5話 空襲警報(5)
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防空飛行隊の強行偵察のかいもなく、帝国領土内に侵入したと思われた敵機の行方はついにわからなくなってしまった。防衛司令部へは「敵機ヲ発見セズ」という報告ばかりが集ってきた。各地の監視哨からも、なんの新しい報告も入ってこない。――帝都の附近は、午後十一時になって、ひとまず非常管制が解かれた。
「空襲警報解除! 只今より警戒管制!」
こんな夜更に、睡りもやらぬ少年団は、命令一下、まっくらな町を、寺の塀外を、そしてまた溝板のなる横町を、メガホンを口にあて大声で知らせて歩いた。
警戒管制に入ったので、町は少し明るくなって、住民たちは蘇生の思だった。防護の人々は、交替に休むことになった。
どこからともなく、ホカホカと湯気の立つ握飯が運ばれてきた。大きな西瓜をかつぎこんでくる紳士もあった。少年たちを、それぞれ家に帰らせようとしたが、なかにはどうしても帰らないで、この天幕の隅で寝るというがんばり屋もあった。とにかく帝都の町々は、ちょっと、ひといきついたという形だった。
旗男少年は、どうしたのであろうか。彼は今朝東京へ帰って来たが、いろいろ旅のつかれで弱りこんでいるのだろうか。そういえば、彼の姿は、防護団のなかにも見えなかったが。
いや、その心配はしないでよろしい。この朝、旗男は家へかえると、すぐ弟と妹とに手伝わせて防毒室を作りにかかったのだ。
旗男は両親と相談して、洋間の書斎を第一防毒室にすることにきめた。そしてまず、窓のガラスは、外から大きな蒲団でかくし、その上に、長い板をもってきて、蒲団をおさえつけるようにして両端をとめた。これなら爆弾のひびきでガラス窓がこわれ、そこから毒瓦斯が入ってくるという心配はない。
その次は、畳をあげて、床板の隙間に眼張をはじめた。兄弟三人ともお習字の会に入っていたので、手習につかった半紙の反古がたくさんあったから、これに糊をつけて、二重三重に眼張をした。それができると、その上に新聞紙を五枚ずつおいて畳を敷いた。これで床下からくる瓦斯は防げる。
「こんどは窓框と窓の戸との隙間と、それから壁の襖の隙間に、紙をはるんだよ」
洋間風にこしらえた部屋だったから、隙間はわりあいに少かった。
扉が二つあったが、一つは諦めて眼張をした。一つの扉から出入りすることにして、その内側には毛布でカーテンをおろした。
これは昨夜、汽車の中で鍛冶屋の大将のやったのを見習ったのだった。――これで、第一防毒室はできあがった。しかし、仕事はそれですんだのではなかった。
こんどは、防毒室の前の部屋に、同じような眼張をした。これが前室だった。
「いいかね。外から入ってくるときは、この前室をとおって、それからもう一つ奥の防毒室に入るんだよ。つまり家の外の毒瓦斯は途中に前室があるので、奥の防毒室には瓦斯がほとんど入ってこないというわけさ」
「あら、うまいことを考えたのね。どこで教わってきたの」
「なァに、『空襲警報』という本があったのを知っているだろう。あれを本箱の中にしまっておいた。それを、今日は引ぱりだして、見ながら作っているんだよ。ハッハッハッ」
「まあ、その本をしまっておいてよかったわね、兄さん」
「さあ仕事はまだある。急いで急いで」
旗男は、さらに竹男と晴子とをうながして、前室にあてた八畳の部屋にある押入の中のものをドンドン外に出して、この押入に眼張をほどこした。
「兄さん、ここは、お手伝いさん用の防毒室なのかい」
「そうじゃないよ。お手伝いさんも皆と一緒だ。これは、万一、第一防毒室が壊れても逃げこめるように作ったんだ。つまり第二防毒室さ」
旗男は、これでもう大丈夫だと思った。それに防毒面が一つあるから誰か時々これをかぶって外に出て、ちょっと防毒面と頭の間に指で隙間をつくり、嗅いでみればよい。
