軍用鼠

1話 軍用鼠(1)

9,025字 約18分 2005年5月2日 公開

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 探偵小説家の梅野十伍(うめのじゅうご)は、机の上に原稿用紙を()べて、意気(はなは)銷沈(しょうちん)していた。

 棚の時計を見ると、指針は二時十五分を指していた。それは午後の二時ではなくて、午前の二時であった。カーテンをかかげて外を見ると、ストーブの温か味で汗をかいた硝子(ガラス)戸を透して、まるで深海の底のように黒目(あやめ)()かぬ真暗闇が彼を閉じこめていることが分った。

 もう数時間すれば夜が明けるであろう。すると窓の外も明るくなって、電車がチンチン動きだすことであろう。するとその電車から、一人の詰襟(つめえり)姿の実直な少年が下りてきて、歩調を整えて門のなかへ入ってくるだろう。そして玄関脇の押し(ボタン)を少年の指先が押すと、奥の間のベルが(かまびす)しくジジーンと鳴るであろう。梅野十伍はそのベルの()を聞いた瞬間に必ずや心臓麻痺を起し、徹夜の机の上にぶったおれてあえなくなるに違いないと思っているのである。

 原稿紙の上には、ただの一行半句も(したた)めてないのである。全くのブランクである。上の一枚の原稿用紙がそうであるばかりではなく、その下の一枚ももう一つ下の一枚も、いや家中の原稿用紙を探してみても只の一字だって書いてないのである。それだのに、朝になると、必ず詰襟の少年が、字の書いてある原稿紙を取りに来るのである。少年は梅野十伍の女房に恭々(うやうや)しく敬礼をして、きっとこんな風に云うに違いない。

「ええ、手前は探偵小説専門雑誌『新探偵』編集局(へんしゅうきょく)の使いの者でございます。御約束のセンセイの原稿を頂きにまいりました、ハイ」

 ――それを考えると梅野十伍は自分の顔の前で曲馬団の飢えたるライオンにピンク色の裏のついた大きな口をカーッと開かれたような恐怖を感ずるのであった。実に戦慄すべきことではある。

 なぜ彼は、原稿用紙の桝目(ますめ)のなかに一字も半画も書けないのであるか。そして毒瓦斯(ガス)の試験台に採用された囚人のように、意気甚だ銷沈しているのであるか。

 これには無論ワケがあった。ワケなくして物事というものは結果が有り得ない。

 実はこのごろ梅野十伍にとって何が恐ろしいといって、探偵小説を書くほど恐ろしいことはないのであった。今月彼が一つの探偵小説を発表すれば、この翌月にはその小説が、すくなくとも十ヶ所の批評台の上にのぼらされ、そこでそれぞれ執行人の思い思いの趣味によって、虐殺されなければならなかった。

 もしこれが人間虐殺の場合だったら、もっと楽な筈だった。なぜなら人間の生命は一つであるから、一遍刺し殺されればそれで終局であって、その後二度も三度も重ねて殺され直さぬでもよい。ところが、小説虐殺の場合は十遍でも二十遍でも引立てられていっては念入の虐殺をうけるのであるから、たまったものではない、(もっと)もいくたび殺されても執念深く生き換わるのであるから、執行人の方でも業を煮やすのであろうが。

 執行人の多くは、いろいろな色彩に分れているにしてもいずれも探偵小説至上論者であって、新発表の探偵小説は従来(かつ)て無かりし高踏的のものならざるべからずと叫んでいる。だから(いやしく)も従来の誰かの探偵小説が示した最高レベルに較べて上等でない探偵小説を発表しようものなら、それは飢えたるライオンの前に兎を放つに等しい結果となる。だからボンクラ作家の梅野十伍などはいつも被害材料ばかり提供しているようなものであった。

 ――と、彼は書けないワケを、こんなところに押しつけているのだった。しかし、元来、彼は生れつきの被害妄想仮装症であったから、どこまで本気でこれを書けないワケに換算しているのか分らなかった。実をいえば、彼にはもっと心当りの書けないワケを持っていたのである。

