1話 雷(1)

8,590字 約17分 2005年5月31日 公開

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     1

 山岳重畳(さんがくちょうじょう)という文字どおりに、山また山の甲斐(かい)の国を、甲州街道にとって東へ東へと出てゆくと、やがて上野原(うえのはら)与瀬(よせ)あたりから海抜の高度が落ちてきて、遂に東京府に入って浅川あたりで山が切れ、代り合って武蔵野(むさしの)平野が開ける。八王子市は、その平野の入口にある繁華な町である。

 ――待って下さい、その八王子を、まだ少し東京の方へゆくのである。そう、六キロメートルも行けばいいが、それに大して(にぎや)かではないけれど、近頃(とみ)戸口(ここう)が殖えてきた比野町(ひのまち)という土地がある。

 それは梅雨(つゆ)もカラリと上った七月の中旬のこと、日も既に暮れてこの比野の家々には燭力(しょくりょく)の弱い電灯がつき、開かれた戸口からは、昔ながらの蚊遣(かや)りの煙が濛々(もうもう)とふきだしていた。

 丁度その頃、一人の見慣れない紳士が、この町に入ってきた。その風体は、およそこの田舎町に似合わしからぬ立派なもので、パナマ帽を目深に被り、右手には太い(とう)洋杖(ステッキ)をつき、左手には半ば開いた白扇を持ち、その扇面を顔のあたりに(かざ)して歩いていた。彼はなんとなく(かかわ)りのある足どりをして道の両側に立ち並ぶ家々の様子に、深い警戒を怠らないように見えた。

 町は狭かった。だから彼は間もなく町外れに出てしまった。

 闇の中に水田(みずた)は、白く光っていた。そしてそこら中から、仰々しい殿様蛙の鳴き声があがっていた。()の紳士は、ホッと溜息を漏らすと、帽子を脱いだ。稲田の上を渡ってくる涼しい夜風が紳士の熱した額を快く冷した。

「……思ったとおりだ。……今に見て居れ」

 紳士は、町の方をふりかえると、低い声で独り言を云った。

 彼は、恐ろしい殺人計画を、自分だけの胸中に秘めて、この比野の町へ入りこんできたのだった。紳士と殺人計画! 一体彼は何者なのであろうか?

 折から、同じ道を、向うの方からこっちへ近づいてくる人影があった。人数は二人、ピッタリと身体を寄せ合って、やってくる。なにかボソボソと(ささや)きあっているが、話の意味はもちろん分らない。だがたいへん話に熱中していると見え、路傍に紳士が立っているのにも気づかぬらしく、通りすぎようとした。

