河童

16話 一五

2,699字 約5分 1999年1月24日 公開

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 それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。というのはあのトックの家(うち)に幽霊の出るという話なのです。そのころにはもう雌(めす)の河童(かっぱ)はどこかほかへ行ってしまい、僕らの友だちの詩人の家も写真師のステュディオに変わっていました。なんでもチャックの話によれば、このステュディオでは写真をとると、トックの姿もいつの間(ま)にか必ず朦朧(もうろう)と客の後ろに映っているとかいうことです。もっともチャックは物質主義者ですから、死後の生命などを信じていません。現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、「やはり霊魂というものも物質的存在とみえますね」などと註釈めいたことをつけ加えていました。僕も幽霊を信じないことはチャックとあまり変わりません。けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから、さっそく本屋の店へ駆けつけ、トックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしい河童が一匹、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の河童の後ろにぼんやりと姿を現わしていました。しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、――ことにトックの幽霊に関する心霊学協会の報告です。僕はかなり逐語的にその報告を訳しておきましたから、下(しも)に大略を掲げることにしましょう。ただし括弧(かっこ)の中にあるのは僕自身の加えた註釈なのです。――

 詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号所載)

 わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師のステュディオなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を開催せり。列席せる会員は下(しも)のごとし。(氏名を略す。)

 我ら十七名の会員は心霊協会会長ペック氏とともに九月十七日午前十時三十分、我らのもっとも信頼するメディアム、ホップ夫人を同伴し、該(がい)ステュディオの一室に参集せり。ホップ夫人は該ステュディオにはいるや、すでに心霊的空気を感じ、全身に痙攣(けいれん)を催しつつ、嘔吐(おうと)すること数回に及べり。夫人の語るところによれば、こは詩人トック君の強烈なる煙草(たばこ)を愛したる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。

 我ら会員はホップ夫人とともに円卓をめぐりて黙坐(もくざ)したり。夫人は三分二十五秒の後(のち)、きわめて急劇なる夢遊状態に陥り、かつ詩人トック君の心霊の憑依(ひょうい)するところとなれり。我ら会員は年齢順に従い、夫人に憑依せるトック君の心霊と左のごとき問答を開始したり。

 問 君は何ゆえに幽霊に出(い)ずるか?

 答 死後の名声を知らんがためなり。

 問 君――あるいは心霊諸君は死後もなお名声を欲するや?

 答 少なくとも予(よ)は欲せざるあたわず。しかれども予の邂逅(かいこう)したる日本の一詩人のごときは死後の名声を軽蔑(けいべつ)しいたり。

 問 君はその詩人の姓名を知れりや?

 答 予は不幸にも忘れたり。ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。

 問 その詩は如何(いかん)?

 答「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」。

 問 君はその詩を佳作なりとなすや?

 答 予(よ)は必ずしも悪作なりとなさず。ただ「蛙(かわず)」を「河童(かっぱ)」とせんか、さらに光彩陸離(こうさいりくり)たるべし。

 問 しからばその理由は如何(いかん)?

 答 我ら河童はいかなる芸術にも河童を求むること痛切なればなり。

 会長ペック氏はこの時にあたり、我ら十七名の会員にこは心霊学協会の臨時調査会にして合評会(がっぴょうかい)にあらざるを注意したり。

 問 心霊諸君の生活は如何?

 答 諸君の生活と異なることなし。

 問 しからば君は君自身の自殺せしを後悔するや?

 答 必ずしも後悔せず。予は心霊的生活に倦(う)まば、さらにピストルを取りて自活すべし。

 問 自活するは容易なりや否や?

 トック君の心霊はこの問に答うるにさらに問をもってしたり。こはトック君を知れるものにはすこぶる自然なる応酬(おうしゅう)なるべし。

 答 自殺するは容易なりや否や?

 問 諸君の生命は永遠なりや?

 答 我らの生命に関しては諸説紛々(ふんぷん)として信ずべからず。幸いに我らの間にも基督教(キリストきょう)、仏教、モハメット教、拝火教(はいかきょう)等の諸宗あることを忘るるなかれ。

 問 君自身の信ずるところは?

 答 予は常に懐疑主義者なり。

 問 しかれども君は少なくとも心霊の存在を疑わざるべし?

 答 諸君のごとく確信するあたわず。

 問 君の交友の多少は如何?

 答 予の交友は古今東西にわたり、三百人を下らざるべし。その著名なるものをあぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……

 問 君の交友は自殺者のみなりや?

 答 必ずしもしかりとせず。自殺を弁護せるモンテェニュのごときは予が畏友(いゆう)の一人(いちにん)なり。ただ予は自殺せざりし厭世(えんせい)主義者、――ショオペンハウエルの輩(はい)とは交際せず。

 問 ショオペンハウエルは健在なりや?

 答 彼は目下(もっか)心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病(ばいきんびょう)なりしを知り、すこぶる安堵(あんど)せるもののごとし。

 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子(こうし)、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦(しゃか)、デモステネス、ダンテ、千(せん)の利休(りきゅう)等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不幸にも詳細に答うることをなさず、かえってトック君自身に関する種々のゴシップを質問したり。

 問 予(よ)の死後の名声は如何(いかん)?

 答 ある批評家は「群小詩人のひとり」と言えり。

 問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨(えんこん)を含めるひとりなるべし。予の全集は出版せられしや?

 答 君の全集は出版せられたれども、売行きはなはだ振わざるがごとし。

 問 予の全集は三百年の後(のち)、――すなわち著作権の失われたる後、万人(ばんにん)の購(あがな)うところとなるべし。予の同棲(どうせい)せる女友だちは如何?

 答 彼女は書肆(しょし)ラック君の夫人となれり。

 問 彼女はいまだ不幸にもラックの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?

 答 国立孤児院にありと聞けり。

 トック君はしばらく沈黙せる後、新たに質問を開始したり。

 問 予が家は如何?

 答 某写真師のステュディオとなれり。

 問 予の机はいかになれるか?

 答 いかなれるかを知るものなし。

 問 予は予の机の抽斗(ひきだし)に予の秘蔵せる一束(ひとたば)の手紙を――しかれどもこは幸いにも多忙なる諸君の関するところにあらず。今やわが心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別(けつべつ)すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。

 ホップ夫人は最後の言葉とともにふたたび急劇に覚醒(かくせい)したり。我ら十七名の会員はこの問答の真なりしことを上天の神に誓って保証せんとす。(なおまた我らの信頼するホップ夫人に対する報酬(ほうしゅう)はかつて夫人が女優たりし時の日当(にっとう)に従いて支弁したり。)

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