幽霊

1話 幽霊(1)

1,655字 約3分 2016年8月28日 公開

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辻堂(つじどう)の奴、とうとう死にましたよ」

 腹心(ふくしん)のものが、多少手柄顔にこう報告した時、平田(ひらた)氏は少からず驚いたのである。(もっと)も大分以前から、彼が病気で床についた切りだということは聞いていたのだけれど、それにしても、あの自分をうるさくつけ狙って、(かたき)を(あいつは勝手にそう()めていたのだ)うつことを生涯の目的にしていた男が、「彼奴(きゃつ)のどてっ腹へ、この短刀をぐっさりと突きさすまでは、死んでも死に切れない」と口癖の様に云っていたあの辻堂が、その目的を果しもしないで死んで(しま)ったとは、どうにも考えられなかった。

「ほんとうかね」

 平田氏は思わずその腹心の者にこう問い返したのである。

「ほんとうに()んにも、私は今あいつの葬式の出る所を見届けて来たんです。念の為に近所で聞いて見ましたがね。やっぱりそうでした。親子二人暮しの親父(おやじ)が死んだのですから、息子の奴可哀相に、泣顔で棺の側へついて行きましたよ。親父に似合わない、あいつは弱虫ですね」

 それを聞くと、平田氏はがっかりして了った。(やしき)のまわりに高いコンクリート塀を(めぐ)らしたのも、その塀の上にガラスの破片を植えつけたのも、門長屋を殆どただの様な屋賃で巡査の一家に貸したのも、屈竟(くっきょう)な二人の書生を置いたのも、夜分は勿論、昼間でも、止むを得ない用事の外はなるべく外出しないことにしていたのも、若し外出する場合には必ず書生を伴う様にしていたのも、それもこれも皆ただ一人の辻堂が怖いからであった。平田氏は一代で今の大身代(だいしんだい)を作り上げた程の男だから、それは時には随分(ずいぶん)罪なこともやって来た。彼に深い恨みを抱いているものも二人や三人ではなかった。といって、それを気にする平田氏ではないのだが、あの半狂乱の辻堂老人ばかりは、彼はほとほと持てあましていたのである。その相手が今死んで了ったと聞くと、彼はホッと安心のため息をつくと同時に、何んだか張合(はりあい)が抜けた様な、淋しい気持もするのであった。

 その翌日、平田氏は念の為に自身で辻堂の住いの近所へ出掛けて行って、それとなく様子を探って見た。そして、腹心のものの報告が間違っていなかったことを確めることが出来た。そこで愈々(いよいよ)大丈夫だと思った彼は、これまでの厳重な警戒を解いて、久しぶりでゆったりした気分を味わったことである。

 詳しい事情を知らぬ家族の者は、日頃陰気な平田氏が、(にわか)に快活になって、彼の口からついぞ聞いたことのない笑声(わらいごえ)が洩れるのを、少なからずいぶかしがった。ところが、この彼の快活な様子はあんまり長くは続かなかった。家族の者は、今度は、前よりも一層ひどい主人公の憂鬱に悩されなければならなかった。

 辻堂の葬式があってから、三日の間は何事もなかったが、その次の四日目の朝のことである。書斎の椅子に(もた)れて、何心なく其日(そのひ)とどいた郵便物を調べていた平田氏は、沢山の封書やはがきの中に混って、一通の、可也(かなり)みだれてはいたが、確かに見覚えのある手蹟で書かれた手紙を発見して、(あお)くなった。

この手紙は、俺が死んでから貴様の所へ届くだろう。貴様は(さだ)めし俺の死んだことを小躍(こおど)りして喜んでいるだろうな。そして、ヤレヤレこれで安心だと、さぞのうのうした気でいるだろうな。ところが、どっこいそうは行かぬぞ。俺の身体は死んでも、俺の魂は貴様をやっつけるまでは決して死なないのだからな。なる程、貴様のあの馬鹿馬鹿しい用心は生きた人間には利目(ききめ)があるだろう。たしかに俺は手も足も出なかった。だがな、どんな厳重なしまりでも、すうっと、煙の様に通りぬけることの出来る魂という奴には、いくら貴様が大金持でも策の施しようがないだろう。おい、俺はな、身動きも出来ない大病にとっつかれて寝ている間に、こういうことを誓ったのだよ。この世で貴様をやっつけることが出来なければ、死んでから怨霊(おんりょう)になってきっと貴様をとり殺してやるということをな。何十日という間、俺は寝床の中でそればっかり考えていたぞ。その思いが通らないでどうするものか。用心しろ、怨霊の(たたり)というものはな、生きた人間の力よりもよっぽど恐しいものだぞ。

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