1話 指導物語 或る国鉄機関士の述懐(1)
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鉄道聯隊の兵隊さんを指導することになった。私には本当に久し振りであった。なんでも運転係の助役さんの話では、今度は特別よい機関士ばかりを指導者に選んだと云うことだが、私にしても大変嬉しいわけである。私もこれで三十年近くも機関士をやっているのだから、例えばその兵隊さんがずぶの素人でも、大した頭の持ち主でなくとも、立派に一人前にしてやらなければならない。僅か三ヶ月やそこいらで、機関車を動かせるようにしろなんて無茶だ、と云うものもないではないが、この時局を考えたら、出来るかどうかやってみるより外に仕方がないだろう。それにまた考えようでは、どの兵隊さんもやがて戦地へ行く体だし、単に気がまえの点から云っても、平和の頃とは大分違っている筈である。こっちの出方では呼吸もぴったり合うにちがいない。いや合わせなければならない。そうすれば石炭を焚くスコップの扱いかたが悪いと云っても、制動機の使いかたに文句を並べても、お互いにまずい感情にも捕われないで済むだろう。正直なところ、私もこの年齢では戦場へも行けないし、子供は娘ばかりで兵隊にもやれないのだから、せめて可能の仕事を積極的にやり、幾らかでも非常時のお役に立ちたい、と云う決心をかためていた際でもあり、自然に仕事への張りも出て来たようである。
それに尚おありがたいことには、私の預った兵隊さんは、なかなかに物覚えが好いのである。訊いてみると小学校を卒えただけで、或る工場の見習工をしていたと云うのだが、機械の名称などもよく知って居り、知らないのも直ぐ覚え込んでしまう珍らしい若者であった。補充兵でまだ一ツ星ではあるが、毎日乗務が終って私に捺印をもとめる勤務手簿には「佐川新太郎」の文字が見られた。山梨の小さな町に生れ、小学校へ通っている頃病気のために父を喪い、母親の手内職ひとつで育てられ、入営後もその母親が独りで留守を守っていると云うことだが、長い間工場通いをしたと思えないほどやさしく実直な性格を持っていた。お転婆娘を三人も育てて来た私などには、反対にその人柄に魅力さえ感じられた。白状すると私も一時は、彼が上の娘に婿入ってくれたらどんなに好いかと、ひそかに思いをめぐらせたくらいで、これと云って非難の打ちどころがないのである。ただひとつ老人の贅沢がゆるされるなら、若者らしい正義感の迸るままに時として若干怒りっぽい感じがないでもない。独り息子のせいかも知れない。私などとは別だが、同じ機関車に乗っている機関助士との間では、ちょっとした問題が飛んだいさかいのもとになったりする。例えば田舎の駅から都会のプラットホームへ這入り、盛装した女などを見かけ、やっぱり綺麗だね、と何気なく機関助士が呟くと、佐川二等兵は一応は首肯いても、あまり着飾っていると癪にさわってくる、と云うようなわけから銃後の女性論にまで及び、結局お互いに感情的になってごたごたが出来てしまうのである。勿論それも馬鹿に出来ない問題ではあるが、場所が場所でもあるし、私にすれば笑い話にして貰った方がよい。若し感情的なものが、協同作業に影響したら大変だからである。
機関士を見習う佐川二等兵の仕事は、機関助士のより以上の焚火法に俟たなければならない。省線の機関車に乗るのは生れて初めてだという実習機関士には、運転する線路も好くわかっていないし、時々刻々に変る列車速度の認定にも不慣れであり、少しく重い車輛にでもなったら困難はいっそう大きくなるわけだが、機関士が思いのままに使える蒸気を機関助士につくる技倆がなかったり、あっても腕を現わすことを拒んだとしたら、列車はやがて止ってしまうよりほかに仕方がなくなる。
こうなると問題は簡単ではない。なにも今度に限ったわけではないが、機関士見習の佐川二等兵の短期指導にあたって、私がいちばん大事だと思ったのは矢張りそのことであった。