窒息性のホスゲンは堆肥くさく、催涙性のクロル・ピクリンはツーンと胡椒くさく、糜爛性のイペリットは芥子くさいから、瓦斯のあるなしはすぐわかるのだ。
「お父さんも、お母さんも、もう安心ですよ。すっかり防毒室が出来ました」
両親は旗男たちの働きを、病床から涙をだして喜んだ。旗男の旅行で、遅れていた家庭の防護設備も、兄弟の協力でどこの家にも負けないくらい堅固に出来あがった。
三人の兄弟は、にわかに腹がドカンとへったのを覚えた。そこへ、お手伝いのお花さんが山のように握飯をもって入ってきた。三人はウワーといって、まわりから手を出した。
「ああ、おいしい」
「町の防護団でも、いま、おにぎりを食べていますのよ。ホホホホ」
お手伝いさんは笑ってつげた。
夜は、不安をみなぎらせたまま、だんだんと更けていった。ひどく蒸暑い夜だった。
防護団は時間をきって、警戒員を交替させた。衛生材料がいっぱいつまった赤い十字のついた大きな箱が配給されてきた。どこからどこへ行くのか、重機関銃をもった一隊の兵士が、粛々と声もなく通りすぎていった。
「鍛冶屋の大将。今夜は来ないらしいね」
「おお分団長。警報は出ないが、しかし油断はならないぜ」
暁の空襲警報
茨城県湊町の鮪船が四艘、故郷の港を出て海上五百キロの沖に、夜明を待っていた。
その鮪船は、いずれも無線の送受信機とアンテナとを備えていて、魚がとれると、遠く内地海岸の無線局を呼び、市場と取引の打合せをすることができるのであった。
磯吉という漁夫の一人が、用便のために眼をさました。東の空は、もうかなり白みがかっていた。舳に立つと、互に離れないように、艫と艫とを太い縄で結びあわせた僚船の姿が、まだ寝足りなそうに浮かんでいるのが見えた。この天気では、今日もどうやら不漁のような気がする……と思いながら、彼は明けゆく海原を前にして、ジャアジャアと用をたしはじめた。
そのときであった。
「はてな、変な音がする……」
彼はふと遠い空から、異様な響の聞えてくるのをきいたのだ。
「ああ、そうか。……こいつはまた海軍の演習にぶつかったかな」
海にくらしている彼等にとって、何よりも嬉しいことは、思いがけぬ海上で、わが艦隊の雄姿を見ることだった。これも、演習で、海軍機が飛んでいるんだろう。……
「だが、海軍機にしちゃ、すこし音が変だな。非常に音が高いし、その上、おそろしく響く音だ! なんだろう」
磯吉はまだ気がつかず、ボンヤリと眺めていた。怪音は、すばらしい速さで、ゴウゴウと大きくなってきた。音の来る方角が始めてわかったので、磯吉は好奇心にかられながら、なおも空を見上げていると、やがて晴れゆく朝霧の向こうに認めた機影!
一機、二機、三機、……
いやそれどころではない。たいへんな数だ。しかも驚いたのは、その飛行機の形だ。まるで蝙蝠を引きのばしたような、見るからに悪魔の化身のような姿! 長いこと飛行機は見てくらしたが、こんな飛行機を見たのは、後にも先にもたったいまが始めて……。
「あッ、これァ大変だ!……起きろ起きろ、みんな! 妙な飛行機が通っているぞう!」
磯吉はドンドン足を踏みならしながら、大声で呼ばわった。その音に、漁夫たちは、下から裸のままゾロゾロと駈けだしてきた。
「あッ、これはいけねえ」
と叫んだのは、昨年航空隊から除隊して来た太郎八という若者だった。
「……変なところを飛んでいるが、これは確かにS国の超重爆撃機だ。……さあ早く、これを○○無線局に知らせなきゃァ」
敵機の大集団きたる! この鮪船からの警報は、それから数分ののちに、○○無線局を経て東部防衛司令部に達した。――
「○○無線局発。午前五時十五分、北緯三十六度東経百四十三度ノ海上ニアル茨城県湊町在籍ノ鮪船第一大徳丸ハ有力ナルS国軍用機ノ大編隊ヲ発見ス、高度約二千メートル、進路ハ西南西。超重爆撃機九機ヨリナル爆撃編隊七隊ナリ。以上」
超重爆六十三機の一大爆撃編隊の強襲だ!
