2話 ダーウィンの研究
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チャールズ・ダーウィンは一八〇九年にイギリスのシュルスベリーという処で生まれました。ダーウィン家は先祖から裕福な農民であって、十八世紀時代には一層恵まれて来たのでしたが、前にも記した祖父のエラスマスは才気独創に富んだ人で、博物学者であると共に、哲学や詩をも能くし、大いに社会的にも活躍していました。その息子のロバートは医者となりましたが、同時に王立協会の会員にも選ばれて、同じく世間の信用を得ていました。チャールズはその次男に当るのです。父はチャールズにも医学を修めさせようとして、最初にはエディンバラ大学に入学させたのでしたが、人体解剖などを嫌って、それで医学をさほど好まないようになり、その後ケンブリッジ大学に転じてからは、むしろ植物学や地質学や昆虫学に興味をよせるようになったということです。
一八三一年に大学を卒業しましたが、その頃広く世界をまわって見たいと云う希望に燃えていたので、折よく軍艦ビーグル号の艦長が同行をすすめたのを非常に喜んで、それで世界を一周することができたのでした。ビーグル号は軍艦とは云っても、僅かに二百四十トンの小型の帆船で、おまけに古ぼけた老朽船であったのですから、その航海はなかなか楽ではなかったのでした。それでも一八三一年の十二月二十七日にイギリスを出帆して、南北アメリカをめぐり、更にオーストラリヤ方面に向い、その間に五年の日子を費して、一八三六年の十月二日に漸く帰って来ました。ビーグル号の目的は、イギリス海軍の命令で各地の測量を行うのにあったのですが、ダーウィンにとっては諸処でめずらしい動物や植物を見るのがこの上もない楽しみであったので、それらが後に生物進化の考えをまとめるのに大いに役立ったのでした。それでも彼はアメリカで病気に罹り、帰国後までもそれがたたってとかく不健康に過ごしたということであります。
帰国後ケンブリッジからロンドンに移りその間に旅行記を整理したり、旅行から持ち帰ったたくさんの動物や植物について研究したり、地質学上の資料を調べたりして、忙しく過ごしました。そして一八三九年には従姉エンマ・ウェジウッドと結婚し、その後一八四二年にダウンという土地に移り、ここに一八八二年四月十八日に逝去するまでの長い年月を平和に送りました。しかしこの間に多くの研究を行って、幾つもの不朽の著述を完成したのでした。
ダーウィンのこれ等の著述のうちで最も名だかいのは、一八五九年に出版された『種の起源』と題する書物であります。このなかには生物が進化することを示すいろいろな事実が示されていて、それの起るのは自然淘汰によるとしたのです。自然淘汰というのは、いろいろな生物が生存してゆくために生物はお互いに競争し、また自然にも対抗してゆかなくてはならないのですが、そのうちで生存に都合のいいものが残り、生存をつづけるだけの力のないものは滅びて無くなってしまうということを意味するのです。人間が家畜や鳥などを飼って育てるときにも、或る特別な種類をとり出してその子孫をふやしてゆくうちに、だんだん変ったものにすることのできるのと同様で、自然のなかにもそれと同じことが行われ、そして生物が進化してゆくと云うのであります。
ダーウィンのこの考えと全く同じことをやはりその頃の学者であり、また探険家でもあったアルフレッド・ウォーレスという人も考えました。ウォーレスは南アメリカのブラジルやマレイ群島などで長年の間動植物を研究してその考えに到達したのでしたが、一八五八年にその説をまとめて発表しようとし、ちょうどダーウィンと以前からの知合いでもあったので、ダーウィンのもとに論文を送ってよこしました。ダーウィンはそれを見て自分の考えと全く一致しているのに驚きましたが、ともかくそれを生物学の権威ある学会として知られていたリンネ学会に送りました。ところがこの学会の幹事たちは、ダーウィンとも能く知っていて、その研究についても以前から話し合ってダーウィンも同じ考えをもっていたことを心得ていましたから、この機会にその研究をも発表させた方がよいとして、一つの論文を書かせてウォーレスのと同時に学会の雑誌に載せることにしました。ダーウィンが『種の起原』を出版したのはその翌年のことで、そこに詳しく自分の説を述べたのです。ところがウォーレスもこの書物を読んで、ダーウィンの仕事を大いに尊敬し、自分の著書はずっと後になって、即ち一八八九年に出版したので、しかもそのなかで進化論のことをダーウィニズムと称しているのです。この二人の学者が互いに自分の功名を誇ることなく、ただ心から真理を明らかにすることを望んで、尊敬しあったことは、実に科学の歴史の上で、この上もなくうるわしい事がらであったと云わなければなりません。
ダーウィンの学説はその後だんだん学界に広まって来ましたが、生物学が進むにつれていろいろこまかい点も明らかになり、多少とも違った意見も出されています。それにしても生物が漸次変遷し進化してゆくということは、大体に於て認められているのですが、まだそのことを十分に証拠立てるのには資料が不十分であると云って疑っている学者もないわけではないのです。また一方では遺伝の研究がだんだん進んで来ましたので、それに関する事実をしっかりと突きとめなくては進化の原因もほんとうにはわからないともせられているのです。学問の上でこれらについてはなお将来の研究を待たなくてはならないのですが、それにしてもダーウィンの研究がこの上もなく重大な意味を生物学の上に持ち来したということは確かなのですから、この点で科学の歴史の上に彼の名は実に輝かしく印象されていると云わなければなりません。