みつ柏

1話 曠野

3,547字 約7分 2011年10月13日 公開

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「はゝあ、()(だう)がある所爲(せゐ)で==陰陽界(いんやうかい)==などと石碑(せきひ)にほりつけたんだな。(ひと)(おどろ)かしやがつて、(わる)洒落(しやれ)だ。」

 と野中(のなか)古廟(こべう)(はひ)つて、一休(ひとやす)みしながら、苦笑(にがわらひ)をして、(さび)しさうに獨言(ひとりごと)()つたのは、(むかし)四川都縣(しせんほうとけん)御城代家老(ごじやうだいがらう)手紙(てがみ)()つて、遙々(はる/″\)燕州(えんしう)殿樣(とのさま)使(つかひ)をする、一刀(いつぽん)さした威勢(ゐせい)()いお飛脚(ひきやく)で。

 途次(みちすがら)()()(きこ)えた鬼門關(きもんくわん)()ぎようとして、不案内(ふあんない)(みち)踏迷(ふみまよ)つて、(やつ)辿着(たどりつ)いたのが()古廟(こべう)で、べろんと(ひたひ)禿()げた大王(だいわう)が、正面(しやうめん)(くち)(くわつ)()けてござる、うら()()(たゞ)(ひと)つ、閻魔堂(えんまだう)心細(こゝろぼそ)さ。

第一(だいいち)場所(ばしよ)(わる)いや、鬼門關(きもんくわん)でおいでなさる、串戲(じようだん)ぢやねえ。()しからず(きり)(かゝ)つて方角(はうがく)(わか)らねえ。石碑(せきひ)(ちから)だ==(みぎ)()けば燕州(えんしう)(みち)==とでもしてあるだらうと(おも)つて()りや、陰陽界(いんやうかい)==は氣障(きざ)だ。思出(おもひだ)しても悚然(ぞつ)とすら。」

 飛脚(ひきやく)大波(おほなみ)(たゞよ)(ごと)く、鬼門關(きもんくわん)(およ)がされて、(から)くも燈明臺(とうみやうだい)(みと)めた一基(いつき)路端(みちばた)(ふる)石碑(せきひ)(それ)さへ(こけ)(うも)れたのを、燈心(とうしん)掻立(かきた)てる意氣組(いきぐみ)で、(ひきむし)るやうに拂落(はらひおと)して、(みなみ)(きた)方角(はうがく)()むつもりが、ぶる/\と十本(じつぽん)(ゆび)(ふる)はして、(おど)かし()けるやうな()で、(いは)く==陰陽界(いんやうかい)==とあつたので、一竦(ひとすく)みに(ちゞ)んで、娑婆(しやば)逃出(にげだ)すばかりに夢中(むちう)此處(こゝ)まで()けたのであつた。が、此處(こゝ)成程(なるほど)(おも)つた。石碑(せきひ)(おもて)()(かい)するには、(だう)閻魔(えんま)のござるが、女體(によたい)よりも頼母(たのも)しい。

可厭(いや)大袈裟(おほげさ)(あら)はしたぢやねえか==陰陽界(いんやうかい)==なんのつて。これぢや遊廓(くるわ)大門(おほもん)に==色慾界(しきよくかい)==とかゝざあなるめえ。」

 と、大分(だいぶ)娑婆(しやば)()る。

「だが、()(をが)んだ(ところ)はよ、閻魔樣(えんまさま)(かほ)()ふものは、(ぼん)十六日(じふろくにち)小遣錢(こづかひぜに)()つてお()(かゝ)つた(とき)(ほか)は、(あま)喝采(やんや)とは()かねえもんだ。……どれ、(いそ)がうか。」

 で、(ふた)(さげ)煙管(きせる)突込(つツこ)み、

「へい、殿樣(とのさま)へ、御免(ごめん)なせいまし。」と(しり)からげの(しま)つた脚絆(きやはん)。もろに(そろ)へて(こし)(かゞ)めて揉手(もみで)をしながら、ふと()ると、大王(だいわう)左右(さいう)御傍立(おわきだち)(ひと)つは()ちたか、(こは)れたか、大破(たいは)古廟(こべう)(かたち)()めず。(みぎ)一體(いつたい)牛頭(ごづ)馬頭(めづ)の、あの、誰方(どなた)御存(ごぞん)じの――(たれ)御存(ごぞん)じなものですか――牛頭(ごづ)(おに)(ざう)があつたが、砂埃(すなほこり)(まみ)れた(うへ)へ、(かほ)半分(はんぶん)、べたりとしやぼんを(なが)したやうに、したゝかな蜘蛛(くも)()であつた。

