねえ。人真似をしちゃ。」

 今度は堀尾一等卒が、苦笑せずにはいられなかった。

「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている。」

 江木上等兵がこう云うと、田口一等卒も口を出した。

「そうだ。みんな御国(おくに)のために捨てる命だ。」

「おれは何のためだか知らないが、ただ捨ててやるつもりなのだ。×××××××でも向けられて見ろ。何でも持って行けと云う気になるだろう。」

 江木上等兵の(まゆ)(あいだ)には、薄暗い興奮が動いていた。

「ちょうどあんな心もちだ。強盗は金さえ巻き上げれば、×××××××云いはしまい。が、おれたちはどっち(みち)死ぬのだ。×××××××××××××××××××××たのだ。どうせ死なずにすまないのなら、綺麗(きれい)に×××やった方が好いじゃないか?」

 こう云う言葉を聞いている内に、まだ酒気が消えていない、堀尾一等卒の眼の中には、この温厚(おんこう)な戦友に対する、侮蔑(ぶべつ)の光が加わって来た。「何だ、命を捨てるくらい?」――彼は内心そう思いながら、うっとり空へ眼をあげた。そうして今夜は人後に落ちず、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心した。……

 その()の八時何分か過ぎ、手擲弾(しゅてきだん)(あた)った江木上等兵は、全身黒焦(くろこげ)になったまま、松樹山(しょうじゅざん)の山腹に倒れていた。そこへ白襷(しろだすき)の兵が一人、何か切れ切れに叫びながら、鉄条網(てつじょうもう)の中を走って来た。彼は戦友の屍骸(しがい)を見ると、その胸に片足かけるが早いか、突然大声に笑い出した。大声に、――実際その哄笑(こうしょう)の声は、烈しい敵味方の銃火の中に、気味の悪い反響を()び起した。

「万歳! 日本(にっぽん)万歳! 悪魔降伏。怨敵(おんてき)退散(たいさん)。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」

 彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着(とんちゃく)せず、続けざまにこう絶叫していた。その光に()かして見れば、これは頭部銃創のために、突撃の最中(さいちゅう)発狂したらしい、堀尾一等卒その人だった。

     二 間牒(かんちょう)

 明治三十八年三月五日の午前、当時全勝集(ぜんしょうしゅう)駐屯(ちゅうとん)していた、A騎兵旅団(きへいりょだん)の参謀は、薄暗い司令部の一室に、二人の支那人を取り調べて居た。彼等は間牒(かんちょう)嫌疑(けんぎ)のため、臨時この旅団に加わっていた、第×聯隊の歩哨(ほしょう)の一人に、今し方(とら)えられて来たのだった。

 この(むね)の低い支那家(しないえ)の中には、勿論今日も(かん)()()が、(こころよ)(あたたか)みを漂わせていた。が、物悲しい戦争の空気は、敷瓦(しきがわら)に触れる拍車の音にも、(たく)の上に脱いだ外套(がいとう)の色にも、至る所に(うかが)われるのであった。殊に紅唐紙(べにとうし)(れん)()った、(ほこり)臭い白壁(しらかべ)の上に、束髪(そくはつ)()った芸者の写真が、ちゃんと(びょう)で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。

 そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を(かこ)んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも明瞭(めいりょう)に返事をした。のみならずやや年嵩(としかさ)らしい、顔に短い(ひげ)のある男は、通訳がまだ尋ねない事さえ、進んで説明する風があった。が、その答弁は参謀の心に、明瞭ならば明瞭なだけ、一層彼等を間牒にしたい、反感に似たものを与えるらしかった。

「おい歩兵(ほへい)!」

 旅団参謀は鼻声に、この支那人を(とら)えて来た、戸口にいる歩哨を()びかけた。歩兵、――それは白襷隊(しろだすきたい)に加わっていた、田口(たぐち)一等卒(いっとうそつ)にほかならなかった。――彼は戸の卍字格子(まんじごうし)を後に、芸者の写真へ目をやっていたが、参謀の声に驚かされると、思い切り大きい答をした。

「はい。」

「お前だな、こいつらを(つか)まえたのは? 掴まえた時どんなだったか?」

 人の()い田口一等卒は、朗読的にしゃべり出した。

(わたくし)歩哨(ほしょう)に立っていたのは、この村の土塀(どべい)の北端、奉天(ほうてん)に通ずる街道(かいどう)であります。その支那人は二人とも、奉天の方向から歩いて来ました。すると木の上の中隊長が、――」

