2話 火星探険(2)
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その夜は天幕を河原へ張って泊った。翌朝になると、まだ燃えている油に砂をかけてやっと消し、それから競技用自動車に綱をつけて崖の上へ引張りあげ、道路の上に置いた。だがこの自動車はエンジンがかからなかった。仕方がないから綱で箱自動車のうしろへつなぎ、箱自動車でそのまま曳いて出発した。大きな牛をかいてある箱車のあとに、ぺちゃんこに押しつぶされた競技用自動車が綱に曳かれてふらふら走っていくところは、実にへんな光景で、街道の至るところに大笑いの種をまいた。
いくら笑われても、車上の四少年は笑うことをしなかった。いろいろ気にかかることがあって、笑う元気がなかったのである。
聴けば、張とネッドの乗ってきた自動車は洗濯倶楽部で借りたものであるが、ブレーキがどうかしているらしく、出発当時からあぶないことばかりであったそうな。その洗濯倶楽部には、ネッドの義兄が会員として入っているので、その手づるで借りることができたという。しかしこのようなぺちゃんこの車になっては、どう詫びて返したらいいだろうかと、日頃は楽天家のネッドも箱車の後から顔をのぞかせて青息吐息であった。
それでも旅程は一日一日とはかどって、だんだんアリゾナ州へ近づいていった。とはいうものの、まだやっと半道を過ぎたばかりである。
その頃、貯蔵の食糧が、がっかりするほど減ってしまった。この調子でいくと、四人はコロラド大峡谷の中で餓死するおそれがあることが分った。食糧係の河合は、目を皿のように丸くして、この一件をどうするかについて一同に相談をかけた。
「僕とネッドがむりに加わったからいけないんだ。その原因は僕たちにあるんだから、なんとか僕たちで考えよう」
張は、わるびれずにいった。その様子があまり気の毒だったので、山木が言葉をかけた。
「おい張君。君が大切にしている水晶さまにお願いして、缶詰を二箱ぐらいなんとか都合してもらえまいか」
「冗談じゃない。そんなうまい力は、水晶さまにありゃしない」
張が正直なことをいったので、皆は声を揃えて笑った。するとネッドがいった。
「それなら、水晶さまを誰かに売って、そのお金で缶詰を買ったらどうだろう」
「ば、ばか」
と張は怒って、ネッドを睨みつけたが、とたんに力が身体にはいって傷が痛みだした。彼は三人の笑いの中に、ひとり歯をくいしばった。
「しかし何とかして食糧を手に入れないと、この旅行はもう続けられないよ。つまりここから引返すか、何とか食糧を手に入れて旅行を続けるか、どっちかを決めるんだ」
重大な経済会議が開催された。
「旅行は続けなきゃいやだ。コロラド大峡谷を見なければ、あたいは引返さないよ」
ネッドは、好きなことをいう。
「じゃ食糧問題をどうする?」
「稼いで食糧を手に入れればいいじゃないか。野菜でも缶詰でも手に入ればいいんだろう……」
「ネッド、ちょっと待て。稼ぐ稼ぐというが僕たちがどうして稼げるだろうか。グルトンの村にいれば、知っている人もあるから、働かせてくれるだろうが、こんな旅先で、知らない人ばかりのところで、誰が働かせてくれるものか」
河合は悲観説をさらけ出していった。
「ううん、ちがうよ。やればやれるよ。つまりこういう土地には特別の稼ぎ方があるんだ、もし僕に委してくれるなら、明日からちゃんと稼いでみせるよ」
「へえ、おどろいたね。それはほんとうかい」
「ほんとうだとも」
「でも、稼ぐために毎日朝から晩まで稼がなければならないとすると、いつになったらコロラド大峡谷へ行き着けるか、わからないぞ」
と、山木が注意をした。
「大丈夫だ。時間は夕方から二三時間ぐらいあればいい。きっと儲かるよ」
ネッドは、だんだん自信にみちた顔になってくる。
「ネッド。一体何をするのか」
「まあ、それは明日までお預りだ。しかし少し舞台装置がいるね」
「えっ、なんだって、ブタイ何とかいったね」
