狂い凧

7話 六(1)

8,450字 約17分 2016年2月7日 公開

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 昭和十三年十二月の下関市は、栄介の記憶によると、非常に暗い街であった。もちろん気分や情緒的に暗いのではなく、実際に光がすくなかったのだ。

「あの日は燈火管制でもやっていたのかな」

 彼は時々そう疑うが、昭和十三年頃に燈火管制をするわけがないし、また店や飲み屋も開いていたので、管制でも演習でもなかった筈である。十二月は一番日が短い時節で、彼等二人は午後六時頃、下関に着いた。東京の明るさに慣れていたので、実際以上に暗く感じられたのだろう。

 栄介は空のスーツケースを()げていた。

 城介に召集令状が来た。電報が来たというので、栄介は言った。

「おれもいっしょに帰るよ。丁度冬休みだし、下宿で正月を過すのも佗しいから」

 令状にはただ、十二月某日下関に集合せよ、とあるだけで、どこの聯隊か部隊に入るのか、何も書いてなかった。空のスーツケースは城介の私服や私物を入れて帰るためのものである。栄介は大学生の制服姿で、城介は背広を着ていた。曇り日で、空は一面暗かった。

「寒いな。下関というところは」

「港街だからだろう」

 城介は外套の襟を立てながら答えた。

「おや。雪だよ」

 粉雪がちらちらと肩に落ちて来たが、すぐに止んだ。

 指定の場所で手続きを取る間、栄介は近くの喫茶店に入り、あたたかいココアを注文した。丁度それを飲み終った時に、城介は急ぎ足で喫茶店に入って来た。腰をおろすなり小声で言った。

「やはり外地行きらしい」

「外地って、どこだ?」

「聞いたけど、教えて呉れなかった」

 城介はタバコに火をつけた。マッチを持つ手がすこし慄えている。

「朝鮮か満洲だと思うんだがね。今晩はここ泊りで、明日乗船だ」

「兵舎に泊るのか」

「いや。民家だ。地図を書いてもらった」

 そして城介はコーヒーを注文した。

「台湾だといいんだがねえ。おれ、寒さが一番にが手なんだ」

「台湾かも知れないよ」

「でも台湾じゃ戦争をやっていない。どうしても北方だな」

 コーヒーを飲み終えると、二人は外に出た。地図をたよりに歩き出した。彼が覚えているのは、その町筋の暗さである。下関市民は早寝をする習慣があるのか、寒いので戸をしめ切っているのか、おそらく後者だったのだろう。三十分ぐらいかかって、その民家を探し当てた。軒の低い家並の中で、その建物はぬっと夜空にそびえていた。

「どうもここらしい」

 城介は足をとめた。

「入って聞いて来るから、ちょっと待ってて呉れ」

 くぐり戸から城介は入った。栄介は道の真中に()って、その建物を観察した。酒粕のにおいが、かすかにただよっている。彼の小学校の友達に造酒業の伜がいて、二、三度その家に遊びに行ったことがある。その家や塀の感じが、暗がりではっきりしないけれども、ここと共通したところがあった。

「ははあ。造り酒屋なんだな」

 彼は思った。

杜氏(とうじ)の寝る部屋にでも泊らせられるのか。寒いだろうな」

 やがて城介が出て来た。元のままの服装である。

「十時迄にこの宿舎に入ればいいそうだ。それまで遊ぼう」

「そりゃよかったな」

 城介は建物を見上げ、その形を確認した。それから盛り場と思われる方向に、二人は歩き出した。

 先ずパチンコ屋に入って、パチンコをやった。という風に彼は覚えているけれども、パチンコが出来たのは戦後のことだから、戦後の記憶がそこに紛れ込んでいるらしい。あるいは遊技場みたいなところに入ったのか。

「兄貴。酒を飲もうじゃないか」

 言い出したのは城介の方からだ。寒いので彼も飲みたかったのだが、城介の身柄を思って、辛抱していた。

「飲んでもいいのかい?」

「なぜ?」

「お前はもう兵隊なんだろう。酔っぱらうと叱られはしないか」

「まだ兵隊じゃないんだよ」

 城介は笑った。

「明日船に乗っても、まだ兵隊じゃない。どこかに着いてから、正式に初年兵になるんだよ」

「ほんとかい」

「ほんとだ。さっきそう教えられた。まだ入隊してないんだから、一人前の兵隊面をするなって。今は何を飲み食いしても、おれの勝手なんだ」

 一人前の兵隊面をするな、という言葉を、逆に解釈しているのではないか、と彼は思ったが、とめるわけにも行かなかった。で、そこらの居酒屋に入った。店内は鍋から立つ湯気などで、かなりあたたかかった。城介は鳥打帽子を脱ぎ、頭を撫でた。