「何、木の上の中隊長?」

 参謀はちょいと目蓋(まぶた)を挙げた。

「はい。中隊長は展望(てんぼう)のため、木の上に登っていられたのであります。――その中隊長が木の上から、(つか)まえろと私に命令されました。」

「ところが私が(とら)えようとすると、そちらの男が、――はい。その髯のない男であります。その男が急に逃げようとしました。……」

「それだけか?」

「はい。それだけであります。」

「よし。」

 旅団参謀は血肥(ちぶと)りの顔に、多少の失望を浮べたまま、通訳に質問の意を伝えた。通訳は退屈(たいくつ)(あらわ)さないため、わざと声に力を入れた。

「間牒でなければ何故(なぜ)逃げたか?」

「それは逃げるのが当然です。何しろいきなり日本兵が、(おど)りかかってきたのですから。」

 もう一人の支那人、――鴉片(あへん)の中毒に(かか)っているらしい、鉛色の皮膚(ひふ)をした男は、少しも(ひる)まずに返答した。

「しかしお前たちが通って来たのは、今にも戦場になる街道(かいどう)じゃないか? 良民ならば用もないのに、――」

 支那語の出来る副官は、血色の悪い支那人の顔へ、ちらりと意地の悪い眼を送った。

「いや、用はあるのです。今も申し上げた通り、(わたくし)たちは新民屯(しんみんとん)へ、紙幣(しへい)を取り換えに出かけて来たのです。御覧下さい。ここに紙幣もあります。」

 (ひげ)のある男は平然と、将校たちの顔を眺め廻した。参謀はちょいと鼻を鳴らした。彼は副官のたじろいだのが、内心()い気味に思われたのだ。……

「紙幣を取り換える? 命がけでか?」

 副官は負惜(まけおし)みの冷笑を洩らした。

「とにかく裸にして見よう。」

 参謀の言葉が通訳されると、彼等はやはり悪びれずに、早速赤裸(あかはだか)になって見せた。

「まだ腹巻(はらまき)をしているじゃないか? それをこっちへとって見せろ。」

 通訳が腹巻を受けとる時、その白木綿(しろもめん)に体温のあるのが、何だか不潔に感じられた。腹巻の中には三寸ばかりの、太い針がはいっていた。旅団参謀は窓明りに、何度もその針を(しら)べて見た。が、それも平たい頭に、梅花(ばいか)の模様がついているほか、何も変った所はなかった。

「何か、これは?」

(わたくし)鍼医(はりい)です。」

 髯のある男はためらわずに、悠然と参謀の問に答えた。

次手(ついで)(くつ)()いで見ろ。」

 彼等はほとんど無表情に、隠すべき所も隠そうとせず、検査の結果を眺めていた。が、ズボンや上着は勿論、靴や靴下を検べて見ても、証拠になる品は見当らなかった。この上は靴を(こわ)して見るよりほかはない。――そう思った副官は、参謀にその旨を話そうとした。

 その時突然次の部屋から、軍司令官を先頭に、軍司令部の幕僚(ばくりょう)や、旅団長などがはいって来た。将軍は副官や軍参謀と、ちょうど何かの打ち合せのため、旅団長を尋ねて来ていたのだった。

露探(ろたん)か?」

 将軍はこう尋ねたまま、支那人の前に足を止めた。そうして彼等の裸姿(はだかすがた)へ、じっと鋭い眼を注いだ。(のち)にある亜米利加(アメリカ)人が、この有名な将軍の眼には、Monomania じみた所があると、無遠慮な批評を下した事がある。――そのモノメニアックな眼の色が、殊にこう云う場合には、気味の悪い輝きを加えるのだった。

 旅団参謀は将軍に、ざっと事件の顛末(てんまつ)を話した。が、将軍は思い出したように、時々(うなず)いて見せるばかりだった。

「この上はもうぶん(なぐ)ってでも、白状させるほかはないのですが、――」

 参謀がこう云いかけた時、将軍は地図(ちず)を持った手に、(ゆか)の上にある支那靴を(ゆびさ)した。

「あの靴を(こわ)して見給え。」

 靴は見る見る底をまくられた。するとそこに縫いこまれた、四五枚の地図と秘密書類が、たちまちばらばらと床の上に落ちた。二人の支那人はそれを見ると、さすがに顔の色を失ってしまった。が、やはり押し黙ったまま、剛情(ごうじょう)に敷瓦を見つめていた。

