1話 旅なかま(1)
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かわいそうなヨハンネスは、おとうさんがひどくわずらって、きょうあすも知れないほどでしたから、もうかなしみのなかにしずみきっていました。せまいへやのなかには、ふたりのほかに人もいません。テーブルの上のランプは、いまにも消えそうにまばたきしていて、よるももうだいぶふけていました。
「ヨハンネスや、おまえはいいむすこだった。」と、病人のおとうさんはいいました。「だから、世の中へでても、神さまがきっと、なにかをよくしてくださるよ。」
そういって、やさしい目でじっとみながら、ふかいため息をひとつつくと、それなり息をひきとりました。それはまるでねむっているようでした。でも、ヨハンネスは泣かずにいられません、この子はもう、この世の中に、父親もなければ、母親もないし、男のきょうだいも、女のきょうだいもないのです。かわいそうなヨハンネス。ヨハンネスは、寝台のまえにひざをついて、死んだおとうさんの手にほおずりして、しょっぱい涙をとめどなくながしていました。そのうち、いつか目がくっついて、寝台のかたい脚にあたまをおしつけたなり、ぐっすり寝こんでしまいました。
寝ているうちに、ヨハンネスは、ふしぎな夢をみました。お日さまとお月さまとがおりて来て*礼拝をするところをみました。それから、なくなったおとうさんが、またげんきで、たっしゃで、いつもほんとうにうれしいときするようなわらい声をきかせました。ながい、うつくしい髪の毛の上に、金のかんむりをかぶったうつくしいむすめが、ヨハンネスに手をさしのべました。するとおとうさんが「ごらん、なんといいおよめさんをおまえはもらったのだろう。これこそ世界じゅうふたりとないうつくしいひとだ。」といいました。おや、とおもうとたん、ヨハンネスは目がさめました。うつくしい夢はかげもかたちもなくて、おとうさんは死んで、つめたくなって、寝台にねていました。たれひとりそこにはいません。なんてかわいそうなヨハンネス。
*ヨセフまたひとつ夢をみてこれをその兄弟に述べていいけるは我また夢をみたるに日と月と十一の星われを拝せりと。(創世記三七ノ九)
次の週に、死人はお墓の下にうまりました。ヨハンネスはぴったり棺につきそって行きました。これなりもう、あれほどやさしくしてくださったおとうさんの顔をみることはできなくなるのです。棺の上にばらばら土のかたまりの落ちていく音を、ヨハンネスはききました。いよいよおしまいに、棺の片はしがちらっとみえました。そのせつな、ひとすくい土がかかると、それもふさがってしまいました。みているうち、いまにも胸がちぎれそうに、かなしみがこみあげて来ました。まわりでうたうさんび歌がいかにもうつくしくきこえました。きくうちヨハンネスは、目のなかに涙がわきだして来ました。で、泣きたいだけ泣くと、かえって心持がはっきりして来ました。お日さまが、みどりぶかい木立の上に晴ればれとかがやいて、それは「ヨハンネス、そんなにかなしんでばかりいることはないよ。まあ、青青とうつくしい空をごらん。おまえのとうさんも、あの高い所にいて、どうかこのさきおまえがいつもしあわせでいられるよう、神さまにおねがいしているところなのだよ。」と、いっているようでした。「ああ、ぼく、あくまでいい人になろう。」と、ヨハンネスはいいました。「そうすれば、また天国でおとうさんにあうことになるし、あえたら、どんなにたのしいことだろう。そのときは、どんなにたくさん、話すことがあるだろう、そうして、おとうさんからも、ずいぶんいろいろのことをおしえてもらえるだろう。天国のりっぱな所もたくさんみせてもらえるだろう。それは生きているとき、地の上の話を、たんとおとうさんはしてくださったものだった。ああ、それはどんなにたのしいことになるだろうな。」
