43話 古事記 中つ卷 〔美和の大物主〕
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この天皇の御世に「役病多に起り、人民盡きなむとしき。ここに天皇愁歎へたまひて、神牀一にましましける夜に、大物主の大神、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは我が御心なり。かれ意富多多泥古をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の氣起らず二、國も安平ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、驛使三を四方に班ちて、意富多多泥古といふ人を求むる時に、河内の美努の村四にその人を見得て、貢りき。ここに天皇問ひたまはく、「汝は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「僕は大物主の大神、陶津耳の命が女、活玉依毘賣に娶ひて生みませる子、名は櫛御方の命の子、飯肩巣見の命の子、建甕槌の命の子、僕意富多多泥古」とまをしき。
ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、人民榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、神主五として、御諸山六に、意富美和の大神の御前を拜き祭りたまひき。また伊迦賀色許男の命に仰せて、天の八十平瓮七を作り、天つ神地つ祇の社を定めまつりたまひき。また宇陀の墨坂八の神に、赤色の楯矛を祭り九、また大坂の神一〇に、墨色の楯矛を祭り、また坂の御尾の神、河の瀬の神までに、悉に遺忘ることなく幣帛まつりたまひき。これに因りて役の氣悉に息みて、國家安平ぎき。
この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる所以は、上にいへる活玉依毘賣、それ顏好かりき。ここに壯夫ありて、その形姿威儀時に比無きが、夜半の時にたちまち來たり。かれ相感でて共婚して、住めるほどに、いまだ幾何もあらねば、その美人姙みぬ。
ここに父母、その姙める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「汝はおのづから姙めり。夫無きにいかにかも姙める」と問ひしかば、答へて曰はく、「麗しき壯夫の、その名も知らぬが、夕ごとに來りて住めるほどに、おのづからに姙みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲ひて、その女に誨へつらくは、「赤土を床の邊に散らし、卷子紡麻を針に貫きて、その衣の襴に刺せ」と誨へき一一。かれ教へしが如して、旦時に見れば、針をつけたる麻は、戸の鉤穴より控き通りて出で、ただ遺れる麻一二は、三勾のみなりき。
ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその麻の三勾遺れるによりて、其地に名づけて美和といふなり。この意富多多泥古の命は、神の君、鴨の君が祖なり。
一 神に祈つて寢る床。夢に神意を得ようとする。
二 神のたたり。
三 馬に乘つて行く使。
四 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。
五 神のよりつく人。
六 奈良縣磯城郡の三輪山。
七 多くの平たい皿。既出の語。
八 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
九 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。
一〇 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
一一 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。
一二 絲卷に殘つた麻。