「ああ、そうなんだ。この箱自動車の中にある布や道具などを利用してもいいだろう。僕は張と一しょに、いい儲けをとってみせるよ。だから夕方から二三時間、この箱自動車ごと僕に貸しておくれよ」
「大丈夫かなあ、またこの前のように崖から落ちるんじゃないか。そうなれば、僕たち四人は破産だよ。村へも帰れやしない」
「まあいい、あたいの腕前を見ておいでよ」
ネッドはひとりで悦に入っていた。
のぞき穴
ネッドはどんな方法で、稼ぐのであろうかと、山木と河合とは話し合ったが、よく分らない。その翌日午前から午後へかけて、ネッドは張と共に走る箱車の中に入ったきりで外へは殆んど出ずに、何か夢中で仕事をしているらしかった。
やがて約束の午後四時となった。
ネッドは、箱の中から運転台のうしろの羽目板を叩いて、自動車を停めよと信号した。
車は停った。
ネッドは箱から出て来た。
「ちょっとした工事をするから、手伝ってくれよ」
どこへ工事をするのかと思っていたら、ネッドは車の側に箱を置き、その上にのぼると牛の画の腹の下にハンドボールで穴を円周状にあけた。そのあとで金槌で真中を叩いたから、ぽっかりと窓があいた。
「何をするんだ、ネッド」
河合はおどろいて、尋ねた。
「さあ、こんどは僕の腰掛けを高いところにこしらえるんだ」
ネッドは山木と河合を手伝わせて、箱の後部の上に、猿の腰掛のようなものを横に取付けた。そしてその上へ掛けてみて、
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」
と叫んだ。
「何だ、見世物か。ははあ、この穴から中をのぞくんだな」
山木はその穴に目を当ててのぞいたが、ぶるっとふるえて身体を後へ引いた。
「うわっ、たいへんだ。角の生えたへんな動物が、この中に入っている。いつ入ったんだろうか」
「へえ、角の生えた、へんな動物だって……」
河合がびっくりして、山木に替って穴から中をのぞいた。
「なあんだ、張が笑っているだけじゃないか」
「そんなことはないよ」
「さあさあ、この幕を張るから、みんな箱車の屋根へのぼって手伝え」
ネッドの声が、頭の上に聞えた。どこから出して来たか大きな文字の書いた幕を手にしている。よく見るとそれは自分たちの天幕だったが、文字はネッドが書いたものらしい。その幕を、ネッドのいうままに、箱自動車の上に横へのばして張ってみて呆れた。
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“神秘なる世界的占師、牛頭大仙人はここに来れり。未来につき知らんとする者は、ここに来りて牛頭大仙人に伺いをたてよ。即座に水晶の珠に照らして、明らかなる回答はあたえられるべし。料金は一切不要、但し後より何か食糧品一品を持ち来りて大仙人に献ずべし”
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たいへんな宣伝文だ、ネッドの作文にしてはうますぎる。ひょっとすると、ネッドが何処かで読んだ星占師の広告文を覚えていて、それをすこしかえて出したのであろう。
「呆れたねえ、張を牛頭大仙人にして、占いをやるのか。それで張は、さっきあんなへんなものを被っていたんだな」
「何か食糧品を一品持って来いとは、はっきり書いたものだ」
「おいおい、何を感心しているのか、まだ仕事が残っているんだ。その下に穴をあけて、この曲ったメガフォンをとりつけるんだ、中をのぞきながら、このメガフォンで張――いや牛頭大仙人の声が聞けるようにするんだ」
ネッドは張切って命令を下した。山木も河合も、始めは呆れはしたが、なんだか面白くなったので、二人で力をあわせて画の牛の乳房のところに穴をあけ、そこに曲ったフォン(多分古いラジオ受信機のラッパであろう、こんなものをどこで探してきたんだろう)を取付けた。
「さあ、もういいから、これであそこに見える町の中を一周り練って廻り、そしてここへ戻ってくるのだ」