ヨハンネスは、こうはっきりとじぶんにむかっていってみて、ついほほえましくなりました。そのそばから、涙はまたほほをつたわってながれました。あたまの上で小鳥たちが、とちの木の木立のなかから、ぴいちくち、ぴいちくちさえずっていました。小鳥たちはおとむらいに来ていながら、こんなにたのしそうにしているのは、この死んだ人が、いまではたかい天国にのぼっていて、じぶんたちのよりももっとうつくしい、もっと大きいつばさがはえていることや、この世で心がけのよかったおかげで、あちらへいっても、神さまのおめぐみをうけて、いまではしあわせにくらしていることをよく知っているからでした。この小鳥たちが、緑ぶかい木立をはなれて、とおくの世界へとび立っていくところを、ヨハンネスはみおくって、じぶんもいっしょにとんでいきたくなりました。
けれども、さしあたりまず、大きな木の十字架を切って、それをおとうさんのお墓に立てなければなりません。さて、夕がた、それをもっていきますと、どうでしょう、お墓にはまあるく砂が盛ってあって、きれいな花でかざられていました。それはよその知らない人がしてくれたのです。なくなったおとうさんはいい人でしたから、ひとにもずいぶん好かれていました。
さて、あくる日朝はやく、ヨハンネスは、わずかなものを包にまとめ、のこった財産の五十ターレルと二、三枚のシリング銀貨とを、しっかり腰につけました。これだけであてもなしに世の中へ出て行こうというのです。いよいよ出かけるまえ、まず墓地へいって、おとうさんのお墓におまいりして、主のお祈をとなえてから、こういいました。
「おとうさん、さよなら。ぼくは、いつまでもいい人間でいたいとおもいます。ですから、神さまが、幸福にしてくださるように、たのんでください。」
ヨハンネスがこれからでていこうという野には、のこらずの花があたたかなお日さまの光をあびて、いきいきと、美しい色に咲いていました。そうして、風のふくままに、それが、がってんがってんしていました。「みどりの国へよくいらっしゃいましたね、ここはずいぶんきれいでしょう。」といっているようでした。けれど、ヨハンネスは、もういちどふりかえって、ふるいお寺におなごりをおしみました。このお寺で、ヨハンネスはこどものとき洗礼をうけました。日曜日にはきまって、おとうさんにつれられていって、おつとめをしたり、さんび歌をうたったりしました。そのとき、ふと、たかい塔の窓の所に、お寺の*小魔が、あかいとんがり頭巾をかぶって立っているのがみえました。小魔は目のなかに日がさしこむので、ひじをまげてひたいにかざしているところでした。ヨハンネスはかるくあたまをさげて、さよならのかわりにしました、小魔は赤い頭巾をふったり胸に手をあてたり、いくどもいくども、**投げキッスしてみせました。それは、ヨハンネスのためにかずかす幸福のあるように、とりわけ、たのしい旅のつづくようにいのってくれる、まごころのこもったものでした。
*家魔。善魔で矮魔の一種。ニース(Nis)。人間の家のなかに住み、こどもの姿で顔は老人。ねずみ色の服に赤い先の尖った帽子をかぶる。お寺にはこの仲間が必ずひとりずついて塔の上に住み、鐘をたたいたりするという。
**じぶんの手にせっぷんしてみせて、はなれている相手にむかってその手をなげる形。
ヨハンネスは、これから、大きなにぎやかな世間へでたら、どんなにたくさん、おもしろいことがみられるだろうとおもいました。それで、足にまかせて、どこまでも、これまでついぞ来たこともない遠くまで、ずんずんあるいて行きました。通っていく所の名も知りません。出あうひとの顔も知りません。まったくよその土地に来てしまっていました。
はじめての晩は、野ッ原の、枯草を積んだ上にねなければなりませんでした。ほかに寝床といってはなかったのです。でも、それがとても寝ごこちがよくて、王さまだってこれほどけっこうな寝床にはお休みにはなるまいとおもいました。ひろい野中に小川がちょろちょろながれていて、枯草の山があって、あたまの上には青空がひろがっていて、なるほどりっぱな寝べやにちがいありません。赤い花、白い花があいだに点点と咲いているみどりの草原は、じゅうたんの敷物でした。にわとこのくさむらとのばらの垣が、おへやの花たばでした。洗面所のかわりには、小川が水晶のようなきれいな水をながしてくれましたし、そこにはあしがこっくり、おじぎしながら、おやすみ、おはようをいってくれました。お月さまは、おそろしく大きなランプを、たかい青天井の上で、かんかんともしてくださいましたが、この火がカーテンにもえつく気づかいはありません。これならヨハンネスもすっかり安心してねられます。それでぐっすり寝こんで、やっと目をさますと、お日さまはもうとうにのぼって、小鳥たちが、まわりで声をそろえてうたっていました。
