化銀杏

5話

1,680字 約3分 2006年8月8日 公開

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「それからというものは、私はまるで気ぬけがしたようで、内の中でも一番薄暗い、三畳の()へ入っちゃあ、どういうものだかね、隅の方へちゃんと坐って、壁の方を向いて、しくしく泣くのが癖になってね、長い間治らなかったの。そうこうするうち()が出来たわ。

 可笑(おかし)いじゃないかねえ。」

 お貞は苦々しげに打笑みたり。

「妙なものがころがり出してしまってさ、翌年(あくるとし)の十月のことなのよ。」

 と言懸けてお貞はもの案じ顔に見えたりしが、

「そうそう、芳ちゃん、まだその(さき)にね、旦那がさ、東京へ行って三月めから、毎月々々一枚ずつ、月の朔日(ついたち)にはきっと写真を写してね、欠かさず私に送って寄来(よこ)すんだよ。まあ、御深切様じゃないかね。そのたんびに手紙がついてて、(いや今月は少し()せた)の、(今度は少し眼が悪い)の、(どうだ先月と合わしてみい、ちっとあ(ふと)って見えよう)なんて、言書(ことばがき)が着いてたわ。

 私ゃお祖父さんのことばかり考えて、別に何にも良人(さき)の事は思わないもんだから、ちょいと見たばかりで、ずんずん葛籠(つづら)(なか)へしまいこんで打棄(うっちゃ)っといたわ。すると、いつのことだッけか、何かの拍子、お友達にめっかってね、

(まあ! お貞さん、旦那様は飛んだ御深切なお方だねえ。)サ(ひど)(くすぐ)ったもんだろうじゃあないかえ。

 それもそのはずだね。写真の裏に一葉(ひとつ)々々、お墨附があってよ。年、月、日、西岡時彦写之(これをうつす)、お貞殿へさ。

 私もつい口惜(くやし)紛れに、(写真の儀はお見合せ下されたく、あまりあまり人につけても)ッさ。何があまりあまりだろう、可笑(おかし)いね。そういってやると、それッきりおやめになったが、十四五枚もあった写真を、また見られちゃあ困ると思ったがね、人にも()られず、焼くことも出来ずさ、仕方がないから、一(まと)めにして、お持仏様の奥ン処へ()れておいてよ。毎日拝んだから可いではないかね。」

 先刻(さき)に干したる湯呑の中へ、吸子の茶の濃くなれるを、細く長くうつしこみて、ぐっと一口飲みたるが、あまり苦かりしにや湯をさしたり。

 少年はただ黙して聞きぬ。

 お貞は口をうるおして、

()が出来る、もうそのしくしく泣いてばかりいる癖はなくなッて、小児(こども)にばかり気を取られて、(ほか)に何にも考えることも、思うこともなくッて、ま、五歳(いつつ)六歳(むッつ)の時は知らず、そのしばらくの間ほど、苦労のなかった時はないよ。

 すると、その夏の(はじめ)の頃、戸外(おもて)にがらがらと腕車(くるま)(とま)って、入って来た男があったの。沓脱(くつぬぎ)突立(つった)ってて、案内もしないから、寝かし着けていた坊やを置いて、私が上り口に出て行って、

誰方(どなた)、)といって、ふいと見ると驚いたが、よくよく見ると旦那なのよ。旦那は旦那だが、見違えるほど()せていて、ま、それも可いが妙な恰好(かっこう)さ。

 大きな眼鏡のね、黒磨(くろずり)でもって、眉毛から眼へかけて、頬ッペたが半分隠れようという黒眼鏡を懸けて、希代さね、何のためだろう。それにあのそれ呼吸器とかいうものを口へ押着(おッつ)けてさ、おまけに(ひげ)を生やしてるじゃあないか。それで高帽子(たかじゃっぽ)で、羽織がというと、(しま)透綾(すきや)を黒に染返したのに、五三の何か縫着紋(ぬいつけもん)で、少し丈不足(たけたらず)というのを着て、お召が、阿波縮(あわちぢみ)で、浅葱(あさぎ)唐縮緬(とうちりめん)兵児帯(へこおび)()めてたわ。

 どうだい、芳さん、私も思わず知らず莞爾(にっこり)したよ、これは帰って来たのが嬉しいのより、いっそその恰好が可笑(おかし)かったせいなのよ。

 病気で帰ったというこッたから、私も心配をして、看病をしたがね、胃病だというので、ちょいとは()くならない。一月も二月も、そうさ、かれこれ三月ばかりもぶらぶらして、段々瘠せるもんだから、坊やは居るし、私もつい心細くなッて、そっと夜出掛けちゃあお百度を踏んだのよ。するとね、その事が分ったかして、

(お貞、そんなに(おれ)を治したいか)ッて、私の顔を(みつ)めるからね。何の気なしで、(はい、あなたがよくなって下さいませねば、どうしましょう、私どもは路頭に立たなければなりません。)と真実(ほんとう)の処をいったのよ。

 さあ怒ったの、怒らないのじゃあない。(それでは手前、活計(くらし)のために夫婦になったか。そんな水臭い奴とは知らなんだ。)と顔の色まで変えるから、私は弱ったの、何のじゃない、どうしようかと思ったわ。」

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