ネッドは、猿の腰掛の上から叫んだ。山木と河合とがその方を見上げると、ネッドはいつの間に服装をかえたのか、頭には赤いターバンをぐるぐる巻き、身体にはぞろりと長く引摺ったカーテンのような衣を着、いやに取済ました顔付をしていたが、山木たちがあまりいつまでも見つめているものだから、はずかしくなって、とうとうぷっとふき出した。
「さあ、ぼんやりしないで、一刻も早く神秘の箱車を走らせたり、走らせたり」
「おい、大丈夫か」
山木と河合とは、運転台にとびあがり、早速エンジンをかけて車を動かした。
おどろいたのは、そのエリス町の人々であった。天から降ったか地から湧いたか、異様な箱自動車ががたがた音をさせて入ってきて、牛頭大仙人の占いを、顔の真黒な子供とも老人とも区別がつかない従者が高い腰掛の上から宣伝したものであるから、みんな目を見はっておどろいた。これをネッドたちの方からいえば、宣伝効果百パーセントであった。
従って、この箱車が元の町はずれの野原へ戻って来たときは、後から町の閑人たちがぞろぞろと行列を作ってついてきたもんだ。
「ふん、しめた。これなら明日一ぱいの食糧ぐらいなら集まりそうだ」
猿の腰掛の上でネッドは胸算用をして、にっと笑った。
いよいよ占いが始まった。希望者は一列にならんで、自分の順序を待った。若い男女もあれば、老人もすくなくない。
箱の中では張が傷のいたみをこらえつつ、大車輪でもってすごい声を出しつづけた。
「牛頭大仙人さま。この間から見えなくなったわしの鍬はどこにあるだかねえ」
「汝家に帰りて、裏門より入り、そこより三十歩以内をよく探して見よ」
「へへへ、どうも有難う」
若者にかわって、足の悪い老人がのぞく。
「伺うだが、今年のわしのリューマチは左の脚に出るかね、それとも右の脚に出るだかね」
「今年の冬は、始めは左の脚に、後に雷が鳴って右の脚にかわる」
「へへへへ、これはおそれ入りました」
たいへんな繁昌ぶりである。笑声と歎声が入りまじってその賑かさったらない。張もネッドも大汗をかいている。山木も河合も共にのぼせあがって顔が金時のようにまっ赤だ。
そのとき向うから走って来たりっぱな自動車がぴたりと停って、中から現れた一人の老紳士があった。その服装と態度から見て、かなり学問のある人らしい。それもその筈、この人こそデニー博士といって「火星探険協会」の会長であった。そのデニー博士は、何思ったか、すたすたと群衆の方へ近づく。
博士の噂
デニー博士は、頬髭顎髭の中から、疲れた色を見せていた。長身猫背を丸くし、右手ににぎったステッキで歩行をたすけている。これが、かの有名な火星探険協会長のデニー博士の姿である。
「おや、火星会長のデニー博士だぜ、なぜこんなところへやって来たのかな」
牛頭大仙人の鎮座するけばけばしい装いの箱車をや少し離れたところから見物していた町の中年の男が、眉をあげていった。
その傍に山木と河合が立っていた。そしてこの言葉を聞きとがめた。
「なに、火星会長、火星会長とは、どういう意味ですか」
その男はジグスといって、エリスの町に住んでいる靴屋の大将だったが、こういう事柄について何でも知っているのが自慢だった。
「火星会長を知らないのかね、くわしくいえば、火星探険協会長さ、あのよぼよぼ爺さんがまだわしのように若かった頃――そうさ、今から三十年前のことだが、その頃からあの博士は火星にとりつかれて、火星探険の熱ばかりあげているんだ」
わしのように若いといったジグスは、そう若くもなく、頭のてっぺんで髪が禿げていた。
「へえ、そうですか、それでデニー博士は火星へ何度ぐらい行ってきたんですか」
と山木が、まじめな顔をして訊いた。
「ばかをいっちゃいかん、いくら子供だって……」とジグスは呆れ顔になり「あのよぼよぼ博士はもちろんのこと、地球上のどんなえらい人間だって、火星へ旅行をしたことのある者なんて一人もあるもんかね。火星は月よりもっと遠いのだよ。その月世界へ行った者だって、唯一人居ないじゃないか」
「なるほど、そうでしたね」
山木は、頭をかいた。すると河合が代ってジグスに訊いた。
「で、今でも博士は火星探険協会長の仕事をしているのですか」
