深川浅景

1話 深川浅景(1)

2,486字 約5分 2018年2月2日 公開

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 雨霽(あまあがり)梅雨空(つゆぞら)(くも)つてはゐるが大分(だいぶ)()(あつ)い。――日和癖(ひよりぐせ)で、何時(なんどき)ぱら/\と()ようも()れないから、案内者(あんないしや)同伴(つれ)も、(わたし)も、各自(おの/\)蝙蝠傘(かうもりがさ)……いはゆる洋傘(パラソル)とは()のれないのを――(いろ)(くろ)いのに、()もさゝないし、(たれ)(はゞか)るともなく、すぼめて(つゑ)につき、足駄(あしだ)泥濘(ぬかるみ)をこねてゐる。……

 いで、戰場(せんぢやう)(のぞ)(とき)は、雜兵(ざふひやう)(いへど)陣笠(ぢんがさ)をいたゞく。峰入(みねいり)山伏(やまぶし)(かひ)()く。時節(じせつ)がら、(やり)白馬(しろうま)といへば、モダンとかいふ(をんな)でも金剛杖(こんがうづゑ)がひと(とほ)り。……人生(じんせい)(いやし)くも永代(えいたい)(わた)つて、辰巳(たつみ)(かぜ)()かれようといふのに、足駄(あしだ)蝙蝠傘(かうもりがさ)何事(なにごと)だ。

 ()うした(こと)か、今年(ことし)夏帽子(なつばうし)格安(かくやす)だつたから、麥稈(むぎわら)だけは(あたら)しいのをとゝのへたが、さつと()つたら、さそくにふところへねぢ()まうし、(かぜ)()られては(こと)だと……ちよつと意氣(いき)にはかぶれない。「()きますよ。ご用心(ようじん)。」「心得(こゝろえ)た。」で、(みゝ)へがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人(りやうにん)

 (あゐ)なり、(こん)なり、萬筋(まんすぢ)どころの單衣(ひとへ)に、少々(せう/\)綿入(めんいり)()羽織(はおり)(こん)(しろ)たびで、ばしや/\とはねを()げながら、「それ(また)(みづ)たまりでござる。」「如何(いか)にも(ぬま)にて(さふらふ)。」と、鷺歩行(さぎあるき)(こし)(ひね)つて()く。……といふのでは、深川見物(ふかがはけんぶつ)落着(おちつ)(ところ)大概(たいがい)()れてゐる。はま(なべ)、あをやぎの時節(じせつ)でなし、鰌汁(どぢやうじる)可恐(おそろ)しい、せい/″\門前(もんぜん)あたりの蕎麥屋(そばや)か、境内(けいだい)團子屋(だんごや)で、雜煮(ざふに)のぬきで(びん)ごと正宗(まさむね)(かん)であらう。(したが)つて、洲崎(すさき)だの、仲町(なかちやう)だの、諸入費(しよにふひ)()かる場所(ばしよ)へは、()ひて御案内(ごあんない)(まを)さないから、讀者(どくしや)安心(あんしん)をなすつてよい。

 さて色氣(いろけ)()きとなれば、()うだらう。(そばに()いてきぬことわりや夏羽織(なつばおり))と古俳句(こはいく)にもある。羽織(はおり)をたゝんでふところへ()()んで、(から)ずねの尻端折(しりはしより)が、一層(いつそう)薩張(さつぱり)でよからうと(おも)つたが、女房(にようぼう)産氣(さんけ)づいて産婆(さんば)のとこへかけ()すのではない。今日(けふ)日日新聞社(にち/\しんぶんしや)社用(しやよう)()()た。お(つと)めがらに(たい)しても、(いさゝ)(とり)つくろはずばあるべからずと、(むね)のひもだけはきちんとしてゐて……(あつ)いから時々(とき/″\)だらける。……

