1話 ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)(1)
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はじめ、私はこの一篇を、山媛、また山姫、いずれかにしようと思った。あえて奇を好む次第ではない。また強いて怪談がるつもりでもない。
けれども、現代――たとい地方とはいっても立派な町から、大川を一つ隔てた、近山ながら――時は晩秋、いやもう冬である。薄いのも、半ば染めたのも散り済まして、松山の松のみ翠深く、丘は霜のように白い、尾花が銀色を輝かして、処々に朱葉の紅の影を映している。高嶺は遥に雪を被いで、連山の波の寂然と静まった中へ、島田髷に、薄か、白菊か、ひらひらと簪をさした振袖の女が丈立ちよくすらりと顕われた、と言うと、読者は直ちに化生のものと想わるるに相違ない。
――風俗は移った。
天衣、瓔珞のおん装でなくても、かかる場面へ、だしぬけの振袖は、狐の花嫁よりも、人界に遠いもののごとく、一層人を驚かす。
従って――郡多津吉も、これに不意を打たれたのだと、さぞ一驚を吃したであろうと思う。
しかるに振袖の娘は、山姫どころか、(今は何と云うか確でない)……さ、さ、法界……あの女である。当時は、安来節、おはら節などを唄うと聞く、流しの法界屋の姉さんの仮装したのに過ぎない。――山人の研究を別として、ただ伝説と幻象による微妙なる山姫に対して、濫なる題名を遠慮した所以である。
それから――暑い時分だから、冷いことも悪くない。――南天燭の紅い実を目に入れた円い白雪は、お定りその南天燭の葉を耳に立てると、仔細なく兎である。雪の日の愛々しい戯れには限らない。あまねく世に知られて、木彫、練もの、おもちゃにまで出来ている。
玉子形の色の白い……このもの語の土地では鶴子饅頭と云うそうである、ほっとり、くるりと、そのやや細い方を頭に、緋のもみじを一葉挿して、それが紅い鳥冠と見えるであろうか?
気の迷いにもせよ、確にそう見えた、と多津吉は言うのである。
――聞きがきする私のために、偏にこれは御承認を願いたい。
山の上の墓地にして、まばらな松がおのずから、墓所々々の劃になる。……一個所、小高い丘の下に、蓑で伏せて、蓑の乱れたような、草の蓬に包んだ、塚ともいおう。塔婆、石碑の影もない、墓の根に、ただ丘に添って、一樹の記念の松が、霧を含んで立っている。
笠形の枝の蔭に、鳥冠が、ちらちらと草がくれに、紅い。……華奢な女の掌にも入りそうな鶏が二羽、……その白い饅頭が、向い合いもせず、前向に揃うともなしに、横に二個、ひったりと翼を並べたように置いてある。水晶に紅をさした鴛鴦の姿にも擬えられよう。……
墓へ入口の、やや同じたけの松の根に、ちょっと蟠って高いから――腰を掛けても足が伸びるのに、背かがみになった膝に両手を置いて、多津吉は凝と視ていた。
洋杖は根に倒れて、枝にも掛けず、黒の中折帽は仰向けに転げている。
ここからでも分るが、その白い饅頭は、草の葉にもたせて、下に、真四角な盆のように、こぼれ松葉の青々としたのが、整然として手で梳いたように敷いてあった。
俗に言伝える。天狗、狗賓が棲む、巨樹、大木は、その幹の肢、枝の交叉の一所、氈を伸べ、床を磨いたごとく、清く滑かである。――禁を犯して採伐するものの、綱を伝って樹を上りつつ、一目見るや倒に墜落するのが約束らしい。
きれいな、敷松葉は、その塚の、五寸の魔所、七寸の鬼の領とも憚からるる。
また、あまた天狗が棲むと伝える処であった。
緋の鳥冠の小さな鶏は二羽白い。