「頭を刈ったら、やけに寒さがしみ渡るよ」

 そしてお酒と関東煮を注文した。

「おやじやおふくろの前じゃ、窮屈で酒もうまくねえよ。やはりこんなとこでないとねえ」

 城介が頭髪を刈ったのは、昨日の昼である。彼の家の前庭で、栄介が手ずからバリカンを使った。矢木家は裕福でないので、床屋には通えない。子供の時から、お互いに刈り合うのである。床屋だと金がかかるが、お互いだとタダだ。

 中学校を卒業して以来、彼はバリカンを持ったことが一度もない。城介はしきりに痛がった。

「痛え。痛え」

 城介はさかんに痛がって、大げさな悲鳴を上げた。実際彼の腕は鈍っていたが、大げさな悲鳴は幼ない弟や妹へのサービスのためでもある。悲鳴を上げる度に、弟や妹は喜んで、笑いさざめいた。弟妹は城介を見るのが初めてで、

「東京の兄さん」

「東京の兄さん」

 と、城介が帰った日から、まつわりついてばかりいた。

「ああ、痛かった」

 刈り終ると、城介は妹に鏡を持って来させた。

「兄貴。ひでえ刈り方をしたな。まるで段々畠じゃないか」

「すぐ伸びるよ。伸びたら、段々も消えてしまう」

 丁度その時、幸太郎の店の者が使者として来た。祝出征の宴を幸太郎宅でやりたいから、今夜来て呉れ、という用件だ。しかしその宴は、今夜うちでやることになっていた。

 福次郎は会社に出ていたし、母親は台所でその支度をしている。

「兄貴。どうしようか」

 城介は彼に相談した。

「あまり行きたくないな」

「じゃ断れよ」

 城介は使者に言った。

「即日帰郷になったりしたら、面目がないから、壮行会はお断りします。うちでかんたんにやりますから――」

 窮屈で酒がうまくなかったというのは、その夜の小宴のことだが、結構城介は飲み且つ食って、やはりうちはいいなあ、と好機嫌であった。身内だけの宴で、幸太郎はついに姿を現わさなかった。若干自尊心を傷つけられたのであろう。酒が一本、届けられただけである。

 関東煮は汁がすこし甘過ぎた。

「お互いに酒だけは強くなったな」

 彼は城介に言った。

「おれが初めて酒を飲んだのは、お前を東京に送りに行った駅前のうどん屋でだ」

「そうだったな。お銚子半分で、兄貴は真赤になっていた」

「そうだ。足がふらふらした。駅の向うは麦畑で、ゴッホが使うような黄色で、熟れてむんむんしていた」

「そうだったかな」

「プラットホームにきれいな花が咲いていた。あれは六月何日頃か」

 何か話したいことがたくさんある。そんな気がするのに、実際には何もなかった。二人で六本あけて、彼は少々酩酊して来た。城介はほとんど顔色は変っていなかった。しかし城介が酔っていることは、彼にも判っていた。城介は奉公をしている関係で、酔いを殺して飲む術に長けていたからだ。彼は言った。

「もうそろそろ出かけた方がいいんじゃないか」

 城介は素直に盃を伏せ、二人は店を出た。暗い道を宿舎に歩く途中、うらぶれたような飲み屋があって、入口に赤い提燈がぶら下っていた。城介は足を停めて、腕時計をのぞいた。

「まだ一時間ぐらいある。もう一、二本飲んで行こうや」

 二十四、五の白粉(おしろい)をべっとりつけた酌婦が、卓によりかかるようにして、同じ文句のどどいつを、何度も繰り返してうたっていた。

朝顔の花はばかだよ根のない垣に

命がけしてからみつく

 酒はさっきの店よりも、水っぽかった。あるいは二階で売春させて、酒やつまみものは二の次という店なのかも知れない。そう思いながら、彼は盃を傾けていた。突然城介が話を変えた。

