銭湯

1話 銭湯

3,019字 約6分 2011年9月20日 公開

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 それ(あつ)ければ(うめ)、ぬるければ(たけ)(きやく)(まつ)()揚場(あがりば)に、奧方(おくがた)はお(さだま)りの廂髮(ひさしがみ)大島(おほしま)(まが)ひのお羽織(はおり)で、旦那(だんな)藻脱(もぬけ)(かご)(そば)に、小兒(こども)衣服(きもの)(あか)(うら)を、(ひざ)(ひるがへ)して(ひか)へて()る。

 (ひげ)旦那(だんな)は、(まゆ)(うす)い、(ほゝ)(ふく)れた、(くちびる)(あつ)い、目色(めつき)(いかつ)猛者構(もさがまへ)出尻(でつちり)で、ぶく/\(ふと)つた四十ばかり。手足(てあし)をぴち/\と()ねる、二歳(ふたつ)ぐらゐの(をとこ)()を、筋鐵(すぢがね)(はひ)つた(ひだり)(うで)に、(わき)(はさ)んで、やんはりと()いた(ところ)は、挺身(ていしん)(さかさま)(ふち)(さぐ)つて(どぢやう)生捉(いけど)つた(てい)()える。

「おう、おう。」

 などと、猫撫聲(ねこなでごゑ)で、仰向(あふむ)けにした小兒(こども)括頤(くゝりあご)へ、(いぶ)りをくれて搖上(ゆりあ)げながら、湯船(ゆぶね)(まへ)へ、ト(こし)()いた(てい)に、べつたりと(しやが)んだものなり。

(あつ)い、(あつ)い、(あつ)いな。」

 と手拭(てぬぐひ)(しめ)しては、(ひげ)(しづく)で、びた/\と小兒(こども)(むね)(ひた)してござる。

(はや)()れとくれやせな。風邪(かぜ)エひきすえ。」

 と揚場(あがりば)から奧方(おくがた)(こゑ)()ける。一寸(ちよつと)(ことわ)つて()くが、()(はう)裸體(らたい)でない。衣紋(えもん)(たゞ)しくと()つた(ふう)で、(あさ)からの厚化粧(あつげしやう)威儀(ゐぎ)(そな)はつたものである。たとひ紋着(もんつき)(はかま)穿()いても、これが反對(うらはら)で、女湯(をんなゆ)揚場(あがりば)に、()(はう)(だん)()ると、時節柄(じせつがら)早速(さつそく)()(すぢ)から御沙汰(ごさた)があるが、男湯(をとこゆ)(をんな)出入(でいり)は、三馬(さんば)以來(いらい)大目(おほめ)()てある。

番頭(ばんとう)にうめさせとるが、なか/\ぬるならん。」

 と父樣(とうさま)(さむ)いから、()(ひた)した手拭(てぬぐひ)で、(ひたひ)(こす)つて、()()(かた)へまはして、ぐしや/\と背中(せなか)(たゝ)きながら、胴震(どうぶるひ)(およ)んで、(くだん)出尻(でつちり)(すわ)らぬ(ところ)は、落武者(おちむしや)が、野武士(のぶし)()がれた(うへ)(こと)難儀(なんぎ)は、矢玉(やだま)(おと)顛倒(てんだう)して、御臺(みだい)御流産(ごりうざん)(てい)とも()える。

「ちやつとおうめやせな、貴下(あなた)水船(みづぶね)から()むが()うすえ。」

 と奧方(おくがた)衣紋(えもん)(あは)せて、(ついで)下襦袢(したじゆばん)(しろ)(えり)()(ところ)厭味(いやみ)()して、咽喉元(のどもと)(ひと)(しご)いたものなり。

(さう)ぢや、(さう)ぢや、はあ(さう)ぢや。はあ(さう)ぢや。」と、馬鹿囃子(ばかばやし)(うか)れたやうに、よいとこまかして、によいと突立(つツた)ち、(うで)()いた小兒(こども)(むね)へ、最一(もひと)(おとがひ)(おさ)へに()くと、(いきほひ)必然(ひつぜん)として、()つたりと()仕切腰(しきりごし)

 さて通口(かよひぐち)組違(くみちが)へて、(かど)のない千兩箱(せんりやうばこ)積重(つみかさ)ねた留桶(とめをけ)を、片手掴(かたてづか)みで、水船(みづぶね)から掬出(くみだ)しては、つかり加減(かげん)(ところ)(ねら)つて十杯(じつぱい)ばかり立續(たてつゞ)けにざぶ/\と()ちまける。

 猶以(なほもつ)(ねん)(ため)に、(べつ)に、留桶(とめをけ)七八杯(しちはちはい)(およ)湯船(ゆぶね)(たか)さまで、(こほ)るやうな水道(すゐだう)(みづ)滿々(まん/\)(たゝ)へたのを、(ふなべり)積重(つみかさ)ねた。これは奧方(おくがた)注意(ちうい)以外(いぐわい)智慧(ちゑ)で、ざぶ/\と()(かきまは)して、