 それはブチまけた話、彼はもう探偵小説のネタを只の一つも持ち合わせていなかったのである。さきごろまでたった一つネタが残っていたが、それも先日使い果してしまったので今はもうネタについては全くの無一文の状態にあった。しかるにこの暁方までに、なにがなんでも一篇の探偵小説を書き上げてしまわねばならぬというのであるから、これは如何(いか)に意気銷沈しまいと思っても銷沈しないわけにはゆかないのであった。

 そんなことを考えているうちにも、時計の針は馬鹿正直にドンドン廻ってゆき、やがて来る暁までの余裕がズンズン短くなってゆくのだった。なにか早く、書くべき題材を考えつかないことには、一体これはどういうことになるんだ。時刻は午前二時三十分正に丑満(うしみつ)すぎとはなった。あたりはいよいよシーンと()け渡って――イヤ只今、天井を(ねずみ)がゴトゴト走りだした。シーンと更け渡っての文句は取消しである。

 このとき梅野十伍は、憎々しげなるうわ目をつかって鼠の走る天井板を(にら)みつけていたが、そのうちに()うしたものか懐中からヌッと片手を出して、

「うむ、済まん」

 といいながら、天井裏のかたを伏し拝んだのであった。

 彼は急に元気づいて、原稿用紙を手許へ引きよせ、ペンを取り上げた。いよいよなにか考えついて書くらしい。

 彼はまず、原稿用紙の欄に「1」と大書した。それは原稿の第一(ページ)たることを示すものであった。彼はこのノンブルを(あん)パンのような大きな文字で書くことが好きであった。

 原稿の第一字を認めた彼は、こんどはペンを取り直して第六行目のトップの紙面へ持っていった。いよいよ本文を書く気らしい。

「梅田十八は、夜の更くるのを待って、壊れた大時計の裏からソッと抜けだした。

 真暗なジャリジャリする石の階段を、腹匍(はらば)いになってソロソロと登っていった。

 階段を登りきると、ボンヤリと黄色い()(とも)った大広間が一望のうちに見わたされた。魔法使いの妖婆は、一隅の寝台の上にクウクウとあらたかな(いびき)をかいて睡っている。機会は正に今だった」

 そこで梅野十伍は、左手を伸ばして缶の中から紙巻煙草(ケレーブン)を一本ぬきだし口に(くわ)えた。そして同じ左手だけを器用に使ってマッチを擦った。紫煙が蒙々と、原稿用紙の上に棚曵(たなび)いた。彼はペンを握った手を、新しい行のトップへ持っていった。

 どうやらソロソロ彼の右手が機嫌を直したらしい、彼の頭脳(あたま)よりも先に。

「――梅田十八は、恐る恐る大広間に入りこんだ。彼はよく名探偵が大胆にも賊の棲家(すみか)に忍びこむところを小説に書いたことがあったけれど、本当に実物の邸内に侵入するのは今夜が始めてだった。そのままツツーと歩こうとするが、腰がグラグラして云うことを聞かなかった。やむを得ずまた四つン匍いになって、かねて見当をつけて置いた大机の方に近づいた。

 机の上を見ると、なるほど青い表紙の小さい本が載っている。一切(いっさい)の秘密はそのなかにあるのだ。彼は勇躍して机に噛りつき、取る手も遅しとその青い本を開いて読みだした。

『アダムガ八千年目ノ誕生日ヲ迎エタルトキ、天帝ハ彼ノ姿ヲ老婆ノ姿ニ変ゼシメラレキ、ソレト共ニ一ツノ神通力ヲ下シ給エリ、スナワチアダムノ飼エル多数ノ鼠ヲ、彼ノ欲スルママニ如何ナル物品生物ニモ変ゼシメ()ル力ヲ与エ給エリ、(タダ)シソレニハ一ツノ条件ガアッテ毎朝午前六時ニハ必ズ起キ出デテ呪文ヲ三度唱ウルコト(コレ)ナリ。モシモソレヲ怠ッタルトキハ、彼ノ神通力ハ瞬時ニ消滅シ、物ミナ旧態(キュウタイ)(モド)ルベシ、()リテアダムハ、飼育セル多数ノ鼠ヲ変ジテ多クノ男女ヲ作リモロモロノ物品ヲ作リナセリ』

