花は勁し

1話 花は勁し(1)

8,308字 約17分 2005年1月5日 公開

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 青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。いままで絢爛に泳いでゐた二つのキヤリコの金魚が、気圧の重さのけはひをうけて、並んで沈むと、態と揃へたやうに二つの顔をこちらへ向けた。うしろは青みどろの混沌に暈けて二ひきとも前胴の半分しか見えない。箱のそとには黄色い琥珀の粒の眼をつけた縞馬の置物が、水粒が透けて汗をかいたやうな硝子板に鼻を擦りつけてゐる。

 箱の蓋の上に置いてある鉢植のうす紅梅がぽろ/\散つて、逞しい蕊が小枝に針を束ねたやうに目立つ。

 新興活花の師三保谷桂子は、弟子の夫人や令嬢たちが帰つたあとで、材料の残りの枝を集めて、自分だけ慰みの活花をずんどうに挿して、少時(しばらく)眺め入つてゐたが、俄に変つて来た空の模様を硝子戸越しに注意しながら、少しの天候の変化からもぢきに影響される金魚の敏感な様相を観まもつた。

 空の模様はます/\険悪になり、しぶき始めた雨と一緒に光り出した稲妻の尖端が、窓硝子を透して座敷の中の炭炉にさした。

「金魚、縞馬、花、稲妻――まるで幻想詩派(サンボリスト)の文人たちの悦びさうなシーンだね」

 落ちついて水を持つて来た姪のせん子に、聞かせるといふほどの意志もなく桂子はいつた。

 それから桂子は、桂子がフランスを発つて来る間際まで、世紀末生残りの詩人が、まだ飽きずにこんな感じの詩を作つてゐたことを、ちよつとの間、憶ひ出してゐた。

 未完成のまゝ花器の根元を持つてそつと桂子が押しやつたずんどう花活(はないけ)へ、水を差しながらせん子がいつた。

「先生けふは三十日――あしたは晦日――今夜でも小布施さんにお金を持つてつてあげないぢや」

 小布施は桂子の遠い親戚の息子で、もと桂子が画を習つてゐた時の同門でもあつた。不遇で病弱で、長く桂子に物質的補助をうけてゐる画家であつた。

 桂子は花の屑を包んで膝かけを外しながら、いつも病気勝ちな小布施に何かにつけて気を配るせん子をいぢらしいと思つた。ひよつとしたら内心、小布施を愛してゐるのかも知れない。桂子はそれから襟元を少し掻き寛げ、右手の拇指を右の前脇の帯に突き込んで扱くと同時に、体格のいゝ胴を捻つた。博多の帯がきし/\鳴つた。

「あゝ窮屈だつた。お弟子達には行儀よくしてなくちやならないから辛いね。せん子、お茶でも持つて来ておくれ」

 茶室造りの畳の根太の下に響いて、やゝ烈しい雷鳴が一つしたあとは、ずつと音響が空の遠くへ退いて行つた。桂子は、姪でも内弟子でもあるせん子を相手に麦落雁を二つ三つ撮んでから漆塗りの巻絵の台に載つてゐる紙包の嵩をあつさり掴んだ。これは今日の弟子達が置いて行つた月謝の全部だ。桂子はそれを袱紗に包んで、

「どれ、若い恋人に会ひに行かうかね」

 なかばせん子の気を牽きながらかういつた。

 せん子はまはりを見廻して眉を顰めた。

「冗談にもそんな云ひ方はよくありませんわ。人聴きが悪い……」

 その声には、伯母でもあり先生でもある桂子の身の上を憶ふ、純粋な響きだけだつた。

「ひとり身の女がこんな口を利くやうになるのはよく/\のことよ」

 いくらか桂子は悵然とした口調でかういつた。

 だが空が和んで来て生毛のやうに柔く短く截れて降る春雨を傘に凌いで、内玄関から出て行くときには、桂子は均斉のとれた大柄な身体を、何の蟠りもなくすつくりと伸して、昼間は人目につくと云つて小布施を訪ねるのをとめだてするせん子を見返つて、