()からう、()からう、そりやざぶりとぢや。」と(をけ)(さかしま)にして、小兒(こども)(かた)から()背中(せなか)(ひつ)かぶせ、

(たき)(みづ)(たき)(みづ)。」と()ふ。

貴下(あなた)湯瀧(ゆだき)や。」

 と奧方(おくがた)も、()(こゝろよ)ささうに()かれて()ふ。

「うゝ、湯瀧(ゆだき)湯瀧(ゆだき)、それ(こひ)瀧昇(たきのぼ)りぢや、(ばう)やは(えら)いぞ。そりやも(ひと)つ。」

 とざぶりと()けるのが、突立(つツた)つたまゝで四邊(あたり)(かま)はぬ。こゝは英雄(えいゆう)心事(しんじ)(はか)るべからずであるが、(ぶち)まけられる()(はう)では、(なん)斟酌(しんしやく)もあるのでないから、(さかしま)湯瀧(ゆだき)三千丈(さんぜんぢやう)で、流場(ながしば)一面(いちめん)土砂降(どしやぶり)(いた)から、ばちや/\と(はね)()ぶ。

「あぶ、あぶ、あツぷう。」と、(まる)(つら)を、べろりといたいけな()()でて、(あたま)から()びた()(しづく)()つたのは、五歳(いつゝ)ばかりの腕白(わんぱく)で、きよろりとした()でひよいと()て、(また)父親(おやぢ)見向(みむ)いた。

 ()小僧(こぞう)を、根附(ねつけ)()()で、(こし)(ところ)(ひき)つけて、留桶(とめをけ)(まへ)に、流臺(ながしだい)蚊脛(かずね)をはだけて、()せた仁王(にわう)()(かたち)天地(てんちあうん)手拭(てぬぐひ)(はす)つかひに突張(つツぱ)つて、背中(せなか)(あら)つて()たのは、刺繍(ほりもの)のしなびた四十五六の職人(しよくにん)であつた。

 矢張(やつぱり)御多分(ごたぶん)には()れぬ(はう)で、(あたま)から(いま)(しづく)()びた。これが、江戸兒夥間(えどつこなかま)だと、()をつけろい、ぢやんがら仙人(せんにん)何處(どこ)雨乞(あまごひ)から()やあがつた、で、無事(ぶじ)()むべきものではないが、三代相傳(さんだいさうでん)江戸兒(えどつこ)は、田舍(ゐなか)ものだ、と(ことわ)(うへ)は、對手(あひて)(こひ)(かたき)でも(ゆる)して(とほ)(ならひ)である。

此方(こつち)()ねえ。」

 とばかりで、小兒(こぞう)を、()の、せめても(しづく)(とほ)(ひだり)(はう)へ、(かひな)(つか)んで居直(ゐなほ)らせた。

 (だん)洒亞々々(しやあ/\)としたもので、やつとこな、と湯船(ゆぶね)(また)いで、ぐづ/\/\と()けさうに(こし)(はう)から(くづ)()みつゝ眞直(まつすぐ)小兒(こども)抱直(だきなほ)して、片手(かたて)湯船(ゆぶね)縁越(へりご)しに、ソレ(かね)()くあらんと、其處(そこ)遁路(にげみち)(こしら)()く、間道(かんだう)穴兵糧(あなびやうらう)(くだん)貯蓄(たくはへ)留桶(とめをけ)(みづ)を、片手(かたて)にざぶ/\、と()つては、ぶく/\、ざぶ/\と()つては、ぶく/\、小兒(こども)爪尖(つまさき)(ひざ)から、(また)(へそ)から(むね)(かた)から咽喉(のど)、と(ちひ)さく(きざ)んで、(ひと)つを一度(いちど)に、十八杯(じふはちはい)ばかりを(かたむ)(つく)して、(やつ)(しづ)む。()(あひだ)(やく)十分間(じつぷんかん)()うまで大切(たいせつ)にすると()ふのが、恩人(おんじん)遺兒(わすれがたみ)でも(なん)でもない、()()なのである。

 揚場(あがりば)奧方(おくがた)は、()小兒(こども)(はう)安心(あんしん)なり。(まち)くたびれた、と()(ふう)で、(れい)(えり)引張(ひつぱ)りながら、(しろ)いのを(また)()して、と姿見(すがたみ)()()()らして、(かたはら)()つた、本郷座(ほんがうざ)辻番附(つじばんづけ)。ほとゝぎすの繪比羅(ゑびら)()ながら、(じつ)見惚(みとれ)何某處(なにがしどころ)御贔屓(ごひいき)を、うつかり(ゆび)(さき)一寸(ちよつと)つゝく。

「さあ、飛込(とびこ)め、(やつこ)。」

 で、髯旦(ひげだん)の、どぶりと徳利(とくり)()いて()るのを待兼(まちか)ねた、(みぎ)職人(しよくにん)大跨(おほまた)にひよい、と(はひ)ると、

「わつ、」と(さけ)んで()ねて()た。

(たま)らねえ、こりや大變(たいへん)日南水(ひなたみづ)だ。行水盥(ぎやうずゐだらひ)(どぢやう)()かうと()ふんだ、後生(ごしやう)してくんねえ、番頭(ばんツ)さん。」

