1話 半七捕物帳 26 女行者(1)
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一
明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町の明治座を見物にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。
「やあ、あなたも御見物ですか」
わたしの方から声をかけると、老人も笑って会釈した。そこはほんの立ち話で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をたずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。そのときの狂言は「天一坊」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった。
わたしの予想通り、老人はなかなかの見巧者であった。かれはこの狂言の書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて守田座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
「御承知の通り、江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していたんですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、講釈師の伯円が先ず第一に高座で読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云うから年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」
芝居の話がだんだん進んで、天一坊の実録話に移って来た。
「天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊というのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「尤もそこは女だけに、将軍家の御落胤というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもありましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家のお姫様一件でしょう。あれはたしか文化四年四月の申渡しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川宿旅籠屋安右衛門抱とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴という女が京都の日野中納言家の息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家のお姫様が女郎になったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位内侍局とかいう肩書で方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は落着しました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論もうとして失敗したもので、つまりこんにちの偽華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを清玄桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町の河原崎座で『桜姫東文章』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のことで、文久元年の九月とおぼえています」
八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。
「悪いお天気で困ります」
「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れている庭先をながめながら欝陶しそうに云った。
「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。この頃、茅場町に変な奴があるのを知っているか」
「へえ」と、半七は首をかしげた。
「尤も、この頃は変な奴がざらに転がっているから、唯そればかりじゃあ判断がつくめえ」
岡崎はちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。
「変な奴の正体は女の行者だ。案外に年を食っているかも知れねえが、見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの祈祷のようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置くが、そいつがどうも怪しからねえ。女がいい上に、祈祷が上手だというので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで工面のよさそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さんも婆さんもある。それがどうも腑に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家の娘だと云っているそうだ。冷泉為清卿の息女で、左衛門局だとか名乗って、白の小袖に緋の袴をはいて、下げ髪にむらさき縮緬の鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、前にもいう通り、容貌は好し、人品はいいので、なかなか神々しくみえるということだ。どうだ、ほんものだろうか」
「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」
「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」
「ごもっともでございます」
半七もうなずいた。今の時節――勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀をあつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用費調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎が懸念するのも無理はないと思ったので、半七はすぐにその探索に取りかかることを受け合って帰った。
かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞かされて頭をかいた。
「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだからわっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」
「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云った。
多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のような活動も出来なくなった。子分にもあまり腕利きがなかった。それらの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされたのであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわけには行かなかった。
「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰り出してくれ」
「ようがす。一つ働きましょう」
事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くという一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知れないという懸念があるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったからである。
相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件であるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負えそうもないから、誰か他人に引き受けさせてくれと一応は断わったが、半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰って来なかった。
「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと荷が重いからな」
こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)過ぎに多吉が帰って来た。
「よく降りますね」
「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。
「まだ十分というわけには行きませんが、少しは種を洗い出して来ました」と、多吉は得意らしく云った。
「まあ、聴いておくんなせえ。その行者というのはまったく十七八ぐらいに見えるそうです。すてきに容貌のいい上品な女で、ことばも京なまりで、まあ誰がみてもお公家さまの娘という位取りはあるそうですよ。なんでも高い段のようなものを築いて、そこへ御幣や榊をたてて、座敷の四方には注連を張りまわして、自分も御幣を持っていて、それを振り立てながら何か祷りのようなことをするんだそうです」
「どんな祷りをするんだろう」