「……モシ、ちょっと。……」

 と紳士が暗闇から声をかけると、

「うわッ……」

 というなり、二人の男は、その場に立ち(すく)んでしまった。そのときカランカランと音がして、長い竹竿が二人の足許(あしもと)に転がった。

「ちょっとお尋ねするが、この村に、大工さんで松屋松吉(まつやまつきち)という人が住んでいたですが、御存知ありませんかナ」

「えッ……」

 といって二人は顔を見合わせた。

「どうです。御存知ありませんかナ」

 と紳士が重ねて尋ねると、そのうちの一人が、ひどくおんぼろな衣服の(えり)をつくろいながら、オズオズと口を開いた。

「ええ、松吉というのは、(わし)のことですが、そう仰有(おっしゃ)貴方(あなた)は、どなたさんで……」

「ナニ、あんたが松吉さんだったのか。これは(おどろ)いた」と、紳士はギクリと身体を(ふる)わせた。「もう忘れてしまったかネ、こんな顔の男を。……」

 そういいながら、紳士はポケットから紙巻煙草を一本抜きだして口に(くわ)えると、シュッと燐寸(マッチ)を擦って火を点けた。

 赤い燐寸の火に照らしだされた不思議な紳士の顔を穴のあくほど見詰めていた松吉は、やがて大きく眼を見張り、息をグッと()むようにして叫んだ。

「ホウ、立派になってはいるが、お前さんはたしかに北鳴四郎(きたなりしろう)……。もう、七年になるからナ。お前さんがこの町を出てから。……」

 北鳴と呼ばれた紳士は、感激深げに、しきりと(うなず)いた。

「そうだ、七年になる。あのとき僕はちょうど二十歳(はたち)だったからネ」

「……しかし、よくまアそんなに立派に出世をして、帰って来られて、お目出たい。……それに引きかえ、儂のこのひどい恰好を見て下さい。穴に入りたいくらいだ。お前さんをうちの二階に置いてあげてた頃は、自分の貸家も十軒ほどあって……」と、中年をすぎたこのうらぶれた棟梁(とうりょう)は、手の甲で洟水(はなみず)をグッと抑えた。

「もういい、それよりも松さんに、ちと頼みたい事がある。お前さんばかりを頼ってきたのだ」

「おお、そうか。では、ゆっくり話を聞くとしよう」といって、(にわ)かに傍の連れに心づき、その風体のよくない男を脇に呼ぶと、北鳴には(はばか)るような低い声で、なにかボソボソ囁いた。対手(あいて)の男はどうしたわけか不服そうであったが、やがて松吉が、やや声を荒らげ、

「ヤイ化助(ばけすけ)。これだけ云って分らなきゃ、どうなりと手前の勝手にしろ」

 と肩を(そびや)かせた。すると化助といわれた男は、ギロりと白い眼を()いたまま、道の真中に転がっていた竹竿を拾いあげ、それを肩に(かつ)ぐと、もう一度松吉の方をジロリと(にら)んで、それからクルッと廻れ右をして、元来た道へトボトボと帰っていった。

「松さん。お前さんたち、今夜なにか用事があったんだろう」

「イヤなに、大した用事でもないんだ……」

 そういった松吉は、気持が悪いほど、いやに朗かな面持をしていた。

     2

 翌日から、比野町では、大評判が立った。

 一つは、七年前に町を出ていった北鳴少年が、ものすごい出世をして紳士になって帰郷してきたこと。もう一つは、村での物嗤(ものわら)いの道楽者松屋松吉が、北鳴四郎の取巻きとなって、どこから金を手に入れたか、おんぼろの衣裳を何処(どこ)かへやり、法被姿(はっぴすがた)ながら上から下まで垢ぬけのしたサッパリした仕事着に生れ代ったようになったことだった。

 町の人は、寄ると(さわ)ると、二人の噂をしあった。

「おう、あの北鳴四郎は、すごい財産を作ってなア、そしていま博士論文を書いているということだア」

「どうも(えら)いことだのう。あいつは内気だったが、どこか悧巧(りこう)なところがあると思ったよ。それにしても、四郎はあの爪弾(つまはじ)きの松吉を莫迦に信用しているらしいが、今に松吉の悪心に引懸って、財産も何も滅茶滅茶(めっちゃめっちゃ)にされちまうぞ」

瀬下(せした)の嫁ッ子は、どう考えているかなア」

「ああ、お(さと)のことかネ。……お里坊も考えるだろうな。四郎があんなに立身出世をするなら、英三(えいぞう)のところへなんか嫁にゆくのでなかったと……」

「フフン、そんなことはお里の親の方が考えて、今になって失敗(しま)ったと思ってるよ。こうと知ったらお里を四郎から引放さんで置くんじゃったとナ」

「もう後の祭だ。あの慾深親父も、今更(いまさら)どうしようたって仕方がないだろう」

「いや、あの親父も相当なもので、町長の高村さんに頼みこんで、四郎との仲をこの際どうにか取持ってくれと泣きついているそうだ」

「町長は、どういっとる?」

「どういっとるも、こういっとるもない。高村町長はお里と英三の婚礼の媒酌人じゃ。四郎の前に出るには、ひょっとこのお面でも被ってでなければ出られまい」

 そのひょっとこの面が入用だといわれた高村町長が、向うからお面もつけずに畦道をやって来たものだから、水田に草むしりをしていた人たちは吃驚(びっくり)した。しかもその後には、凱旋将軍の北鳴四郎と、松屋松吉とが従っていたから、その驚きは二重三重になった。

