ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)

1話 ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)(1)

7,560字 約15分 2011年6月29日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 はじめ、私はこの一篇を、山媛(やまひめ)、また山姫、いずれかにしようと思った。あえて奇を好む次第ではない。また強いて怪談がるつもりでもない。

 けれども、現代――たとい地方とはいっても立派な町から、大川を一つ隔てた、近山ながら――時は晩秋、いやもう冬である。薄いのも、半ば染めたのも散り済まして、松山の松のみ(みどり)深く、丘は霜のように白い、尾花が銀色を輝かして、処々に朱葉(もみじ)(くれない)の影を映している。高嶺(たかね)(はるか)に雪を(かつ)いで、連山の波の寂然と静まった中へ、島田髷(しまだ)に、(すすき)か、白菊か、ひらひらと(かんざし)をさした振袖の女が丈立ちよくすらりと(あら)われた、と言うと、読者は直ちに化生(けしょう)のものと想わるるに相違ない。

 ――風俗は移った。

 天衣、瓔珞(ようらく)のおん(よそおい)でなくても、かかる場面へ、だしぬけの振袖は、狐の花嫁よりも、人界に遠いもののごとく、一層人を驚かす。

 従って――(こおり)多津吉も、これに不意を打たれたのだと、さぞ一驚を(きっ)したであろうと思う。

 しかるに振袖の娘は、山姫どころか、(今は何と云うか(たしか)でない)……さ、さ、法界……あの女である。当時(いまどき)は、安来節、おはら節などを唄うと聞く、流しの法界屋の(ねえ)さんの仮装したのに過ぎない。――山人の研究を別として、ただ伝説と幻象による微妙なる山姫に対して、(みだり)なる題名を遠慮した所以(ゆえん)である。

 それから――暑い時分だから、冷いことも悪くない。――南天燭(なんてん)(あか)い実を目に入れた円い白雪は、お定りその南天燭の葉を耳に立てると、仔細(しさい)なく(うさぎ)である。雪の日の愛々しい戯れには限らない。あまねく世に知られて、木彫、(ねり)もの、おもちゃにまで出来ている。

 玉子(なり)の色の白い……このもの(がたり)の土地では鶴子饅頭(つるのこまんじゅう)と云うそうである、ほっとり、くるりと、そのやや細い方を(かしら)に、()のもみじを一葉(ひとは)挿して、それが紅い鳥冠(とさか)と見えるであろうか?

 気の迷いにもせよ、(たしか)にそう見えた、と多津吉は言うのである。

 ――聞きがきする私のために、(ひとえ)にこれは御承認を願いたい。

 山の上の墓地にして、まばらな松がおのずから、墓所(はかしょ)々々の(しきり)になる。……一個所、小高い丘の下に、(みの)で伏せて、蓑の乱れたような、草の(おどろ)に包んだ、塚ともいおう。塔婆、石碑の影もない、墓の根に、ただ丘に添って、一樹の記念(しるし)の松が、霧を含んで立っている。

 笠形(かさなり)の枝の蔭に、鳥冠が、ちらちらと草がくれに、紅い。……華奢(きゃしゃ)な女の(てのひら)にも入りそうな鶏が二羽、……その白い饅頭が、向い合いもせず、前向に揃うともなしに、横に二個(ふたつ)、ひったりと翼を並べたように置いてある。水晶に(べに)をさした鴛鴦(おしどり)の姿にも(なぞら)えられよう。……

 墓へ入口の、やや同じたけの松の根に、ちょっと(わだかま)って高いから――腰を掛けても足が伸びるのに、背かがみになった(ひざ)に両手を置いて、多津吉は(じっ)()ていた。

 洋杖(ステッキ)は根に倒れて、枝にも掛けず、黒の中折帽(なかおれぼう)仰向(あおむ)けに転げている。

 ここからでも分るが、その白い饅頭は、草の葉にもたせて、下に、真四角な盆のように、こぼれ松葉の青々としたのが、整然として手で()いたように敷いてあった。

 ()に言伝える。天狗(てんぐ)狗賓(ぐひん)()む、巨樹、大木は、その幹の(また)、枝の交叉(こうさ)一所(ひとところ)(せん)を伸べ、床を磨いたごとく、清く滑かである。――禁を犯して採伐するものの、綱を伝って樹を上りつつ、一目見るや(さかさま)に墜落するのが約束らしい。

