青年の天下

5話 乱世でなくとも大なる人物にはなれる

1,390字 約3分 2018年7月14日 公開

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 そうして明治維新になった。明治新政府の外交官として伊藤〔博文(ひろぶみ)〕、井上〔(かおる)〕、後藤(象二郎(しょうじろう))、寺島〔宗則(むねのり)〕、小松(帯刀(たてわき))や我輩が任命せられた。

 政府の当面に立ちかけてからの進退は、即ち国家とその運命を共にする。国家が発達すれば我輩も偉くなる。明治四年の鉄道敷設問題に際して我輩は刺されようとしたことが、なにしろ維新前後には殺伐(さつばつ)の気が(みなぎ)っていて、刺客縦横(しかくじゅうおう)の有様であったから、白刃(はくじん)(ひらめ)くくらいは覚悟の前で平気であった。自己の主張であって、そして国家のため国民のために幸福なことである限り、(おど)かされたって中途でやめるような意気地ないことが出来るものか。時々あわて者が現われて、一()昂奮(こうふん)から要路の大官を狙ったりなどするのは、畢竟(ひっきょう)大鵬(たいほう)(こころざし)を知らざる燕雀(えんじゃく)の行いである。

 木の芽はいくら()んでも摘んでも生える。正義はどんなことがあってもやり通す。爆弾事件なぞが幾度(いくたび)あったって志士の決心は(くじ)かれない。真の憂国者は国に(じゅん)ずるのは覚悟の前であるから、忠君愛国のためならば、火の中へでも水の中へでも這入(はい)る。進歩の途上にある国家の政治を行うものは、並み大抵の苦労ではない。何かに会って()ぐまいってしまうような薄弱な覚悟では、とても国士にはなれない。

 なにも乱世でなければ大人物になれぬということはない。人間の真の価値は社会的の地位や名声よりは、その人個々の実力の問題である。人間の実力さえ偉大であったら、即ちそれが大人物である。いかなる茅屋(あばらや)に住んでいても、いかなる身装(みなり)をしていても、偉人は必ず偉人である。いかなる地位にあろうとも、父祖の地位財宝を擁しているだけでは、凡人以下の凡人である。で、乱世でなくとも大人物になれるのは同じいことである。

 世の中には戦争があり、平和がある。何人(なんぴと)爛漫(らんまん)たる平和を望まぬものはないが、その平和を維持せんとしては、時に戦争をしなければならない。大戦争さえすればその後に大平和が来る。世の中はこういうものである。実力のない国は戦争には負けるし、平和もいつ破壊せられるか知れない。一個人にしてもそうである。大いに奮闘した人でなければ大きな安楽は得られない、少ししか働かないものは、いつ一日休息ということなしに、こせこせ働きつづけている。青年の血気盛んな時代にやれるだけやって、いかなる圧迫にも苦痛にも()えて行くだけの反撥的(はんぱつてき)勇気を養うに限る。

 今日の世界は立身の道も、昔とは違って自由公平である。昔は大名でなければ()れなかった国家の政権をも、その人の実力次第で諸君の手に委ねられるのである。国家の富力も昔とは比較にならないほど進んでいるのだから、今日の貧書生が他日王侯の富を擁することもわけはないのである。

 国は日の出の勢いに乗じつつある日本である。諸君はこれからという青年である。実に愉快な世の中ではないか。これほど働き甲斐(がい)のあることはあるまい。こんな時代に際して少しのことに悲観して、直ぐにも目的を捨てようとするのは太平の逸民たる所為(しょい)である。死んだ伊藤博文(いとうひろぶみ)なぞは我輩と一緒に初めて明治政府の外交官になったころ、今の築地のある小さい汚ない家に独りで住んでいたものである。少しの地位を得るともうすっかりその光栄に酔うてしまって贅沢(ぜいたく)をしようとするような亡国的人士は、諸君の力で鞭韃(べんたつ)して行くべきであるのに、(かえ)ってそういう者の境遇を(うらや)んで泣き言を述べるなぞは、心なきことではないか。

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