「ねえ。兄貴。おれには子供がいるんだよ」

「子供?」

 城介は血走った眼で、ゆっくりとうなずいた。

 同じ東京にいて、時々会っていたけれども、城介は今までそんなことを、一口も洩らさなかった。しかしそれが嘘でないことは、表情や口調ではっきりと判った。

「いくつになるんだ。その子は?」

「三月に生れる予定だ」

「結婚の約束をしたのか?」

 城介は首を振った。

「じゃ妊娠させたまま、東京を離れたのかい?」

「そうだよ」

 城介はにがそうに盃をあけた。

「結婚は出来ないんだ。その女は人妻なんだから」

「人妻? するとその子は、お前のかその亭主のか、どうして判る?」

「そうなんだ。しかし女はそう信じている。信じているからには、何か根拠があるんだろう」

 城介は唇を歪めた。笑うつもりらしかったが、声にはならなかった。

「しかしこちらには根拠がない。絶対にないわけじゃないが、絶対にあるということもない。思えば父親なんて、あやふやなもんだな」

 彼は黙っていた。黙って考えていた。

「たとえばおれたちだってさ、おふくろから生れたのは事実だ。しかしおやじのタネだとは、はっきり――」

 城介の呂律(ろれつ)は乱れた。

「言い切れないと思うよ。おれは時々そんなことを考えた。おれたち二人のことをね」

「どんな風に――」

「おれたちはふた児として生れた。しかしおやじは自分で名をつけなかった。名をつけたのは、他の人だ。その人が今兄貴に学資を出している――」

 ある思いが(ほうはく)として彼の胸に押し寄せて来た。ははあ、城介はずっとそんなことを考えていたんだな。いつ頃からそんな考えを持ち始めたのだろう。混乱する頭の中に、そんな疑問がつき上げて来た。しかし彼は冷静をよそおい、強引に話題を引き戻した。

「その人妻って、誰だね。何ならおれが訪ねてやってもいい」

「誰かということは言えないよ」

 城介は突っぱねるような言い方をした。

「自分のやったことは、自分で決着をつける。兄貴に迷惑はかけん」

「決着をつけるって、無事帰還をするつもりかい」

 気分が急に残酷に傾くのを感じながら、彼は言った。しかし城介はそれを冗談として受取ったらしい。

「人を葬る商売から、人を殺す商売に変るだけだよ」

 城介は短く声を立ててわらった。

「慣れたもんだから、ヘマはしないよ。そうやすやすと死んでたまるもんかね」

 そして城介は腕時計をのぞき、ゆっくりと立ち上った。

「もう十五分しかない。出よう」

 勘定を払って、二人は店を出た。宿舎に着いて、彼もいっしょにくぐり戸をくぐった。土間から板の間になり、二階に通じる大きな階段があった。裸電燈がぶら下っている。柱や(はり)はがっしりと太く、かなりの年数が経っているためか、総体に黒光りしていた。

「兄貴。おれ、顔が赤いか」

「いや。赤くないよ」

 彼の眼には、城介はむしろ顔色が青いように見えた。

「そうかい。ちょっとここで待ってて呉れや。着換えして来るから」

 そう言い捨てて、城介は階段を登って行った。彼は上り(がまち)に腰をおろし、十分ほどじっとしていた。やがて城介が服や外套をひとまとめにして、階段を降りて来た。

 その時の城介の服装を、彼はどうしても憶い出せない。服を脱いだからには、何か他のものを着ている筈だが、その色も形も彼の記憶から、さっぱりと拭い去られている。

 とにかく二人で急いで衣類をスーツケースに詰め込んだ。あわてていたので、土間に脱いだ靴を入れ忘れて、途中でまた詰め直した。作業がすっかり完了すると、城介は小さな声で言った。

「じゃ、行って来るよ。おれ」

 彼が返事をする間も与えず、城介は顔をそむけ、階段へ歩いた。東京行きを見送った時の態度と、まったく同じであった。城介は階段をとんとんとかけ上って、そのまま姿は見えなくなった。

「ああ」

 彼は低くうめいた。切なさがどっとこみ上げて来た。

「これが見おさめかも知らないな」

 一分間彼は土間に立っていた。それからスーツケースを提げ、くぐり戸から外へ出た。駅の方角に歩きながら、彼は考えた。

(あいつは感傷家で、おれより感傷的で見栄坊だから、涙を見られるのをいやがるんだ)

 衣類を入れたスーツケースは、意外に重かった。着ている分には重くないが、まとめて手に持つと、ずしりとする重量感があった。右手から左手へ持ちかえながら、彼は追われるように急ぎ足で歩いた。その中どこかで道を間違えたらしい。

