26話 第三篇 戦争史大観の説明 第三節 戦闘指導精神
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横隊戦術の指導精神は当時の社会統制の原理であった「専制」である。専制君主の傭兵が横隊戦術に停頓せしめたのである。号令をかける時刀を抜き、敬礼する時刀を前方に投出すのはこの時代の遺風と信ずる。精神上から言ってもまた実戦の必要から言っても、号令をかける場合刀を抜く事は速やかに廃止する事を切望する。猥りに刀を抜き敵に狙撃せられた例が少なくない。そうすれば指揮刀なるものは自然必要なくなる。日本軍人が指揮刀を腰にするのはどうも私の気に入らない。今日刀を抜いて指揮するため危険予防上指揮刀を必要とするのである。
フランス革命により本式に採用せらるるに至った散兵戦術の指導精神は、フランス革命以来社会の指導原理となった「自由」である。横隊の窮屈なのに反し、散兵は自由に行動して各兵の最大能力を発揮する。各兵は大体自分に向った敵に対し自由に戦闘するのである。部隊の指揮単位に於てなるべく各隊長の自由を尊重するのである。大隊戦闘の本旨は「大隊の攻撃目標を示し、第一線中隊をして共同動作」せしむるに在った。そうして大隊長はなるべく干渉を避けるのである。
戦闘群の戦術となると形勢は更に変化して来た。敵は散兵の如く大体我に向き合ったものが我に対抗するのではない。広く分散している敵は互に相側防し合うように巧みに火網を構成しているから、とんでもない方から射撃せられる。散兵戦術のように大体我に向い合った敵を自由に攻撃さしたなら大変な混乱に陥る恐れがある。
そこで否が応でも「統制」の必要が生じて来た。即ち指揮官ははっきり自分の意志を決定する。その目的に応じて、各隊に明確な任務を与え各隊間共同の基準をも明らかにする。しかも戦況の千変万化に応じ、適時適切にその意図を決定して明確な命令を下さねばならない。自由放任は断じてならぬ。昭和十五年改正前の我が歩兵操典に大隊の指揮に対し、大隊長の指揮につき「大隊戦闘の本旨は諸般の戦況に応じ大隊長の的確かつ軽快なる指揮と各隊の適切なる協同とに依り大隊の戦闘力を遺憾なく統合発揮するにあり」と述べ(第四百八十)更に「……戦況の推移を洞察して適時各隊に新なる任務を附与し……自己の意図の如く積極的に戦闘を指導す」(第五百四)と指示している。
この統制の戦術のためには次の事が必要である。
1、指揮官の優秀、およびそれを補佐する指揮機関の整備。
2、命令、報告、通報を迅速的確にする通信連絡機関。
3、各部隊、各兵の独断能力。
3に示す如く、統制では各隊の独断は自由主義時代より更に必要である。いかに指揮官が優秀でも、千変万化の状況は全く散兵戦術時代とは比較にならぬ結果、いちいち指揮官の指揮を待つ暇なく、また驚くべき有利な機会を捉うる可能性が高い。各兵も散兵に比しては正に数十倍の自由活動の余地があるのである。一兵まで戦術の根本義を解せねばならぬ。今日の訓練は単なる体力気力の鍛錬のみでなく、兵の正しき理解の増進が一大問題である。我らの中少尉時代には戦術は将校の独占であった。第一次欧州大戦後は下士官に戦術の教育を要求せられたが、今日は兵まで戦術を教うべきである。
統制は各兵、各部隊に明確なる任務を与え、かつその自由活動を容易かつ可能ならしむるため無益の混乱を避けるため必要最少限の制限を与うる事である。即ち専制と自由を綜合開顕した高度の指導精神であらねばならぬ。
近時のいわゆる統制は専制への後退ではないか。何か暴力的に画一的に命令する事が統制と心得ている人も少なくないようである。衆が迷っており、かつ事急で理解を与える余裕のない場合は躊躇なく強制的に命令せねばならない。それ以外の場合は指導者は常に衆心の向うところを察し、大勢を達観して方針を確立して大衆に明確な目標を与え、それを理解感激せしめた上に各自の任務を明確にし、その任務達成のためには広汎な自由裁断が許され、感激して自主的に活動せしめねばならない。恐れ戦き、遅疑、躊躇逡巡し、消極的となり感激を失うならば自由主義に劣る結果となる。
社会が全体主義へ革新せらるる秋、軍隊また大いに反省すべきものがある。軍隊は反自由主義的な存在である。ために自由主義の時代は全く社会と遊離した存在となった。殊に集団生活、社会生活の経験に乏しい日本国民のため、西洋流の兵営生活は驚くべき生活変化である。即ち全く生活様式の変った慣習の裡に叩き込まれ、兵はその個性を失って軍隊の強烈な統制中の人となったのである。
陸軍の先輩は非常にこの点に頭を悩まし、明治四十一年十二月軍隊内務書改正の折、その綱領に「服従は下級者の忠実なる義務心と崇高なる徳義心により、軍紀の必要を覚知したる観念に基づき、上官の正当なる命令、周到なる監督、およびその感化力と相俟って能くその目的を達し、衷心より出で形体に現われ、遂に弾丸雨飛の間に於て甘んじて身体を上官に致し、一意その指揮に従うものとす」と示したのである。これ真に達見ではないか。全体主義社会統制の重要道徳たる服従の真義を捉えたのである。しかし軍隊は依然として旧態を脱し切れないで今日に及んでいる。今や社会は超スピードをもって全体主義へ目醒めつつある。青年学校特に青少年義勇軍の生活は軍隊生活に先行せんとしつつある。社会は軍隊と接近しつつある。軍隊はこの時代に於て軍隊生活の意義を正確に把握して「国民生活訓練の道場」たる実を挙げねばならぬ。
殊に隊内に私的制裁の行なわれているのは遺憾に堪えない。しかも単に形式的防圧ではならぬ。時代の精神に見覚め全体主義のために如何に弱者をいたわることの重大なるかを痛感する新鮮なる道義心に依らねばならぬ。東亜連盟結成の根本は民族問題にあり。民族協和は人を尊敬し弱者をいたわる道義心によって成立する。朝鮮、満州国、支那に於ける日本の困難は皆この道義心微かなる結果である。軍隊が正しき理解の下に私的制裁を消滅せしむる事は日本民族昭和維新の新道徳確立の基礎作業ともなるのである。