「おはよう。おはよう。まだ起きないの。」
お寺では、かんかん、鐘がなっていました。ちょうど日曜日でした。近所のひとたちが、お説教をききに、ぞろぞろでかけていきます。ヨハンネスも、そのあとからついていって、さんび歌のなかまにまじって、神さまのお言葉をききました。するうち、こどものとき、洗礼をうけたり、おとうさんにつれられて、さんび歌をいっしょにうたった、おなじみぶかいお寺に来ているようにおもいました。
お寺のそとの墓地には、たくさんお墓がならんでいて、なかには高い草のなかにうずまっているものもありました。それをみると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓も草むしりして、お花をあげるものがなければ、やがてこんなふうになるのだとおもいました。そこで、べったりすわって、草をぬいてやったり、よろけている十字架をまっすぐにしてやったり、風でふきとんでいる花環をもとのお墓の所へおいてやったりしました。そんなことをしながら、ヨハンネスはかんがえました。
「たぶん、おとうさんのお墓にも、たれかが、おなじことをしておいてくれるでしょう、ぼくにできないかわりに。」
墓地の門そとに、ひとり、年よりのこじきがいて、よぼよぼ、松葉づえにすがっていました。ヨハンネスは、もっていたシリング銀貨をやってしまいました。それですっかりたのしくなり、げんきになって、またひろい世の中へでていきました。
夕方、たいへんいやなお天気になりました。どこか宿をさがそうとおもっていそぐうち、夜になりました。でもどうやら、小山の上にぽっつり立っているちいさなお寺にたどりつきました。しあわせと、おもての戸があいていたので、そっとそこからはいりました。そうして、あらしのやむまでそこにいることにしました。
「どこかすみっこにかけさせてもらおう。」と、ヨハンネスはいって、なかにはいっていきました。
「なにしろひどくくたびれている、すこし休まずにはいられない。」
こういって、ヨハンネスはそこにどたんとすわって、両手をくみあわせて、晩のお祈をいいました。こうして、いつか知らないまに寝込んで、夢をみていました。そのあいだに、そとでは、かみなりがなったり、いなづまが走ったりしていました。
やっと目がさめてみると、もう真夜中で、あらしはとうにやんで、お月さまが、窓からかんかん、ヨハンネスのねている所までさし込んでいました。ふとみると、本堂のまんなかに、死んだ人を入れた棺が、ふたをあけたまま置いてありました。まだお葬式がすんでいなかったのです。ヨハンネスは正しい心の子でしたから、ちっとも死人をこわいとはおもいません。それに死人がなにもわるいことをするはずのないことはよくわかっていました。生きているわるいひとたちこそよくないことをするのです。ところへ、ちょうど、そういう生きているわるい人間のなかまがふたり、死人のすぐわきに来て立ちました。この死人はまだ埋葬がすまないので、お寺にあずけておいてあったのです。それをそっと棺のなかに休ませておこうとはしずに、お寺のそとへほうりだしてやろうという、よくないたくらみをしに来たのです。死んだ人を、きのどくなことですよ。
「なんだって、そんなことをするのです。」と、ヨハンネスは声をかけました。「ひどい、わるいことです。エスさまのお名にかけて、どうぞそっとしてあげておいてください。」
「くそ、よけいなことをいうない。」と、そのふたりの男はこわい顔をしました。「こいつはおれたちをいっぱいはめたんだ。おれたちから金を借りて、かえさないまま、こんどはおまけにおッ死んでしまやがったんだ。おかげで、おれたちの手には、びた一文かえりやしない。だからかたきをとってやるのだ。寺のそとへ、犬ッころのようにほうりだしてやるのだ。」