 きれいな、敷松葉は、その塚の、五寸の魔所、七寸の鬼の領とも(はば)からるる。

 また、あまた天狗が()むと伝える処であった。

 ()の鳥冠の小さな鶏は二羽白い。

 多津吉は一度、近々と()て、ここへ退いたまま、(あやし)みながら、(みまも)りながら、左右(そう)なく手をつけかねているのである。

 (さっ)――と(うなじ)から、爪さきまで、(はだ)(とお)して、冷く、(しずか)に、この(こずえ)をあれへ通う、梢と梢で(こだま)を打って、耳近に、しかも(かすか)に松風が渡って響く、氷の糸のような調律(しらべ)である。

 そこへ――振袖の女が、上の丘へ、帯から上、胸を半身でくっきりと美しく出た。山では、ちっとでも高い処が、遠いように見え、また思いのほか近く見える。霧も薄し、こちらからは吃驚(びっくり)するほど、大きく見た、が、澄切った藍色(あいいろ)の空を(はるか)に来たように、その胸から上半分の娘の方は、さも深そうに下の墓を(のぞ)いて、帽子を転がして、ぼんやりうつむいている多津吉を打撞(ぶつか)ったように見ると、眉はきりりとしたが優しい目を、驚いた(さま)に《みは》りながら、後退(あとじさ)りになって隠れたが。

 しばらくすると、そっと、うしろから、わざと足数を拾って、半ば輪を描いて(ちかづ)いた。上からすぐ男の居る処へ道はあるが、その阪下りに来たのではない。丘の向う裏から廻って、開いた平場(ひらば)を寄ったのである。

「旦那。……」

 旦那と、……肩越に低く呼んだが、二声とも呼ばせず、男は直ぐに振向いた。女の近寄るのを、まんざら知らないのではなかったらしい。

 だから、女も、ものが言いよかったろう、もう、莞爾(にっこり)して、

「何をしていらっしゃるの。」

 下品な唄を、高調子で繰返す稼ぎのせいか、またうまれつきの声調(のど)か、幅があって、そして(かす)れた声が、気さくな中に、寂しさが含まれる、あわれも、情も(こも)って聞こえた。

 此方(こなた)も古塚の奇異に対して、瞑想(めいそう)黙思した男には相応(そぐ)わない。

「実は――お前さんを待っていたよ。」

 成程、中折帽を転がしている人間らしい。これなら何も、霧でぼかし、丘で隔て、間に松の樹をあしらってまで、骨を折って二人を紹介するがものはなかった。

 けれども、もう一度、繰返すが、町近くで、さまで高くないこの山、多くの天狗の集り住むと、是沙汰(これざた)する場所である。雲の形、日の(くま)など、よりよりに、寂しい影が(さっ)とさすと、山遊びの人々も、川だちの(あぶな)(ふち)を避けるようにして場所をかえるので……ちょうどこの辺がいまその深い淵であった。

 赤土の広場の松の、あちこちには、人のぶらつくのも見え、谷に臨んで、茣蓙(ござ)毛氈(もうせん)を敷いた一組、二組も、色紙形に遠く(なが)められる。一葉(ひとは)二葉(ふたは)(くれない)の葉も散るが、それに乗ったのは鶏ではない。

 それに、真上にもあるような、やや、大小を交えて、たとえば、古塁(こるい)の砲台のあととも思われる、峰を切崩して、四角に台を残した、おなじ丘が幾つも、幾つもある。上が()げて、土がきれいで、よく見ると、(あつら)えた祭壇の……そこへ天狗が集りそうで、うそ寂しい。