防衛司令部は、俄かに活気づいた。
警報の用意が命ぜられた。
五百キロの海上だとすれば、あと二時間位で帝都の上空に達するはずだった。海上の防空監視はむつかしい。
この発見がもうすこし遅かったら、どうなったろう。思っても冷汗が流れる。
用意は出来た。
香取司令官は、厳然として「空襲警報」を下命した。
警報の発令と同時に、防空飛行隊にも出動命令がくだった。つづいて高射砲隊などの地上防空隊へも、それぞれ戦闘命令が発せられた。
マイクロホンの前で、中内アナウンサーは、命令遅しと待つほどもなく、香取司令官は手をあげた。
「ラジオ放送で一般に通報せよ。――司令部発表、南及び北関東地区、午前五時二十分、空襲警報発令!」
アナウンサーは、司令官の命令を復誦した。
「よろしい。落ちついて放送せよ」
アナウンサーは大きくうなずいて、マイクロホンに向かって唾をのんだ。さすがに顔の色がちがっている。
伝令があわただしく駈けてゆく。参謀が地図の上に赤鉛筆で数字を書き込む。副官が奥の戸棚から大きな掛図を小脇にかかえてきて、下士官に渡す。下士官は要領よくそれを壁に掛けてゆく。
ジ、ジ、ジーとしきりにベルが鳴る。着剣をした警戒兵がドヤドヤと入ってきて、扉の脇に立つ。――防衛司令部の中はまるで鉄工場のように活発になった。
暁の夢を破られた市民は、ドッと外にとびだした。サイレンがブーッ、ブーッと息をつくように鳴っている。夜霧でびっしょり濡れた朝の街路の上を拡声器から出るラジオの音がガンガンと響いてゆく。
「……空襲警報……空襲警報が発せられました。敵機は約二時間以内に帝都上空に現れるものと見られます。あッ……、ただ今、防衛司令官から諭告が発せられる模様であります。……香取閣下を御紹介いたします」
それにつづいて、香取将軍の重々しい声が響いてきた。
「私は香取中将であります。先程の発表にありましたるごとく、有力なるS国爆撃機隊は太平洋上より刻一刻、帝国本土に接近しつつあります。本官は既に防衛諸部隊に命じ、虐非道の敵隊の撃滅を期しております。さりながら悪運のつよき敵機の一部が、本土内に潜入するやも計りがたく、ここに於て忠勇なる国民諸君の、一大奮起をお願いする次第であります。沈勇と忍耐と協力とにより、完全なる防護を尽くされんことを希望してやみません。おわり」
このラジオを聞いた東京市民は、ただちに立って、大日本帝国万歳を絶叫した。暁の町から町を、熱血みなぎる声は、つよくつよくこだましていった。
恐ろしき空中作戦
正確にいうと、午前七時二十分――怪翼を左右にひろげた敵の爆撃機は、ついに帝都の上空にその姿をあらわした。
「おお、来た来た。あれが敵機だッ」
「うーン、やってきたな。さあ落せるものならどこからなりと、爆弾を落してみやがれ!」
市民は南の空をにらんで、覚悟を固めた。
しかし、敵機は、どこを潜って帝都上空に侵入して来たのだろう。
さきに、太平洋の鮪船から発した「敵機見ユ……」の警報にあったとおり、S国の日本空襲部隊は、超重爆撃機九機よりなる編隊を、次々に連ねて、東京へ東京へと、爆音もの凄く進撃をつづけたのであった。
わが防空監視船の警報は、あとからあとから防衛司令部へとどいた。
「爆撃機ハ九機ノ編隊七箇ヨリナル」
「爆撃編隊ハ高度約二千メートル、針路ハ真西ナリ」
「針路ヲ西南西ニ変ジタリ」
「只今上空ヲ通過中ナリ」
こうしてS国の空襲隊の様子は、手にとるようにわかって来た。
防衛司令部からの命令で、志津村と谷沢村との防空飛行隊に属する戦闘機○○機は、すでに翼を揃えて飛びだした。