「――旦那(だんな)、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」

 と(わたし)がいふと、同伴(つれ)蝙蝠傘(かうもりがさ)のさきで爪皮(つまかは)(つゝ)きながら、

「――そこを眞直(まつすぐ)福島橋(ふくしまばし)で、そのさきが、お不動樣(ふどうさま)ですよ、と(ゑん)タクのがいひましたね。」

 (いま)しがた、永代橋(えいたいばし)(わた)つた(ところ)で、よしと()()けて、あの、(ひと)(くるま)()()げて織違(おりちが)ふ、さながら繁昌記(はんじやうき)眞中(まんなか)へこぼれて()て、(あま)りその(へん)のかはりやうに、ぽかんとして()つた(とき)であつた。「(こち)黒鯛(くろだひ)のぴち/\はねる、夜店(よみせ)()つ、……魚市(うをいち)(ところ)は?」「あの、()()(した)黒江町(くろえちやう)……」と同伴(つれ)(ゆび)さしをする、その()()が、(した)往來(わうらい)(およ)がせて、すつと(ひら)いて、(とほ)くなるやうに()えるまで、(ひと)あしは(なが)れて、橋袂(はしたもと)(ひろ)い。

 (わたし)は、(じつ)震災(しんさい)のあと、永代橋(えいたいばし)(わた)つたのは、その()がはじめてだつたのである。二人(ふたり)風恰好亦如件(ふうつきまたくだんのごとし)……で、運轉手(うんてんしゆ)前途(ゆくて)(あん)じてくれたのに無理(むり)はない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかり(まを)()はせた(ごと)く、麥稈(むぎわら)をゆり(なほ)して、そこで、(ひだり)佐賀町(さがちやう)(はう)(はひ)つたのであるが。

 さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら/\、ぐわらとすさまじい(おと)()てて、貨物車(くわもつしや)(みち)()ちひしいで()(とほ)る。それあぶない、とよけるあとから、(また)ぐわら/\と()つて()る。どしん、づん/\づづんと(ひゞ)く。

 ()(つち)がまだそれなりのもあるらしい、道惡(みちわる)()つて(はひ)ると、その(くせ)人通(ひとどほり)(すくな)く、バラツク(だて)(のき)まばらに、(すみ)()つて、(めう)にさみしい。

 休業(きうげふ)のはり(ふだ)して、ぴたりと(とびら)をとざした、(なん)とか銀行(ぎんかう)窓々(まど/\)が、觀念(くわんねん)(まなこ)をふさいだやうに、灰色(はひいろ)にねむつてゐるのを、近所(きんじよ)女房(かみさん)らしいのが、(しろ)いエプロンの(うす)よごれた服裝(なり)で、まだ二時半前(やつまへ)だのに、(あを)くあせた門柱(もんちう)()()つて、()夕暮(ゆふぐれ)らしく、(くも)(ぞら)(あふ)ぐも、ものあはれ。……(かもめ)のかはりに(からす)()ばう。町筋(まちすぢ)(とほ)して()いて()える、(なが)れの(みづ)(みな)(くろ)い。……

 銀行(ぎんかう)(よこ)にして、片側(かたがは)()(はら)正面(しやうめん)に、野中(のなか)一軒家(いつけんや)(ごと)く、長方形(ちやうはうけい)()つた假普請(かりぶしん)洋館(やうくわん)一棟(ひとむね)(のき)へぶつつけがきの((かは))の()(おほ)きく()えた。

 (よる)は((かは))の()(なら)んだその屋號(やがう)に、電燈(でんとう)がきら/\とかゞやくのであらうも()れない。あからさまにはいはないが、これは(わたし)()つた米問屋(くわいまいどんや)である。――((おほ)きく()たな。)――當今(たうこん)三等米(さんとうまい)一升(いつしよう)につき約四十三錢(やくよんじふさんせん)()(ろん)ずるものに、米問屋(くわいまいどんや)知己(ちき)があらう(はず)はない。……こゝの御新姐(ごしんぞ)の、人形町(にんぎやうちやう)娘時代(むすめじだい)(あづ)かつた、女學校(ぢよがくかう)先生(せんせい)(とほ)して、ほのかに樣子(やうす)()つてゐるので……以前(いぜん)(わたし)(ちひ)さな(さく)(なか)に、(すこ)家造(やづく)りだけ借用(しやくよう)した(こと)がある。