「それは、性こりもなくやっているよ」とジグスは河合の顔をながめやって「今から三十年前に、隣村の森の中に塔を建てて、そこを研究所にして、しきりに大空をのぞいていたがね。塔の屋根が丸くて、そして中で機械をまわすと割れ目が出来、そこからでかい望遠鏡がにゅっと出るのさ。ところが、そこの研究所は今はからっぽさ」
「へえっ、どうしたんですか」
「引越したんだよ、引越先はなんでもアリゾナ州の方だという話だがな。とにかく引越して貰って幸いさ、この近所で火星の鬼とつきあいなんかされては村の迷惑だからね」
ジグスは、首をすくめて見せた。
「なぜ引越したんでしょう」
「それはお前、こういうわけだ。つまりアリゾナの方が、ここよりは土地が高いから、それだけ火星に近いという便利があるからよ」
「はははは」
「笑う奴があるか、本当のことだぜ。それに三十年も使った塔だから、もう古くなって、あの仙人の自動車みたいにがたがたになったのさ。それでアリゾナに新しい塔を建てたというわけだ」
「お金はあるのですね、そんなに塔を建てかえるようでは……」
「それはあるさ。火星探険なんて変った仕事だからなあ。そういう変った仕事には、ふしぎと金を出す人間がいるのさ」
「本当に博士は火星探険に出かけるつもりなんでしょうか」
「出かけるつもりはあるらしい。だが、あんなよぼよぼでは、火星まで行き着かないうちに死んでしまうだろう。なにしろ火星まで行き着くには十年か二十年はかかるからなあ」
「そうでしょうね。それで、一体何に乗って行くんですか」
「それが全然わからないのさ、だから、博士の火星探険はお芝居で、結局行かないうちに博士が死んで、協会は解散になるといっている者も居るが、わしはそうは思わないね。博士は何か深く考えて、秘密に乗物を用意していると思うね。それを皆に明かさないのは、何しろ火星まで行き着くための乗物だから、その秘密を知られないように隠してあるんだと思う」
「おじさんは、なかなか博士びいきなんですねえ」
「博士びいき? そういうわけじゃねえが、あの爺さんの姿は、もう三十年あまりもこの二つの目で見ているんだから、いろいろ悪口をいうものの、本当は人情がうつらぁね。それに近年博士に対して大人気ない攻撃をする奴がだんだん殖えて来るのには、わしでも腹が立つね。わしの力で出来ることなら博士に力を貸して威勢よく火星探険へ飛出させたいと思うが、何しろ博士があのとおりよぼよぼじゃあ、後押しをしてもその甲斐がないよ」
そういうところをみると、ジグスはなかなか博士の同情者の一人らしい。
「おや、デニー博士が、張――いや牛頭仙人に何かお伺いをたてているぜ」
と、このとき山木がびっくりしたように叫んだ。
そのとおりだった。デニー博士は箱車の覗き穴へ自分の顔をぴったりと当てて、牛頭仙人とさかんに押問答をやっているようだった。そしてラッパからしゃがれた張の作り声が、はっきりしない言葉となって飛出すたびに、そのまわりに集っていた町の人々は、どっと笑いくずれるのであった。博士だけはますます熱中して、箱車の穴の中に、そのもじゃもじゃの髭面をつきこみそうだった。
とんだ災難
やがて博士は、箱車から顔を放した。
改めて笑声が、まわりから起った。
「博士さま、お前さまは“コーヒーに追いかけられて大火傷をするぞ”といわれたでねえかよ、はははは」
「はははは。それによ、お前さまの将来は“この世界の涯まで探しても寝床一つ持てなくなるし、自分の身体を埋める墓場さえこの世界には用意されないであろう”といわれたでねえか。やれまあお気の毒なことじゃ。はははは」
「おまけによ、お前さまは“心臓を凍らせたまま五千年間立ったままでいなければならぬ。一度だって腰を下ろすことは出来ないぞ”といわれたでねえかよ。お気の毒なことじゃ。はっはっはっはっ」
笑声のおこりは、博士が牛頭仙人からお告げにあるらしい。すると博士は、コーヒーに追いかけられること、寝床も墓も持てないこと、五千年間立ちん棒をすることを告げられたのだ。