「昼間堂々と行く方が、世間の噂に逆襲をして却つていゝんだよ」といつた。

 せん子は今更ながら美しい若い伯母の優しい気立てのなかに、どんな苦労も力強く凌いで行く精神力の潜むのを感じ、それをそのまゝ現はしてゐるやうな桂子の後姿を、信頼の眼差で見送つた。それから自分にもその元気が移りでもしたやうな張つた声で、勝手元の方を向いて云つた。

「ばあや、前庭の桃葉珊瑚(あをき)に実が一ぱいついてるよ。青い葉の間に混つて青い実がついてるものだから、まるで気がつかなかつたわ。」

 活溌な足音がして内弟子の桑子と書生が、婆やより先にせん子の佇つてゐる洋館の内玄関の扉口の方へ駈けて来た。

 桂子は邸宅と商家と肩を闘はして入れ混つてゐる山手の一劃から、窪地へ低まつてゆく坂道を降りて行つた。桜の並木があり、道の縁を取つてゐるまだらな竜の髭に、品格のある庭木が藪からしや烏瓜の蔓に絡まれながら残つてゐる。むかし相当の庭園の入口でゞもあつたものを、庭は住宅に埋められて、道だけ残されたものであらうか。硬い老幹と、精悍な痩せた枝の緊密な組み合せは、鋼鉄と鋳鉄を混ぜ合せて作つた廊門を想はせる。

 桂子はこの鋼鉄の廊門のやうな堅く老い(くろ)ずんだ木々の枝に浅黄色の若葉が一面に吹き出てゐる坂道に入るとき、ふとゴルゴンゾラのチーズを想ひ出した。脂肪が腐つてひとりでに出来た割れ目に咲く、あの黴の華の何と若々しく妖艶な緑であらう。世の中には殆ど現実とは見えない何とも片付けられない美しいものがあると桂子は思つた。

 桂子は一人になつて寂しい所を歩いてゐると、チーズのやうな何か強い濃厚(しつこ)いものが欲しくなつた。講習所の先生として、せん子などを相手にお茶請けを麦落雁ぐらゐな枯淡なもので済ます時の自分を別人のやうに思ふ。外国へ行つてから向うの食物に嗜味を執拗にされたためであらうか。

 雨は止んで、日ざしが黄薔薇色の光線を漏斗形に注ぐと、断れ/\に残つてゐる茨垣が、急に膠質の青臭い匂ひを強く立てた。桂子は針の形をしてゐながら、色も姿も赤子のやうに幼い棘の新芽を、生意気にも可愛らしく思つた。

「刺すなら刺してご覧。」

 桂子は、指紋の渦が緻密で完全に巻いてゐる人差指を伸して、棘の尖を押した。

 新芽の棘は軽い抵抗を示しながら、ふによ/\と撓んだ。強く押すと芽の腹の皮の外側は、はち切れさうになり、内側は皺が寄つた。するとその芽が切なく叫んだやうに、赤子の泣き声が桂子の耳の奥に幻聴を起させた。桂子は指を引込めた。

 三十八の女盛りでありながら、子供一人生まなかつたことが、時々自分に責められた。幾人か生んでゐべき筈の無形のこどもの泣声だけが、とき/″\耳についた。今まで数多くうけた処生上の迫害やら脅迫から桂子はいくらか被害妄想にかゝつてゐて、幻想や幻覚はしよつちゆうあつた。桂子は気分を襲つて来た悲惨な蝕斑に少し堪らなくなつて、駆け出して少女のやうに小布施のアトリヱへ転げ込んで、年下の男の友人に何かおいしいものでも喰べさして貰はなければ慰み切れない辛い気持になつた。ごくりと唾を呑むと涙がほろ/\とこぼれた。だが、ふと陽がさしてゐるのに気がついて蛇の目を窄め、無理にぐん/\上りの坂にかゝると、自分の優秀な肉体が、自分の肉体の優秀なのを足駄を踏みかけて行く両股の上に力強く感じた。男と同じほどの背丈があり、それに豊かな白い脂肉が盛りついてゐる自分を崩折れさすわけにはゆかないと、気持が立ち直つて来る。