 町長は白い麻の(かすり)に、同じく麻の鼠色した袴をはき、ニコニコした笑顔を、うしろにふりむけつつ、

「……この町から博士が出るなんて、考えても見なかった名誉なことじゃ。わしはなんなりと四郎……君のために便宜(べんぎ)を図るを(いと)わぬつもりじゃ。遠慮なく、申出て下され」

「いや私が珍しく帰って来たからといって、そんなに歓待して頂こうとは期待していません。ただ今申したとおり、この夏中数ヶ所に撮影用の(やぐら)を建てて廻る地所を貸して頂くことだけには、特に便宜を与えて下さい」

「それくらいのことは何でもない、もっともっと、用を云いつけて下され。何しろ町の名誉にもなることじゃから……」

 と、町長は手を取らんばかりに、北鳴四郎に厚意を寄せるのだった。すべては昨夜、町長のところに贈った思いがけなく莫大な土産品(みやげひん)のなせる(わざ)だった。

 北鳴は、町長の言葉が信じられないという風に、わざと黙っていた。

 そのとき松吉は、傍にある真新しい半鐘梯子(はしご)を指して、北鳴に云った。

「これを御覧なすって。これがこの一年間、儂にさせて貰った只一つの仕事なんで……。こういう具合に、町の奴等は、儂に仕事を呉れねえで、虐待しやすで……」

 と、町長の方をグッと睨んだ。すると町長は、俄かに笑顔を引込め、松吉のいったことが聞えぬげに空嘯(うそぶ)いた。

「おお、これが松さんの仕事かネ」と北鳴は、梯子を下の方から上の方へ、ずっと眼を移していったが、そのとき()う思ったものか、カラカラと笑いだした。

「……何を笑うんで……」

「何をって、君……」と、北鳴はまたひとしきり笑い続けたのち、「……梯子の上にある避雷針みたいなものも、松さんの仕事かネ」

「もちろん、儂がつけたんだが……あの雷避(かみなりよ)けの恰好が可笑(おか)しいかネ」

 それは背の高い杉の二本柱の天頂(てっぺん)に、まるで水牛の角を真直(まっすぐ)にのばしたような、ひどく長くて不恰好な銅の針がニューッと天に向って伸びているのだった。その銅針の下には、お銚子(ちょうし)の袴のような銅製の円筒がついていて、これが杉の丸太の上に、帽子のように(はま)っていた。

「これは避雷針かい、それとも雷避けのお(まじな)いかい」

「もちろん、避雷針だよ。(あか)だって、一分もある厚いやつを使ってあるんで……。それにあの針と来たら、少し曲ってはいるが、ああいう風にだんだんと尖端(さき)の方にゆくにつれて細くするには、とても骨を折った。……それを(わら)うというのは、可笑しい」

「うん、見懸けだけは、松さんが云ったとおり立派さ。だがこれでは近いうちに、この梯子の上に、きっと落雷するよ」

「冗談云っちゃいけない。四郎……さんは、そりゃ豪くなったことは豪くなったろうが、この建築にかけては、儂の方が豪いよ」

「梯子は建築だろうが、避雷針は電気の学問だ。それについては、私の方がずっと知っているよ。落雷するといったら、落雷することに間違いはない。夕立がやってきたとき、この梯子に登っている者を見たときは、すぐに降りるように云ってやらにゃいけない」

 二人の争論を聞いていた高村町長は、横から口を出して、

「オイ松吉。北鳴さんは、博士にもなろうという方じゃないか。ちと口を(つつし)むがいい。それに、お前の仕事のなっとらんことは、この町で知らぬ者はないぞ。わしはこの火の見梯子をお前に請負わせるようになったと聞いて強く反対したのじゃが……」