 ――実はその幾つかを、あるいは縫い、あるいは(めぐ)って、山道を来る途中で、もうちっと前に、多津吉は、この振袖に()ったのである。

 町から上るには、大手搦手(からめて)といったように、山の両方から二口ある。――もっともこうした山だから、草を分け、(いばら)を払えば、大抵どの谷戸(やと)からも()じることが出来る……その山懐(やまふところ)掻分(かきわ)けて、茸狩(きのこがり)をして遊ぶ。但しそれには時節がやや遅い。従って、人出もさまでにはなかった。

 多津吉は、町の場末――(くだん)の搦手の方から、前刻尾づたいに上って来た。

 竜胆(りんどう)が一二輪。

 小笹の葉がくれに、茨の実の、紅玉を拾わんとして、瑠璃(るり)(よそおい)を凝らした星の貴女が、日中を天降(あまくだ)ったように。――

「ああ、竜胆が咲いている。」

「まあ、ここにも。」

 ――(あらた)めて言うが、その時は女まじりに、三人ばかり土地の知己(ちかづき)で、多津吉に(つれ)があった。

 その女のつれが、摘んで、渡すのを、自分の見つけたのと二本(ふたもと)三本(みもと)、嬉しそうに手にした時……いや、まだ、その、一本(ひともと)、二本、三本を(かぞ)えない時であった。

 丘の周囲(まわり)を、振袖の一行――稚児髷(ちごまげ)に、友染(ゆうぜん)の袖、()(たすき)して、鉄扇(まがい)の塗骨の扇子(おうぎ)を提げて義経袴(よしつねばかま)穿()いた十四五の娘と、またおなじ年紀(とし)ごろ……一つ二つは下か、若衆髷(わかしゅまげ)に、笹色の口紅つけて、萌黄(もえぎ)の紋つきに、(あか)股引(ももひき)尻端折(しりはしょり)をしたのと、もう一人、……(ふと)った大柄な色白の年増で、茶と白の大市松の掻巻(かいまき)のごとき衣装で、青い蹴出(けだ)しを前はだけに、帯を細く貝の口に結んだのが居た。日中(ひなか)といえども、不意に山道で出会ったら、これにこそは驚こう。

 かかる異様なのが、一個(ひとり)々々、多津吉等の一行と同じ影を()わせて歩行(ある)いた。

 彼処(かしこ)に、尾花が十穂(とほ)ばかり、例のおなじような()げた丘の腹に、小草(おぐさ)もないのに、すっきりと一輪咲いて、丈も高く(つぼみ)さえある……その竜胆を、島田髷のその振袖、繻珍(しゅちん)の帯を矢の字にしたのが、弱腰を(しな)やかに、白い指をそらして折って取った。

 ……狩を先んじられた気がちょっとした。

 その多津吉の(かたわら)へ、何の介意もなく、するすると、(つま)をちらりと(さば)いて寄ると、手を触れるばかりにして、竜胆の紫を黙ってよこした。流れた瞳の(すず)しさ。

「ありがとう。これはどうも。」

 とばかり多津吉は、そのまま(つれ)に連れられようとして、ふと見ると、一方は丘を、一方は谷の、がけ際の山笹を、ひしゃげた茶の釜底帽子(かまそこぼうし)が、がさがさと、(から)びた音を立てて(ゆす)って、見上皺(みあげじわ)を額に刻んで、もじゃもじゃ眉に、きょろりと目を光らした年配の(おのこ)が見えた。異様な一行の(つれ)らしい。

 娘と手を合わせたのに、何となく気がさして、多津吉はその(おのこ)に声を掛けた。

(きのこ)はありますか。」

「はあ、いや松露でな。」

 もってのほか、穏和(おだやか)な声した親仁(おやじ)は、笹葉にかくれて、(がけ)へ半ば(しゃが)んだが、黒の石持(こくもち)の羽織に、びらしゃら(ばかま)で、つり革の頑丈に太い、提革鞄(さげかばん)(はす)にかけて、柄のない錆小刀(さびこがたな)で、松の根を掻廻(かきま)わしていた。