町内からも毎日のようにある出征者の見送りや、白衣の勇士と英霊の出迎えや、在郷軍人会、愛国、国防婦人会が主にやっている慰問袋発送の手伝いや、いろいろの集会などへの出席で、乗務から帰ってもいそがしい日がつづいていたけれど、その間に私は省で定められた方針に従い、具体的な佐川二等兵の指導計画をつくってみた。直ちに戦場で役立たなければならないのだから、実科を重要視したのは当然である。汽罐の焚きかたから注油の方法にいたる機関助士作業から、蒸気加減弁、反転挺の扱いかた、各種制動機の使用法、脇路活栓、排水弁の操作法、空転時の処置、車輛の多寡に伴う経済運転法又は機械部分の点検法等々の機関士作業の実際は、一枚の表にしてみてもうんざりするほどある。どれを閑却しても、安全な実際の運転は不可能なのだから困る。それに学科も馬鹿には出来ない。いつも機械が順調に云うことをきいてくれれば好いけれど、何処で我がままを云いだすかわからない。途中で故障にでもなった場合に修理に必要な知識がなかったらそれっきりである。ただ指を咥えて見ているよりほかに仕方がなくなる。出来ればそんな不始末のないようにもしてやりたい。そこで私は或る日、機関区からの帰途を少しく遠廻りして、町の本屋へ寄ってみた。機関車の構造や機能が、素人にもわかる程度に書かれた本があったら買い求め、佐川二等兵に贈ろうと思ったのである。私の覗いた店は、町でもかなり大きな本屋であったが、何れの棚にも私の欲しいものは見当らなかった。非常に特殊の本だから、そう簡単に入手出来ないだろうとは途々思っても来たのだが、何万何千円という汗牛充棟の中に、本当に一冊もないとなると若干淋しい感じもする。私などには少しも縁のなさそうな、変にけばけばしい標題のものばかり、ずらりと並んでいるのも癪で飛び出してしまったけれど、その次に期待もしないで這入った古本屋で、はからずも部厚い「機関車問答集」を見出した瞬間にはすっかり機嫌を直されていた。私は尻の上に位置するズボンのポケットから蟇口を引き出しながら、店の主人に値段を訊き、思わずまた底の方へ押し込まなければならなかった。三円五十銭だと云うのである。こうあけすけに云っては自分の恥になるかも知れないが、私には未だ曾てそんな値の張る本を買った経験がない。私は奥附をひらいて見た。昭和七年の発行で二円五十銭とある。そこで私は、自分の一円也の最初の腹の中の値踏みが、それほど非常識でない自信を持つに至り、そう云ってやった。すると古本屋の主人は、顎を落さんばかりに大きな口をあけて嗤い、冗談じゃありませんよ旦那、冷やかすのもいい加減にして下さい、と今度はたいへん渋い表情をつくるのである。私も負けずに口さきをとがらせ、こんな本は容易に売れっこないのだから、思い切って手離した方が得だぜ、と云った。単に容易に売れないばかりでなく、絶版にもなっているので自然お値段も張る、と云うのが最後までの主人の意見であった。私は残念ながら、あきらめなければならなかった。私の今の暮し振りでは、三円五十銭の本は買い切れない。と云うと、或いは首をかしげる人があるかも知れない。現に私は百円近い俸給を貰っているありがたい身分である。それで住居こそ借家だが、家族と云えば女房と、二十二歳を頭に三人の娘があるだけだ。次女と三女がまだ女学校へ通っているけれど、これが若し事変前ででもあったなら、立派にやっていけるのである。ただ昨今の一般の物価高には気がゆるせない。ちょっと油断をすると、足らなくなる、いや正直に云って、学費の一部が赤字になることも珍らしくないが、間もなく卒業になる次女のことを思えば、無慈悲な停学もさせられない。結局、冗費と思えるものの一切を省いてがまんすることが、所謂国策に沿う所以でもあり、それ以外に考えつかない良策でもあろう。
いちど帰宅した私は、それからまた散々に思いあぐねた末に、再び「機関車問答集」を買うために外出した。折角の計画を持ちながら、佐川二等兵を優れた技術家にしあげられないのも残念だし、百円もの俸給を貰っていて、これっぽちの本が買えないと云うことにも腹が立って来たのである。幾らもない貯金だがそのためになら下してもよいとさえ決心した。然し私は更に古本屋の主人に向い、五十銭でもかまわぬから負けるように云った。私の腹を見抜いた本屋は終いまでうんと云わないのである。私はよけいに腹を立て、正札通りの金を投げつけるように置き、「問答集」を抱えて飛び出した。
