6話 ボカ土
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農学部研究室を出て来た赤星の顔にはかくしきれぬ喜びの色があり、頭の痛みさえ忘れる位元気になった。家へ帰ると火鉢の前にどっかと坐り今朝の新聞を広げて見た。鳩に関する記事は何より先に目に入る。
一時重体を伝えられた杉山書記官は幸にも経過良好で数日中に退院するという。氏は再度の危険を怖れて立松捜査課長等の反対にもかかわらず、退院と同時に問題の鳩にダイヤをつけて放すことになった。
他のページには大の男が負けて鳩にお辞儀をしている漫画が出ている。赤星は舌打ちをしながらその新聞を放り出した。そこへ立松が訪ねて来た。
「気分はどうだね」
赤星はちょっと頭を下げて居ずまいを直した。
「癪に触るじゃありませんか、この漫画――」と云って、投げた新聞を拾って漫画のところを示しながら、
「吾々が生命を賭して戦っているのを、世間はちっとも汲んでくれないんだ」
「仕方がないよ。――時に、今、杉山氏を見舞って来た。鳩は何日頃放したらいいか君に訊いておいてくれ、と云っていたよ。君、ダイヤをつけてやっても大丈夫かね。どういう戦術が君にはあるんだか知らないが――」
赤星はにこにこ笑いながら、
「余り失敗ばかりするんで残念で堪らない。しかし、今度はうまくやる積りです。万事最後に話しますが、ダイヤは偽物を造ってあるから、奪われたところで大した損害にはならないんだ」と云ったが、急に話を変え、
「唖の権の居所は分りましたか?」
「居所は分ってる。お茶の水の橋の下だが、昨夜出たぎり帰らないんだ」
「そんな事だろうと思っていた。もう彼奴はそこへは帰らないでしょう」赤星はそれなり口を噤ぐんで考え込んでいたが、ふと顔を上げると少し改った口調で、
「僕はやっとの事であの鳩がどの辺からやって来たか、略々見当がついたのでこれから調査に出かけるんだ。それで鳩を放す日は僕に定めさせてくれませんか。当日数名の刑事と共にそこへ先廻りしてはり込んでいようと思うんです」
「どうして鳩舎のある場所が分ったんだ?」
「まだはっきりとは分っていないんだが、松本農学博士に調べて頂いた結果、大凡の見当はつきました。あの三つの鳥籠は鳩が来た時にはきれいだが、一日、二日と経つと不思議なことに隅の方に真黒い灰のような煤のような軽いものが溜って籠の中は段々薄黒くなる。その黒いごみを掻き集めておき、それから鳩の脚だの指の間だのにこびり付いていた土を落し、一緒に博士の処へ持って行って調べてもらいました。ところがそれは灰でも煤でもなく土だった、黒土、――土地の者はボカ土と云っているが、東京附近のある処一帯はこのボカ土なんだ。風の吹く日はそれが空中に舞い上って、四辺は真暗くなる事さえある。鳩の翼の間にもぐり込んでいたものが自然に落ちたり、羽ばたきする度に落ちたりして、それが籠の中に溜るんだね。それから最初に来た鳩の胃袋から出た軍配虫、それ等から想像して見当がついたが、どこに鳩舎があるかという事はこれから探さなければならないんだ。確定した時杉山氏に鳩を放して頂きましょう」