94話 古事記 下つ卷 〔春日の袁杼比賣と三重の采女〕
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また天皇、丸邇の佐都紀の臣が女、袁杼比賣を婚ひに、春日一にいでましし時、媛女、道に逢ひて、すなはち幸行を見て、岡邊に逃げ隱りき。かれ御歌よみしたまへる、その御歌、
孃子の い隱る岡を
金も 五百箇もがも二。
《す》き撥ぬるもの。 (歌謠番號一〇〇)
かれその岡に名づけて、金の岡といふ。
また天皇、長谷の百枝槻三の下にましまして、豐の樂きこしめしし時に、伊勢の國の三重の《うねめ》四、大御盞を捧げて獻りき。ここにその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮びき。その、落葉の御盞に浮べるを知らずて、なほ大御酒獻りけるに、天皇、その御盞に浮べる葉を看そなはして、そのを打ち伏せ、御佩刀をその頸に刺し當てて、斬らむとしたまふ時に、その、天皇に白して曰さく、「吾が身をな殺したまひそ。白すべき事あり」とまをして、すなはち歌ひて曰ひしく、
纏向の 日代の宮五は、
朝日の 日照る宮。
夕日の 日陰る宮。
竹の根の 根足る宮六。
木の根の 根蔓ふ宮。
八百土よし七 い杵築の宮八。
ま木さく 日の御門、
新嘗屋九に 生ひ立てる
百足る一〇 槻が枝は、
上つ枝は 天を負へり。
中つ枝は 東を負へり一一。
下枝は 鄙を負へり。
上つ枝の 枝の末葉は
中つ枝に 落ち觸らばへ一二、
中つ枝の 枝の末葉は
下つ枝に 落ち觸らばへ、
下枝の 枝の末葉は
あり衣の一三 三重の子が
捧がせる 瑞玉盃一四に
浮きし脂 落ちなづさひ一五、
水こをろこをろに一六、
こしも あやにかしこし。
高光る 日の御子。
事の 語りごとも こをば一七。 (歌謠番號一〇一)
かれこの歌を獻りしかば、その罪を赦したまひき。ここに大后一八の歌よみしたまへる、その御歌、
倭の この高市一九に
小高る 市の高處二〇、
新嘗屋に 生ひ立てる
葉廣 ゆつま椿、
そが葉の 廣りいまし、
その花の 照りいます
高光る 日の御子に、
豐御酒 獻らせ二一。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇二)
すなはち天皇歌よみしたまひしく、
ももしきの 大宮人は、
鶉鳥二二 領布二三取り掛けて
鶺鴒二四 尾行き合へ
庭雀二五、うずすまり居て
今日もかも 酒みづくらし二六。
高光る 日の宮人。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇三)
この三歌は、天語歌二七なり。かれ豐の樂に、その三重のを譽めて、物多に給ひき。
この豐の樂の日、また春日の袁杼比賣が大御酒獻りし時に、天皇の歌ひたまひしく、
水灌く二八 臣の孃子、
秀取らすも二九。
秀取り 堅く取らせ。
下堅く 彌堅く取らせ。
秀取らす子。 (歌謠番號一〇四)
こは宇岐歌三〇なり。ここに袁杼比賣、歌獻りき。その歌、
やすみしし 吾が大君の
朝戸三一には い倚り立たし、
夕戸には い倚り立たす
脇几三二が 下の
板にもが。吾兄三三を。 (歌謠番號一〇五)
こは志都歌三四なり。
天皇、御年、一百二十四歳。己巳の年八月九日崩りたまひき。御陵は河内の多治比の高三五にあり。
一 和邇氏の居住地で、奈良市の東部。
二 金屬の鋤もたくさんほしい。
三 枝のしげつた槻の木。
四 伊勢の國の三重の地から出た采女。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。
五 景行天皇の皇居。長谷の朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事として取り上げたものだろう。
六 根の張つている宮。
七 枕詞。たくさんの土。
八 杵でつき堅めた宮。
九 新穀で祭をする家屋。
一〇 枝が茂つて充實している。
一一 東方をせおつている。
一二 續いて觸れている。
一三 枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。
一四 ミヅは生氣のある。美しい盃。
一五 浮いた脂のように落ち漂つて。ナヅサヒは、水を分ける。
一六 水がごろごろして。この數句、天地の初發の神話に見える句で、その神話の傳え手との關係を思わせるものがある。
一七 四五頁參照。
一八 皇后。
一九 高いところ。
二〇 市の高み。
二一 奉るの敬語の命令形。
二二 譬喩による枕詞。鶉は頭から胸にかけて白い斑があるので、領布をかけるに冠する。
二三 四二頁參照。
二四 譬喩。セキレイ。
二五 譬喩による枕詞。
二六 酒宴をするらしい。
二七 歌曲の名。
二八 枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。
二九 たけの高い酒瓶をお取りになる。
三〇 歌曲の名。酒盃の歌の意。
三一 朝の御座。
三二 よりかかる机、脇息。
三三 はやし詞。
三四 歌曲の名。
三五 大阪府南河内郡。