翌日は夜明けに出勤のダイヤであったが、遅くまでかかって読み通し、内容がその後の機関車の進歩にも誤りとなっていないことをたしかめた。内容はそれほど初歩的なものなのである。然し私が記念の意味で、十何年来手にしたことのない毛筆を執り、空白の扉に署名してやると、佐川二等兵の喜びかたはたいしたものであった。内容が適当していたからであろうが、多くは矢張り私の好意が通じたからだと云って差支えない。彼は出庫前の機関士席に腰を降した膝の上で、バラバラと頁を繰っては、思わない味方を得たような気持です、と云っていた。それからまた伏せた表紙を撫で廻しながら、いつのことか知れないけれど、戦地へ行ってもこれでひとつしっかり勉強しましょう、とも云うのであった。私は思わず笑って、気のながいことを云わんで、出発前に頭へいれてしまう意気込みでなくちゃいかんね、と云ってやると、甚だ従順に何度も首肯き、それでも予定より早いかも知れませんからね、と答えた。この言葉にはさすがの私もギクリとした。何故ならこれまでにも予定より早く出征した兵隊さんが少くなかったからである。私は若干気になって来た。そうなると仕方がないもので、訊いてはならないことだと知りつつ、もうわかってるんじゃないかね、と唇から出てしまうのである。相手は下唇を噛むように結んだまま首を振り、そんなことが兵隊にわかるもんですか、と静かに笑った。問題がそのような話になると、態度の点から云っても、口振りの点から云っても、私などは推され気味である。そこがまた兵隊さんの魅力となる所以でもあろう。
佐川二等兵は次第に熱心になって来た。加減弁の把手を握る腕も、めっきり上達するようであり、機関士席に据えた腰にも僅かなことに動じない落ちつきが見え出す。蒸気の使いかたもなかなか巧みになり、絶汽運転の利用も線路を覚えると同時に適当になって来た。ただひとつはかばかしい進歩を見せないのは、自分の運転している列車速度の認定である。走行中に不意に背後から、今何粁か、と訊ねても容易に答えられない。暫くは線路の砂利の色や、遠景の動くさまに見入ってしまう。間の抜けた頃にようやく口にする数字には、実際の速度との間に相当のひらきが見られるのである。これには何度繰り返しても目に立つほどの変りかたが現れなかった。彼自身も口惜しいのか時に私の質問の間隙を窺い、反対に彼の方から聞いてきたりする。私が思った通りを云ってやれば、正直にまた首をかしげて考え込む。予想が外れるのだ。私はひとつの仕業に何度も頬摺り合わせるようにしては外を指し、それ今が二十粁、三十二粁、まだまだ三十二粁、これでやっと三十五粁だと云う具合に実施指導を行う。彼はうんうんと首肯いてばかりいる。然し結果は同じである。熱心ではあるが業をにやした彼は、速度が見せる草の色も場所に依ってちがうし、山の動きかたも距離の差があるから一様でないので困るんです、とこぼし勝ちだが事実その通りなのである。私などがどんな場合にもだいたい云いあてられるようになったのは、つまり速度を加減してその区間を定められた時間で運転出来るようになるまでには、四、五年もかかっているであろうか。一ヶ月や二ヶ月で会得せしめるのは先ず不可能だと云ってよい。それは私にもよくわかっているのだが、然し私は同じ訓練を繰り返す。私自身も、相手も、お互いが腹が立ってくるまでやる。今何粁だ、二十八粁、ちがうちがう、そしてまた直ぐに、今は? 二十五粁、益々ちがう、更につづけて、今度は? 二十九粁、やっぱり駄目だ、どうしてそんなにわからんのだ、ちゃんとなにかで覚えてなくちゃいけない、いいか、今度はどうだ? 三十五粁……いかん、まるで出鱈目だ、俺はいい加減なところを聞いてるんじゃない、時間がかかってもいいからしっかり答えてくれ、どうだ今は? 然しその時はもう相手の返事がない。私もハッと気がついて相手の顔を見る。眼深かに冠った作業帽の庇の奥の瞳が、かたくなに機関車がたぐり寄せる軌道の彼方に据えられたまま動きもしない。油に汚れた頬があやしげな光を放っている。誰れに向けらるべきものかそれは激しい憤りの現われである。私にも云うべき言葉がなくなる。というよりは、私とて襲われる反撥的な、いらだたしさから遁れることが出来なくなる。私は夢中で、やる気があるのかないのか、と叱りつけるように叫ぶ。そうなったらもう相手は黙っているだけである。私はいっそう侮辱を感じて呶鳴る。けれど私もねが性急な人間だから、終いには自分で自分の呶鳴ったことがわからなくなる。そのこと自身にも腹が立って狂わしいもので全身が満たされてしまうのであった。追いつめられるような感じの、不愉快なながい沈黙が後に待っているのも何んともしがたい全くいやな時間であった。