ところが敵空襲部隊は、本土にあともう百五十キロというところで、急に陣形を変えた。
モロレフ司令官は、光線電話をもって、第一編隊長ワルトキンに、いそいで命令した。
「ワルトキンよ。貴隊は犬吠崎附近から陸上を東京に向かい、工業地帯たる向島区、城東区、本所区、深川区を空襲せよ。これがため一瓩の焼夷弾約四十トンを撒布すべし!」
「承知! 我等が司令! 直ちに行動を始めん」
焼夷弾を積んだこの第一編隊は、本隊から離れると、犬吠崎をめがけて驀進していった。
「第二編隊長、ミルレニエフ」
「おう、われ等が司令。破甲弾の投下準備は既に完了しあり」
「貴官は東京湾上より北上して、まず品川駅を爆撃したる後、丸の内附近より上野駅附近にわたる間に存在する主要官公衙その他重要建造物を爆撃し、東京市東側地区の上空に進出すべし。但し、東京市上空に進入の時期は第一隊より五分後とす」
「承知」
第二編隊は爆撃隊だった。
すぐに機首を西南の方に廻して、本隊を離れていった。
「第三編隊長、ボロハン!」
「おう……」
この編隊は、地雷弾と毒瓦斯弾とを半分ずつ持っている。
「貴隊は松戸附近より、東京の北東部にでて、まず環状線道路及び新宿駅を爆撃破壊したる後、東京市北部及び西部の繁華なる市街地に対し瓦斯弾攻撃を行い、住民をして恐怖せしめ擾乱を惹起せしむべし!」
「承知!」
第三編隊も、隊列を離れていった。第四編隊と第五編隊とは毒瓦斯と焼夷弾、第六編隊は地雷弾をもって、川崎横浜方面の爆撃を命ぜられた。毒瓦斯弾と細菌弾とを持った第七編隊にも特別な命令がくだった。
恐るべき作戦だった。このまま彼等の思い通りに爆撃が行われるとしたら、東京、横浜、川崎の三市は、数時間のうちに死の都となってしまうだろう。
司令官は、第七編隊を率いて進撃しつつ、ニヤリと笑って、
「さあ、これからいよいよ日本帝国を亡ぼし、東洋全土をわがS国植民地とするその最初の斧をふりおろすのだ。ああ、愉快!」
と、航空地図上の日本本土の横腹に、赤鉛筆で大きな矢印を描き、更に日附と自分のサインを誇らしげに書きいれた。
空中の地獄
空襲して来た敵機隊との最初の空中戦は、銚子海岸を東へ去ること五十キロの海原の上空で始まった。――志津飛行隊に属する戦闘機隊が、敵の第一編隊を強襲したのだった。……
つづいて、その南方の海面の上空で、谷沢飛行隊と、敵の第二編隊とが出合い、ここでもまた物凄い地獄絵巻がくりひろげられていった。
グワーン、グワーンとうなる敵の機関砲。
ヒューンといなないては宙返りをうち、ダダダダダーンと、敵機にいどみかかるわが防空戦闘機。
あッ、戦闘機が翼をうちもがれて、グルグルまわりながら落ちてゆく。と見る間に、敵の一機も真黒な煙をひいて撃ち落された。
こうした激しい空中戦が、敵の各編隊を迎え、相模湾上でも、東京湾の上空でも行われた。
口径四十ミリの敵の機関砲は、思いの外すごい力をもっていた。わが戦闘機は、敵に迫る前に、この機関砲の餌食となって、何台も何台も撃ちおとされた。
しかし、その間に、敵機の数もまた一台二台とへっていった。勇猛果敢なわが戦闘機は、鯱のように食下って少しも攻撃をゆるめないのだ。上から真逆落しに敵機へぶつかって組みあったまま燃落ちるもの――壮烈な空の肉弾戦だ。
敵の陣形はすっかり乱れた。
舵をかえして、太平洋の方へ逃出すものがある。のがすものかと追いかける戦闘機、中には逃足を軽くするため、折角積んで来た五トンの爆弾を、へどのように海上へ吐き出して行くのもあった。