 坂を上り切つて、晴れかゝる春先の陽の下の町の屋根々々を見返つたときには、桂子の気分の悲惨な蝕斑は薄れて、腹痛の癒りかけたときのやうな感謝すべき、ほつとした気持になつた。笑ひ度いやうな痛痒い鈍痛だけがかすかに残る。するとほの/″\とした野心的(アンビシアス)なものが頭を擡げた。

「苦しい人生をせめて花で慰め度い。私の花を溢らせ度い……。せめてこの都にだけでも一ぱいに……」

 桂子の人生に対する愛撫に似たものが、野心に張り拡げられて、蝋銀色のうすものゝ翼となつて、陽炎の立ちかけてゐる大東京の空を軽く触れ去るやうに感じた。

 桂子は巴里の美術服装家マレイ夫人に招聘されて六年間の仏蘭西滞在中、ロンドン在留同胞有志の懇望で、海一つ越えて一ヶ月程活花を教へに行つた。夜は毎夜露き出しの夜会服の背中を寒がりながら、シーズンの演劇を見て廻つた。一流劇場のクイーン座でバーナード・シヨウの「セント・ヂヨン」を見た。一般の批評では、この著者は仏蘭西の聖少女を痛快に揶揄したやうに取沙汰された。しかし、桂子は聖少女がこの著者の気持よげに薙ぎ廻す皮肉の刃を、身に遣り過して一つも傷をとゞめない不逞の正体を感じ取つた。女には女の観る女の正体がある。他の人意の批判は目の触りにならない。自分でも意識し尽せぬ深い天然の力が、白痴であれ、田舎娘であれ、女に埋蔵されてゐて、強い情熱の鈎にかゝるときに等しくそれが牽き出される。それが場合によつては奇蹟のやうなこともする。または一生埋れ切る場合もある。どつちが女としての幸福か知れないけれど。

 桂子は巴里へ帰つてから、その劇のことをマレイ夫人に話すと、

「しば/\作者の意図以上のものが出てしまふのが天才の芸術だといひますね。シヨウはたぶん天才でせう」

 白けてはゐるが敬虔に媚びた笑を交へた彼女独得の美しい笑ひ方をした。

丹花(たんくわ)を口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」

 これは女学校友達の女流文学者K――女史が、桂子の講習所を開くとき掛額に書いて呉れた詞句だ。講習所の娘たちの間に、これを読んで、「丹花の呪禁(まじなひ)」だといつて、活け剰りの花を口に銜へ、腰に手を当てゝ、映画に出て来るジヨルヂユ・サンドのやうな気取つた恰好で濶歩するのが一時流行つて、やがて廃れたが――。

 桂子は坂の上り口から雨上りの人少なの一筋道に遠見がついて、その両側に邸宅が稀で、新旧の商家がずらりと、行人に対して好奇心に貪慾な大小の口のやうな店先を開けて待ち受けてゐるのを見渡すと、今更たぢろぐ思ひが湧く。小布施へ通ふ桂子の噂がこゝらに一ぱい拡がつてゐるのを、かねて桂子は知つてゐた。桂子を敵視する同業者の家もあつた。ふと、あのK――女史が書いて呉れた詞句のやうに、花の茎でもぎつちり糸切歯と糸切歯の間に噛み締めて歩いて行くなら、この惧れに堪へられさうに思へた。一時の間でも花に離れてはならない。彼女は肩を一つ揺つて、また、肉体の雄勁な感覚から自信を取り出して、真直ぐに歩きだした。