然しそうした一日が過ぎると、不思議に私と彼の友情は、前にも増して厚くなるのである。翌日の私は必ず決められてある時間より早く出勤し、彼の出てくるのを待つ立場に置かれている。あまりに早過ぎて独りで機関車の点検を済ませても、まだ給水タンクの彼方の丘の方に、軍服姿の現われない時などは、わざわざ線路を伝わって出向いたりする。自分では気にかける必要などないと思って居りながら、本当は矢張り心配になって仕方がないのである。顔を合わせた瞬間に、向うから先きに掌があがり、両方いっしょにいつものような、ご苦労さま、が交されると、ようやく私はホッとするのが例であった。それがたとえ指導上やむを得なかったことにしろ、相手の今後の任務を思うと、ただ私は自分の不徳のみが悔いられてならないのである。私は口にこそ出すのを差し控えるけれど、今後は決して同じような指導をしてはならない、と自らに云ってきかせるのであった。
一ヶ月ほど経ってからのことである。困った問題が持ちあがった。というと少しく大袈裟に響き過ぎる感がないでもないが、ある日半島一周の仕業から帰ってみると、乗務員詰所の掲示板に、石炭の使用成績が個人別に発表されてあった。それは最近一ヶ月間の統計で、別に眼新しいものではないが、私は自分の成績が十何番もさがっているのに驚いた。この数ヶ月来きまって一番か二番で、三番とさがったためしのない私にすれば、なかなかの大問題なのである。けれど私はその原因が、佐川二等兵の慣れない運転にあるのを知っているので、殊更不満として口にするのを差し控えた。代りに私は、肩を並べて見入っている二人に、ちっとも気にかけていない自分を示すつもりで、思ったより好い成績じゃないか、と笑った。それが飛んでもない口火となってしまったのである。佐川二等兵はいざ知らず、私の機関助士はたいへんな皮肉に受け取ったらしい。あんな運転振りでは火焚きも石炭の節約どこじゃありませんからね、と云うのである。私は二度びっくりし、そういう意味じゃないんだ、とおっかぶせるように云ってやったが、すでにあとの祭で、機関助士はいっそう真剣な顔つきになり、人差指で統計表の私の名を突っついて指しながらいささかがっかりしてるんです、どうせ悪くなるとは思っていたけれど、こんなに落っこちるとは夢にも思ってませんでしたよ、と云うのであった。私にもそのようなものの云いかたをしなければいられない、機関助士の気持がわからないでもなかったが、その為に若し佐川二等兵の技術的な進歩に影響があったら一大事だと考え、ちっとぐらいよけい使ってもいいじゃないか、なにも故意にやってるわけでもないし、これから段々よくしていけばいいんだ、とたしなめるつもりで幾らか激しい口調で云った。さすがに機関助士もまだ何にか云いたげだったが黙り込んだ。私は申しわけなさそうに俯向いている佐川二等兵に向い、心配する必要はないんだよ、と慰めてやった。佐川二等兵はチラと機関助士の方を見やってから、聞こえるか聞こえないような声で、済みません、と頭をさげた。そして再び顔をあげないのである。私は自分の眼頭が急に熱くなるのを感じた。私はあらためて自分の最初の不用意な一ト言を悔いずにはいられなかった。全然触れないでいればよかったとさえ思うのであった。
そんなことがあってから暫くは、佐川と機関助士の間は旨くいかないようにも見えたが、仕事の障害となって現われたものはひとつもなかった。寧ろ反対であった。機関士席にある佐川の蒸気の使いかたからは、びっくりするほど注意深いものが感じられ、火を焚く機関助士の仕事振りには、私が運転する時に見られないまめまめしさがあった。明らかな協力の姿である。私には文句を云うところもなかったが、それだけに機関区に帰って来て、係の目算する使用量が多かったりすると、何度でも、納得のいくまで見直して貰わないと気が済まなかった。機関案内で入庫の準備が終っても、私はまだ炭水車の上で係のものと言い合っていることがある。いや云い合っているのではない。直接運転に携った二人の労苦を思うと、少しでも正確に近い消費量の数字を出して貰いたくなるのである。最近の私の成績を知っているのであろう、係の親爺(これは誰れもが好んで呼ぶ愛称である)は誘い込むように笑って、この頃は随分細かくなったが、やっぱり年齢のせいですかな、と云う。私も仕方なく苦笑しながら、儂もこれから真面目にやって、鉄道のお婿さんになろうと思っているのさ、と云ってやると、さすがの親爺もあきれたと見え、なるほどね、と云うきりであった。