 突然海が眼前にあらわれた。

 彼は足を停めた。そしてそろそろと石垣まで近づいた。

 海は暗く、波がゆたゆたと岸を洗っていた。彼方に船がいくつも停泊していて、点々と燈が見える。潮の匂いが初めて鼻にのぼって来た。彼はスーツケースを下に置き、じっと黒い海をのぞき込んだ。

(あいつ、最後に、とんでもないことを、言い残して行きやがったな)

 酔いにしびれた頭で、彼はそんなことを考えた。ウェイトは城介の子供のことより、幸太郎の方にかかっていた。

(兄貴のおれに、下駄を預けっ放しにして――)

 やがて栄介はゆっくりと背を返した。しばらく歩いている中に、見覚えのある道に出た。かなたにさっきの赤提燈の明りが見える。栄介はためらいながら、油障子をそっと引きあけた。客はなく、さっきの酌婦がひとり、卓に顎杖(あごづえ)をついてうつらうつらとしていた。物憂く眼を開いた。

「泊めて呉れるかね?」

 栄介は顎を二階の方にしゃくりながら言った。

「ああ。いいよ」

 女はのそのそと立ち上り、表戸をおろした。暗い階段を、彼は女について登った。女は破れた押入れから、ばたんばたんと布団を引きずりおろした。

 栄介はまだ『女』を知らなかった。女の動作を横眼で観察しながら、ゆっくりと外套や上衣を脱いだ。女は彼の顔を見て笑った。

「どうしてそんなにこわばった顔をしてるのさあ」

「加納というのはね、やはり下関からいっしょに出発した、城介の戦友だったのだ」

 栄介は私に説明した。

「戦争が終って五年ほどして、加納からハガキが来た。どこかでおれの名を見たんだろう。名前が城介に似ているが、兄弟か何かじゃないかという問い合わせだ」

「なるほど」

「そうだと返事を出すと、折返し手紙が送られて来た。写真が同封してあった。これがそれだ」

 栄介はその古封筒を逆さにした。一枚の小さな写真が出て来た。私はそれを受取った。

 写真の色は褪せていた。真中に木の墓標が立っている。

〈故陸軍衛生曹長矢木城介之霊〉

 と、辛うじて読めた。墓標の周囲には短い草がところどころ生え、背景は茫々として何もない。地平と空との境もさだかでない。花も咲かず、鳥も飛ばない荒涼たる風景の中に、その墓標はぽつねんと立っていた。

「ここはどこだね?」

「厚和という街の城外だ。昔は綏遠と言ったらしいんだがね。蒙古地区だよ」

「殺風景なところだねえ」

 私は写真を返しながら言った。

「もっとも城介君は、花や自然にほとんど興味を持っていなかった。その点では、淋しくなかろう」

 いつだったか、私がまだ学生の頃、城介がやって来た。包みからごそごそと花を取出した。ほんものの花でなく、造花である。

「どうしたんだね」

 と私が聞くと、

「うん。兄貴の部屋、あんまり飾りっけがないんでね、うちからそっと持ち出して来てやったのに、留守なんだ。あとで兄貴に渡して呉れないか」

 花も造花も同じようなもので、花は枯れるが、造花はいつまでも保つ、というのが城介の説明であった。

「どうだね?」

 栄介は煙草に火をつけながら言った。

「加納の居所を探す件、承知して呉れるかね?」

「うん。ひとつやってみよう」

 私は答えた。

「城介君が戦死をしたのは、いつのことだい?」

「戦死?」

 栄介は表情を曇らせて、しばらく何か考えていた。

「昭和十七年の八月十七日だ。おれは大学を卒業して、就職していた」

「ああ。神田にある何とか研究所というところだったね。今はホテルになっている」

「うん。十七年一月、おれも召集を受けた。ところがおれは即日帰郷になった。気管支が悪くてね。二箇月ほど入院して、それからその年いっぱい、ぶらぶらしていた。その日もおれは魚釣りに出ていた。おれの家から海岸まで直ぐなんだ」

 その日栄介は防波堤の突端で、釣糸を垂れていた。防波堤には二、三の釣客がいるだけである。太平洋戦争がすでに始まっていて、兵器生産に人手をうばわれ、釣りをする暇のある人間は、ほとんどいなくなっていた。

 その日は、よく釣れた。雑魚類だけれど、午後三時頃までに五、六十匹は釣り上げた。彼はますます熱心に餌のつけかえをやっていると、彼方海岸の方から、子供がかけて来る。やがてその声が届いて来た。

