15話 十八
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会合が終ると、外へは一人ずつ別々に出た。賑やかな通りをはずれて、T町の入口に来た頃、森本の後から誰か、すイと追いついてきて、肩をならべた。オヤッと思うと、それが河田だった。
――一寸これからT町へ用事があるんだ。
森本はその時フト変な予感を持った。――河田はお君のところへ行くのではないか。
河田は一緒に歩きながら、自分たちの運動のことを熱心な調子で話し出した。河田のその熱心な調子は何時でもそうだが、独断的なガムシャラなところを持っていた。それは初めての人に、無意識な反感さえ持たせた。然し森本はその調子を河田から聞いているときは、何時でも自分のしていることに、不思議な「安心」を覚えた。彼は力と云っていゝものさえ、そこから感じることが出来た。
――君はこの仕事に献身的になれるかい。
ときいた。森本は、なれるさ、と答えた。
――献身的の意味だが……。
河田はそう云って、一寸考えこんで間をおいた。――人通りはまだあった。自動車のヘッドライトが時々河田の顔を半分だけ切って――カーヴを曲がって行った。
――献身的と云っても、一生を捧げると云う位の気だな。
と云った。
足元で春に近いザラメのような雪がサラッ、サラッとなった。
――勿論俺だちの仕事は遊び半分には出来ることでもないし、それに俺だちのようなものが、後から後からと何度も出て来て、折り重なって、ようやくものになるというようなものだから、分りきった事だが……。
森本は今更あらたまった云い方だ、と思った。
――「ニュース」だって半年のうちに、とにかくこの位になったという事は、一糸乱れない「組織」の力だったと思うんだ。――でねえ、俺だちの目的だな、社会主義の国を建てるということだ。そのためには鉄のような「組織」とそれを動かし、死守していく所謂その献身的な同志の力が要るわけだ……。
又そこで河田らしくなく言葉を切った。
――分るな?
――分ってるよ。変だな、今更……。
彼がそう云うと、河田は口の中だけで「ムフ」と笑ったようだった。
――その鉄のような組織というのは、工場細胞を通して工場労働者にしっかりと基礎を置き、労働者の最先端に立って闘う政党ということになる。――で、労働者の党と云えば、それは「共産党」しかないわけだろう。
然しそんなことも森本は飽きる程きかされていたことだった。だから、彼は「それアそうだ」と云った。
――鍋焼でも喰いたいな。
河田は立ち止って、その辺を見廻わした。すこし行くと、小さい処が眼についた。二人はそこで鍋焼を食った。――河田は森本の家の事情や、収入や係累のことを聞きながら、自分のことを話し出した。
こういう運動をやるようになった動機とか、スパイ三人を向うにまわして、鉛のパイプを持って大乱闘をやったことがある話とか、どん底の生活をしている可哀相な女が時々金を自分に送ってきてくれる。それが自分のたった一人の女だとか、自家では然し母が彼のことを心に病んで、身体を悪くしているとか、そんなことを話した。彼は「お前にだけ親があると云うのか。」という詩を読んできかせた。それは聞いていると、胸をしめつけた。――何時でも冷やかに動いたことのない彼の瞳が、その詩を云い終ると潤んでいた。森本はこういう河田を初めてみたと思った。仕事をしている河田は一分もそういう彼を誰にも見せたことがなかったのだ。
――工場はまだ大丈夫かい。
と河田がきいた。彼は何時でも森本の「顔」のことを心配していた。
――少ォしは。長い間だから。
――ん、少ォしでも悪いな。
――会社の笠原さんの話だと、最近バカに工場長のところへ警察の高等係がきて、何か話してるそうだ。
鍋焼の熱いテンプラを舌の上で、あちこちやっていた河田が、眉毛を急にピクッと動かした。
――工場長が時々顔の知らない人をつれて、工場のなかを案内して歩くけれども、ひょっとすると、それが高等係かも知れない。それに君ちゃんの話だと、職工のなかには皆の動きを一々報告している、会社に買収された奴がいるそうだ。佐伯たちの手下と知らないで、鉢合せでもしたら事だからな!
――…… 注意しなけれアならないな。
――「ニュース」は矢張り分ってるんだ。参ってるらしい。何処で作って、どんな経路で入ってくるかを躍起になってるらしい。
――フン!
「ニュース」は初め厳密に手渡しされていた。然し、組織の根が広まり、それが可なりしっかりしたものになってくると、それを工場内の眼のつく所にワザと捨てゝ置いたり、小規模だが、バラ撒いたりするようになっていた。
――組合のものが作ってるんだッて、工場長は云ってる。「ニュース」の No.16 かに、専務の一カ年間の精細な収入と家庭生活と一年間の芸者の線香代と妾のことを載せたアレ、とても人気を呼んで、とう/\グル/\廻ってしまった。あれで、女工のうちでは、これが本当なら、専務さんの「ナッパ服」に今迄だまされていたッて、泣いた奴が沢山いたそうだ。噂のような話だけど――
二人は声を出して笑った。
――何んしろ細大洩さずだから、彼奴等も浮かぶ瀬が無いだろう。
外は人通りがまばらになっていた。二人は用心して歩いた。
森本の家の近くの坂に来たとき、河田が内ポケットから新聞の包みを出した。
――これ明日まで読んでおいてくれ。そして読んでしまったら、すぐ焼いてくれ。
森本はそれを受取った。
――じゃ、明日九時頃君のところへ行くから、家にいてくれ。
そう云って、河田が暗い小径を曲がって行った。
――彼はその足音を聞いて、立っていた。
次の日、森本は河田から「共産党」加入の勧誘をうけた。