坊主(ばうず)()ねえか、無住(むぢう)だな。(ひど)荒果(あれは)てたもんぢやねえか。蜘蛛(くも)(やつ)めも、殿樣(とのさま)(はう)には遠慮(ゑんりよ)したと()えて、御家來(ごけらい)(かほ)へ《しんにふ》を()けやがつた。なあ、これ、御家來(ごけらい)()へば此方人等(こちとら)だ。()(また)家來(けらい)(また)家來(けらい)()ふんだけれど、お(たがひ)(つま)りませんや。これぢや、なんぼお木像(もくざう)でも鬱陶(うつたう)しからう、お()(どく)だ。」

 と、兩袖(りやうそで)()げて、はた/\と(はら)つて、(さつ)(ほこり)()いて()ると、(ごみ)()せて、クシヤと圖拔(づぬ)けな(くしやみ)をした。

「ほい。」と()(とき)、もう枯草(かれくさ)(だん)()りて()る、(くしやみ)()んだ身輕(みがる)足取(あしどり)

 まだ方角(はうがく)(たしか)でない。旅馴(たびな)れた()野宿(のじゆく)覺悟(かくご)で、(かすか)黒雲(くろくも)(ごと)(ひく)(やま)四方(しはう)(つゝ)んだ、(はひ)のやうな渺茫(べうばう)たる荒野(あらの)(あし)にまかせて辿(たど)ること二里(にり)ばかり。

 前途(ゆくて)に、さら/\と()るは(みづ)(こゑ)

 (さて)(ながれ)がある。(さと)もやがて(ちか)からう。

 雖然(けれども)野路(のみち)行暮(ゆきく)れて、(まへ)(なが)れの(おと)()くほど、うら(さび)しいものは()い。(ひと)つは村里(むらざと)(ちかづ)いたと(おも)ふまゝに、里心(さとごころ)がついて、(きふ)人懷(ひとなつ)かしさに()へないのと、(ひと)つは、(みづ)のために前途(ゆくて)()たれて、(わた)るに(はし)のない憂慮(きづか)はしさとである。

 (たゞ)仔細(しさい)のない小川(をがは)であつた。燒杭(やけぐひ)(たふ)したやうな、黒焦(くろこげ)丸木橋(まるきばし)(わた)してある。

 ()()(はし)(むか)(ぎは)に、(あさ)(きし)(ながれ)(のぞ)んで、(たば)(がみ)襟許(えりもと)(しろ)く、褄端折(つまはしよ)りした蹴出(けだ)しの(うす)(あを)いのが、朦朧(もうろう)として其處(そこ)俯向(うつむ)いて()(あら)ふ、と()た。()()大根(だいこん)()とは(ちが)ふ。

 葡萄色(ぶだういろ)(あゐ)がかつて、づる/\と(つる)()つて、()(はす)()肖如(そつくり)で、古沼(ふるぬま)()けもしさうな(おほき)蓴菜(じゆんさい)(かたち)である。

 はて、(なん)()だ、と(おも)ひながら、(こゑ)()けようとして、(ひと)(しはぶき)をすると、(これ)(はじ)めて心着(こゝろづ)いたらしく、()(あら)()(をんな)(かほ)()げた。夕間暮(ゆふまぐれ)なる(まゆ)(かげ)(びん)()(もつ)れたが、目鼻立(めはなだ)ちも判明(はつきり)した、容色(きりやう)のいゝのを一目(ひとめ)()ると、(あつ)、と其處(そこ)飛脚(ひきやく)尻餅(しりもち)()いたも道理(だうり)こそ。一昨年(をとゝし)()くなつた女房(にようばう)であつた。

「あら、(てい)さん。」

 と(をんな)吃驚(びつくり)。――亭主(ていしゆ)(てい)()ふのではない。飛脚(ひきやく)()丁隷(ていれい)である。

「まあ、お(まへ)さん、()うして此處(こゝ)へ、()んだ(こと)ぢやありませんかねえ。」

 人間界(にんげんかい)ではないものを……と、(たつ)(いま)亭主(ていしゆ)()なれたやうな(こゑ)をして、(やさ)しい女房(にようばう)(なみだ)ぐむ。(おも)ひがけない、可懷(なつか)しさに(むね)(せま)つたらう。