 松吉は、()がりきって、ひとりでスタスタと歩きだした。

     3

 翌朝から、北鳴の依頼によって、松吉の請負い仕事が始った。それは比野町の勢町(いきおいまち)というところに、高さ百尺の大櫓を二ヶ所に建てるという大仕事だった。

その工費は全部で六百円。この仕事が済めば松吉の懐中には、少なくも三百円の現金が残るはずだった。その上、北鳴の実験が済んでしまえば、この櫓に使った杉の丸太は、すべて松吉の所有になる約束だったから、なんのことはない、人夫の手間以外は、まる丸儲けの形だった。

「やあ、北鳴の四郎さんじゃありませんか。これはお久しゅう」

 といって、工事を指図している北鳴のところへ近づいてきた商人体の老人があった。

「ああ、私は北鳴ですが貴方は誰方(どなた)でしたかナ」

 といって、北鳴は藤の洋杖(ステッキ)の頭についたピカピカする黄金の金具を撫でながら、(いぶか)しそうに応えた。だがその言葉の語尾は、なんとなく怪しく(ふる)えを帯びていた。

「……ああ、お忘れになったも無理はない。私は五年前からひどい腎臓を患うたもので、酒と煙草とを断ち、身体は痩せるし顔色は青黒くなるし、おまけに白髪(しらが)が急に殖えてきて……とにかく姿は変りましたが、稲田仙太郎(いなだせんたろう)ですわい」

「稲田仙太郎?……ああ稲田のお()っさんでしたか」

「稲田のお父っさん?……おお、よく云って下すった。お父さんと今でも呼んで呉れますかい。それでは貴方はこの私を憎んではいなさらぬのだナ。ああ私はどんなにか安心をしましたわい。……北鳴さん、立派になられたなア。こんなに立派になられようとは、(さすが)の私も全く思いがけなかった」

「はッはッはッ。なにを仰有(おっしゃ)います。……」

 北鳴は身を後へ反らせながら、晴れやかに笑った――つもりだったが、その高らかな声の中に依然たる空虚な響の籠っているのが隠せなかった。

「……聞けば、博士論文を書くため、この町へ帰って来られたそうだが、この高い櫓も、その博士論文の実験に使うとかいう話を聞きました。私の家の二階からは、丁度この二つの櫓が、よく見えるので……どっちも私の家から丁度同じ位の距離ですナ……それで御機嫌伺いかたがたやって来ましたが、仕事のお(ひま)には、ぜひ家へ寄って下さい。婆も、貴方に一度お目に懸って、是非(ぜひ)一言お詫びがしたいといっていますわい」

「お詫びなどと、そんな話はよしましょう。……しかしお薦めに従い、近いうちにお邪魔に上りますよ」

 そういう話のうちに、さっき西空に投げだしたような黒雲があったと思ったが、それがいつの間にやらグングンと黒い翼を拡げてしまって、誰が見ても相当物凄い夕立の景色になってきた。サッと一陣の涼風が襟首のあたりを撫でてゆくかと思うと、ポツリポツリと大粒の雨が降って来た。

 櫓を組みかけた工事場では、縄を腰簑(こしみの)のように垂らした人夫が丸太棒の上からゾロリゾロリと下りてくるのが見られた。(かたわら)(つな)がれた馬は(ながえ)を外されて、人家の軒の方に連れてゆかれようとしている。そこへ工事監督の松吉がバラバラと駈けてきた。

「ねエ、北鳴の旦那。……これはちょうど夕立が来ますから、皆を休ませますよ」

「休ませちゃ困るな。まだ三十尺も出来てないじゃないか」と北鳴は苦がい顔をした。「よしッ、今日一杯に百尺の櫓が出来れば、百両の懸賞を出す」

「えッ、百両」と松吉が驚く。

「ほう、百両の懸賞!」と稲田仙太郎も共に驚いた。なんという思い切ったことをする北鳴だろう。ワンワン金が唸っている彼の懐中が覗いてみたいくらいだった。

「じゃ、やりましょう。……オイ皆、休んじゃいけないぞ。後で一杯飲ませるから、なんでも()でも、今日中に組みあげてしまうんだ」

 しかし人夫はなかなか動こうとしなかった。この土地は、甲州地方に発生した雷の通り路になっていた。折柄(おりから)の雷のシーズンを迎えて、高い櫓にのぼるには、相当の覚悟が必要だった。

 人夫の逡巡(しゅんじゅん)のうちに、いよいよ疾風がドッと吹きつけてきた。黒雲は、手の届きそうな近くに、怒濤のように渦を巻きつつ、東へ東へと走ってくる。

 ピカリッ!