 読み終った梅田十八は、非常なる恐怖に襲われた。以前から、どうもこういう気がせぬでもなかったのである。今日世の中に充満する人間のうち、ダーウィンの進化論に従って、猿を先祖とする者もあるかもしれないが、中にはまたこの妖婆アダムウイッチの日記帳にあるごとくそれが鼠からか水母(くらげ)からか知らないが、とにかく他の動物から変じて人間になっているという仲間も少くはないだろうことを予想していた。

 果然彼は猿から進化した恒久の人間にあらずして、一時人間に化けた鼠だかも知れないのである。そういえば、彼は別にハッキリした理由がないのにも(かかわ)らず、よく匍って歩く習慣があった。それからまた、いつぞや鏡の中に自分の顔を眺めたとき、両の眼玉がいかにもキョトキョトしている具合や、口吻(こうふん)がなんとなく尖って見え、唇の切れ目の上には鼠のような(あら)(ひげ)が生えているところが鼠くさいと感じたことがあった。今やその秘密が解けたのである。――」

 というところで、梅野十伍は後を書きつづけるのが莫迦莫迦(ばかばか)しくなって、ペンを置いた。彼は好んでミステリーがかった探偵小説を書いて喝采を博し、後から「ミステリー探偵小説論」などを書いて得意になったものであったが、これではどうも物になりそうもない。彼は火の消えてしまった煙草にまたマッチの火を点けて一口吸った。

 そのとき彼がちょっと関心を持ったことがあった。それはいま書いた原稿の中に、

「――いつぞや鏡の中に自分の顔を眺めたとき、両の眼玉がいかにもキョトキョトしている具合や、口吻がなんとなく尖って見え、唇の切れ目の上には鼠のような粗い髯が生えているところが鼠くさい!」

 と書いたが、彼はなぜこんなことを考えついたのだろうと不審をうった。

 さっき鼠が天井裏で暴れはじめたのを、時にとっての福の神として、鼠の話などを原稿に書きだした件はよく分る。しかしその鼠の話を、そんな風に主人公の顔が鼠に似ているという話にまで持っていったについては、何かワケがなくてはならぬ。(およ)そワケのない結果はないのである。そのモチーフは如何なる筋道を通って発生したのであろう。

 ひょっとすると、これは梅野十伍自身は自覚しないのに彼の顔が鼠に似ていて、それでその潜在意識が彼にこんな(プロット)を作らせたのではなかろうか。そうなると彼は急に気がかりになってきた。その疑惑をハッキリさせなければ気持が悪かった。

 彼は時計がもう午前三時になっているのに気がつかないで(かたわ)らの棚から手文庫を下ろした。その中には円い大きな凹面鏡(おうめんきょう)が、むきだしのまま入っているのである。彼はそれに顔を写してみる気で、手文庫の蓋に手をかけたが――ちょっと待て!

 明るいスタンドの下とは云え、この深夜に唯一人起きていて、自分の顔を凹面鏡に写してみて、それで間違いはないであろうか。もしその鏡の底に、彼のテラテラした(あか)ら顔が写り出せばいいが、万一まかり違って、その鏡の底に顔一面毛むくじゃらの大きな鼠の顔がうつっていたとしたら、これは一体どうなるのだろうか。

 そう思うと、急に彼の手はブルブルと(ふる)えはじめた。手文庫の蓋がカタカタと鳴りだした。彼の背筋を、氷の(やいば)のように冷いものがスーッと通りすぎた。彼は開けようと思った手文庫の蓋を、今度は開けまいとして一生懸命に抑えつけた。それでもジリジリと恐怖は、彼の両腕を匍いあがってくるのであった。彼はもうすっかり(おび)えてしまって、とうとう横手の窓をポーンと明けると、鏡を手文庫ごと窓外に放りだした。闇の中に冷雨(ひさめ)にそぼぬれていた熊笹がガサッと、人間を袈裟(けさ)がけに切ったような無気味な音を立てた。彼は慌てて窓を締めてカーテンを素早く引いた。