博士は人だかりをかきわけるようにして出てきた。山木も河合も、博士の顔をよく見ることができた。博士は口の中でなにかぶつぶついっていた。
「デニーの旦那。アリゾナの方はどうですかね」
ジグスが声をかけた。
「や、や、ふん、ジグスか。このへんの衆はあいかわらず口が悪いのう」
博士は、ジグスの問いにはこたえず、憤慨の言葉をもらした。
「旦那。みんな口は良くないが、腹の中はみんないいんですぜ。旦那が一日も早く火星へ飛んで行けるように、みんな祈っているんですよ」
「そうとも思われないが……」
「旦那、火星への出発はいつですか。もうすぐですか」
「そんなことは、話せないよ」
「いって下さいよ。わしは仲間のやつと賭をしているんですからね」
「どんな賭だね。君はどういう方へ賭けたのかね」
「わしですかい。わしはもちろん、デニー博士は今年の十二月までに地球を出発して火星へ向かうであろうという方へ入れましたよ。今となってはとんだところへ入れたものです」
「ふふふふ。まあいいところだ」
「なんですって。もう一度いってくださらんか」
「いや、ふふふふ。賭けというものは必ず負けるものじゃと思っていればいいのだ。そうすれば思いがけない儲けがころがりこむじゃろう」
「ねえ旦那。火星探険の乗物は、何にするのですかい。ロケットかね、それとも砲弾かね」
「ふふふふ。素人には分らんよ。もっともわしにもまだはっきりきまらないのだがね」
「なんだ、まだ乗物が決まらないのじゃ、わしの賭けもはっきり負けと決った」
「君みたいに気が早くてはいかんよ。火星探険でも何でもそうじゃが、焦っては駄目じゃ。気を長く持って、いい運が向うから転がりこむのを待っているのがよいのじゃ。な、気永に待っているのがよいのじゃ。待っていれば必ずすばらしい機会は来るもの。焦る者不熱心な者は、そういうすばらしい機会をつかむことができん」
「旦那。お前さんの火星探険は三十年も機会を待っているようだが、それはあまりに気が永すぎますぜ。悪くいう者は、デニー博士は火星探険などと出来もしない計画をふりまわして金を集める山師だ、なんていっていますぜ」
「山師? とんでもない下等なことをいう仁があるものじゃ。今に見ていなさい。一旦その絶好の機会が来れば、余は忽然としてこの地球を去り、さっと天空はるかへ舞いあがる……」
「あ、いたッ」
博士の言葉のうちに、横合で悲鳴が聞えたその方を見ると、一人の少年が地上にうちたおされていた。その少年は顔を両手でおさえていた。そして顔も手も血だらけであった。その少年は山木だった。
「あっ、これは失敗じゃ。つい力が入って、このステッキが顔にあたったものと見える」
デニー博士は、ふりあげたステッキを下におろして、赤い顔をした。
河合とジグスは、すぐ駆けよって、たおれている山木を抱きおこした。そしてハンカチで鼻をおさえてやった。山木は、博士のステッキを鼻にうけ、鼻血を出したのであった。
「おお、日本の少年君、すまんことをしたね。勘弁してくだされ。さぞ痛むことじゃろう」
博士も山木を抱くようにして、自分の失敗について謝った。
「いいんです。もう大丈夫です」
と、山木は首をふって見せた。すると、またどくどくと鼻血が流れて服をよごした。そのまわりには町の人々が黒山のように集まって来て、わいわいいい出した。デニー博士はいよいよあわてて、「おいジグス君。この少年を、僕の車にのせて医師のところへ連れて行こうと思うが、どうだろう」
「いや、もう大丈夫ですよ。さわがないでください」
山木は、はずかしそうにいった。河合が紙を巻いて、山木の鼻の穴に栓をかってやった。そして顔の血をすっかり拭ってやったので、山木の顔は元気に見えた。
そのときデニー博士は、ジグスを呼んで、ポケットから一挺の古風なナイフを出すと彼の手に渡して、
「このナイフを、僕が怪我させた少年に対し、謝罪の意味で贈りたいと思う、君から伝達を頼む」
といった。そして博士は、人々の笑声と罵りの声を後にして逃げるようにこそこそと、自動車の置いてある国道へ急いだ。
豪華な昼食