多津吉は一度、近々と視て、ここへ退いたまま、怪みながら、瞻りながら、左右なく手をつけかねているのである。
颯――と頸から、爪さきまで、膚を徹して、冷く、静に、この梢をあれへ通う、梢と梢で谺を打って、耳近に、しかも幽に松風が渡って響く、氷の糸のような調律である。
そこへ――振袖の女が、上の丘へ、帯から上、胸を半身でくっきりと美しく出た。山では、ちっとでも高い処が、遠いように見え、また思いのほか近く見える。霧も薄し、こちらからは吃驚するほど、大きく見た、が、澄切った藍色の空を遥に来たように、その胸から上半分の娘の方は、さも深そうに下の墓を覗いて、帽子を転がして、ぼんやりうつむいている多津吉を打撞ったように見ると、眉はきりりとしたが優しい目を、驚いた様に《みは》りながら、後退りになって隠れたが。
しばらくすると、そっと、うしろから、わざと足数を拾って、半ば輪を描いて近いた。上からすぐ男の居る処へ道はあるが、その阪下りに来たのではない。丘の向う裏から廻って、開いた平場を寄ったのである。
「旦那。……」
旦那と、……肩越に低く呼んだが、二声とも呼ばせず、男は直ぐに振向いた。女の近寄るのを、まんざら知らないのではなかったらしい。
だから、女も、ものが言いよかったろう、もう、莞爾して、
「何をしていらっしゃるの。」
下品な唄を、高調子で繰返す稼ぎのせいか、またうまれつきの声調か、幅があって、そして掠れた声が、気さくな中に、寂しさが含まれる、あわれも、情も籠って聞こえた。
此方も古塚の奇異に対して、瞑想黙思した男には相応わない。
「実は――お前さんを待っていたよ。」
成程、中折帽を転がしている人間らしい。これなら何も、霧でぼかし、丘で隔て、間に松の樹をあしらってまで、骨を折って二人を紹介するがものはなかった。
けれども、もう一度、繰返すが、町近くで、さまで高くないこの山、多くの天狗の集り住むと、是沙汰する場所である。雲の形、日の隈など、よりよりに、寂しい影が颯とさすと、山遊びの人々も、川だちの危い淵を避けるようにして場所をかえるので……ちょうどこの辺がいまその深い淵であった。
赤土の広場の松の、あちこちには、人のぶらつくのも見え、谷に臨んで、茣蓙毛氈を敷いた一組、二組も、色紙形に遠く視められる。一葉、二葉、紅の葉も散るが、それに乗ったのは鶏ではない。
それに、真上にもあるような、やや、大小を交えて、たとえば、古塁の砲台のあととも思われる、峰を切崩して、四角に台を残した、おなじ丘が幾つも、幾つもある。上が兀げて、土がきれいで、よく見ると、誂えた祭壇の……そこへ天狗が集りそうで、うそ寂しい。
――実はその幾つかを、あるいは縫い、あるいは繞って、山道を来る途中で、もうちっと前に、多津吉は、この振袖に逢ったのである。
町から上るには、大手搦手といったように、山の両方から二口ある。――もっともこうした山だから、草を分け、茨を払えば、大抵どの谷戸からも攀じることが出来る……その山懐を掻分けて、茸狩をして遊ぶ。但しそれには時節がやや遅い。従って、人出もさまでにはなかった。
多津吉は、町の場末――件の搦手の方から、前刻尾づたいに上って来た。
竜胆が一二輪。
小笹の葉がくれに、茨の実の、紅玉を拾わんとして、瑠璃に装を凝らした星の貴女が、日中を天降ったように。――
「ああ、竜胆が咲いている。」
「まあ、ここにも。」
――更めて言うが、その時は女まじりに、三人ばかり土地の知己で、多津吉に連があった。
その女のつれが、摘んで、渡すのを、自分の見つけたのと二本三本、嬉しそうに手にした時……いや、まだ、その、一本、二本、三本を算えない時であった。