「栄兄さん。帰って来いよう。お母さんがそう言ってるぞう」

 胸騒ぎがした。彼は急いで釣竿をたたみ、魚籠(びく)を上げて、海岸に急いだ。弟に訊ねた。

「何の用だい?」

「知らない」

 魚釣りの途中で呼び返されるなんて、今までなかったことである。彼の不安は高まった。

「直ぐ兄さんを呼んで来いって言うんだ。お母さん、泣いていた」

「泣いていた?」

 取り返しのつかない失敗をした時のようなショックが来た。彼は弟といっしょに家の方に走り出した。

「城介のことではないように。城介のことではないように!」

 しかしやはり城介のことであった。中田という部隊長から手紙が来ていた。内容はそっけない文章で、

『内地帰還を旬日に控えて、矢木城介は急に病死した。我々も残念に思うし、肉親の方々には気の毒に思う』

 という意味のものである。病名は書いてなかった。しかし、旬日に控えて、という文章が栄介の胸に突き刺さった。

「何という運の悪い奴だろう」

 内地帰還とは、戻って来て召集解除になることだ。それを彼は知っていた。

「お前はまだ死んじゃいけなかったんだ」

 あの下関の造酒屋の階段が、やはり見おさめだったと思った時、彼は胸が怒りのようなものでいっぱいになり、慄え出した。涙は出て来なかったが、慄えはなかなかとまらなかった。

 その年の暮れに、遺骨を受領に来いという連絡があった。名古屋からである。下関から出発した人間が、どうして名古屋に戻って来るのか、彼には理解出来なかった。今もなお理解出来ない。

 父親の福次郎は、城介が出征して一年ほどたって病死した。今家族と言えば、母親と栄介と弟と妹だけだ。受領に出かけられるのは、彼だけであり、また彼の責任でもあった。

「一体何で骨が名古屋に戻って来るのかねえ」

 母親もふしぎがった。

「直接こちらに持って来りゃ、旅費だってムダにならないじゃないか」

 と言って、出かけないわけには行かない。栄介は名古屋に出発した。

 だだっぴろい寒い営庭で、合同慰霊式のようなものが取行われた。はるか彼方でしめやかにラッパが鳴り、隊長のあいさつや、祭文みたいなものが読まれているらしい。空は晴れて、風が強かった。その風に乗って、時々聞えて来るのだ。もちろん声の意味は判らない。

 壇の前には兵隊が整列し、遺族たちはその後に並ばされていた。椅子はない。立ったままである。彼は遺族の最後列に立っていた。整列するまでに時間がかかったし、またその儀式も長々と続いた。

「何だ。葬儀する者が葬儀されるなんて、へんなもんだな」

 初めはそう考えていた栄介も、次第にじりじりと腹が立って来た。通知書を差出せば、引換えに遺骨を呉れると思っていたのに、こんなものものしい空虚な式につき合わねばならない。彼は心外であった。しかも夜汽車で来たので、昨夜はよく眠っていないのだ。

「長いですなあ。まだ終りませんかね」

 隣に立っている鬚の生えた老人に、彼はそっと話しかけた。老人はじろりと彼を見たまま、返事をしなかった。老人の唇は寒さのために、紫色になっている。栄介も耳たぶに感覚がなくなり、(はな)がしきりに出た。もうこれ以上我慢が出来ないという心境になった時、やっと式が終った。

 遺骨を受領したのは、それから一時間半後である。混んでいて、なかなか順序が廻って来なかったからだ。白布につつまれた箱を受取っても、彼に哀感は全然わかなかった。彼は不機嫌にそれを肩から前に吊した。それから営門を出て、とつとつと駅の方に歩く。

「何て愚劣なことだろう」

「何てバカなことだろう」

 自分の不機嫌をなだめるように、ぶつぶつ呟きながら彼は歩いた。名古屋に一泊して、明朝故郷に戻る予定だったが、もう泊る気はしない。

「すぐ汽車で帰ろう」

 駅の食堂で食事を注文して、彼はそう思い定めた。遺骨は肩から外し、卓上に安置してある。つまり彼と向い合ったような恰好になっている。城介の骨がそこに入っているという実感はまだなかった。彼は下関の赤提燈の店での城介の言葉を思い出した。

「お前は自分で決着をつけると言ったが、とうとう出来なかったじゃないか」

 彼は心の中で城介の骨に話しかけた。

「人間は生れてしまえば、いろんなものにからんだり、からまれたりして、一代では決着出来なくなるものだ。次第に引きつがれたり、あいまいに消失したり――」

 食事が来た。遺骨と向い合って、彼だけが食べた。何だか落着かない気がした。

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