ただ、各編隊を通じて十機あまりは、雲にまぎれて戦闘の攻撃機をのがれ、東京へ東京へと、呪の爆音を近づけつつあったのだ。
しかし、東京の外側を幾重にもとりまく各高射砲陣地が、どうしてこれを見のがそう。ねらいすました弾丸は、容赦もなく敵機に噛みついていった。
翼をくだかれて舞いおちるもの。
火災を起して、大爆音とともに裂けちるもの。
傷ついてふらふらと不時着するもの。
数十分前に、意気高く「東京撃滅!」を叫んだあの六十三機の大空軍は、今その姿を失おうとしている。
だが、安心するのはまだ早い。東京湾上の雲にひそんだ一機、二機、三機――が死物ぐるいに帝都の空へ迫っているではないか。
爆撃下の帝都
魔鳥のような敵機の姿はついに品川沖に現れた。海岸の高射砲は一せいに火蓋をきった。その煙の間を縫うようにして、見る見る敵機は市街の上……。
けたたましい高射機関銃の響が八方に起こった。
敵機の翼の下から、蟻の卵のようなものがパッととびだした。その下は、ああ、旗男たちの住む五反田の町!
「あッ、爆弾投下だッ。うわーッ、この真上だぞう……」
この爆弾の雨をみた旗男は、高台を駈けおりながら、大声で叫んだ。――彼は空襲の知らせを聞くと、病める両親をはじめ家族たちをすぐ防毒室の中に入れ、あとのことをお手伝いさんと竹男に頼むと、自分は少年団の一人として、町にとびだしてゆくところだった。そのとき旗男は大事な持物を忘れなかった。右肩には防毒面の入ったズックの鞄を、また左肩には乾電池で働く携帯用のラジオ受信機を、しっかり身体につけて出た。
「うわーッ、あれあれ。爆弾だ、爆弾だ」
「あわてるなあわてるな。落ちるところを注意していろ!」
鍛冶屋の大将は大童で防護団を指揮していた。
町々からは恐怖の悲鳴がまいあがる。
ガラガラガラガラ!
ドドーン、ドドーン!
破甲弾よりは、ややひくめながら叩きつけるような大音響とともに、パーッとたちのぼる火炎の幕!
うわーッという凄惨な人間の叫び!
町まで出てきた旗男は実をいうと、気が違いそうであった。しかしここで気が違っては日本男子ではないと思って、一生懸命、自分の手で自分の頭をなぐりつけた。ゴツーン、という音とともに感ずるズズーンという痛み、そこでハッと気がついた。
「あッ、焼夷弾が……」
向こうの屋根に小型の爆弾が落ちたと思うと、パッと眼もくらむような光が見えた。
「こっちだ、こっちだ」
「おお」
鍛冶屋の大将が声を聞きつけとんできた。
「オイ皆、早く消しにゆけ。防火班、全速力だッ!」
手近にいた者が駈けだそうとすると、その前に、またつづけさまに三発、ドドドーンと白煙が天に沖する。
「うわーッ、やられたッ……」
と鍛冶屋の大将が叫んだと思うと、どうと倒れた。
「おお、担架、担架」
「イヤ何、大したことはない」
大将はムクムクと起き上ってきて手を高くあげた。
「砂だ、砂だ。オイお前は、ホースを引っぱれ。早く早く。落ちついて急げ!」
防護団はあまりの強襲にあって、頭がカーッとして、何がなんだかわからない。
手あたり次第、眼にとまった方に駈けだしてゆく。これではいけない。もっと落ちつかねば……と気がついた旗男は、ふと天幕の中に、赤い房のついたラッパを見つけた。
「そうだ、これだッ」
旗男は天幕の中にとびこんで、ラッパをつかむより早く、口に当てて、タタタァ……と吹鳴らし始めた。それは勇ましい戦闘ラッパだった。
タッタ タッタ タッタ タッタ タッタ タッタ
「おお、戦闘ラッパが鳴っている!」
「おお、あれは誰が吹いているのだろう」
