31話 古事記 中つ卷 〔久米歌〕
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かれここに宇陀に、兄宇迦斯弟宇迦斯一と二人あり。かれまづ八咫烏を遣はして、二人に問はしめたまはく、「今、天つ神の御子幸でませり。汝たち仕へまつらむや」と問ひたまひき。ここに兄宇迦斯、鳴鏑もちて、その使を待ち射返しき。かれその鳴鏑の落ちし地を、訶夫羅前二といふ。「待ち撃たむ」といひて、軍を聚めしかども、軍をえ聚めざりしかば、仕へまつらむと欺陽りて、大殿を作りて、その殿内に押機を作りて待つ時に、弟宇迦斯まづまゐ向へて、拜みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれば、殿を作り、その内に押機を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顯はしまをす」とまをしき。ここに大伴の連等が祖道の臣の命、久米の直等が祖大久米の命二人、兄宇迦斯を召びて、罵りていはく、「《い》三が作り仕へまつれる大殿内には、おれ四まづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀の手上握り五、矛ゆけ矢刺して六、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押機に打たれて死にき。ここに控き出して斬り散りき。かれ其地を宇陀の血原七といふ。然してその弟宇迦斯が獻れる大饗をば、悉にその御軍に賜ひき。この時、御歌よみしたまひしく、
宇陀の 高城八に 鴫羂張る。
我が待つや九 鴫は障らず、
いすくはし一〇 鷹ら障る一一。
前妻一二が 菜乞はさば、
立柧一三の 實の無けくを
こきしひゑね一四。
後妻一五が 菜乞はさば、
《いちさかき》實一六の大けくを
こきだひゑね一七 (歌謠番號一〇)
ええ、しやこしや。こはいのごふぞ一八。ああ、しやこしや。こは嘲咲ふぞ。かれその弟宇迦斯、こは宇陀の水取等が祖なり。
其地より幸でまして、忍坂一九の大室に到りたまふ時に、尾ある土雲二〇八十建、その室にありて待ちいなる二一。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗を八十建に賜ひき。ここに八十建に宛てて、八十膳夫を設けて、人ごとに刀佩けてその膳夫どもに、誨へたまはく、「歌を聞かば、一時に斬れ」とのりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明して歌よみしたまひしく、
忍坂の 大室屋に
人多に 來入り居り。
人多に 入り居りとも、
みつみつし二二 久米の子が、
頭椎い二三 石椎いもち
撃ちてしやまむ。
みつみつし 久米の子らが、
頭椎い 石椎いもち
今撃たば善らし。 (歌謠番號一一)
かく歌ひて、刀を拔きて、一時に打ち殺しつ。
然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
粟生には 臭韮一莖二四、
そねが莖 そね芽繋ぎ二五て
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一二)
また、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
垣下に 植ゑし山椒二六、
口ひひく二七 吾は忘れじ。
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一三)
また、歌よみしたまひしく、
神風の二八 伊勢の海の
大石に はひもとほろふ二九
細螺三〇の、いはひもとほり
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一四)
また兄師木弟師木三一を撃ちたまふ時に、御軍暫疲れたり。ここに歌よみしたまひしく、
楯並めて三二 伊那佐の山三三の
樹の間よも い行きまもらひ三四
戰へば 吾はや飢ぬ三五。
島つ鳥三六 鵜養が徒三七、
今助けに來ね。 (歌謠番號一五)
かれここに邇藝速日の命三八まゐ赴きて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子天降りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り來つ」とまをして、天つ瑞三九を獻りて仕へまつりき。かれ邇藝速日の命、登美毘古が妹登美夜毘賣に娶ひて生める子、宇摩志麻遲の命。こは物部の連、穗積の臣、臣が祖なり。かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやはし、伏はぬ人どもを退け撥ひて、畝火の白檮原の宮四〇にましまして、天の下治らしめしき。
一 ウカチの地に居る人の義。兄弟とするのは首領と副首領の意。
二 所在不明。
三 二人稱の賤稱。
四 同前。既出。
五 大刀のつかをしかと握つて。
六 矛を向け矢をつがえて。
七 所在不明。
八 高い築造物。
九 ヤは間投の助詞。
一〇 枕詞。語義不明。
一一 朝鮮語に鷹をクチという。鯨とする説もある。この句まで譬喩。
一二 コナミは前に娶つた妻。古い妻である。
一三 ソバノ木、カナメモチ。
一四 語義不明の句。原文、「許紀志斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキは動詞扱くとすれば上二段活になる。
一五 妻のある上に更に娶つた妻。
一六 ヒサカキ。
一七 語義不明の句。原文「許紀陀斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキダは、許多の意のコキダクと同語では無いらしい。
一八 いばるのだ。靈異記に犬が威壓するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。
一九 奈良縣磯城郡、泊瀬溪谷の入口。
二〇 穴居していた先住民。
二一 待ちうなる。
二二 敍述による枕詞。威勢のよい。
二三 既出の頭椎の大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。
二四 くさいニラが一本。
二五 その根もとと芽とを一つにして。
二六 シヨウガは藥用植物で外來種であるからここはサンショウだろうという。
二七 口がひりひりする。
二八 枕詞。國つ神が大風を起して退去したからいうと傳える。
二九 這いまわつている。
三〇 ラセン形の貝殼の貝。肉は食料にする。
三一 磯城の地に居た豪族。
三二 枕詞。楯を並べて射るとイの音に續く。
三三 奈良縣宇陀郡伊那佐村。
三四 樹の間から行き見守つて。
三五 わたしは飢え疲れた。
三六 枕詞。
三七 前出の阿多の鵜養たち。鵜に助けに來いというのは魚を持つて來いの意である。
三八 系統不明。舊事本紀にはオシホミミの命の子とする。
三九 天から持つて來た寶物。
四〇 奈良縣畝傍山の東南の地。