5話 5
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敗血症で死亡したと思われていたまゆみの死因が夫博士によって覆えされた。踏んだ釘にはある恐しい毒薬が塗られてあったことが発見されたのだった。釘を踏んでその傷口から黴菌が入り敗血症になるという事はあり得る。しかし、それに予め毒薬が塗ってあったとなるとそれは問題だった。
不思議な殺人事件として警視庁内は俄かに緊張した。一人の刑事が慌しく入って来て司法主任の前に報告した。
「舞台で百合子が踊っている真最中に楽屋で百合子を見たという女の子があります。女の子はあの晩から発熱して『お化物が鷺娘を踊っている』と囈言を云いつづけているそうです。家元は家元であの時の踊りが到底百合子の芸ではなかった、とあとで気がついて薄気味悪るく思っていると、まゆみが死んだ、それを聞いて益々怖気づいているという話なんです」
「百合子を調べた結果は?」
「何を訊いてもただ泣くばかりで駄目なんですが、その代り薬剤師の竹村春枝という婦人から参考になる話を大分聞きました。百合子とまゆみは表面非常に仲が好く見えたが、実はお互いに憎しみ合い、嫉妬に燃えていたそうです」
「嫉妬?」
「そうです。光村博士をまゆみに紹介したのは百合子です。女にかけてはなかなか手腕のある博士はうまく百合子を説きつけ、美人のまゆみと結婚しました。その代り競走者であるまゆみの芸を永久に封じるという約束をしたのです、その約束が非常な魅力で、百合子は直ぐ二人の結婚を承知したといいます」
「それを百合子が白状したのか?」
「どうして、あの勝気な、虚栄心の強い女が自分の弱点を曝露するもんですか。彼女は鷺娘を踊ることになっていたが急に気分が悪るくなり、止めると云えば家元に叱られるので已むなくまゆみに代理をつとめてもらったとだけは白状しました。まゆみが踏抜きをしたのは舞台でだそうです。それ以上は何も云いません。勿論博士との関係についても絶対にそんな事はないと云い張っています」
「竹村春枝という婦人はどうして微細な関係を知っていたのだろう?」
「さあ」
「まゆみの芸を封じたなどとは想像とも思えない、現にあれだけ好きだった踊りだからな、それを禁じられていたればこそやらなかったのだろう。しかし、そんな事まで知っているのが妙じゃないか」
「竹村は頻りに博士と百合子との関係を云って、一週間ほど前にも博士がまゆみを応接室に追いやって、百合子と巫山戯散らしていたのを見たと云っています。それから名披露の前日百合子が何かまゆみを脅迫でもしているらしく烈しく云い争っているのを庭先にいて聞いたとも云っています。その時まゆみが百合子の手から奪い取って庭へ投げ捨てた紙包を拾ってみたら毒薬が入っていた、変だなと思っていたら果してこの度の事件だ、これはたしかに計画的に行われた殺人で、まゆみを殺す目的で鷺娘を踊らせたに違いない、と云って非常に憤慨しています」
司法主任は直ちに竹村春枝を召喚した。
「薬剤師がどういう理で奥座敷の話を立聞きしていたのか?」
「立聞きしていたのではございません。博士のお仕事をしている時お隣りのお部屋の話声を聞いたのでございます。奥様は何も御存じないんですが、百合子さんはほんとに悪い方だと日頃癪にさわっていたものですから、遂いお話を聞いていたのです」
「まゆみの芸を封じる約束をしたという事は誰から聞いたのか?」
竹村はちょっと返事に詰ってうつむいた。
「出鱈目か!」
「いいえ、それはいつか博士が御酒に酔ぱらっていらした時仰しゃいましたんです」
「君はこの犯人を知っているんだな」
竹村は黙っていたが、知らないとは云わなかった。
「知っているなら云ってしまえ、白状しないと反って君に嫌疑がかかるぞ」
びくりとして顔を上げ、きっぱりと、
「百合子さんでございます」
と竹村は云いきった。
「証拠は?」
「百合子さんは奥様を殺して、御自分が博士夫人になるお積りだったのです。釘に毒を塗ってわざと踏むような場所に投げて置いたに違いございません。私は数日前薬局で薬が紛失した時からあの方を怪しいと思い、奥様のお身をよそながら保護して上げる積りで、あの晩も舞台間近かの客席におりましたのです」
「切符をどうして手に入れた?」
「博士から頂きました」
「毒を塗って釘を投げたのまで知っていながら何故黙っていたんだね?」
「恐しかったからでございます。――百合子さんの復讐が恐かったので――、あの方はお顔に似合わず凄い人で、どんな事でもやりかねないんですから――、奥様をうまく煽動てて替玉に使い御自分だけがうまい汁を吸って世間の眼を暗ませようとなさるなんて――、その上御自分のために犠牲を覚悟で踊って下さる奥様を殺そうと計画むなんてほんとにひどいと思います。私の口から発覚たなんて事になったらどんなめにあうか知れません。それを思うと迚も怖しくって今まで申上げられませんでしたが、何も御存じない、あんなお優しい善良な博士に嫌疑がかかっていると聞きましたので、もう黙ってはいられないと私も決心をいたしました。罪のない方が罪を被るという事が余りお気の毒なので――、私はもう百合子さんに恨まれても構わない、博士をお救いしなければならないと存じて思い切って何もかも申上げてしまいました。博士は何もこの事件には関係がございません。あの百合子さんこそは人間の皮を着た鬼でほんとの悪人なんです」と夢中になって博士を弁護し、口をきわめて百合子を罵った。
司法主任は竹村が怒れば怒るほど美しさを増す大きな眼をじいっと見入っていたが、やがてにっこりとして、
「ありがとう、よく話してくれた、これですべてが明白になりました」
と優しい声で云ったのだが、竹村はその一言ではっとしたように真青になった。
竹村が博士に罪を被せまいとして一生懸命に口語る言葉の中から、司法主任はある疑いを見出したのだった。
厳しく訊問した結果、遂いに彼女はすべてを白状した、それによると自分が博士の妻になる積りであったのを、横合いからまゆみという人が出て来て奪ってしまった。その恨みでまゆみを殺す気になった。釘に毒を塗って舞台に置いたのも無論竹村のやったことで、その次ぎに殺人嫌疑を百合子にかけて、永久に博士から遠ざけてしまう計画であったと云った。