 一閃すると見る間に、向うの野末に、太い火柱が立った。落雷だ。

「……どうです、北鳴さん。私の家はすぐそこですから、夕立の晴れるまで、ちょっとお寄りなすって雨宿りをせられてはどうです」

 稲田老人は、北鳴四郎の洋服を引張らんばかりにして云った。

「ええ、ではちょっと御厄介になりますかな」

「ああ、それは有難い。……ささ、そうなされ」

 北鳴は、松吉を激励して、工事場を出ようとした。そのとき外からアタフタと駈けこんで来た男があった。

「オイ松さん。松さんは居ないか」

「おお化の字。儂はここに居るが……何か用か」

「やあ松さん、たいへんだ。お前の建てた半鐘梯子に雷が落ちたぞ。バラバラに壊れて、燃えちまった。下に繋いであった牛が一匹、真黒焦(まっくろこげ)になって死んでしまったア」

「ええッ。……」

 呆然たる松吉の方を、それ見たかといわん(ばか)りの眼つきで睨んで、北鳴四郎は沛然(はいぜん)たる雨の中を、稲田老人と共に駈けだしていった。

     4

 いまは瀬下英三に嫁入った娘お里の、(かつ)ての情人北鳴四郎を、稲田老人夫妻は二階へ招じあげて、露骨ながらも、最大級の歓待を始めたのだった。

 そこには、酒の膳が出た。近所で獲れる川魚が、手早く、洗いや塩焼になって、膳の上を賑わしていた。

「折角ですが、酒はいただきませぬ」

「まあ、そう仰有(おっしゃ)らずに、昔の四郎さんになってお一つ如何(いかが)

 と老婆は執拗にすすめる。

「いや、博士論文が通るまでは、酒盃を手にしないと誓ったので、まあ遠慮しますよ」

「へえ、四郎さんが、博士になりなさるか。……」

 と、老婆は稲田老人と目を見合わせて、深い悔恨の心もちだった。お里の今の婿の英三は、一向に()えない田舎医者。老人の腎臓を直したのが、関の山、毎日自転車で真黒になって往診に走りあるいているが、宝の山を掘りあてたという話も聞かなければ、博士はおろか、学士さまになることも出来ないらしい。いずれ親譲りがある筈だった財産というのも、近頃親の年齢甲斐(としがい)もない道楽で、陽向(ひなた)に出した氷のようにズンズン融けてゆくという話である。その当て外れした心細さに引きかえ、曾ては仲を裂きまでした北鳴が、こうして全身から後光の出るような出世をして、二千円や三千円の金は袖に入れているという風な豪華さで、さらに博士まで取ろうとしている。老人たちにとって、それは痛くもあり、()つは(うらやま)しいことであった。なんとかして機嫌をとって置いて、何とかして貰いたいものをと、彼等の慾心は勘定高いというにはあまりにも無邪気だった。

「……そこで四郎さん。あの高い櫓を(こしら)えてどんなことにお使いなさるですか」

 と、老夫人は団扇(うちわ)の風を送りながら訊いた。

「ホウ、それそれ。わしもそれを伺おうと思っていたところだ。……」

 と稲田老人も膝をすすめる。

「……あの櫓のことですか」と、二人の顔を見て北鳴はニヤリと笑った。二階の欄干をとおして、雨中に櫓を組む人夫の姿が、彼の眼底に()きつくように映った。

「はッはッはッ。あれを見て、貴方がたはどんな風にお考えですか。いやさ、どんな感じがしますかネ」

「どんな感じといって、……別に……」

 と、老人夫妻はその答に窮したが、そのときの気持を()いて突き留めてみれば、この二階家から同じ距離を置いて左右に二個所、目障りな櫓を建てられ、なんとなく眩暈(めまい)のするような(いや)な気分が湧くという(ほか)になかった。しかしそんな非礼な言葉を、この福の神に告白して、その御機嫌を損ずる気は毛頭(もうとう)なかったのである。