丘の周囲を、振袖の一行――稚児髷に、友染の袖、緋の襷して、鉄扇擬の塗骨の扇子を提げて義経袴を穿いた十四五の娘と、またおなじ年紀ごろ……一つ二つは下か、若衆髷に、笹色の口紅つけて、萌黄の紋つきに、紅い股引で尻端折をしたのと、もう一人、……肥った大柄な色白の年増で、茶と白の大市松の掻巻のごとき衣装で、青い蹴出しを前はだけに、帯を細く貝の口に結んだのが居た。日中といえども、不意に山道で出会ったら、これにこそは驚こう。
かかる異様なのが、一個々々、多津吉等の一行と同じ影を這わせて歩行いた。
彼処に、尾花が十穂ばかり、例のおなじような兀げた丘の腹に、小草もないのに、すっきりと一輪咲いて、丈も高く莟さえある……その竜胆を、島田髷のその振袖、繻珍の帯を矢の字にしたのが、弱腰を嫋やかに、白い指をそらして折って取った。
……狩を先んじられた気がちょっとした。
その多津吉の傍へ、何の介意もなく、するすると、褄をちらりと捌いて寄ると、手を触れるばかりにして、竜胆の紫を黙ってよこした。流れた瞳の清しさ。
「ありがとう。これはどうも。」
とばかり多津吉は、そのまま連に連れられようとして、ふと見ると、一方は丘を、一方は谷の、がけ際の山笹を、ひしゃげた茶の釜底帽子が、がさがさと、乾びた音を立てて揺って、見上皺を額に刻んで、もじゃもじゃ眉に、きょろりと目を光らした年配の漢が見えた。異様な一行の連らしい。
娘と手を合わせたのに、何となく気がさして、多津吉はその漢に声を掛けた。
「茸はありますか。」
「はあ、いや松露でな。」
もってのほか、穏和な声した親仁は、笹葉にかくれて、崖へ半ば踞んだが、黒の石持の羽織に、びらしゃら袴で、つり革の頑丈に太い、提革鞄を斜にかけて、柄のない錆小刀で、松の根を掻廻わしていた。
「……松露がありますか、こんな処に。……」
「ありますかって、貴方、ほれ、これでがす。」
ころ、ころ。
「ほれ、――諸国、旅をして存じております。砂浜から、ひょっこりひょっこりと出る芋づるの奴より、この……山の松露が、それこそ真に香しい露の凝ったので、いわば松の樹の精根でがしてな。」
「松露を掘ってるようじゃ、法界屋、景気が悪うございますね。」
男のつれは笑ったが、
「あなた幾干金かお遣んなすったの、御祝儀を。」
と女のつれが云ったのに、多津吉はついうっかりでいたのを心着いた。――竜胆を手折ってくれたその振袖は、すらすらと裳に薄を掛けた後姿が見えて、市松大柄な年増は、半身を根笹に、崖へ下りかかる……見附かった山の幸に興じたものであろう。秋の山は静に、その人たちの袖摺れに、草のさらさらと鳴るのが聞こえて、釜底帽子の親仁も、若い娘たちも、もう山懐に深かった。
「そこらをぶらつくうちにはまた出会いましょう。あの扮装です……見違えはしませんから、わざわざ引返すのも変ですから。……」
だのに、それから、十歩、二十歩とはまだ隔らないうちに、目の下の城下に火が起った――こういうと記録じみる――一眸の下に瞰下ろさるる、縦横に樹林で劃られた市街の一箇処が、あたかも魔の手のあって、森の一束を蒼空へ引上げたような煙が濛々と揚って、流るる藍色の川を切って暗くした。
――町の東と西とに分れて、城の櫓と、巨刹の棟が見える。俗に魔の火と称えて、この山に棲む天狗が、遊山を驚かすために、ともすると影のない炎を揚げて、渠等の慌て騒ぐのを可笑がる……その寺の棟に寄った時は真の火である。城に近いのは空き煙だ、と言伝える。
ちょうど真中であった。森の砕けて、根の土を振うがごとく乱るる煙は。――
見当が、我が住む町内に外れても、土地の人には随所に親類も知己も多い。多津吉の同伴はこの岨路を、みはらしの広場下りに駆出した。
