欧米各国 政教日記

16話 第一、周遊の目的および太平洋紀行の部 第一六、造物主を立つるの非理

883字 約2分 2012年10月21日 公開

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 また問うて曰く、ヤソ教の『バイブル』中に説くがごとき怪誕妄説は信ずべからずといえども、かのユニテリアン宗に立つるがごとき造物主あるの説は、はなはだ道理あるに似たり、いかん。政教子曰く、その説はなはだ道理あるに似て、その実道理あらず。これ、余がかつて『仏教活論』中に論明せるところにして、その書を一見せるものは、必ずその道理あらざるゆえんを知るべしと信ず。今ここにその一点を述ぶれば、造物主ありというの説は、要するに天地万物は必ずその起源なかるべからずというの理にもとづく。しかるに、天地万物の起源を証明するに両説あり。一つはその体をもって有始有終とし、一つは無始無終とす。有始有終とするときは、別に造物主を想立せざるべからずといえども、無始無終とするときは、天地万物は無始以来の天地万物にして、別に造物主ありて創造せるにあらず。この無始無終説は仏教の天地開闢説にして、今日の学術もまたこの理を証立するに至る。かの物質不滅、勢力恒存等の理学上の原則は、みな無始無終説を証明するものなり。もし、これに反して天地万物を有始有終とするも、いまだ造物主ありの断言を結ぶべからず。仮に一歩を譲りその断言を結ぶべしとするも、第二の問題は造物主の起源なり。すなわち、造物主は有始有終なるや無始無終なるやの問題なり。もし、造物主は有始有終なりとするときは、造物主の造物主なかるべからず。もし、造物主は無始以来現存するものにして自存自立なりとするときは、その体すなわち無始無終なりといわざるべからず。

 ゆえに、天地万物の解釈を下すに、造物主を立ててその体無始無終なりとするも、造物主を立てずして宇宙の体無始無終なりとするも、その結論にいたりては同一なり。決して造物主を立てたるをもって、宇宙の問題を説き尽くしたりというべからず。ただ、甲のほかに別に乙を設けて、その問題を乙の上に移したるのみ。しかして、天地万物の体無始無終自存自立なりとするの論は、理学、哲学の証明せるところにして、造物主を立つるの論は、古代の妄想を保守するに過ぎず。その理は、余が『仏教活論』中に論示せるところなり。

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