 机の前の時計は午前三時を大分廻っていた。彼はまた煙草を口に咥え、今度は原稿用紙の上に頬杖をついて考えこんだ。

 さっきの妖婆アダムウイッチの話をもっと書くのだったらそれから先に或るアイデアがないでもなかった。――すなわち、作中の主人公梅田十八が遂に意を決して妖婆を殺そうとする。城内から大きな沢庵石(たくあんいし)――は、ちと可笑(おか)しいから、大きな石臼を見つけてきて、これを目の上よりも高くあげて、寝台に睡る妖婆の頭の上にドーンとうちつける。ギャーッと一声放ったが、この世の別れ、妖婆の呼吸(いき)が絶えると、梅田十八の姿は一寸ぐらいの小さな二十日鼠(はつかねずみ)の姿となって――一寸はすこし短かすぎるかな、とにかく正確なところは後で索引付動物図鑑を引いてということにして「寸」の字だけで、数字は消して置こう。

 しかし、そこで妖婆を殺してしまったのでは、小説として一向面白くない。もっと妖婆の妖術を生かさなければ損である。

 では、こうしてはどうであろうか。主人公梅田十八はお城へ探検になど来なかったことにする。

 彼は原稿の債務なんかすっかり片づけてしまって、のうのうとした身体になっている。そこへ彼が口説いてみようかと思っている近所の娘さんが臙脂(えんじ)色のワンピースを着て遊びにやってくる。

 そこで梅田十八は、ルリ子――娘さんの名である――を伴って散歩に出かける。二人は歩き疲れて、月明るき古城を背にしてベンチに並んで腰を下ろす。そしてピッタリと寄りそい甘い恋を(ささや)きかわすのだった。

 ところが城の中にいた妖婆アダムウイッチが(はる)かにこれを見て、大いに嫉妬する。そしてたまりかねて、自暴酒(やけざけ)を呑む。あまりに酒をガブガブ呑んだので、蒟蒻(こんにゃく)のように酔払って、とうとう床の上に大の字になって睡ってしまう。

 お城の下では、十八とルリ子が、あたり(はばか)らずまだピッタリと抱き合って恋を語っている。月が西の空に落ちたのも知らない。そのうちに東の空が白み、夜はほのぼのと明けはじめ(ああ夜が明けはじめるなんて、くだらないことを思いついてしまったものだ。本当に夜はまだくろぐろと安定しているのであろうな。カーテンを開いて窓の外を覗いてみよう。うむ今のところ、まだ大丈夫である)

 若き二人の抱き合っている傍には、大きな柘榴(ざくろ)の樹があって、枝にはたわわに赤い実がなっている。その間を早や起きの蜂雀の群がチュッチュッと飛び戯れている。まるで更紗(さらさ)の図柄のように。

 お城では妖婆アダムウイッチが、床の上に(たお)れたまま、まだグウグウ睡っている。電気時計の指針は、もう午前六時を指している――また禁句禁句――のに、彼は目が覚めない。受信機のスイッチをひねって置けば、この辺でラジオ体操が始まり、江木(えぎ)アナウンサーのおじさんが銅羅声(どらごえ)をはりあげて起してくれるのだが――彼、梅野十伍はいつもそうしている。但し床から離れるのは彼ではなくて、小学校にゆく彼の子供である。彼はラジオ体操を聴けば安心して、更にグウグウ睡れるのである。――生憎(あいにく)妖婆は前の晩に深酒をして、寝るときにスイッチをひねっておくことを忘れたので、ラジオ体操が放送されていても彼の妖婆には聞えなかった。そんなわけでとうとう妖婆は午前六時に唱うべき天帝に約束の三度の呪文をあげないでしまう。

 その結果は、お城の下にどんな光景を演出するに至ったであろうか。

 ルリ子はうららかな太陽の光を浴びながら、梅田十八と抱き合っているうちに、急に梅田の身体が消えてしまって、弾みをくって(どう)とベンチの上に長くなって仆れる。そのとき彼女の身体の下から、二十日鼠が飛びだした。そしてその二匹の二十日鼠が、チョロチョロと向うへ逃げてゆく、二匹の二十日鼠と書くと読者は、彼作者が寝呆けて一の字を二の字に書いてしまったと思うかもしれない。しかし読者は間もなく後悔するに違いない。作者はこんな風にそのところを書く。――

