5話 乱世でなくとも大なる人物にはなれる
読み方を変える
そうして明治維新になった。明治新政府の外交官として伊藤〔博文〕、井上〔馨〕、後藤(象二郎)、寺島〔宗則〕、小松(帯刀)や我輩が任命せられた。
政府の当面に立ちかけてからの進退は、即ち国家とその運命を共にする。国家が発達すれば我輩も偉くなる。明治四年の鉄道敷設問題に際して我輩は刺されようとしたことが、なにしろ維新前後には殺伐の気が漲っていて、刺客縦横の有様であったから、白刃の閃くくらいは覚悟の前で平気であった。自己の主張であって、そして国家のため国民のために幸福なことである限り、脅かされたって中途でやめるような意気地ないことが出来るものか。時々あわて者が現われて、一時の昂奮から要路の大官を狙ったりなどするのは、畢竟大鵬の志を知らざる燕雀の行いである。
木の芽はいくら摘んでも摘んでも生える。正義はどんなことがあってもやり通す。爆弾事件なぞが幾度あったって志士の決心は挫かれない。真の憂国者は国に殉ずるのは覚悟の前であるから、忠君愛国のためならば、火の中へでも水の中へでも這入る。進歩の途上にある国家の政治を行うものは、並み大抵の苦労ではない。何かに会って直ぐまいってしまうような薄弱な覚悟では、とても国士にはなれない。
なにも乱世でなければ大人物になれぬということはない。人間の真の価値は社会的の地位や名声よりは、その人個々の実力の問題である。人間の実力さえ偉大であったら、即ちそれが大人物である。いかなる茅屋に住んでいても、いかなる身装をしていても、偉人は必ず偉人である。いかなる地位にあろうとも、父祖の地位財宝を擁しているだけでは、凡人以下の凡人である。で、乱世でなくとも大人物になれるのは同じいことである。
世の中には戦争があり、平和がある。何人も爛漫たる平和を望まぬものはないが、その平和を維持せんとしては、時に戦争をしなければならない。大戦争さえすればその後に大平和が来る。世の中はこういうものである。実力のない国は戦争には負けるし、平和もいつ破壊せられるか知れない。一個人にしてもそうである。大いに奮闘した人でなければ大きな安楽は得られない、少ししか働かないものは、いつ一日休息ということなしに、こせこせ働きつづけている。青年の血気盛んな時代にやれるだけやって、いかなる圧迫にも苦痛にも堪えて行くだけの反撥的勇気を養うに限る。
今日の世界は立身の道も、昔とは違って自由公平である。昔は大名でなければ執れなかった国家の政権をも、その人の実力次第で諸君の手に委ねられるのである。国家の富力も昔とは比較にならないほど進んでいるのだから、今日の貧書生が他日王侯の富を擁することもわけはないのである。
国は日の出の勢いに乗じつつある日本である。諸君はこれからという青年である。実に愉快な世の中ではないか。これほど働き甲斐のあることはあるまい。こんな時代に際して少しのことに悲観して、直ぐにも目的を捨てようとするのは太平の逸民たる所為である。死んだ伊藤博文なぞは我輩と一緒に初めて明治政府の外交官になったころ、今の築地のある小さい汚ない家に独りで住んでいたものである。少しの地位を得るともうすっかりその光栄に酔うてしまって贅沢をしようとするような亡国的人士は、諸君の力で鞭韃して行くべきであるのに、却ってそういう者の境遇を羨んで泣き言を述べるなぞは、心なきことではないか。