成績は日毎に昇った。私は毎日帰ってくると手帳を取り出し、当日の使用量を、牽引した車輛数により一粁当りに割り出して見る。勿論当日の天候や機関車の具合によっていちがいにも云えないけれど、次第に向上的な数字の現われるのは事実である。私はその度に機関助士と佐川二等兵に見せながら、この調子ならじきにもとの成績にもどれるよ、と労わるのを忘れなかった。二人もすっかり気をよくしていたが、特に佐川二等兵の喜ぶさまを見るのが、私にはこの上ない楽しみであった。彼は別に大げさな態度を見せたり、愉快そうに笑ったりするわけでもない。仕事にかかる瞬間から終るまでの間、去ることのない愁眉が一時に開いて行くような、静かな表情の変化が陽灼けた顔に窺えるだけなのである。それに接すると、私も自分の憂いを取り去られる感じであった。
佐川二等兵への私の愛情は、斯くて深まり行くばかりであったが、或る日同じ問題に触れた彼の言葉を耳にした瞬間から、私は単なる技術的な指導者としてだけでいられない気持に捕われてしまった。或る半島の海の見える小駅で、長い停車時間を機関車の椅子に腰を降して待ち合わせていた時のことである。私たちは暫くの間、新聞記事による知識をもとに戦場の話などしていたのだが、それがどうしたことか最近の内地の物価高の問題にまで及んでしまい、いささか湿めっぽい感じでいたところ、不意に思いきったという風に佐川二等兵が、石炭の使用成績が悪いとボーナスが少くなると云うが本当ですか、と云うのである。私は何気なく、そうだね、いくらか影響するかも知れないね、と云ってから急に思いあたるものがあり、今は然しそんなこともない筈だよ、とあわてて否定した。相手は私の返事の終るのも待たないで、人によると相当ちがうって云いますけれど、若し本当にそうだとなると私は申しわけなくていつまでこうして御厄介になっているのが辛くなってしまうんです、と眼の前の圧力計に見入りながら呟くのである。私は更につよく否定した。仲間のなかにはたしかにその事実のあることを主張するものもあるが、私にはわからない。然し佐川二等兵はすっかりあるものと信じ込んでいると見え、二タ言目には自分のために済まない、済まない、と云った。あなたの場合はどれくらい減らされるか知れないが、若し返せる時が来たら返したい、と云うようなことまで云った。私は驚くと云うよりは、寧ろあきれて自然に語調も激しくなり、何にをつまらんことを云うんだ、万一事実でもいいじゃないか、そんなことを考える暇があったら勉強でもした方がいいだろう、と云った。だが相手も依怙地に思われるほど強硬に後へ退かない。そう云われるとよけい辛くなります、減った分は私に払わして下さい、と主張する。馬鹿を云うな、と私は呶鳴りつける。俺だってちゃんと考えてる、とも余勢で叫ぶ。驚きに動く相手の唇の色の変るのを私は見た。苦々しく不満そうであった。然し私は叱ったつもりではない、憤ったつもりでもない。相手の気持があまりにじかに私の心に触れたからだ。ちょっと私の心が癇癪を起したに過ぎないのである。だから私はすぐに詫び入る態度に出ることなく、君の気持だけは然しありがたく貰って置くよ、と初めのように静かに話しかけることが出来た。いや静かにとは云えないかも知れない。私の胸は何にか息づまるようなもので満たされていたのである。単純に喜びとも感謝とも冷静とも憤りとも何んとも云えないもの、出来ればそのまま胸を割って見せたいものであった。私はそれからつづけさまにお喋りをした。何にを喋ったか今はもう覚えてもいないが、ただ相手に喋る時間を与えないためにそうしたのだという記憶だけが残っている。私はそして次第に黙ったまま聞き入る相手に、不思議に肉親的な愛情を感じていたようであった。