欧米各国 政教日記

45話 第二、米国ならびに大西洋紀行の部 第四五、山川の教育

646字 約1分 2012年10月21日 公開

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 また問うて曰く、山川の教育はいずれの国にも存するや。政教子曰く、しかり。試みにシナと日本を挙げてこれを論ぜん。シナには世界一の大川あり、その名を黄河という。日本には天下一の高山あり、その名を富士という。富士は日本人を教育し、黄河はシナ人を教育す。シナ人は悠々緩々として小事に驚かず、細行を顧みず、事情に迂闊なるの弊あるも、また規模の遠大なるの長所あり。これ、あたかも黄河の悠然として流れ、泰山の居然として動かざるがごとし。わが国の山河はしからず。山は小にして危立し、川は狭くして急流なり。あたかもわが人民の意を小事に注ぎ、心中急速にして余地に乏しきに似たり。しかしてその急速の心中に、秀然として高く皓然として潔き、一種卓絶、万古不朽の元気ありて存す。その気発しては愛国の精神となり、凝りては尊王の忠魂となり、二千五百余年来、日本国をして東海の上に旭日とともに光輝を四方に放たしめたるは、全くこの元気の、人心中に薫育せるによる。その状、あたかも富岳の群山連峰の上に屹立し、秀然として高く皓然として潔きと同一なり。

 古来わが国の風、詩人は富峰の美をその詩にえがき、画工は富峰の雪をその画に示し、日本人民をして朝に夕にその美景に接見し、その美操を欽慕せしむ。ゆえに、余は日本人に一種卓絶の元気あるは、富峰の教育によるという。シナ人はこれに反し、その心黄河の水とともに潔からざるは、なんぞ知らん、黄河その教師となるを。ゆえに余、歌いて曰く、

シナ人の心は黄河とともに濁り、日本人の心は富峰とともに潔し

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