夜間返却口

3話 第三話 紙片

882字 約2分 2026年9月2日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 紙片は、増えていった。

 七日目、『船を待つ十二の方法』。挟まっていたのは薬局のレシートの裏で、こう書いてあった。

 ――三章の途中で眠くなったら、そこで閉じていいです。

 八日目、『冬のあいだの木』。便箋の切れ端。

 ――この本は、二回目のほうが面白いです。急がないでください。

 九日目、『測量士の娘』。包装紙。

 ――誰かに貸すなら、返ってこない覚悟で貸してください。

 どれも、本の内容には触れていない。あらすじも、感想も、評価もない。

 ただ、読む人に向かって書いてある。

 私はそれを、カウンターの下でこっそり読んだ。読むたびに、耳の後ろのあたりが少し熱くなった。

 誰かが自分に向けて書いた文を読んでいるような気がして、そのくせ、宛名はどこにもなかった。

 十日目の朝、私は受箱の前で少し待ってみた。

 七時十五分に来た。まだ暗かった。返却口の金属の蓋は冷たくて、指の跡が白く残った。

 三十分立っていたが、誰も来なかった。受箱には既に一冊入っていた。

 夜に入れているのだ。当たり前だった。夜間返却口なのだから。

 その日の昼、司書室で先輩の佐倉(さくら)さんに聞いてみた。

 北町分館のこと、覚えていますか、と。

 佐倉さんは湯呑みを持ったまま、少し天井を見た。

 「わたしが入る前だねえ。ああ、でも、浅野さんなら知ってる」

 「浅野さん」

 「うん。わたしが新人のとき、まだ嘱託でいらしたの。北町の閉館のあと、こっちの書庫の整理を手伝ってた。もうずいぶんお年で、二年くらいで辞められたけど」

 佐倉さんは湯呑みを置いた。

 「変わった人でね。除籍の本を、全部持って帰ろうとしたのよ」

 私はうまく相槌が打てなかった。

 佐倉さんは笑って、続けた。

 「二千冊よ。もちろん全部は無理。でも、何百冊かは車で運んでらした。市の規則では譲渡の手続きを踏めばいいんだけど、あの量を個人で引き取る人なんて、後にも先にもいなかったから」

 「どうして、そんな」

 「訊いたのよ、わたしも。そしたらね」

 佐倉さんは、そのときの浅野さんの言い方を真似るように、少し声を低くした。

 「――まだ、読まれ終わっていないので。って」

目次に戻る

目次