南半球五万哩

1話 第一、南球往航日記(ホンコン、カントン、マニラ紀行) 一、南球視察の目的

1,486字 約3分 2011年10月25日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 近年もっぱらわが国の社会教育、地方教育、民間教育に従事せし以来、自ら思うに、戦勝国の国民として世界に活動するには、海外の事情に通ずるを要す。ことに戊申詔書の聖旨のごときは、世界の大勢に伴って国運を発展するゆえんを示したまえるものなれば、これを奉戴服膺するにも、万国の形勢を知るの必要あり。しかるにわが国において、北半球の国情、民俗は比較的熟知せられ、かつ余も二回欧米各国を周遊したれば、一とおりの質問に応ずることを得るも、南半球にいたりては世間その事情に暗く、余もいまだ足跡をしるしたることあらず。ゆえに、地方巡遊中もときどき豪州の民情、あるいは南米の風土等に関し、尋問を受くることあるも、これに応答するを得ず。これ、余の自ら遺憾とするところなり。ここにおいて断然意を決して、南球周遊の途に上るに至る。

 けだし、北半球はこれを人の年齢に比するに老朽せるもののごとく、これに反して南半球は血気さかんなる青年時代のごとくなれば、今より後、吾人の活動すべき舞台は、北半球にあらずして南半球にありとは、余が断言するをはばからざるところなり。例えば地積と人口との比例を見るに、北半球は一方マイルに五十人くらいの割合なるに、南半球は一方マイルに四、五人に過ぎざるべし。年代につきては、その懸隔のはなはだしきこと言をまたざるなり。余、かつて一絶を賦してその意を述ぶ。

青年興業欲何求、須向別天涯下遊、東亜西欧齢已老、南球独有富春秋。

(青年が事業を興すに何かを求めようとするならば、別天地のはてに向かうべきである。東亜も西欧もすでに老成しており、むしろ南半球の地はなにごとも年若いのだから。)

 果たしてしかりとせば、自ら南球を一周し、各州各島の風土に接触して、その実況をわが民間に紹介するは、地方教育上今日の急務と信じ、ここに南遊の志を起こすに至る。その周遊の時日限りありて、詳細の視察は到底望むべからざるも、諺に「百聞一見にしかず」というが、余は「百読一見にしかず」と思い実地見聞の必要を認め、にわかに旅装を整え、まず豪州に向かいて発程す。本邦を去るに臨み、左の書簡をもって知友に告別す。

 のぶれば拙者事、明治二十三年十一月より本年二月までに、前後二回全国を周遊し、御詔勅の聖旨にもとづき、修身道徳の大要を演述し、その開会の場所は、琉球、台湾、樺太、朝鮮、小笠原までを合わせ、八十七国、一千五百七十九市町村に達し申し候。なお今後も余命のあらん限り、引き続き全国各郡残る所なく、周遊巡了つかまつりたき志望にこれあり候につき、南洋および南米植民地の風教視察の必要を感じ、四月一日の便船にて、豪州へ向け航行つかまつるべく候(以下これを略す)。左の拙作三首を添う。

東去西来知幾年、壮心一片老逾堅、微衷聊欲扶皇運、遥上南洋万里船。

(東に行き西に行くこと幾年であろうか、一片のさかんな志をいだき、老いてますます堅い。わずかな忠心で少しでも国運の隆盛をたすけようと思い、はるかに南洋万里に向かう船にのったのである。)

北馬南船送老涯、今年又背墨堤花、死山斃海何須厭、天地元来是我家。

(北では馬、南では船に乗って老いのきわみをすごし、今年はまた墨田の土堤の花を背にして行く。山に死し海にたおれるともなんのいとうところがあろうか、天地は元来わが家なのだから。)

老来擲却百家書、意気揚揚鵬不如、樺海台山猶覚狭、垂天翼向遠洋舒。

(老いしたがってかえって多くの書を投げすて、意気揚々として鵬もおよぶまい。樺太の海、台湾の山もなお狭さを覚え、空の果てまでおおう翼をもって遠い海洋に向かってゆったりとゆくのである。)

目次に戻る

目次