化銀杏

8話

994字 約2分 2006年8月8日 公開

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 お貞はいかに驚きしぞ、戸のあくともろともに器械のごとく()ね上りて、夢中に上り口に出迎(いでむか)えつ。(あお)くなりて瞳を据えたる、沓脱(くつぬぎ)の処に立ちたるは、洋服扮装(でたち)の紳士なり。(おとがい)細く、顔(まろ)く、大きさ過ぎたる鼻の下に、(いや)しげなる八字髭(はちじひげ)の上唇を(おお)わんばかり、濃く茂れるを貯えたるが、(かお)との配合を(あやま)れり。(まなこ)はいと小さく、(まなじり)垂れて、あるかなきかを(あやし)むばかり、殊に眉毛の形乱れて、墨をなすりたるごとくなるに、額には幾条の深く刻める(しわ)あれば、実際よりは老けて見ゆべき、年紀(とし)は五十の前後ならむ、その顔に眼鏡を懸け、黒の高帽子を(かぶ)りたるは、これぞ(ちょいとこさ)という動物にて、うわさせし人の影なりける。

 良夫(おっと)と誤り、良夫と見て、胸は早鐘を()くごとき、お貞はその良人ならざるに腹立ちけむ、(おもて)を赤め、瞳を据えて、()とその面を(みまも)りたる、来客は帽を脱して、(うやうや)しく一礼し、左手(ゆんで)(ひさ)げたる革鞄(かばん)(うち)より、(ちいさ)き旗を取出(とりいだ)して、臆面もなくお貞の前に差出しつ。

「日本大勝利、万歳。」

 と謂いたるのみ、顔の筋をも動かさで、(ちょいとこさ)は反身(そりみ)になり、澄し返りて控えたり。

 渠がかくのごとくなす時は、二厘三厘思い思いに、その(たなそこ)に投げ遣るべき金沢市中の通者(とおりもの)となりおれる僥倖(ぎょうこう)なる(おのこ)なりき。

「ちょいとこ、ちょいとこ、ちょいとこさ。」

 と渠は、もと異様なる節を附し両手を()りて躍りながら、数年来金沢市内三百余町に飴を売りつつ往来して、十万の人一般に、よくその面を(みし)られたるが、征清(せいしん)のことありしより、渠は活計(たつき)の趣向を変えつ。すなわち先のごとくにして軒ごとを見舞いあるき、怜悧(れいり)米塩(べいえん)の料を稼ぐなりけり。

 渠は常にものいわず、極めて生真面目(きまじめ)にして、人のその笑えるをだに見しものもあらざれども、(かた)のごとき白痴者なれば、侮慢(ぶまん)は常に嘲笑(ちょうしょう)となる、世に最も(いやし)まるる者は時としては滑稽(こっけい)の材となりて、金沢の人士(ひと)は一分時の(わらい)(しろ)にとて、渠に二三厘を払うなり。

 お貞はようやく胸を()でて、(ひやや)かに(もと)の座に直りつ。代価は見てのお戻りなる、この滑稽劇を見物しながら、いまだ木戸銭を払わざるにぞ、(ちょいとこさ)は身動きだもせで、そのままそこに突立(つった)ちおれり。

 ややありてお貞は心着きけむ、長火鉢の引出(ひきだし)を明けて、渠に与うべき小銭を探すに、少年は(かたわら)より、

「姉さん、湯銭のつりがあるよ、おい。」

 と板敷に投出せば、(ちょいとこさ)は手に取りて、高帽子を(かぶ)ると(ひと)しく、威儀を正して出行(いでゆ)きたり。

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