活人形

8話 八 幻影

2,342字 約5分 2014年2月23日 公開

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 先刻(さき)に赤城得三が、人形室を出行(いでゆ)きたる少時(しばらく)後に、不思議なることこそ起りたれ。風も無きに人形の(かずき)揺めき落ちて、妖麗(あでやか)なる顔の()れ出でぬ。瑠璃(るり)のごとき眼も動くようなりしが、怪しいかな影法師のごとき美人静々と()(うち)に歩み出でたり。この幻影(まぼろし)(たと)えば月夜に水を()(けぶり)に似て、手にも取られぬ風情なりき。

 折から畳障りの荒らかなる、跫音(あしおと)彼方(かなた)に起りぬれば、黒き髪と白き顔はふっと消え()せ、人形はまた(もと)の通り被を(かぶ)りぬ。

 途端にがたひしと戸を開けて、得三は血眼に、この室に()け込み、「この方はどうだろう。あの様子では同じく(はね)が生えて飛出したかも知れぬ。さあ事だ、事だ、飛んだ事だ。もう一度見ねばならない。と小洋燈(こともし)の心を繰上げて、荒々しく人形の被をめくり、とくと覗きて旧のように被を下ろし、「うむ、この方は何も別条は無い。やれこれで少しは安堵(おちつい)た。それにしても下枝めはどうして()せた知らん。婆々が裏切をしたのではあるまいか。むむ、(なん)しろ一番糺明(ただし)て見ようと、(たなそこ)を高く打鳴らせば、ややありて得三の面前に平伏したるは、当家に飼殺しの飯炊にて、お録といえる老婆なり。

 得三は声鋭く、「お録、下枝をどこへ(にが)した。と睨附(ねめつ)くれば、老婆は驚きたる顔を上げ、「へい、下枝(さん)がどうかなさいましたか、「しらばくれるない。きっと(きさま)(にが)したんだ。「いいえ、一向に存じません。「(うぬ)、言ッちまえ。「ちっとも存じません。「ようし、白状しなけりゃこうするぞ。と懐中より装弾(たまごめ)したる短銃(ピストル)を取(いだ)し、「打殺(ぶちころ)すが可いか。とお録の心前(むなさき)に突附くれば、足下に(うずくま)りて、「何でそんな事をいたしましょう。旦那様が東京へいらっしゃってお留守の間も(わたくし)はちゃんと下枝様の番をしておりました。縄は解いてやりましたけれども。「それ見ろ。そういう糞慈悲を垂れやあがる。(おれ)が帰るまで(うむ)といわなけりゃ、()して下してやることはならないと、あれほど言置いて行ったじゃないか。「でもひいひい泣きまして耳の遠い私でも寝られませんし、それに主公(あなた)、二日もああして(うつばり)に釣上げて置いちゃあ死んでしまうじゃございませんか。「ええ! そんなことはどうでも可い。どこへ遁したか、それを言えッてんだ。「つい今の(さき)も北の台へ見廻りに参りましたら、下枝様は平常(いつも)の通り、牢の内に(たお)れていましたのに、にわかに居なくなったとおっしゃるが、(まこと)とは思われません。と言解(いいとく)様の我を(あざむ)くとも思われねば、得三は疑い惑い、さあらんには今しがた畦道(あぜみち)を走りし婦人(おんな)こそ、籠を脱けたる小鳥ならめ、下枝一たび世に(いで)なば悪事の露顕は瞬く間と、おのが罪に責められて、得三の気味の悪さ。(むご)たらしゅう殺したる、(くちなわ)の鎌首ばかり、飛失せたらむ心地しつ立っても居ても落着かねば、いざうれ後を追懸けて、草を分けて探し出し、引摺(ひきず)って帰らんとお録に後を頼み置き、勝手口より出でんとして、押せども、引けども戸は開かず。「八蔵の馬鹿! 外から(じょう)を下して()く奴があるもんか。とむかばらたちの八ツ当り。

 折から玄関の戸を叩きて、「頼む、頼む。と音訪(おとな)う者あり。聞覚えのある声はそれ、とお録内より戸を開けば、(おもて)よりずっと入るは下男を連れたる紳士なりけり。こは高田駄平(たかただへい)とて、横浜に住める高利貸にて、得三とは同気相集る別懇の間柄なれば、非義非道をもって有名(なだか)く、人の活血(いきち)火吸器(すいふくべ)渾名(あだな)のある男なり。召連れたる下男は銀平という、高田が気に入りの人非人。いずれも法衣(ころも)(まと)いたる狼ぞかし。

 高田は得三を見て声をかけ、「赤城(さん)、今晩は。得三は出迎(いでむか)えて、「これは高田(さん)でございますか。まあ、こちらへ。と二階なる密室に導きて主客三人(みたり)の座は定まりぬ。高田は笑ましげに巻莨(まきたばこ)(ふか)して、「早速ながら、何は、令嬢は息災かね。「ええ、お藤の事でございますか、「左様さ、私の情婦(いいひと)、はははははは。と溶解(とろ)けんばかりの顔色(かおつき)を、銀平は(のぞ)きて追従(ついしょう)笑い、「ひひひひ。得三は苦笑いして、「藤は変った事はございません。御約束通り、今夜貴下に差進(さしあ)げるが。……実は下枝ね。「ははあ。「あれが飛んだことになりました。「ふむ、死にましたろう。だから言わないことか、あんなに(むご)いことをなさるなと。とうとう責殺したね。非道(ひどい)ことをしなすった。「いえ、死んだのならまだしも可いが、どうしてか逃げました。「なに! ()げたえ?「それで今捜しに出ようというところですて。「むむ、それはとんだ事だ。猶予をしちゃ不可(いけ)ません。あの()饒舌(しゃべる)と一切の事が発覚(ばれ)っちまう。宜しい銀平にお任せなさい。のう、銀平や、お前はそういうことには()れているから、取急いで探しておあげ申しな。と(いいつ)くれば得三も、探偵に(うかが)わるることを知りたれば、家を出でむは気懸りなりしに、これ(さいわい)と銀平に、「じゃ御苦労だが、願います。私どもは後にちっと用事があるから。といえば、もとより同穴(ひとつあな)(むじな)にて、すべてのことを知るものなれば、銀平は(うなず)きて、「へい宜しゅうございます。下枝様がああいう扮装(みなり)のまま飛出したのなら、今頃は鎌倉中の評判になってるに違いありません。何をいおうと狂気(きちがい)にして引張(ひっぱ)って参ります。血だらけのあの姿じゃ誰だって狂気ということを疑いません。旦那、左様なら、これから直ぐに。と立上るを得三は少時(しばし)と押止め、「例のな、承知でもあろうが、三日月探偵がこっちへ来ているから、油断のないように。と念を入るれば、「それは重々容易ならぬことだ。銀平しっかりやってくんな。と高田も(ことば)を添えにける。銀平とんと胸を叩きて、「御配慮(おきづかい)なされますな。と気軽に飛出し、表門の前を足早に行懸(ゆきかか)れば、前途(むこう)より年(わか)き好男子の此方(こなた)に来懸るにはたと行逢いけり。擦違うて両人(ひと)しく振返り、月明(つきあかり)に顔を見合いしが、見も知らぬ男なれば、銀平はそのまま歩を移しぬ。これぞ倉瀬泰助が、悪僕八蔵を打倒して、今しもここに来れるなりき。

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