「……松露がありますか、こんな処に。……」

「ありますかって、貴方(あなた)、ほれ、これでがす。」

 ころ、ころ。

「ほれ、――諸国、旅をして存じております。砂浜から、ひょっこりひょっこりと出る芋づるの奴より、この……山の松露が、それこそ真に(こうば)しい露の凝ったので、いわば松の樹の精根(しょうこん)でがしてな。」

「松露を掘ってるようじゃ、法界屋、景気が悪うございますね。」

 男のつれは笑ったが、

「あなた幾干金(いくら)かお遣んなすったの、御祝儀を。」

 と女のつれが云ったのに、多津吉はついうっかりでいたのを心着いた。――竜胆を手折ってくれたその振袖は、すらすらと(もすそ)(すすき)を掛けた後姿が見えて、市松大柄な年増は、半身を根笹に、崖へ下りかかる……見附かった山の幸に興じたものであろう。秋の山は(しずか)に、その人たちの袖摺(そでず)れに、草のさらさらと鳴るのが聞こえて、釜底帽子の親仁も、若い娘たちも、もう山懐に深かった。

「そこらをぶらつくうちにはまた出会いましょう。あの扮装(なり)です……見違えはしませんから、わざわざ引返すのも変ですから。……」

 だのに、それから、十歩、二十歩とはまだ(へだた)らないうちに、目の下の城下に火が起った――こういうと記録じみる――一眸(いちぼう)の下に瞰下(みお)ろさるる、縦横に樹林で(しき)られた市街の一箇処が、あたかも魔の手のあって、森の一束を蒼空(あおぞら)へ引上げたような煙が濛々(もうもう)と揚って、流るる藍色(あいいろ)の川を切って暗くした。

 ――町の東と西とに分れて、城の(やぐら)と、巨刹(おおでら)の棟が見える。俗に魔の火と(とな)えて、この山に()む天狗が、遊山を驚かすために、ともすると影のない炎を揚げて、渠等(かれら)の慌て騒ぐのを可笑(おかし)がる……その寺の棟に寄った時は(まこと)の火である。城に近いのは(むなし)き煙だ、と言伝える。

 ちょうど真中(まんなか)であった。森の砕けて、根の土を振うがごとく乱るる煙は。――

 見当が、我が住む町内に外れても、土地の人には随所に親類も知己も多い。多津吉の同伴(つれ)はこの岨路(そばみち)を、みはらしの広場下りに駆出した。

 口早に、あらかじめ(ちか)った晩飯(ばん)の場所と、火事は我が家、我が家には直面しない事と、久しぶりなる故郷の山に、心(しずか)に一人(したし)むこととを言置いたのは言うまでもない。

 駆出した中の(おんな)が、広場の松を低く、ハタと留まって、前後左右を、男女のばらばらと散る間に、この峰の(かた)を振返った。肩を絞って、胸を()らすと、(はるか)に打仰いだ顔はやや(あお)く、銀杏返(いちょうがえ)しの(びん)引戦(ひっそよ)いで見える。左の腕に多津吉の外套(がいとう)を掛けていた。

 意味(こころ)は知れよう。

「構わない、構わない、打棄(うっちゃ)って――そこへ打棄って――」

 多津吉は上から手を振った。(おのず)から竜胆(りんどう)の花は高く揺れた。

 声は届かない。念は通じた。が、(ことば)(つたわ)らないから、(おんな)は外套を(あずか)ったまま、向直って()と去った。

 多津吉は一人、塚を前にして、松蔭に居たのである。

「私も貴方に逢いに来たの。」

「嘘を()け。」

「あら、ほんとだわ。」

 帽子をよけて、幹に立った、振袖は肩ずれに、島田髷(しまだ)は男よりやや高い。

(つれ)の人は?」

「松露を捜して、谷の中へ分れて下りたの。……私はお精進の女で、殺生には向かないんですって。……魚でも、(きのこ)でも、いきもの……」

 と言いかけて、ちょっと背きながら、お転婆に笑った。

「あら、可厭(いや)だ。――知らないわ。」

「何をさ。」

「いいえ、いきものをね、分って?……取るのは、うまれつき(へた)なんですって。ですから松露を捜す気もなかった処へ、火事だって騒ぎでしょう。煙が見えたわ。あの丘へ駆上ると、もう、その煙は私の立った背より低くなって、火も見えないで消えたんですもの。小火(ぼや)なんですね。」