 入口に俥止の杭が打つてある、質素な住宅地の太く通つてゐる筋の道路を右に切れ込んだ角から二軒目に、小布施の住居があつた。下は日本間になつてゐて、二階は画室になつてゐた。

 金目(かなめ)黐垣の抽き過ぎて出た芽を、二つ三つ摘み捨てゝ、松材の門の扉に手をかけ乍ら桂子が振り仰ぐと、「程君画房」といふ新しい標札がかゝつてゐる。字は小布施の洋画家風の筆蹟である。その雨湿りが乾いたばかりの標札を見上げた時、桂子は何か直覚的に、はあ、また体の工合がよくないのだなと思ふ。

 不遇傲岸に見える小布施は、案外、時流に神経質で、十六七年も前桂子と同門で矢来町のY――先生の画室に預けられてゐた時分から、逐次独立するまで、後期印象派、ダヾ、表現派、新古典、超現実派と、およそ日本で尖端的に見える画風は魁けしてこれを取り入れ、通俗派の方面にぶつかつて行つた。

 桂子は常住青年らしい闘志を失はない彼に敬服したが、彼自身何ものをも掘り下げ得ない浮いた忙しさを危んだ。そこにはまたさういふモダンを取り入れて詩示することを意識した彼自らの慊厭の気持が、人を揶揄した筆つきや、どす黒い色調で観者に逆襲してゐた。世間は戸惑つて、彼を将来ある未完成の画家の範疇にあつさり片付けた。勿論売れる絵ではない。

 体質に伏在してゐた結核性がいよ/\肺を冒し出すやうになつてから、小布施の焦燥が増すのに桂子は気づいた。

「私は、お金がはいるうちは、生活を保証してあげますから、焦つてはいけませんよ。毒ですよ」

 桂子は何度も云つた。

 すると小布施は、

「いや、そんなことぢやない。人間といふものは、何等かの方法で始終自分の存在を社会に確めて居たいものだ」

 彼は抽象派(アブストレート)の絵を描いてゐたのを途中から止めて、東洋芸術省顧の風潮に従つて、洋画の道具を片付けて墨絵に凝り出した。程君房とか方干魯とかいふ桂子の耳には縁遠い支那の古墨の作銘の名を、桂子は先頃から屡々小布施の口から聴いたものだが、それを自居の雅名にして、標札にまで書いて出さねばならない気持にまでなつたのか――小布施の時流憧憬は病の進むに従つて、一々、即物化さねば心が安まらない風に見え出した。

 桂子が家へ入つて行くと、小布施は階下の十二畳に桃山風の屏風を引き廻らして、中で床に臥つてゐた。枕元には琺瑯質の鍋だの西洋皿だのが狼藉としてゐて、その間に墨の桐箱と墨の塗沫された画仙紙の上に水筆が転がつてゐた。

「まあ、どうしたの、この有様は。ねえやは?」

 小布施は先程から桂子の入つて来るのを足音で知つてゐたのに、わざと絵葉書のアルバムに眼をむけ続けてゐたが、かういはれると、眩しさうに眼を瞬いて、はじめて桂子を見上げた。疳癖があつて、蛾のやうな眉が高い額に迫つてゐる下に、柔和な細い眼がいくらか血膜炎にかゝつて、怯えを見せてゐた。元来、青白い顔色が急に浅黒くなつてゐる。

「しげ(女中の名)はきのふ暇をとつて行つたよ。今どき独身者の病人の家に、給金だけで永くゐる娘はないよ――遺産つきで女房の契約でもしてやらなけりや」

 ちよつと皮肉にいつたが、すぐ素直な声になつて、

「そんなことはどうでもいゝ。僕はこの二三日、女中がゐないんで、湯を湧かしたりごみ/\した用事で疲れて、本読んだり画をかくのが面倒なんで、寝ころんでひとりでに君のことを研究してゐたのだがね。君はやつぱり女であつて、女といふものには持つて生れた貞操といふものがあつて、それが結局、根本で万事を解決するんぢやないかと思つたよ。君どう思ふ」