口早に、あらかじめ契った晩飯の場所と、火事は我が家、我が家には直面しない事と、久しぶりなる故郷の山に、心静に一人親むこととを言置いたのは言うまでもない。
駆出した中の婦が、広場の松を低く、ハタと留まって、前後左右を、男女のばらばらと散る間に、この峰の方を振返った。肩を絞って、胸を外らすと、遥に打仰いだ顔はやや蒼く、銀杏返しの鬢が引戦いで見える。左の腕に多津吉の外套を掛けていた。
意味は知れよう。
「構わない、構わない、打棄って――そこへ打棄って――」
多津吉は上から手を振った。自から竜胆の花は高く揺れた。
声は届かない。念は通じた。が、言は伝らないから、婦は外套を預ったまま、向直って衝と去った。
多津吉は一人、塚を前にして、松蔭に居たのである。
「私も貴方に逢いに来たの。」
「嘘を吐け。」
「あら、ほんとだわ。」
帽子をよけて、幹に立った、振袖は肩ずれに、島田髷は男よりやや高い。
「連の人は?」
「松露を捜して、谷の中へ分れて下りたの。……私はお精進の女で、殺生には向かないんですって。……魚でも、茸でも、いきもの……」
と言いかけて、ちょっと背きながら、お転婆に笑った。
「あら、可厭だ。――知らないわ。」
「何をさ。」
「いいえ、いきものをね、分って?……取るのは、うまれつき拙なんですって。ですから松露を捜す気もなかった処へ、火事だって騒ぎでしょう。煙が見えたわ。あの丘へ駆上ると、もう、その煙は私の立った背より低くなって、火も見えないで消えたんですもの。小火なんですね。」
「いや、悪戯だよ。」
「まあ、放火。」
「違うよ。……魔の火と云ってね、この山の天狗が、人を驚かす悪戯だそうだ。」
「そう、面白いわね。」
諸国を渡る門づけの振袖は、あえて天狗に怯えない。
「じゃあ、今しがた、ここに居た、あの、天狗様の悪戯かも知れないわね。」
「ここに居た、天狗、どこに、いつ。」
かえって多津吉が驚いた。
「そこにさ。貴方の。」
「ええ。」
「腰を掛けていらっしゃる、松の根を枕にして。」
多津吉は思わず居退いた。うっかりそこへ触った手を、膝へ正したほどである。
「仰向けに寝転んで、蒼空を見ていたんですよ。」
言うまもなしに、
「御覧なさい。」
背後から、塚へするすると、乱菊の裾を、撓わに、紫の色に出て、
「まだ、整としていますのね。この白い鶏も、その天狗様の悪戯じゃありませんか。――ああ、竜胆を。」
と、ながしめ清しく、
「まあ、嬉しい。あなたもお手向けなすったのね。あの、そしてこの塚のいわれを御存じなんですか。」
翳せる袖と竜胆の紫の影は添いながら、鳥冠は冴えて紅である。
「いわれも聞きたし、更めて花の礼も言いたいが、――何だか、お前さんは、魔神の眷属……と言って悪ければ、娘か、腰元、ででもあるような気がする。」
多津吉は軽く会釈して、
「その鶏は?」
「ええ、まったくよ。」
とまた莞爾しながら、翳した袖を胸に返して、袂の先を軽くなぶった。
「天狗様が拵えて、供えたんですがね。よく、烏が啣えて行かなかったこと。――そこいらの墓では、まだ火の点れた、蝋燭を、真黒な嘴で啣えて風のように飛ぶと、中途で、青い煙になって消えたんですのに。」
「烏にしてみれば――烏にしてみれば、は可訝いけれども。」
身を起して、寄ると、塚を前にほとんど肩の並んだ振袖は、横へ胸を開いて、隣地との土の低い劃へ、無雑作に腰を掛けた。こぼれ松葉は苫のように積って、同じ松蔭に風の瀬が通った。
「燃えさしの蝋燭より、緋の鳥冠の鶏は、ちょっと扱いにくいかも知れない。――嘘のようだけれど、まったく真に迫っている。姉さん、ほんとうの事を聞かしてくれないかね。この鶴の子饅頭は。」
「あら、ほんとうですってば。」
片手を松葉に、