「いや、悪戯(いたずら)だよ。」

「まあ、放火(つけび)。」

「違うよ。……魔の火と云ってね、この山の天狗が、人を驚かす悪戯だそうだ。」

「そう、面白いわね。」

 諸国を渡る(かど)づけの振袖は、あえて天狗に(おび)えない。

「じゃあ、今しがた、ここに居た、あの、天狗様の悪戯かも知れないわね。」

「ここに居た、天狗、どこに、いつ。」

 かえって多津吉が驚いた。

「そこにさ。貴方の。」

「ええ。」

「腰を掛けていらっしゃる、松の根を枕にして。」

 多津吉は思わず居退(いの)いた。うっかりそこへ触った手を、膝へ正したほどである。

仰向(あおむ)けに寝転んで、蒼空(あおぞら)を見ていたんですよ。」

 言うまもなしに、

「御覧なさい。」

 背後(うしろ)から、塚へするすると、乱菊の裾を、(たわ)わに、紫の色に出て、

「まだ、(ちゃん)としていますのね。この白い鶏も、その天狗様の悪戯じゃありませんか。――ああ、竜胆を。」

 と、ながしめ(すず)しく、

「まあ、嬉しい。あなたもお手向けなすったのね。あの、そしてこの塚のいわれを御存じなんですか。」

 (かざ)せる袖と竜胆の紫の影は添いながら、鳥冠(とさか)は冴えて(くれない)である。

「いわれも聞きたし、(あらた)めて花の礼も言いたいが、――何だか、お前さんは、魔神の眷属(けんぞく)……と言って悪ければ、娘か、腰元、ででもあるような気がする。」

 多津吉は軽く会釈して、

「その鶏は?」

「ええ、まったくよ。」

 とまた莞爾(にっこり)しながら、(かざ)した袖を胸に返して、(たもと)の先を軽くなぶった。

「天狗様が(こしら)えて、供えたんですがね。よく、烏が(くわ)えて行かなかったこと。――そこいらの墓では、まだ火の(とも)れた、蝋燭(ろうそく)を、真黒(まっくろ)(くち)(くわ)えて風のように飛ぶと、中途で、青い煙になって消えたんですのに。」

「烏にしてみれば――烏にしてみれば、は可訝(おかし)いけれども。」

 身を起して、寄ると、塚を前にほとんど肩の並んだ振袖は、横へ胸を開いて、隣地との土の低い(しきり)へ、無雑作に腰を掛けた。こぼれ松葉は(とま)のように積って、同じ松蔭に風の瀬が通った。

「燃えさしの蝋燭より、緋の鳥冠の(とり)は、ちょっと扱いにくいかも知れない。――嘘のようだけれど、まったく真に迫っている。姉さん、ほんとうの事を聞かしてくれないかね。この鶴の子饅頭は。」

「あら、ほんとうですってば。」

 片手を松葉に、

「だって、自分でそう云ったんですもの。……((おれ)は天狗だぞ。)ッて。……先刻(さっき)(おっ)こちてるお客をひろいに――御免なさい、貴方もお客様ですわね――私たち、離れ離れに、あっちこっち、ぶらつきますうちに、のん気らしく、ここに寝転んでる人がありますから、こっちから……脚の方から入りましてね、いま、貴方が掛けておいでなすったその松の坊主頭――坊主じゃないんですけれど、薄毛がもやもやとして、べろ(はげ)(おおき)い円いの。……(ひしゃ)げたって(おし)くはないわ、薄黒くなった麦稈帽子(むぎわらぼうし)を枕にして、黒い洋服でさ。」

「妙な天狗だね。」

「お聞きなさいよ。何とかウイスキイてんでしょう。(びん)をさ、――余り清潔(きれい)じゃあない手巾(ハンケチ)()せたまんまで、……仰向(あおむ)いてその鼻が、鼻が、ほほほ。」