 小布施はその証拠のやうにペラ/\とアルバムの頁を繰つた。そして、曾て見たことのない懐しい顔つきをした。今度は桂子が眩しい眼つきをした。

「何をつまらないことをいつてるんです。あたしのことなぞ今の問題ぢやないぢやありませんか。それよかあんたの病気はどうなんです」

 かうは訊ねたものゝ桂子は、小布施がいひかけた自分のことについての感想を、もう少し聞き進みたかつた。

「何故、今ごろそんなアルバムなんか持ち出してるの?」

 アルバムは桂子が外国へ行つてる間、根気よく小布施によこした絵葉書を挟んで置いた部厚な集成である。今頃珍しさうに見返すまでもない程、二人の間の過去の存在なのであつた。

「今になつてこの絵葉書を見て僕は思ふんだが、君が外国でこれを買ひ集める時は、単に君が自分で興味を牽かれた景色だの、芝居だの絵だの、陶器だの人形だのの絵葉書だらうが、こつちへ送つて呉れた時の趣意は、結局、僕を啓発して呉れるつもりのものになつてゐるらしいね。

 ところで、こゝに一つ面白いことがあるのだ。この三百枚かの絵葉書に書いた君の通信文を見ると、その時々の挨拶やら、旅の印象の報告やらで一枚一枚違ふが、君の主観の思想めいたものを探し出すと、きまり切つてたつた一つなんだ」

「どんな主観や思想なの」

「さういつたら君自身だつて驚くだらう。つまり、かうなんだ――私はどこまでも絵を生きた花で描き度うございます。絵の具ではどうしても物足りません――僕が二十で君が確か二十二のときだつたね。君が初めて想像で描いて来た理想画を僕がうつかり罵つたら、君が二三日欝ぎ込んで考へてゐたが、突然Y先生の前へ行つて、私は絵を生きた花で描き度うございます、絵の具では物足りません。さう云ひ切つてパレツトを割つて仕舞つた」

 桂子はそこまで聞いて、その当時のそのまゝの事をはつきり憶ひ出した。

 当然恋人同志になりかけてゐた二人の仲が、そんな経緯で変に醗酵せず、友情の方へ逸れて仕舞つたのではあるまいか――そして、華道の家元の父親の家へ戻つて、桂子は生花に取りつき出した。娘はその時の執念が、こんなに沢山の絵葉書の通信文の殆ど一つ一つにも一貫して通つてゐる、と小布施は今さらアルバムを桂子の前へ押しつけて云ふのである。

「私いち/\そんなことを意識して絵葉書送らなかつたわ」

「ならいゝかい。ところ/″\読んでみようか。そらこゝに前衛派的な芸術論がちよつと書いてあり――それから、この芸術理論は私の活花芸術にも立派に応用されるのです。とにかく、私は私で私の理論性でも感情性でも凡て私の全生命を表現しなければなりません――ね、それ歴々たるものだ」

 かう云はれて見ると、桂子はたつたさつき坂の上で、都会の屋根々々を見渡して、思はず自分が拡充させた蝋銀色の翼の幻覚を思ひ出した。そしてあの意慾や感情と同じ系統のものが、小布施に送つた絵葉書の一端の通信文からも覚知されたのではなからうか――桂子は小布施の露はな指摘に逢つて、つい今しがたの坂の下での幻想も、何となく恥しいものに思はれた。でも、眼の前の小布施には一種の応戦的な調子になつた。