「だって、自分でそう云ったんですもの。……(俺は天狗だぞ。)ッて。……先刻、落こちてるお客をひろいに――御免なさい、貴方もお客様ですわね――私たち、離れ離れに、あっちこっち、ぶらつきますうちに、のん気らしく、ここに寝転んでる人がありますから、こっちから……脚の方から入りましてね、いま、貴方が掛けておいでなすったその松の坊主頭――坊主じゃないんですけれど、薄毛がもやもやとして、べろ兀の大い円いの。……挫げたって惜くはないわ、薄黒くなった麦稈帽子を枕にして、黒い洋服でさ。」
「妙な天狗だね。」
「お聞きなさいよ。何とかウイスキイてんでしょう。壜をさ、――余り清潔じゃあない手巾に載せたまんまで、……仰向いてその鼻が、鼻が、ほほほ。」
「鼻が。」
多津吉は真面目で聞く。
「隆くない、ほほほ、ちょっと撮んでやろうかしら、なんと思って上から顔を視ると、睡っていたんじゃないんです。円くて渋面の親仁様が、団栗目をぎろぎろと遣って、(狐か――俺は天狗だぞ、可恐いぞ。)と云うから、(可恐いもんですか。)ってそう云うと、(成程、化もの夥間だ、わはは。)大な声なの。老人の癖に、カラカラしたものよ。どっこいしょなら親仁相応なのに、(やあ、)と学生さんのような若い掛声で、むくりと起きた処が、脊の低い、はち切れそうな緊った身体さ。
あなた――どうでしょう、天狗様の方が股が裂けそうな大胡坐で、ずしんと、その松の幹へよりかかると、大袈裟な胡坐ッたら。あれなんですよ。むこうの、あの四角いような白い丘が、お尻の響でぶるぶると揺れるようなの。」
城下の果に霧を展いて、銀線の揺れつつ光る海の上に、紅日、山の端の松を沈むこと二三寸。煙のあとの森も屋根も、市街はしっとりと露を打って、みはらしの樹の間の人影は、毛氈とともに仄暗い。
いま振袖の指した、丘の一つが白かった。
「図々しいじゃあないの、(狐、さあ、夥間づきあいに一つ酌をしてくれ。本来は、ここのこの塚は、白い幽霊の出る処だ。)親仁様、まだ驚かすつもりでいるのかしら。」
「何、白い幽霊?」
と、聞き返すがごとくにして、衝と膝を折って屈めた。
「紅い鳥冠の鶏の――と云うのかね。」
「いいえ、それはそれは美しい婦の方の。」
「………………」
「そして、白いのはお衣ものも、ですけど、降り積る雪なんですって。」
「その天狗が話したのかね。」
「ちびりちびりとウイスをのみながらだから。……いい加減お察しなさいよ。……こっちの木の葉より、羽団扇の毛でもちっとは増だろうと思うから、お酌をしますとね、(聞け――娘。)と今度はお酌のお庇で、狐が娘になったんですがね。……そのかわり、羽団扇の方も怪しくなったの。でも、お話がお話だから、つい聞いたんですわ。
九州の河童の九千坊とかではありませんけれど、この土地には、――御覧なさい、お城の奥の野の果の黒い山に、八千坊といって、むかし、数知れず、国一杯に荒廻った天狗様を祀り籠めた処があるんですって。――(これ古服は黒し、俺は旅まわりの烏天狗で、まだいずれへも知己にはならないけれど、いや、何国の果にも、魔の悪戯はあると見える。わずかにこの十年ばかり前までは、うら枯の秋から、冬の時雨の夜へかけて、――迷児の迷児の何とかやーい――と鐘をたたいて、魔に捉られたものを探す声を、毎晩のように聞いて、何とも早や首を縮めたものでござります、……と昨夜の宿で按摩が饒舌った。……俺の友だちで、十四五年以前に、この土地へ旅をしたものが。)ッて、兀の親仁様が言ったんですけど、――あなた、天狗にお友だちッてあるんでしょうか。」
「八千坊というくらいだから、皆それは友だちだろうね。」
つい聞入って真顔で答えた。振袖は、島田の鬢をゆらゆらと、白歯で片頬笑をしているのに。――