「やっぱり家運繁昌、病気平癒、失せもの尋ねもの、まあ早くいえば世間一統の行者の祈祷に、うらないの判断を搗きまぜたようなもので、それがひどく効目があるというので、ばかに信仰する奴らがあるようです。なんでも毎日五六十人ぐらいは詰めかけるといいますから、随分実入りがあることでしょう。祈祷料は思召しなんですけれど、ひとりで二歩三歩も納める奴があるそうですから、たいしたものです」
「それはまあそれとして、その行者は工面のよさそうな信心ものを奥へ連れ込んで、なにか秘密の祈祷をして多分の金を寄進させるというじゃあねえか。それはどうだ」
「それもあるらしいんです」と、多吉はうなずいた。「だが、それはいっさいの秘密の行法で、うっかり口外すると一年経たねえうちに命がなくなると嚇かされているので、誰もはっきりと云うものがねえそうです。それに、その秘密を行なうのはいつでも夜なかときまっていて、どこの誰が秘密の祈りをして貰ったということが他人に知れると、その験がないというので、秘密の祈りを頼むものは世間がみんな寝静まった頃に、顔を隠したり、姿を変えたりして、そっと裏口から出入りをしているので、誰だかよく判らないということです。行者の奴め、なかなかうまく考えたもんですよ」
「むむ」と、半七は又かんがえた。「そのほかに何か浪人らしい者の出這入りする様子はねえか」
「それは聞きませんでした」
「行者の家には、当人のほかにどんな奴らがいる」と、半七は訊いた。「なにか、弟子のような者でもいるのか」
「五十ばかりの男と、十五六になる小娘と、ほかに台所働きのような女が二人いるそうですが、台所働きはこのごろ雇った山出しの奉公人で、祈祷の方のことは一切その男と小娘とが引き受けてやっているんだそうです」
多吉の報告はそれだけであった。
二
あくる朝になって源次が来た。
「親分。多吉さんの方で面白いことが手に入りましたかえ」
「面白いというほどのことも判らねえが、まあ少しばかり眼鼻をつけて来た。そこで、おめえの方はどうだ」と、半七はすぐに訊いた。
「わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。葺屋町に炭団伊勢屋という大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうので、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所家作は持っていて、身上はなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、ことし二十歳になるんですが、俳優の河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったというんです」
「その息子も祈祷をたのみに行ったのか」
「久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から性の知れない病気でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきいて、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです」
久次郎も世間の噂に釣り込まれて、最初は半信半疑で母のお豊を連れてゆくと、神のように美しい行者はお豊をひと目見て、これは怪しい獣の祟りである、自分の祈祷できっと本復させてやると云った。久次郎もそれを信用して、なにぶんお頼み申すと云うと、行者はお豊を神壇の前に坐らせて、一種のおごそかな祈祷を行なってくれた。その効験は著しいもので、お豊はそのあくる朝から神気がさわやかになって、七日ほどの後には元の達者なからだに回復した。それだけでも、伊勢屋一家の信仰を買うには十分であって、伊勢屋からは少なからぬ奉納物を神前にささげた。取り分けて久次郎は美しい行者を尊崇した。
かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺めながら云った。
「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお祓いをなされてはどうでございます」
あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日のあいだ日参しろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初めの三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。かれは毎晩かかさず通いつづけていた。
行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日となり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊は絶対に耳を藉さなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家のお豊がひとり息子の後見役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが強いてそれをさえぎるわけには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないのであるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番頭どもは睨んでいた。
そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、この頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼はなんだか魂のぬけた人のようにみえた。権十郎息子の顔色がひどく蒼ざめて来た。
「まあ、こういうわけで、店の若い者や小僧なんぞは、若旦那は気が違ったらしいと云っているんです」と、源次は説明した。
「むむ、気が違ったかも知れねえ」と、半七はほほえんだ。「相手はすばらしく美しい行者というじゃあねえか」
「そうです、そうです。むこうが若い美しい行者で、こっちが権十郎息子というんですからね」と、源次も笑った。
しかし半七は笑ってばかりもいられなかった。単にこれだけの事件であるならば、問題は案外に単純であるが、かの怪しい行者は勤王とか討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらしいだけに、半七は迂濶に彼女に手をつけることが出来なかった。軽はずみのことをして、たとい本人だけを引き挙げたところで、ほかの徒党を取り逃がしてしまっては何もならない。うまく工夫して彼等の一類を一網に狩りあげることを考えなければならない。半七は源次に云いつけて、これから毎夜茅場町の近所に網を張って祈祷所へ出入りするものを偵察させることにした。
その日の夕方になって、多吉が再び来た。
「親分、どうも思うような種はあがりませんよ。女の行者はお局様とかお姫様とかいっているだけで、ほんとうの名はわかりません。五十ばかりの家来の男は式部といっているそうで、どうも上方生まれに相違ないようです。十五六の小娘は藤江といって、これもなかなか容貌がいいんですけれど、行者のほんとうの妹か身寄りの者か、そこはよく判らないそうです。台所働きはお由とお庄というんですが、これは飯炊きや水汲みに追い使われているだけで、奥の方のことは何も知らないようです」
「ゆうべも云ったことだが、祈祷をたのむ者のほかに誰も出這入りするらしい様子はねえのか」と、半七は念を押して訊いた。
「わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由という女中が外へ出るところを捉まえて、それとなく探りを入れて見たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです」
「夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る」
「それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえのじゃねえ、行者の方でなにか身体がわるいとかいうので、夜の祈祷はみんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさずに来る奴があります」
「紙屋の息子か」
「あ、源次の奴ほじくり出しましたかえ。あいつ油断がならねえ」と、多吉は鼻毛をぬかれたような形で少してれた。「じゃあ、その方は大抵御承知ですね」
「だが、まあ話してみろ」
多吉の報告も源次とあまり違わなかった。そうして、紙屋の久次郎は色仕掛けでたくさんの祈祷料をまきあげられているに相違ないと云った。
「そうだろう。誰が考えても、落ち着くところは同じことだが、ただ困るのは徒党の奴らだ」と、半七は云った。「夜なかに祈祷をたのむ振りをして、姿をかえて入り込むのじゃねえかと思うが、これも此の頃はちっとも来ねえというのじゃあ仕方がねえ。行者の奴らをつかまえるのは何日でも出来る。あいつ等はまあ当分は生簀にして置いて、ほかから来る奴らに気をつけろ」
多吉は承知して帰った。
それから半月ほど経ったが、多吉も源次も思わしい成績をあげることが出来なかった。その報告はいつも同じことで、夜になっては紙屋の息子のほかに誰も出這入りするものは無いとのことであった。行者の家でも女中が買物に出るほかには、誰も外出するものはないらしかった。
「半七、どうだ。貴様にしてはちっと足が鈍いな」
八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかった。こうなったら仕方がない。まず行者一家の者どもを引き挙げて、それをぶっ叩いて白状させるよりほかあるまいと、かれは内々でその手配りにかかっていると、あしたが池上のお会式という日の朝、多吉があわただしく駈け込んで来た。
「親分、紙屋の息子が二、三日前から姿を隠したようです」
「行者はどうした」と、半七はすぐに訊いた。「まさかに駈け落ちをしたわけでもあるめえ」
「行者はやっぱり家にいます。それについて、行者の家の式部という奴がなにか紙屋へ掛け合いに行ったらしいんです」
そう云っているところへ源次も来た。
三