「それならそれでいゝぢやないの」

 小布施はだん/\興奮して来たのを、圧へられないやうに、

「東洋人が東洋人に還つたと自覚したこの頃の僕は、落着いて何でも明かに見えるやうな気がして来たんだ。そこで更に君に就いての穿つた観察を下して見ると、君は昔のあのとき自分の作品を攻撃されて、興奮して反撥して、そこで縋りついて行つたものが、家業の活花であつたればこそ、今日までの半生を花に忠実に仕へて来た。あの時、もし縋りつく目標に君のお父さんの家業の活花といふものが全然なくつて、一箇の男性が代つてその位置に立つてゐたとしたら、娘桂子は今日までの花に対する情熱と貞操を、その男性に注いで来たに違ひないと思ふのだよ。忠実なる主婦なり妻なりになつて――」

 桂子はそれを否定しようとしたが、小布施は抑へた。

「素質からいつても君はさういふ女だ」

 桂子が言葉を返しやうもない必死の独断が小布施の語気にあつた。殆ど病的な独断の強ひ方だ。桂子は何故小布施がこんな独断をして、自ら安心を得ようとしてゐるかと不思議に思つた。が、やがてだん/\それが判つて来たやうに思はれ出した。つまり気ばかり立つて体力の萎靡した男性にとつて、個性の確立した女性は負担を感ずる――で強ひてそのものゝ素質を男子の隷属物的なものと観て、自ら心の均衡を得ようとする、その本能に小布施も今や支配され出したのではあるまいか。それならその事の当否よりも、寧ろ小布施の体の容態を先に気遣はなくてはならない。

「それはそれとして、あなたの容態はどうなの今日は」

「うむ、今度は腹の方へ来たね。目出度いことだ」

 小布施が命に係はることさへわざと軽薄ないひ廻し方をするので、桂子はぐつと気持が胸へつかへたが、長患ひする者の自棄的な反語であるのを知ると、むしろ不憫に思へた。

「………」

 桂子は黙り込んで仕舞つた。小布施は身についた病み患ひに飽きて、病気のことゝなるとたとへ親切に慰められるのさへ好まなかつた。桂子などには反語で皮肉な応酬をするやうに、いつからか癖のやうになつて来た。

 桂子はうそ寒く両袖を掻き出した。そして庭を見た。庭は先日までの花壇を取り除けて仕舞つて、俄苔を貼つた平地のところ/″\に石と寒竹だけが配置されてあつた。半月程稽古に忙しくて、桂子は来られなかつた代りに、せん子を時々見舞はしたのだが、かの女は庭に就いて何の報告もしなかつた。桂子は気がついて、

「いつ庭をかへたの。せん子は何とも云ひませんでしたよ」

「十日ばかり前に。どうせ僕も長くないと判つたから、植木屋を呼んで三日ばかりで急いで慥へて貰つたのさ。この部屋とこの庭は、あなたより他誰も入れたくない。死ぬまで僕一人で満喫する積りだ」

 夕陽が隣の瓦屋根の角と後塀の上を掠つて庭に落ちる。竹も石も片側茜色になつて、反対側に影をひいた。風が来て竹が戦いだ。

「新植の竹でも一人前に葉擦れの音をさせるから妙さ。僕は夜一人でこれを聞いてゐると、十七八年間馬鹿あがきの疲労が一時に捌かれるやうな気がする。もつとも、その下からちよいとした感傷の古傷が顔を出さないこともないがね。まあ、たいしたこともないさ」

 蒼冥と暮れ行く薄暮の裡に、中庭は神秘的に燻んで来た。

「兎に角、人間終末には枯淡な東洋趣味がいゝよ。あつさりしてゐて」

 桂子は余りに多く、余りに一時に攪拌された心を始末しかねて、言葉少なに電灯をつけ、そこらの食器を片付けて、持つて来た金包みを小布施の敷布団の枕の下へ押し込み、

「兎に角、せん子を当分こつちへ世話に寄越しときませう。またお医者でも代へて見て、さうむやみに命を諦めちまふものでもありません」といつて画房を出た。

 桂子は座敷を出しなに、ぐたりと寝てゐる小布施の人並以上の立派な身体をふり返つて、眼を抑へた。

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