 丁告之以故(ていこれにつぐるにゆゑをもつてす)。――却説(さて)一體(いつたい)此處(こゝ)何處(どこ)だ、と()くと、冥土(めいど)、と(こた)へて、(わたし)()(あと)閻魔王(えんまわう)足輕(あしがる)牛頭鬼(ごづおに)のために(めと)られて、(いま)()(つま)()つた、と()げた。

 飛脚(ひきやく)(むか)()ずに、少々(せう/\)()けて、

畜生(ちくしやう)め、そして(へん)なものを(あら)ふと(おも)つた。(てめえ)、そりや間男(まをとこ)(おに)腹卷(はらまき)ぢやねえかい。」

 (をんな)は、ぽツと(まぶた)()めながら、

馬鹿(ばか)なことをお()ひでない。(てい)さん、こんなお(まへ)さん、ぺら/\した……」

(かわ)くと(とら)(かは)(かは)(やつ)よ。」

()加減(かげん)なことをお()ひなさいな。(これ)はね、嬰兒(あかご)胞胎(えな)ですよ。」と()つた。

 十度(とたび)、これを(あら)ひたるものは、(うま)れし() 清秀(せいしう)にして(たつと)し。(あら)ふこと二三度(にさんど)なるものは、尋常(じんじやう)中位(ちうゐ)(ひと)、まるきり洗濯(せんたく)をしないのは、昏愚(こんぐ)穢濁(あいだく)にして、(しか)淫亂(いんらん)だ、と(をし)へたのである。

内職(ないしよく)(あら)ふんですわ。」

所帶(しよたい)苦勞(くらう)まで饒舌(しやべ)りやがる、畜生(ちくしやう)め。」

 とづか/\と(はし)(わた)()ける。

「あゝ、不可(いけな)い、其處(そこ)を。」と()()げて()める()もなく、足許(あしもと)に、パツと()()えて、わツと()(うつ)つた途端(とたん)に、丸木橋(まるきばし)はぢゆうと(みづ)()ちて、黄色(きいろ)(けむり)が――(もう)湧立(わきた)つ。

(なに)が、不可(いけね)え。(なん)内職(ないしよく)()()ぐれえ。」

 女房(にようばう)は、飛脚(ひきやく)()めつゝ(おどろ)發奮(はずみ)に、(しろ)(うで)()けた胞胎(えな)一條(ひとすぢ)(なが)したのであつた。

(いゝえ)、まあ、(なが)した(はう)は、お()(どく)娑婆(しやば)一人(ひとり)流産(りうざん)をしませうけれど、そんな(こと)よりお(まへ)さん、(はし)(わた)らない(まへ)だと、まだ()うにか、仕樣(しやう)分別(ふんべつ)もありましたらうけれど、氣短(きみじか)飛越(とびこ)して(しま)つてさ。」

「べらぼうめ、飛越(とびこ)したぐらゐの、ちよろ(がは)だ、また飛返(とびかへ)るに仔細(しさい)はあるめえ。」と、いきつて見返(みかへ)すと、こはいかに、(たちま)渺々(べう/\)たる大河(たいが)()つて、幾千里(いくせんり)なるや(はて)()ず。

 飛脚(ひきやく)は、ハツと()(くら)んで、女房(にようばう)縋着(すがりつ)いた。

 ()ひても(こば)まず、(きま)(わる)げに、

(はな)して(くだ)さい、()られると(わる)いから。」

(たす)けてくれ。」

「まあ、(わたし)()うしたら()いでせう。……」

 と(いろ)つぽく()()んで、

「とに(かく)(うち)へおいでなさいまし。」

(たす)けてくれ。」

 (かは)可恐(おそろ)しさに氣落(きおち)がして、(ほとん)(こし)()たない(をとこ)を、女房(にようばう)()()いて、(とほ)くもない、(ゑんじゆ)()()森々(しん/\)()つた、青煉瓦(あをれんぐわ)で、藁葺屋根(わらぶきやね)の、(めう)住居(すまひ)(ともな)つた。

