栗山大膳

1話 栗山大膳(1)

2,127字 約4分 1999年11月27日 公開

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 寛永九年六月十五日に、筑前國(ちくぜんのくに)福岡の城主黒田右衞門佐忠之(うゑもんのすけたゞゆき)の出した見廻役が、博多(はかた)辻(つじ)の堂(だう)町で怪しい風體の男を捕へた。それを取り調べると、豐後國(ぶんごのくに)日田にゐる徳川家の目附役竹中采女正(うねめのしやう)に宛(あ)てた、栗山大膳利章(くりやまだいぜんとしあき)の封書を懷中してゐた。城内でそれを開いて見れば、忠之が叛逆(はんぎやく)の企をしてゐると云ふ訴であつた。

 當時忠之と利章とは、非常に緊張した間柄になつてゐた。年の初に前將軍徳川秀忠(ひでたゞ)の葬儀が濟んで、忠之が下國した時、主立(おもだ)つた諸侍は皆箱崎まで迎に出たのに、利章一人は病氣と稱して城下の邸(やしき)に閉ぢ籠(こも)つて出なかつた。そこで忠之は利章の邸の前を通る時、山下平兵衞を使に遣(や)つて、容態を尋ね、全快次第出勤せいと云はせた。其後も忠之は度々見舞の使を遣り、又利章の療治をしてゐると云ふ醫師鷹取長松庵(たかとりちやうしようあん)に容態を尋ねた。さて使や醫師の復命を聞くに、どうも利章は重病ではないらしかつた。それから六月十三日になつて、忠之は黒田市兵衞(いちべゑ)、岡田善右衞門(ぜんゑもん)の二人を利章の所へ使に遣つて歩行の協(かな)はぬ程の重體ではあるまいから、從(たと)ひ手を引かれてでも出て貰(もら)ひたいと云はせた。利章は歩行が出來ぬから、いづれ全快した上で出仕すると答へた。忠之はすぐに黒田、岡田の二人を再度の使に遣つて、從ひ途中で眩暈(めまひ)が起つても、乘物で城門まで來て貰ひたい。それもならぬなら、當方から出向いて面會すると云はせた。利章は又どうしても全快の上でなくては出ぬと答へた。忠之は二人の使に、利章の身邊には家來が何人位ゐたか、又武具があつたかと問うた。二人の答は、家來は二十人ばかりゐて、我等の前後左右を取り卷き、武具も出してあつたと云ふことであつた。忠之は城内焚火(たきび)の間(ま)で、使の此(この)答を聞いてゐたが、思ひ定めたらしい氣色(けしき)で、兎(と)に角(かく)栗山が邸へ押し懸(か)けて往くから、一同用意せいと云ひ棄てゝ奥に入つた。諸侍は家々へ武具を取りに遣る。噂(うはさ)は忽(たちま)ち城下に廣(ひろ)まつて、番頭組(ばんがしらぐみ)の者や若侍は次第に利章が邸の前へ詰め懸けた。此時老臣の中で、當時道柏(だうはく)と名告(なの)つてゐた井上周防之房(すはうこれふさ)と、小河内藏允(をがうくらのじよう)との二人が、忠之の袂(たもと)に縋(すが)つて、それは餘り輕々しい、江戸へ聞こえても如何(いかが)である、利章をば我々が受け合つてどうにも處置しよう、切腹させよとなら切腹もさせようと云つて諫(いさ)めた。忠之はやうやう靜まつた。井上、小河の二人は次へ出て、利章方へ一人たりとも參つてはならぬと觸れ、利章の邸の前に往つてゐた者共を、利章の姉婿(あねむこ)で、當時睡鴎(すゐあう)と名告つてゐた黒田美作(みまさく)が邸と、其向側の評定所(ひやうぢやうしよ)とへ引き上げさせた。翌十四日に井上、小河は城内の事を利章に告げた。利章はすぐに剃髪(ていはつ)して、妻と二男吉次郎とを人質として城内へ送つた。人質は利章の外舅(ぐわいきう)黒田兵庫に預けられた。利章が徳川の目附竹中に宛てた密書を、忠之が手に入れたのは其翌日の事である。

 忠之も城内に出仕してゐた諸侍も、利章がかう云ふ書面を書いたのを意外に思つた。徳川家に対して叛逆をしようと云ふ念が、忠之に無いのは言ふまでもない。異心を懷(いだ)かぬのに、何事をか捉(とら)へて口實にして、異心あるやうに、認められはすまいかと云ふのが、當時の大名の斷えず心配してゐる所である。慶長十四年に藤堂佐渡守高虎(とうだうさどのかみたかとら)が率先して妻子を江戸に置くことにしたのを始として、元和(げんな)元年大阪落城の後、黒田家でも忠之の父長政(ながまさ)が、夫人保科(ほしな)氏に長女とく、二男犬萬、三男萬吉の三人を添へて江戸に置くことにした。保科氏は現に當主のよめ久松氏と一しよに江戸にゐる。これもどうにかして徳川氏に対して他意のないことを示さうとする手段である。

 それに、異心のない忠之を異心があると訴へる人が利章だと云ふのに、忠之と其周圍の人達とはあきれた。いかにも忠之と利章とは極端まで緊張した間柄にはなつてゐる。今一歩進んだら忠之が利章に切腹を命ずるだらうと云ふ處まで、主從の爭は募つてゐる。併(しか)しそれは忠之の方で、彼奴(かやつ)どれだけの功臣にもせよ、其功を恃(たの)んで人もなげな振舞をするとは怪(け)しからんと思ひ、又利章の方で、殿がいくら聰明でも、二代續いて忠勤を勵んでゐる此老爺(らうや)を蔑(ないがしろ)にすると云ふことがあるものかと思つての衝突である。忠之は憎みつゝも憚(はゞか)つてをり、其周圍の人達は憚りつゝも敬つてをつた利章が、どうして主君を無實の罪に陷いれようとするか、誰(たれ)にも判斷が附かぬのである。

 利章の密書は只(たゞ)忠之主從を驚きあきれさせたばかりではない。主從は同時に非常な懼(おそれ)を懷いた。なぜと云ふに、忠之が叛逆を企てたと云ふ本文の外に、利章の書面には追而書(おつてがき)が添へてあつた。其文句は、此の書面は相違なく御手元に屆くやうに、同時に二通を作つて、二人に持たせて、別々の道を經て送ると云ふのである。さうして見れば、黒田家で偶(たま/\)其一通をば押へたが、別に一通が無事に日田の竹中に屆いて、竹中から江戸の徳川家へ進達せられた事と察せられる。原來(ぐわんらい)利章程の家の功臣を殺したら、徳川家に不調法として咎(とが)められはすまいかと云ふことは、客氣(かくき)に驅られた忠之にも、微(かす)かに意識せられてゐたが、此訴が江戸へ往つたとすると、利章は最早(もはや)どうしても殺すことのならぬ男になつた。なぜと云ふに、逆意の有無を徳川氏に糺問(きうもん)せられる段になると、其讒誣(ざんぶ)を敢(あへ)てした利章と對決するより外に、雪冤(せつゑん)の途はないのである。

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