「ぼく、五十ターレル、お金があります。」と、ヨハンネスはいいました、「これがもらったありったけの財産ですが、そっくりあなた方に上げましょう。そのかわり、けっしてそのかわいそうな死人のひとをいじめないと、はっきり約束してください。なあに、お金なんかなくってもかまわない。ぼくは手足はたっしゃでつよい、それにしじゅう神さまが守っていてくださるとおもうから。」
「そうか。」と、そのにくらしい男どもはいいました。「きさま、ほんとうにその金をはらうなら、おれたちもけっして手だしはしないさ、安心しているがいい。」
こういって、ふたりは、ヨハンネスのだしたお金をうけとって、この子のお人よしなのを大わらいにわらったのち、どこかへ出て行きました。でも、ヨハンネスは死人を、またちゃんと棺のなかへおさめてやって、両手を組ませてやりました。さて、さよならをいうと、こんどもすっかりあかるい、いい心持になって、大きな森のなかへはいっていきました。
森のなかをあるきながらみまわすと、月あかりが木立をすけてちらちらしているなかに、かわいらしい妖女たちのおもしろそうにあそんでいるのが目にはいりました。妖女たちはへいきでいました。それは、いま方はいって来たヨハンネスが、やさしい、いい人間だということをよく知っているからでした。わるい人間だけには、妖女のすがたがみたくとも見えないのです。まあ、かわいらしいといって、ほんとうに、指だけのせいもない妖女もいましたが、それぞれながい金いろの髪の毛を、金のくしですいていました。ふたりずつ組になって、木の葉や、たかい草の上にむすんだ大きな露の玉の上でぎったんばったんしていました。ときどきこの露の玉がころがりだすと、のっているふたりもいっしょにころげて、ながい草のじくのあいだでとまります。すると、ほかのちいさいなかまに、わらい声とときの声がおこりました。それはずいぶんおもしろいことでした、そのうち、みんな歌をうたいだしましたが、きいているうち、ヨハンネスは、こどものじぶんおぼえた歌を、はっきりおもいだしました。銀のかんむりをあたまにのせた大きなまだらぐもが、こちらの垣からむこうの垣へ、ながいつり橋や御殿を網で張りわたすことになりました。さて、そのうえにきれいな露がおちると、あかるいお月さまの光のなかでガラスのようにきらきらしました。こんなことがそれからそれとつづいているうち、お日さまがおのぼりになりました。すると、妖女たちは、花のつぼみのなかにはい込みました。朝の風が、つり橋やお城をつかむと、それなり大きなくもの網になって、空の上にとびました。
さて、ヨハンネスがいよいよ森を出ぬけようとしたとき、しっかりした男の声で、うしろからよびとめるものがありました。
「もしもし、ご同行、どこまで旅をしなさる。」
「あてもなくひろい世間へ。」と、ヨハンネスはいいました。「父親もなし、母親もなし、たよりのないわかものです。でも神さまは、きっと守ってくださるでしょう。」
「わたしも、あてもなく世間へでていくところだ。」と、その知らないひとはいいました。「ひとつ、ふたりでなかまになりましょうか。」
「ええ、そうしましょう。」と、ヨハンネスもいいました。そこで、ふたりは、いっしょに出かけました。じき、ふたりは仲よしになりました。なぜといって、ふたりともいい人たちだったからです。ただ、ヨハンネスは、この知らない道づれが、じぶんよりもはるかはるかかしこい人だということに、気がつきました。この人は世界じゅうたいていあるいていて、なんだって話せないことはないくらいでした。
お日さまが、もうすいぶんたかくのぼったので、ふたりは大きな木の下に腰をおろして、朝の食事にかかかりました。そこへ、ひとりのおばあさんがあるいて来ました。いやはや、ずいぶんなおばあさん、まるではうように腰をまげてあるいて、やっとしゅもくづえにすがっていました。それでも、森でひろいあつめたたきぎをひとたば、せなかにのせていました。前掛が胸でからげてあって、ヨハンネスがふとみると*しだの木のじくにやなぎの枝をはめた大きいむちが三本、そこからとびだしていました。で、ふたりのいるまえをよろよろするうち、片足すべらしてころぶとたん、きゃあとたかい声をたてました。きのどくに、このおばあさん、足をくじいたのですね。
*しだの木は魔法の木。しだの木のむちに、やなぎの枝の柄をはめる。