欧米各国 政教日記

17話 第二、米国ならびに大西洋紀行の部 第一七、日本僧侶とヤソ僧侶との比較

1,697字 約3分 2012年10月21日 公開

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 政教子、サンフランシスコにありて友人某に語りて曰く、日本人中、その従来の宗教家のこれをヤソ教者に比して、徳行、学識ともに数等の懸隔あるを痛責して、日本将来の宗教はヤソ教を用うるにしかずと論ずるものあれども、第一にその論の正しからざるは、神官、僧侶は日本人にあらざるもののように考うるこれなり。第二にその論の誤りあるは、宗教家は日本人一般の進歩の程度を代表することを知らざるこれなり。今、わが国の宗教家、神官、僧侶を合して十万前後の人員ありと称す。この人員は三千数百万の日本人の一部分なれば、その愚なるはすなわち日本人一部分の愚なるなり。ゆえに、たとい論者の評のごとく、わが宗教家は学識、徳行ともにはるかにヤソ教家の下にありと許すも、この宗教家を奨励して学識研究の方法を設けざれば、日本人一般の知識の程度を進ましむることあたわず。いわんや、この宗教家は民間にありて人民を教導するをもってその本務とするものにおいてをや。この人の知識進歩すれば、その人民の知識また進歩するは必然なり。もし、これに反して人民の教導をひとりヤソ教者に委するも、世間の神仏二教を信ずるもの、決して一朝一夕に改宗転派するものにあらず。その改宗転派の日を待ちて、はじめて人民の知識を進歩せんとするは、実に迂闊の策といわざるべからず。例えばここに幼児あり、これに薬を与えんとす。他人これを与うれば、幼児おそれてあえて近づかず、乳母これを与うれば、喜んでこれを受く。しかるときは、まず他人をして毎日幼児に近づかしめ、幼児のようやくこれになるるを待ちて薬を与うる方良策なるか、すでになれたる乳母の手を経てこれに与うる方良策なるか、余はあくまで従来なれたる宗教家の手を経て、文明の薬物を愚民の脳中に入るるをもって良策とするものなり。しかるときは、宗教家とこれに属する信徒とを、同時に学識、徳行健全の人となさしむべし。

 つぎに余が第二の論点は、宗教家と一般の人民は、その文明の程度を同じくするものなりというにあり。今、世人の見るところによるに、日本の宗教家は知徳ともにはるかに西洋の宗教家に及ばずというも、この懸隔はひとり宗教家の間に存するのみならず、日本の商法家は同一に西洋の商法家に及ばず、日本の工業者は同一に西洋の工業者に及ばず、日本の学者は同一に西洋の学者に及ばざるべし。他語にてこれを言えば、日本人の心力、体力ともに今日の勢い、はるかに西洋人に及ばざるなり。しかして、宗教家の懸隔最もさきに人の目に触れたるは、西洋の宗教早くわが国に入り、人みな東西の宗教家を目前に比較することを得たるによる。ほかの商法、工業等は、幸いに東西遠く相離れて目前に比較することあたわざるをもって、したがって人の批評を免れたるのみ。さらにこれを理論上に考うるに、人民みなその知徳ともに高等の地を占むるときは、宗教家ひとりその間に立ちて下等の知徳を有することあたわず。もし、その知徳ひとり下等にあるときは、一般の人民決してこれを宗教家と許すべき理なし。もし、かくのごとき宗教家の民間に立ちて人民を教導することを得る以上は、人民中その知徳なお下等にあるもの存すればなり。

 果たしてしからば、日本の宗教家の西洋の宗教家にしかざるは、日本人一般の西洋人にしかざることを代表するものにして、我が輩はこの一例を見て、ますます日本宗教家の教育を進むることをつとめざるべからず。もしその教育を進めずして、ただみだりに宗教を変ずるも、一国の文明上、決してその進歩を見ることあたわざるなり。けだし、文明の進否は人にありて道にあらず。古語に曰く、「人よく道を広む、道の人を広むるにあらず」。わが国の宗教は、その理論一歩もヤソ教に及ばざるにあらず、かえってその上にあるは、今日西洋学者もすでに許すところなり。かつ、その宗教中に説くところの道徳、品行は、決してヤソ教中に説くところのものに下れるにあらず、ただこれを広むる人、その言行一致せざるのみ。これ人の罪にして、教の罪にあらず。ゆえに、今日の急務ただその人の教育、学識を進むるにありて、決して宗教を変ずるにあらざるなり。

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