2話 絶対的態度
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天質において偉人たりし子規子は人格においても偉人なり、そは子規子生涯を通じて一貫せる態度の絶対的なりしにあり。
子規子の態度は絶対的傍観の見地に立てり、歴史を傍観し、階級を傍観し、天子を傍観し乞食を傍観し、大宗教家、大美術家いかなる種類といえどもことごとく傍観す、かつて仰視したることなく、かつて俯視したることなし、思うにこれ真詩人の態度正しき感覚を得んと欲す、必ず正しき観取に待たざるべからず、正しき観取は必ず正しき傍観においてせざるべからず。
詩人は一切社会の外に立って、社会の一点たる自個をも傍観す、詩人は社会を離れずしてただ社会を観る、詩人は社会を楽んで毫も社会に混ぜず、詩人は神に近きを尊び己に近きを佳なりとす、一切社会の批判者にして一切社会の讃美者なり、絶対的傍観の見地に立ちて始めて、真詩人の職を完うし得べし、しからばすなわち子規子の態度は真詩人の態度なり。
西欧の詩人吾これを詳にせず、東洋の古今ただ詩作家の少なからざるを見るのみ、真詩人の態度を得たるものあるを知らず、屈原、陶潜、杜甫、李白、皆社会外に立てる人にあらずして要するに詩作家たるのみ、人丸、赤人、憶良、家持また人格の察すべきなく、今日においてはただその詩作家たるを感ずるのみ、以上の諸大家、詩作家としてはもとよりその大を感ずといえども、人格としては予未だその人を思うことあたわず、要するに真詩人たる態度において欠くるところあるによれり。
子規子の詩作は、もとよりその大を称するに足らざるものあらん、しかもその態度と人格とは、これを大宗教家、大政事家に比するに値す、もしそれ文字上言語上の製作のみをもって、詩なりと言わばもとより昧者の言のみ、趣味的に他が感覚を動すべき人格と態度とを有するものあらば、その態度すなわち詩、人格すなわち詩と称すべきなり、されば偉人はそのすべてがすなわち詩なりというを得べし、何となれば偉人はすべてが趣味をもって満され居ればなり、子規子はいかなる点において、絶対的傍観の見地に立てりというか、これ当然に来るべき疑問なれども、そを具体的に解釈せんこと容易ならず、何となればこれ理論にあらずして、趣味的実際問題なればなり、予はただ子規子が、常に一切の事物を自個の標準によって判断し、自個以外に偉人を認めざりし態度を持したるをもって、絶対的傍観の見地に立てりと断ぜんと欲す。
唯我独尊を称したる釈迦如来は、絶対に自らを尊べり、絶対他力を唱えたる親鸞は絶対に他を尊で自個を空せり、孔子と耶蘇とは他を尊んでまた自個を尊べり、ついに釈迦と親鸞に対していささか譲るところあるがごとくの感あるは、その態度の絶対的ならざるに存す、子規子の態度は、別に諸聖人の外に立ち、心を一切社会の外界に置けり、一切他を尊まず一切他を卑まず、もちろん自個を尊まず自個を卑まず、自個の精神は、なお自個の一切をもよそにせり、すなわち絶対的傍観の態度これなり。
ゆえに社会的自個の行動は、毫も戒飭するところなく検束する趣なく、極めて随意に、心の動くままに振舞いたり、親鸞のいわゆる自然法爾なるものと、すこぶる相似たるの跡ありといえども、しかも子規子の態度は、釈迦如来の知らざるところ、親鸞上人の知らざるところなり、嗚呼あに偉ならずや、予はなお終に臨で一言せん。
子規子を知らんと欲せば、子規子の議論と子規子の製作とを、突き抜けてじかに子規子その人を見よ、子規子の議論と子規子の製作とは、決して子規子の満足したるものにあらざるなりと。明治三十八年十二月六日夜十二時記〔『馬酔木』明治三十九年一月一日〕