 と、わな/\(ふる)へる。

 前刻(さつき)から、通口(かよひぐち)(かほ)()して、髯旦(ひげだん)のうめ(かた)が、まツ()(とほ)り、小兒(こども)一寸(いつすん)(みづ)一升(いつしよう)(わり)(のぞ)いて、一驚(いつきやう)(きつ)した三助(さんすけ)

()()うず、()もござりませうぞや。」

 と(なさけ)ない(こゑ)()して、(わざ)(とほ)くから恐々(こは/″\)らしく、()突込(つツこ)んで、(さつ)()き、

「ほう、うめたりな、總入齒(そういれば)親方(おやかた)()ぐに()()れます。」

 と突然(いきなり)どんつくの諸膚(もろはだ)()いだ(いきほひ)で、引込(ひつこ)んだと(おも)ふと、(ひげ)がうめ(かた)面當(つらあて)なり、(うで)(しご)きに機關(ぜんまい)()けて、(こゝ)先途(せんど)熱湯(ねつたう)()()む、揉込(もみこ)む、三助(さんすけ)意氣(いき)湯煙(ゆげむり)()てて、殺氣(さつき)朦々(もう/\)として(てん)(おほ)へば、湯船(ゆぶね)(またゝ)()に、湯玉(ゆだま)()ばして、揚場(あがりば)まで響渡(ひゞきわた)る。

難有(ありがて)え。」

 職人(しよくにん)は、()矢聲(やごゑ)()けて飛込(とびこ)んだが、さて、(わつぱ)()うする。

(やつこ)(へえ)れ、さあ、(なに)(あつ)い、(なに)(あつ)いんだい。べらぼうめ、(よわ)()()くねえ、()小僧(こぞう)()うだ。」

「うむ、(はひ)るよ。」

 と()つたが、うつかり()()れられない。で、ちよこんと湯船(ゆぶね)(へり)(あが)つて、蝸牛(まい/\つぶり)のやうに(はひまは)る。が、飛鳥川(あすかがは)(ふち)()()つても、()()はなか/\ぬるくは()らぬ。

 ()()ると、親父(ちやん)湯玉(ゆだま)(はら)つて、朱塗(しゆぬり)()つて飛出(とびだ)した、が握太(にぎりぶと)蒼筋(あをすぢ)()して、(すね)突張(つツぱ)つて、髯旦(ひげだん)(かたへ)突立(つツた)つた。

(だれ)だと(おも)ふ、(かゝあ)(なが)(わづらひ)でなけりや、小兒(がき)なんぞ()れちや()ねえ。()う、(やつこ)思切(おもひき)つて飛込(とびこ)め。生命(いのち)がけで突入(つツぺえ)れ! (てめえ)にや(あつ)いたつて、(ちやん)にはぬるいや。うぬ勝手(かつて)にな、人樣(ひとさま)迷惑(めいわく)()けるもんぢやねえ。うめるな、(かなら)ずうめるな。やい、こんな()(へえ)れねえぢや、(ちやん)()とは()はせねえ。(ひげ)()にたゝつくれるぞ、さあ、(へえ)れ。(ほね)(ひろ)はい、(やつこ)。」

 と(わめ)くと、(ふち)(はひまは)り/\、時々(とき/″\)(さかしま)に、一寸(ちよつと)(ゆび)(さき)()れては、ぶる/\と()(ふる)はして()(やつこ)が、パチヤリと(はひ)つて、

「うむ、」と()ふ。(なか)から(ふち)へしがみついた、(つら)眞赤(まつか)に、小鼻(こばな)をしかめて、()(しろ)天井(てんじやう)(にら)むのを、(じつ)(なが)めて、

(えれ)え、(えれ)え。(それ)でもぬるけりや羽目(はめ)をたゝけ、」と()ひながら、濡手拭(ぬれてぬぐひ)を、ひとりでに、(おも)はず向顱卷(むかうはちまき)で、(せつ)ない(かほ)して(なみだ)をほろ/\と(こぼ)した。

「それ、ぢやぶ/\、それ、ぢやぶ/\、」と髯旦(ひげだん)(かたはら)で、タオルから()をだぶり。

 (こら)()ねて、(やつこ)眞赤(まつか)()ねて()る。

「やあ、金時(きんとき)足柄山(あしがらやま)、えらいぞ金太郎(きんたらう)。」と三助(さんすけ)が、()んで()て、

「それ、(くま)だ、鹿(しか)だ、()んなせえ。」

 と、(やつこ)(まへ)(ながし)()つた。

 (ひげ)はタオルから()をだぶり。

「それ、ぢやぶ/\、それ、ぢやぶ/\。」

 あらう(こと)か、奧方(おくがた)(うづま)きかゝる湯氣(ゆげ)(なか)で、芝居(しばゐ)繪比羅(ゑびら)(ほゝ)をつけた。

明治四十二年十二月

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