「鼻が。」

 多津吉は真面目(まじめ)で聞く。

(たか)くない、ほほほ、ちょっと(つま)んでやろうかしら、なんと思って上から顔を()ると、(ねむ)っていたんじゃないんです。円くて渋面(しぶつら)親仁様(おとっさん)が、団栗目(どんぐりめ)をぎろぎろと遣って、(狐か――俺は天狗だぞ、可恐(こわ)いぞ。)と云うから、(可恐いもんですか。)ってそう云うと、(成程、化もの夥間(なかま)だ、わはは。)(おおき)な声なの。老人(としより)の癖に、カラカラしたものよ。どっこいしょなら親仁(おやじ)相応なのに、(やあ、)と学生さんのような若い掛声で、むくりと起きた処が、脊の低い、はち切れそうな(しま)った身体(からだ)さ。

 あなた――どうでしょう、天狗様の方が股が裂けそうな大胡坐(おおあぐら)で、ずしんと、その松の幹へよりかかると、大袈裟な胡坐ッたら。あれなんですよ。むこうの、あの四角いような白い丘が、お尻の(ひびき)でぶるぶると揺れるようなの。」

 城下の(はて)に霧を(ひら)いて、銀線の揺れつつ光る海の上に、紅日、山の()の松を沈むこと二三寸。煙のあとの森も屋根も、市街はしっとりと露を打って、みはらしの樹の間の人影は、毛氈(もうせん)とともに仄暗(ほのぐら)い。

 いま振袖の(ゆびさ)した、丘の一つが白かった。

「図々しいじゃあないの、(狐、さあ、夥間(なかま)づきあいに一つ酌をしてくれ。本来は、ここのこの塚は、白い幽霊の出る処だ。)親仁様(おとっさん)、まだ驚かすつもりでいるのかしら。」

「何、白い幽霊?」

 と、聞き返すがごとくにして、()と膝を折って(かが)めた。

「紅い鳥冠の鶏の――と云うのかね。」

「いいえ、それはそれは美しい(おんな)の方の。」

「………………」

「そして、白いのはお(めし)ものも、ですけど、降り積る雪なんですって。」

「その天狗が話したのかね。」

「ちびりちびりとウイスをのみながらだから。……いい加減お察しなさいよ。……こっちの木の葉より、羽団扇(はうちわ)の毛でもちっとは(まし)だろうと思うから、お酌をしますとね、(聞け――娘。)と今度はお酌のお(かげ)で、狐が娘になったんですがね。……そのかわり、羽団扇の方も怪しくなったの。でも、お話がお話だから、つい聞いたんですわ。

 九州の河童(かっぱ)九千坊(くせんぼう)とかではありませんけれど、この土地には、――御覧なさい、お城の奥の野の(はて)の黒い山に、八千坊といって、むかし、数知れず、国一杯に荒廻った天狗様を(まつ)()めた処があるんですって。――(これ古服は黒し、(おれ)は旅まわりの烏天狗で、まだいずれへも知己(ちかづき)にはならないけれど、いや、何国(いずこ)(はて)にも、魔の悪戯(いたずら)はあると見える。わずかにこの十年ばかり前までは、うら(がれ)の秋から、冬の時雨の夜へかけて、――迷児(まいご)の迷児の何とかやーい――と鐘をたたいて、魔に()られたものを探す声を、毎晩のように聞いて、何とも早や首を縮めたものでござります、……と昨夜(ゆうべ)の宿で按摩(あんま)饒舌(しゃべ)った。……俺の友だちで、十四五年以前に、この土地へ旅をしたものが。)ッて、(はげ)親仁様(おとっさん)が言ったんですけど、――あなた、天狗にお友だちッてあるんでしょうか。」

「八千坊というくらいだから、皆それは友だちだろうね。」

 つい聞入って真顔で答えた。振袖は、島田の(びん)をゆらゆらと、白歯で片頬笑(かたほえみ)をしているのに。――

目次に戻る

目次