二葉亭四迷の一生

12話 十二 『其面影』と『平凡』

2,026字 約4分 2011年7月20日 公開

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 その(うち)に戦争は()んだ。読者は最早露西亜や満洲の記事には飽き飽きした。二葉亭の熱心なる東露の産業の調査は益々新聞に向かなくなった。そこで三山初め有力なる朝日の社員は二葉亭をしていよいよ力を文学方面に伸ばさしめようと百方勧説した。その度毎(たんび)に苦い顔をされたが、何遍苦い顔をされても少しも尻込(しりごみ)しないで口を()くして諄々(じゅんじゅん)と説得するに努めたのは社中の弓削田秋江(ゆげたしゅうこう)であった。秋江は二葉亭の熱心なるアドマヤラーの一人として、朝日の忠実なる社員として、我儘(わがまま)な華族の殿様のお守りをするような気になって、気を長くして機嫌を取り取りとうとう退引(のっぴき)ならぬ義理ずくめに余儀なくさしたのが明治三十九年の秋から『朝日』に連載した『其面影(そのおもかげ)』であった。続いて翌年の十月は『平凡』を続載して二葉亭の最後の文藻(ぶんそう)を輝かした。この二篇の著わされたのは全く秋江の熱心なる努力の結果であった。

 有体(ありてい)にいうと『其面影』も『平凡』も惰力的労作であった。勿論、何事にも真剣にならずにいられない性質だから、筆を()れば前後を忘れるほどに熱中した。が、肝腎(かんじん)の芸術的興味が(とっ)くの昔に去っていて、気の抜けた酒のような気分になっていたから、苦辛(くしん)したのは構造や文章の形式や外殻の修飾であって、根本の内容を組成する材料の採択、性格の描写、人生の観照等に到っては『浮雲』以後の進境を見る事が出来なかった。

 殊に『其面影』は二十年ぶりの創作であったから、あたかも処女作を発表する場合と同じ疑懼心(ぎくしん)が手伝って、眼が窪み肉が()せるほど苦辛(くしん)し、その間は全く訪客を謝絶し、家人が室に入るをすら禁じ、眼が血走り顔色が(あお)くなるまで全力を傾注し、千鍜万練して日に幾十遍となく書き(あらた)めた。それ故とかくに毎日の締切時間を遅らしがちなので、編輯局から容子を見届けに度々社員を派したが、苦辛惨憺する現状を見るものは誰でも気の毒になって催促し兼ねたそうだ。池辺三山が評して「造物主が天地万物を産出(うみだ)す時の(くるし)み」といったは当時の二葉亭の苦辛を能く語っておる。が、苦辛したのは外形の修辞だけであって肝腎の心棒が抜けていたから、二葉亭に多くを期待していたものは期待を裏切られて失望した。

『其面影』を発表するに先だちて二葉亭は新作の題名について相談して来た。「(ふた)(はあと)」とか「(はあと)くずし」とか「新紋形二つ(はあと)」とかいうような人情本臭い題名であって、シカモこの題名の上に(ふた)(どもえ)の紋を置くとか、あるいは「()れウィオリノ」という題名として(いと)の切れたウィオリンの画の上に題名を書くというような鼻持ならない黴臭(かびくさ)い案だったから、即時にドレもこれも都々逸(どどいつ)文学の語であると遠慮なく(けな)しつけてやった。かれこれ往復二、三回もした、最後に『其面影』でモウ我慢してくれといって来た。この相談を受けた時、二葉亭の頭の(すみ)ッコにマダ三馬(さんば)春水(しゅんすい)の血が残ってるんじゃないかと、内心成功を危ぶまずにはいられなかった。

 いよいよ『其面影』が現れて、回一回と重ぬるに従って益々この懸念が濃くなった。『其面影』の妙処というは二十年前の『浮雲』で(あじわ)わされたものよりもヨリ以上何物をも加えなかった。加之(しかのみ)ならず『浮雲』の若々しさに引換えて極めて老熟して来ただけそれだけ或る一種の臭みを帯びていた。言換えると『浮雲』の描写は直線的に極めて鋭どく、色彩や情趣に欠けている代りには露西亜の作風の新らしい(にお)いがあった。これに反して『其面影』の描写は婉曲に生温(なまぬる)く、花やかな情味に富んでる代りに新らしい生気を欠いていた。幸田露伴(こうだろはん)はかつて『浮雲』を評して地質の断面図を見るようだといったが、『其面影』は断面図の代りに横浜出来の輸出向きの美人画を憶出(おもいだ)させた。更に繰返すと『其面影』の面白味は近代人の命の遣取(やりとり)をする(くるし)みの面白味でなくて、渋い意気な俗曲的の面白味であった。

『平凡』は復活後の二度目の作であるだけ、『其面影』よりは筆が楽に伸んびりしておる。無論『其面影』と同じ洗錬を経たので、決して等閑(なおざり)に書きなぐったのではないが、『其面影』のような細かい斧鑿(ふさく)の跡が見えないで、自由に伸び伸びした作者の洒落(しゃらく)な江戸ッ子風の半面が能く現れておる。ツマリ『其面影』の時は「文人でない」といいつつも久しぶりでの試みに(おの)ずと筆が固くなって、余りに細部の雕琢(ちょうたく)にコセコセしたのが意外の(わずら)いをした。が、『平凡』の時は二度目の経験で筆が練れて来たと同時に「文学はドウでも()い」という気になって、技術の慾を離れて自由に思うままを発揮したから、前者に比べると荒削りではあるが活き活きした生気に富んでおる。文人としての二葉亭の最後を飾るに足る傑作である。

 が、いずれも『浮雲』の惰力的労作であるは争われなかった。『浮雲』以後の精神的及び物質的苦悶に富んだ二葉亭の半世の生活からは最少(もすこ)し徹底した近代的悲痛が現れなければならないはずであったが、案に相違して極めて平板な不徹底な家常茶飯的葛藤しか描かれていなかったのは畢竟(ひっきょう)作者の根本の芸術的興味が去ってしまったからであろう。

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