 飛脚(ひきやく)草鞋(わらぢ)()ぐうちに、女房(にようばう)(つま)をおろした。

 まだ夕飯(ゆふはん)(まへ)である。

 部屋(へや)(あかし)()ける途端(とたん)に、入口(いりぐち)(とびら)をコト/\と(かる)(たゝ)くものがある。

 (しろ)(ほゝ)(くち)()せつゝ、(ごく)低聲(こごゑ)で、

(だれ)だい、(だれ)だい。」

(うち)(ひと)よ。」

(やあ)(おに)か。」

 と(うら)めしさうに、女房(にようばう)(かほ)をじろり。で、(あわ)てて寢臺(ねだい)(した)潛込(もぐりこ)む。

 (ぬの)(かく)して、

「はい、唯今(たゞいま)。」

 (とびら)()ける、とスーと(はひ)つた。とゞろ/\と踏鳴(ふみな)らしもしない、(かる)(くつ)(おと)も、()(はず)で、ぽかりと帽子(ばうし)()ぐやうに(つの)()えた(めん)()つて、一寸(ちよつと)(かべ)(くぎ)()けた、(かほ)()ると、(なん)と! 色白(いろじろ)細面(ほそおもて)で、(かみ)()けたハイカラな好男子(かうだんし)

「いや、()うも、今日(けふ)閻王(たいしやう)役所(やくしよ)(しら)べものが立込(たてこ)んで、(ひど)(よわ)つたよ。」

 と(はら)()いたか、げつそりとした風采(ふうつき)。ひよろりとして飛脚(ひきやく)(あたま)(まへ)にある椅子(いす)にぐたりと(こし)()けた、が、(ほそ)身體(からだ)をぶる/\と()つた。

人臭(ひとくさ)いぞ、(へん)だ。(ひど)(にほ)ふ、フン、ハン。」

 と(かぎまは)して、

「これは生々(なま/\)とした(にほ)ひだ。眞個(まつたく)人臭(まひとくさ)い。」

 前刻(さつき)から、()()げたり、()げたり、(むね)(なみ)()たして()女房(にようばう)(こゝ)(おい)()(かく)(おほ)すべきにあらざるを()つて、()(ひざ)()いて、前夫(ぜんぷ)飛脚(ひきやく)()()つて曳出(ひきだ)すとともに、(をつと)足許(あしもと)(ひざまづ)いて、哀求(あいきう)す。(いは)く、

後生(ごしやう)でござんす。」――と仔細(しさい)(かた)る。

 曳出(ひきだ)された飛脚(ひきやく)は、人間(にんげん)()うして、こんな場合(ばあひ)(もた)げると(すこ)しも(かは)らぬ(つら)(もた)げて、ト牛頭(ごづ)(かほ)見合(みあ)はせた。

家内(かない)が。)(家内(かない)が。)と雙方(さうはう)同音(どうおん)()つたが==毎々(まい/\)世話(せわ)に==と()ふべき(ところ)を、同時(どうじ)兩方(りやうはう)でのみ()みの一寸(ちよつと)默然(だんまり)

()(とき)のよ、(おれ)(かほ)()たからうが、牛頭(ごづ)(かほ)も、そりや()せたかつた。」

 と、蘇生(よみがへ)つて(とし)()てから、(てい)飛脚(ひきやく)が、内證(ないしよう)で、兄弟分(きやうだいぶん)(はな)したと(つた)へられる。

 (とき)其時(そのとき)牛頭(ごづ)慇懃(いんぎん)(あらた)めて挨拶(あいさつ)した。

貴方(あなた)、お()をお()(くだ)さい。家内(かない)とは一方(ひとかた)ならぬ。」と()ひかけて(いや)(かほ)もしないが、(をんな)兩方(りやうはう)見較(みくら)べながら、

御懇意(ごこんい)(あひだ)()ひ、それにです。貴方(あなた)(わたし)のためには恩人(おんじん)でおいでなさる。――お(まへ)もお()きよ、(わたし)毎日(まいにち)出勤(しゆつきん)するあの破堂(やぶれだう)(なか)で、(かほ)(あせ)だらけ、砂埃(すなぼこり)()(うへ)蜘蛛(くも)()で、目口(めくち)()かない、可恐(ひど)(よわ)つた(ところ)を、()のお(かた)だ、(そで)綺麗(きれい)にして(くだ)すつた。……お(すく)(まを)さないでおかるゝものか。」

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