ロバート・ボイル

2話 ボイルの生涯

805字 約2分 2019年1月25日 公開

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 ロバート・ボイルはアイルランドのコルク伯爵家の所領リズモア城に(おい)て領主リチャード・ボイルの第七男として一六二七年一月二十五日に生まれました。家柄がよいので、何も不自由なく育ったわけで、イートンの学校を卒業してから後にフランスや、スイスや、イタリヤに旅行して見聞を広めたのでしたが、その間に父親が亡くなって、その財産所領の一部を譲られました。一六四四年にイギリスに帰って、イングランドの所領に住み、科学の研究に従いましたが、一六五四年になってオックスフォードに移り、その後一六六八年にはロンドンに出て、その長姉のもとに寄寓(きぐう)しました。それというのも一生を独身で過ごしたからで、ロンドンでは当時の著名な学者ニュートンやフークなどと親しく交りました。その間非常に多忙でもあったので、一六八九年頃によほど健康をそこなうようになり、それからは静養に努めましたが、一六九一年の十二月三十日に(つい)にこの世を去りました。ちょうど二十余年間生活を共にしていた長姉が亡くなって数日後のことであったそうです。

 ボイルの科学上の仕事については、次に述べますが、その頃の諸学者と相談して、ロンドンに始めて王立協会を組織したことは、当時の学界に対する大きな貢献の一つです。この王立協会というのは、大体は我が国に現在設けられている帝国学士院と似ているものですが、その学界に()ける活動は非常に盛んであったので、有力な会員たちが集まって科学の問題について討論をなし、また機関紙を発行して学問の進歩を大いに促進させたのでした。

 ボイルはこのように科学のために非常に力を尽したほかに、神学の研究をしたり、また東洋の言語をも学んで、自ら東インド協会の会長ともなりました。これ()の事実を見ても、ボイルが単に科学者としてのみでなく、種々の方面に教養の深かったことがわかるので、その事がまた科学者としても最も正しい道を踏み歩ましめたのだとも考えられるのです。

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