嚠喨たるラッパの音を聞いた人々は、にわかに元気をとりもどし始めた。
「おお、旗男君。さすがに、やるなァ!」
と鍛冶屋の大将は頭をふった。そして腹の底から声をふりしぼって叫んだ。
「そォらッ! 今あわてちゃいかん。がんばれがんばれ。あと十分間の我慢だ!」
火災は幸いにして、日頃の訓練が物をいって大事に至らずにすんだ。
「……瓦斯だッ、瓦斯、瓦斯!」
坂上から、伝令の少年が自転車に乗って駈けくだってきた。
「ホスゲンだ、ホスゲンだ。……防毒面を忘れるな」
「毒瓦斯が流れだしたぞう……」
恐怖の的の毒瓦斯弾が、落ちたらしい。それっというので、防護団の諸員はお揃の防毒面をかぶった。警報班員は一人一人、石油缶を肩からつって、ガンガン叩いて駈けだす。
「瓦斯は坂の上の方から下りてくるぞ。防毒面のない人はグルッとまわって風上へ避けろ。なるべく高い所がいいぞ。そこを、右へ曲って池田山へ避難するんだ!」
旗男は後に踏みとどまって、坂上から徐々に押しよせてくる淡緑色の瓦斯を睨みながら、さかんに手をふった。彼は、勇敢にも時々防毒面と頭との間に指ですき間をつくり、瓦斯の臭をかぎわけようとつとめた。
地上の地獄
ウウウーと、物凄い唸声をあげて、真赤な消防自動車が、砲弾のように坂を駈け上っていった。麻布の方に、烈々たる火の手が見える。防毒面をつけた運転手は、防毒面の下で半泣になっていた。それは爆弾がこわいわけではなかった。早く火元へ駈けつけたくても、あわて騒ぐ市民がウロウロ道に出てくるので、あぶなくて思うように運転が出来ないからだった。あッ、また向こうの横町から洋装の女がとびだしてきた。
「あぶない!」
運転手はわめいた。サイレンは、さらに猛烈に咆えたって、女の前をすれすれに駈けぬけた。
燃えやすい帝都に、一箇所でも火災をだすことは、この際一番おそろしい。ぜひとも早く消しとめなければならないと、消防隊は一生懸命なのだった。
火事はお邸町だった。
消防隊員はバラバラととびおりて、直ちにホースを伸ばしていった。物凄い火勢だ。どうして焼夷弾を消さなかったんだろう。
「……実にけしからん」
と小頭が頭をふって怒りだした。
「この辺の邸は、どこも逃げてしまって、なかには犬っころがいるだけだ。実にけしからん。だから焼夷弾が落ちても、誰も消手がないのだ。非国民もはなはだしい!」
消防隊員を憤慨させたこの辺一帯の避難民はどうなったであろうか。彼等は甲州の山奥に逃げこむつもりで、新宿駅に駈けつけたが、たちまち駅の前で立往生をしてしまった。あまりに夥しい避難民が押しよせたので、もう身動きもできなかった。駅員の制止も聞かばこそ、改札口をやぶり、なだれをうって一部はプラットホームに駈けあがり、そこに停車していた列車にわれがちに乗りこんだが、そこでも百人近い死傷者が出た。
列車の中にはいれない人は、窓の外にぶら下り、屋根の上によじのぼった。
それは地獄絵巻のように、醜くも恐ろしい光景だった。……そんなに努力して乗りこんだのはいいが、列車は遂に発車しなかった。防衛司令部が警備の目的のため、列車の出発を中止させたのだ。
ところが、悪いときには悪いことが重なるもので、そのうちに、こちらへ廻って来た敵機が、おびただしい爆弾と、焼夷弾とを投げおとして、新宿駅のまわりは、たちまち火の海となってしまった。
消防隊も、防護団も、ぎっしりの群衆に邪魔されて手の下しようがなく、アレヨアレヨと、死人のふえるのを見ていなくてはならなかった。
まったく恐ろしいのは共同の精神をうしなった群衆だった。
敵機は去ったが