 御存(ごぞん)じの(とほ)り、佐賀町(さがちやう)一廓(いつくわく)は、(ほとん)(のき)ならび問屋(とんや)といつてもよかつた。(かま)へも(ほゞ)(おな)じやうだと()くから、(むかし)をしのぶよすがに、その時分(じぶん)(いへ)のさまを(すこ)しいはう。いま()のバラツク(だて)洋館(やうくわん)(たい)して――こゝに見取圖(みとりづ)がある。――(ことわ)るまでもないが、地續(ぢつゞ)きだからといつて、吉良邸(きらてい)のでは(けつ)してない。米價(べいか)はその(ころ)高値(たかね)だつたが、(あへ)夜討(よう)ちを()ける繪圖面(ゑづめん)ではないのであるが、(まち)(むか)つて(ひのき)木戸(きど)(みぎ)忍返(しのびがへ)しの(へい)(むか)つて本磨(ほんみが)きの千本格子(せんぼんがうし)奧深(おくふか)(しづ)まつて、(あひた)植込(うゑこみ)(みどり)(なか)石燈籠(いしどうろう)(かげ)(あを)い。藏庫(くら)河岸(かし)(そろ)つて、()揚下(あげおろ)しは(ふね)()ぐに取引(とりひ)きが()むから、店口(みせぐち)はしもた()(おな)(こと)煙草盆(たばこぼん)にほこりも()かぬ。……その玄關(げんくわん)六疊(ろくでふ)の、(みぎ)へ《まは》り(えん)(には)に、物數寄(ものずき)()せて六疊(ろくでふ)十疊(じふでふ)(つぎ)八疊(はちでふ)(つゞ)いて八疊(はちでふ)(かは)張出(はりだ)しの欄干下(らんかんした)を、茶船(ちやぶね)浩々(かう/\)()ぎ、傳馬船(てんま)洋々(やう/\)として(うか)ぶ。中二階(ちうにかい)六疊(ろくでふ)(なか)にはさんで、梯子段(はしごだん)(わか)れて二階(にかい)二間(ふたま)八疊(はちでふ)十疊(じふでふ)――ざつとこの間取(まど)りで、なかんづくその中二階(ちうにかい)(あを)すだれに、(むらさき)(ふさ)のしつとりした岐阜提灯(ぎふぢやうちん)淺葱(あさぎ)にすくのに、湯上(ゆあが)りの浴衣(ゆかた)がうつる。姿(すがた)婀娜(あだ)でもお(めかけ)ではないから、團扇(うちは)小間使(こまづかひ)指圖(さしづ)するやうな行儀(ぎやうぎ)でない。「(すこ)(かぜ)()ぎる(こと)」と、自分(じぶん)でらふそくに()()れる。この面影(おもかげ)が、ぬれ(いろ)圓髷(まるまげ)(つや)(くし)(てり)とともに、(やなぎ)をすべつて、紫陽花(あぢさゐ)(つゆ)とともに、(ながれ)にしたゝらうといふ寸法(すんぱふ)であつたらしい。……

 (わたし)(まち)のさまを()るために、この木戸(きど)通過(とほりす)ぎた(こと)がある。前庭(まへには)植込(うゑこみ)には、きり(しま)がほんのりと()(のこ)つて、(をり)から人通(ひとどほ)りもなしに、眞日中(まつぴなか)忍返(しのびがへ)しの(した)に、金魚賣(きんぎようり)()(おろ)して、煙草(たばこ)()かして(やす)んでゐた。

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