活人形

5話 五 妖怪沙汰

2,118字 約4分 2014年2月23日 公開

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 泰助は旅店に帰りて、晩餐(ばんさん)の前に湯に()きつ。湯殿に懸けたる姿見に、ふと我顔の映るを見れば、頬の三日月(あらわ)れいたるにぞ、心潜かに驚かれぬ。ざっと流して座敷に帰り、手早く旅行鞄を開きて、小瓶の中より絵具を取出し、()く顔に彩りて、懐中鏡に映し見れば、我ながらその巧妙(たくみ)なるに感ずるばかり旨々(まんま)と一皮(かぶ)りたり。

 今夜を過さず赤城家に入込みて、大秘密を(あば)きくれん。まずその様子を聞置かんと、手を叩きて亭主を呼べば、気軽そうな天保(てんぽう)男、とつかわ前に出来りぬ。「御主人外でも無いが、あの雪の下の赤城という家。と皆まで言わぬに早合点(はやのみこみ)、「へい、なるほど妖物邸(ばけものやしき)。「その妖物屋敷というのはどういう理窟だい。「さればお聞きなさいまし。まず御免被って、と座を進み、「種々(いろいろ)不思議がありますので、第一ああいう(おおき)な家に、()んでいる者がございません。「空屋かね、「いえ、そこんところが不思議でごすて。ちゃんと門札も出ておりますが何者が住んでいるのか、それが解りません。「ふふむ、余り人が出入(ではいり)をしないのか。「時々、あの辺で今まで見た事の無い婆様(ばあさん)に逢うものがございますが、何でも安達(あだち)が原の一ツ()婆々(ばば)という、それはそれは凄い人体(にんてい)だそうで、これは多分山猫の妖精(ばけもの)だろうという風説(うわさ)でな。「それじゃあ風の吹く晩には、糸を繰る音が聞えるだろうか。「そこまでは存じませんが、折節女の、ひい、ひい、と悲鳴を上げる声が聞えたり、男がげらげらと笑う声がしたり、や、も、散々な妖原(ばけはら)だといいますで。とこれを聞きて泰助は乗出して、「ほんとなら奇怪な話だ。まずお茶でも一ツ……という一眼小僧は出ないかね。とさも聞惚(ききと)れたる風を装おい、愉快(おもしろ)げに問いかくれば、こは怪談の御意に叶いしことと亭主は(しきり)乗地(のりじ)となり、「いえ世がこの通り開けましたで、そういう甘口な妖方(ばけかた)はいたしません。東京の何とやら館の壮士が、大勢でこの(さき)の寺へ避暑に来てでございますが、その風説(うわさ)を聞いて、一番妖物退治をしてやろうというので、小雨の降る夜二人連で出掛けました。草ぼうぼうと茂った庭へ入り込んで、がさがさ騒いだと思し召せ。ずどんずどんとどこかで短銃(ピストル)の音がしたので、真蒼(まっさお)になって()げて帰ると、朋輩のお方が。そりゃ大方天狗(てんぐ)(くさみ)をしたのか、そうでなければ三ツ目入道が屍を()った音だろう。誰某(だれそれ)屁玉(へだま)(くら)って凹んだと大きに笑われたそうで、もう懲々(こりこり)して、誰も手出しは致しません、何と、短銃では、岩見重太郎宮本の武蔵でも叶いますまい。と渋茶を一杯。舌を濡して(ことば)を継ぎ、「串戯(じょうだん)はさて置き、まだまだ気味の悪いのは。と声を低くし、「幽霊(れこ)が出ますので。こは聞処(ききどころ)と泰助は、「人、まさか幽霊が。とわざといえば亭主は至極真面目になり、「いいえ、人から聞いたのではございません。(わたくし)がたしかに見ました。「はてな。「思い出すと戦慄(ぞっ)といたします。と薄気味悪げに(うしろ)を見返り、「部室(へや)の外が直ぐ森なので、風通しは()うございますが、こんな時には、ちとどうも、と座敷の四隅に目を配りぬ。

 泰助は思い当る事あれば、なおも聞かんと亭主に向い、「(はな)してお聞かせなさい、実に怪談が好物だ。「余り陰気な談をしますと是非魔が()すといいますから。と逡巡(しりごみ)すれば、「馬鹿なことを、と笑われて、「それでは()(とも)して(かか)りましょう。暗くなりました。「怪談は暗がりに限るよ。「ええ! 仕方がありません。先月の半ば頃一日(あるひ)晩方の事……」

 この時座敷(しん)として由井が浜風陰々たり。障子の桟も見えずなり、天井は墨のごとく四隅は暗く物凄(ものすご)く、人の顔のみようよう(ほの)めき、逢魔(あうま)が時とぞなりにける。亭主はいよいよ心(おく)し、団扇(うちわ)にてはたはたと、腰の(あたり)(あお)ぎ立て、景気を附けて語りけるは、「ちょうどこの時分用事あって、雪の下を通りかかり、かねて評判が高いので、怯気々々(びくびく)もので歩いて行くと、甲走(かんばし)った婦人(おんな)の悲鳴が、青照山の(こだま)に響いて……きい――きいっ。「ああ、嫌否(いや)な声だ。「は――我ながら何ともいえぬ異変な声でございます。と泰助と顔を見合せ、亭主は膝下(ひざもと)までひたと摺寄(すりよ)り、「ええそれが(わたくし)は襟許から、氷を浴びたような気が致して、釘附にされたように立止って見ました。有様(ありよう)は腰ががくついて歩行(ある)けませなんだので。すると貴客(あなた)、赤城の高楼(たかどの)の北の方の小さな窓から、ぬうと出たのは婦人(おんな)の顔、色真蒼(まっさお)頬面(ほうッぺた)は消えて無いというほど(やせ)っこけて、髪の毛がこれからこれへ(ト仕方をして)こういう風、ぱっちり()いた眼が、ぴかりしたかと思うと、魂消(たまぎ)った声で、助けて――助けて――と叫びました。」

 語るを聞いて泰助は心の(うち)に思うよう、いかさま得三に苛責(かしゃく)されて、下枝かあるいは妹か、さることもあらむかし。活命(ながらえ)てだにあるならば、おッつけ救い得させむずと、(そぞろ)(あわれ)を催しぬ。談話(はなし)途切れて宿の亭主は、一服吸わんと暗中(くらがり)を、手探りに、煙管(きせる)を捜して、「おや、変だ。ここに置いた煙管が見えぬ。あれ、魔隠、気味の悪い。となおそこここを見廻せしが、何者をか見たりけむ。わっと叫ぶに泰助も驚きて、見遣る座敷の入口に、(けぶり)のごとき物体(もの)あって、朦朧(もうろう)として漂えり。あれはと認むる(ひま)も無く、(いなずま)? ふっと暗中(やみ)に消え、やがて泰助の面前に白き女の顔(あらわ)れ、(ぬぐ)いたらむ様にまた消えて、障子にさばく乱髪のさらさらという音あり。

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