「そんな事だろうと思っていた。」

 将軍は旅団長を顧みながら、得意そうに微笑を(もら)した。

「しかし靴とはまた考えたものですね。――おい、もうその連中(れんじゅう)には着物を着せてやれ。――こんな間牒(かんちょう)は始めてです。」

「軍司令官閣下の烱眼(けいがん)には驚きました。」

 旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌(あいきょう)()い笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。

「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほかに隠せないじゃないか?」

 将軍はまだ上機嫌だった。

「わしはすぐに靴と(にら)んだ。」

「どうもこの辺の住民はいけません。我々がここへ来た時も、日の丸の旗を出したのですが、その癖家の中を(しら)べて見れば、大抵露西亜(ロシア)の旗を持っているのです。」

 旅団長も何か浮き浮きしていた。

「つまり奸佞邪智(かんねいじゃち)なのじゃね。」

「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」

 こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向けると、()き出すようにこう命じた。

「おい歩兵! この間牒はお前が(つか)まえて来たのだから、次手(ついで)にお前が殺して来い。」

 二十分の(のち)、村の南端の路ばたには、この二人の支那人が、互に辮髪(べんぱつ)を結ばれたまま、枯柳(かれやなぎ)の根がたに坐っていた。

 田口一等卒は銃剣をつけると、まず辮髪を解き放した。それから銃を構えたまま、年下の男の(うしろ)に立った。が、彼等を突殺す前に、殺すと云う事だけは告げたいと思った。

「《ニイ》、――」

 彼はそう云って見たが、「殺す」と云う支那語を知らなかった。

「《ニイ》、殺すぞ!」

 二人の支那人は云い合せたように、じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭(こうとう)を続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。

 叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。

「《ニイ》、殺すぞ!」

 彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から、馬に(またが)った騎兵が一人、(ひづめ)砂埃(すなほこり)を巻き揚げて来た。

「歩兵!」

 騎兵は――近づいたのを見れば曹長(そうちょう)だった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みを(ゆる)めながら、傲然(ごうぜん)と彼に声をかけた。

露探(ろたん)か? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」

 田口一等卒は苦笑(くしょう)した。

「何、二人とも上げます。」

「そうか? それは気前が()いな。」

 騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人の(うしろ)にまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄(ばてい)の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着(とんちゃく)せず、まっ(こう)(とう)を振り上げた。が、まだその刀を(おろ)さない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍を見上げながら、正しい挙手の礼をした。

露探(ろたん)だな。」

 将軍の眼には一瞬間、モノメニアの光が輝いた。

「斬れ! 斬れ!」

 騎兵は言下(ごんか)に刀をかざすと、一打(ひとうち)に若い支那人を()った。支那人の頭は躍るように、枯柳の根もとに(ころ)げ落ちた。血は見る見る黄ばんだ土に、大きい斑点(はんてん)を拡げ出した。

「よし。見事だ。」

 将軍は愉快そうに(うなず)きながら、それなり馬を歩ませて行った。

 騎兵は将軍を見送ると、血に()んだ(とう)(ひっさ)げたまま、もう一人の支那人の(うしろ)に立った。その態度は将軍以上に、殺戮(さつりく)を喜ぶ気色(けしき)があった。「この×××らばおれにも殺せる。」――田口一等卒はそう思いながら、枯柳の根もとに腰を(おろ)した。騎兵はまた(とう)を振り上げた。が、(ひげ)のある支那人は、黙然(もくねん)と首を伸ばしたぎり、睫毛(まつげ)一つ動かさなかった。……

 将軍に従った軍参謀の一人、――穂積(ほづみ)中佐(ちゅうさ)(くら)の上に、春寒(しゅんかん)曠野(こうや)を眺めて行った。が、遠い枯木立(かれこだち)や、路ばたに倒れた石敢当(せきかんとう)も、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。

(わたし)勲章(くんしょう)(うずま)った人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」

 ――ふと気がつけば彼の馬は、ずっと将軍に遅れていた。中佐は軽い身震(みぶるい)をすると、すぐに馬を急がせ出した。ちょうど当り出した薄日の光に、飾緒(かざりお)(きん)をきらめかせながら。

     三 陣中の芝居

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