「――もちろん一匹の二十日鼠は、哀れな梅田十八の旧態にかえった姿だった。他の一匹は臙脂色のワンピースが旧態にかえった姿だった。ルリ子は自分が白日(はくじつ)の下に素裸になっているのも知らず、ベンチから立ち上った」

 と、するのである。

 その辺で、きっとニヤリと口を曲げる読者が一人や二人はあるに違いない。

 作者の彼にとっても、あまり悪い気持がしないのであったけれど、これでは探偵小説にはならない。

「ほう、もう四時だ。これはいけない」

 原稿を書くことを忘れて、うっかりいい心地になっていた梅野十伍は、時計の指針を見て急に慌てだした。彼は随分時間を空費した、早く書き出さねば間に合わない。探偵小説、探偵小説、探偵小説ヤーイ。

 探偵小説ということについては、なかなか(やかま)しい定義がある。梅野十伍は、普段そんな定義にあまりこだわらない方であるが、この際は原稿大難航の折柄のこととて、一方の血路を切り開いて()(かく)も乗り切ることが第一義であった。一応その定義に服従して、結果を出すのがいいであろう。

 学説に()れば探偵小説とは謎が提供され、次に推理によってその謎を解く小説のことである。つまりここに一つの謎があって、その謎を構成している諸材料に関する常識乃至(ないし)は説明だけの知識でもって、その知識の或る部分を推理によって適当に組合わせてゆくとそこで謎が解けるそのような推理体系を小説の形で現わしたものが探偵小説だというのである。

 鼠の顔を推理で解いて、果してどういう答がでるだろうか。

「鼠の顔とかけて、何と解きなはるか」

「さあ何と解きまひょう。分りまへんよってにあげまひょう」

「そんなら、それを貰いまして、臥竜梅(がりゅうばい)と解きます」

「なんでやねン」

「その心は、(みき)(ミッキー)よりも(はな)(はな))が低い、とナ」

 これは単なる謎々であって、探偵小説ではない。第一その謎を解く(キイ)が、至極フェアとまではゆかない。無理な着想を()いる。

 もしこれが探偵小説の形で発表されていたにしても、その点で優等品とはゆかない。そうした欠点は、この謎を作るときに建てた推理が謎を解くときの推理と全く逆であるところに無理がある。つまり素直なる順序によってこの「鼠の顔」の謎を解いたわけではなかったのだ。逆ハ必ズシモ真ナラズとは、中学校――もちろん女学校でもいいが――で習う幾何の教科書に始めて現れるが、上記の場合は正に必ズシモの場合なのである。

「鼠の顔」の謎を(こしら)えるというので、まず鼠に(ちな)むものはないか考えた。そしてミッキーを得た。――ミッキー・マウスではすこし長すぎて手に負えない。

 それが決まると、ミッキーと「鼠の顔」との連鎖事項を考える順序となる。但しその連鎖事項たるや同時に「鼠の顔」とは全く違う他のものを説明するものでなければならぬ。ここに至ればもう運と常識の戦争である。幸い臥竜梅を早く思いついたから、それで謎は出来上ったことにしたわけだが、その連鎖事項がすこし薄弱性を帯びていることを(いな)み得ない。

 謎々はこうして出来上ったが、前にも云ったとおり、謎の答から謎の説明を考究していったのだから、その謎を解くとき「鼠の顔」の連鎖事項を探して、謎の答を推理してゆくのとはちょうど逆の順序になる。そこに逆ハ必ズシモ真ナラズが侵入する余地があるのである。

 ――と、かれ梅野十伍は二、三枚の原稿用紙を右のように汚したが、これは探偵小説じゃないようだ。けっきょく探偵小説論の小乗的解析でしかないから、こんなものを編集局へさし出すわけには行かない。

 彼は折角書いた原稿用紙を鷲づかみにすると、べりべりと破いて、机の下の屑籠のなかにポイと捨てた。始めからまた出直しの()むなき仕儀とはなった。しかし彼は、さっきまでのように、時計の指針をあまり気にしなくなった。ソロソロ小説書きの度胸が据わってきたのであろう。