「あれは、赤外線写真でもって、活動写真を撮るためなんですよ」

「へえ活動ですか。……何の活動を……」

「それはつまり甲州山岳地方に雷が発生して近づいてくる様子を撮るのです。この写真機というのが私の発明でしてネ。従来の赤外線写真では出来ない活動を撮ります」

「ははア、雷さまのことだから、高い櫓が要るのですナ。しかし二本も櫓を建てたのはどういう訳ですか」

「櫓が二つあるというわけは……」と、北鳴四郎はちょっとドギマギした風に見えた。「それはつまり、相手が雷のことですから、櫓には避雷針を建てますが、いつ雷にやられるとも限らない。それで一方が壊されても、他の方が助かって、目的の活動が撮れるようにというわけです」

「なるほど。……して、その活動は誰が撮るのですか」

「それは私です。私只一人が、あの櫓にのぼって撮ります」

「ほほう、それは危い」

「ナニ大丈夫です。……私はネ」

 そんな話の間に、雨は急に小やみになってきた。雲間がすこし明るく透いてきた。雲足は相変らず早く、閃光もときどきチカチカするが、雷鳴はだいぶん遠のいていった。どうやら今日の夕立は、比野の町をドンドン()れていったらしい。

 そこへお手伝いが上って来て、下へ松吉が訪ねて来たという知らせだ。幸い雨は上ったことだし、北鳴四郎は辞去(じきょ)を決して、二階を下りていった。老人夫婦は残念そうに、その後について、送ってきた。

 松吉は土間に突立っていた。

「北鳴の旦那。避雷針の荷が今つきました。ちょっと見て頂きとうござんす」

「そうか。荷は皆下ろしたかネ」

 松吉は大きく肯いた。

 北鳴は、土間に下りながら、そこに積まれた(おびただ)しい油の缶に目をつけた。

「ああ、これは危険だねエ。稲田さん、いつこんな油の商売を始めたんです」

「へへへへ。――これはもう二年になりますネ。東京から商人が来ましてネ。しきりにこの商売を薦めていったもんです。資本(もとで)はいらないから始めてみろ、商売がうまく行けば、信用だけでドンドン荷を送るというので、つい始めてみましたが、……たいへんよく気をつけてくれるので、まあそう儲りもしないが、損もしないという状態で……」

「これはサンエスの油ですネ。そして笹川扱いだ」

「ほう、よく御存知ですナ。……博士になる人は豪いものだ、何でも知ってなさる」

 北鳴は、また気味のわるい笑みをニッと浮べて、稲田夫婦をふりかえった。

「こういう油類を扱っているのなら、屋根に避雷針をつけないじゃ危険ですよ。もし落雷すれば階下から猛烈な火事が起って、貴女がたは焼死しますぞ」

「ええ、そうだと申しますネ。娘夫婦も前からそれを云うのですが、そのうちに避雷針を建てることにしましょう」

「それがいいですよ。しかしこの松さんには頼まぬがいい。この人の避雷針は、肝心な避雷針と大地とを(つな)ぐ地線を忘れているから、さっきの火の見梯子の落雷事件のように、避雷針があっても落雷して、何にもならぬのです。私は、こんど建てたあの櫓の上に、理想的に立派な避雷針をたてるつもりですから、是非見にいらっしゃい」

 稲田夫婦は、それをしきりに感謝していた。

「いいですネ。早く避雷針をお建てなさい」

 と、北鳴は重ねて云った。

「北鳴の旦那の櫓の上に避雷針が建てば、この近所の家は、一緒に雷除けの恩を(こうむ)るわけでしょうかネ」

 北鳴には、松吉の質問が聞えたのか聞えなかったのか分らないがそれに応えないで、すっかり雨のあがった往来に出ていった。

     5

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