 ――女流探偵作家梅ヶ枝十四子(うめがえとしこ)は、先日女学校の同窓会に招ばれていって、一本の福引を引かされた。それを開いてみると、沂水流(ぎすいりゅう)の達筆で「鼠の顔」と認めてあった。

「十四子さん、貴女(あなた)の福引はどんなの、ね、内緒で見せてごらんなさいよ」

「――エエわたくしのはホラ『鼠の顔』てえのよ」

「アラ『鼠の顔』ですって、アラ本当ね。まあ面白い題だわ、なにが当るんでしょうネ」

「さあ、わたくしは皆さんと違ってまだチョンガーなんだから、天帝もわたくしの日頃の罪汚れなき生活を(よみ)したまい、きっと素晴らしい景品を恵みたまうから、今に見ててごらんなさい」

「まあ、図々(ずうずう)しいのネ、近頃の処女は――」

(探偵作家梅野十伍は罪汚れ多き某夫人に代ってニヤリと笑い、ここでまたペンを置いた。そして紙巻煙草(あかつき)に手を出した)

 幹事森博士夫人と谷少佐夫人とによって福引が読みあげられ、それぞれ奇抜な景品が授与されていった。そのたびに、花のような夫人たち――たちと書いたのはなかに『処女』も一人加わっていることを示す(探偵作家は万事この調子で、些細なることもおろそかにせず、チャンと数学的正確さをもって記述してゆくよう、習慣づけられているものである)――そこで夫人たちが女生徒時代の昔に帰ってゲラゲラとワンタンのように笑うのだった。(ワンタンのように――は誰かの名文句を失敬したものである。作家というものは、それくらいの気転が()かなきゃ駄目だと、梅野十伍は思っている。しかし一々こう註釈が多くては物語が進行しない。今後は黙ってズンズン進行することに方針変更)

 いよいよ「鼠の顔」が高らかに読みあげられた。

「あたくしよ。――」

 と、梅ヶ枝女史が叫ぶよりも一歩お先へ、女史の隣りの夫人(名前をつけて置くのを忘れた)が、

「それは十四子さんのよ」

 と叫んだ。女史はジロリと横目で睨んだ。

「ああ十四子さんなの。アラとてもいい景品ですわよ。今日の景品のなかで、一番素敵な貴重なものだわよ」

 と、幹事の谷夫人が、話の割合には薄っぺらな白い西洋封筒に入ったものを持って梅ヶ枝女史の前に飛んできた。女史は少し面映(おもは)ゆげに、プラチナの腕輪の(はま)った手を伸ばしてその白い西洋封筒を受けとりながら――これは十円紙幣かな――とドキッとした。

 森幹事が向うの方から大きな声で披露をした。

「鼠の顔、鼠の顔。当った方は、目下読書界に白熱的人気の焦点にある新進女流探偵小説家(新進だなんて失礼ナ、既成の第一線作家だわよ――と、これは、梅ヶ枝女史の憤懣(ふんまん)である)の梅ヶ枝十四子さん。景品はァ――どうか封筒からお出しになって下さい――ターキーのプロマイド! そのわけは、娘々(ニャンニャン)が大騒ぎ。――」

 というのであるが、この福引の方が「鼠の顔とかけてなんと解く。臥竜梅と解く。その心は(ミッキー)よりも()が低い」の場合より出来がよろしい。

 その理由は、この福引の「鼠の顔(景品はターキーのプロマイド)娘々が大騒ぎ」の方が前者に比較して、ずっと卑近にして、(しか)も相当今日の話題的材料を持ってきたところが(すぐ)れているのである。しかも娘々は、やや高級ではあるけれど日満両帝国一体となっている今日、日本人にとっては盟邦に於ける最も明朗なる行事として娘々廟の娘々まつりを知っているものが少くないのであって、それ位の高級さは(かえ)ってこの福引を更に高雅なものに引き上げる。

 これがそのまま、探偵小説作法にも引きうつして、云えるのであって、探偵小説の謎も(あた)うかぎり卑近な常識的な材料を使い、その推理の難易程度もこの辺の中庸に(とど)め、()つその謎の答が相当センセイショナルなものを……。

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