5話 五
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沼南のインコ夫人の極彩色は番町界隈や基督教界で誰知らぬものはなかった。羽子板の押絵が抜け出したようで余り目に立ち過ぎたので、鈍色を女徳の看板とする教徒の間には顰蹙するものもあった。欧化気分がマダ残っていたとはいえ、沼南がこの極彩色の夫人と衆人環視の中でさえも綢繆纏綿するのを苦笑して窃かに沼南の名誉のため危むものもあった。果然、沼南が外遊の途に上ってマダ半年と経たない中に余り面白くない噂がポツポツ聞えて来た。アアいう人目に着く粧いの婦人に対してはとかくにあらぬ評判をしたがるもんだから、我々は沼南夫人に顰蹙しながらも余りに耳を傾けなかった。が、沼南の帰朝が近くなるに従って次第に風評が露骨になって、二、三の新聞の三面に臭わされるようになった。
その頃沼南の玄関にYという書生がいた。文学志望で夙くから私の家に出入していた。沼南が外遊してからは書生の雑用が閑になったからといって、殊にシゲシゲと遊びに来た。写字をしたり口授を筆記したりして私の仕事の手伝いをしていた。面胞だらけの小汚ない醜男で、口は重く気は利かず、文学志望だけに能書というほどではないが筆札だけは上手であったが、その外には才も働きもない朴念人であった。
沼南が帰朝してから間もなくだった。Yは私の仕事の手伝いをしに大抵毎日、朝から来ては晩まで殆んど一日を私の家で過ごしたが、或る時、「ちょっと故郷へ帰りますから今日ぎり暫らくお暇を戴きたい」といった。
余り突然だったので、故郷に急な用事でも出来たかと訊くと、脚気だといった。ソンナ気振はそれまでなかったのだから嘘とは思ったが、その日ぎりで来なくなってしまった。
それから二、三日過ぎて、偶然沼南夫妻の在籍する教会の牧師のU氏を尋ねると、U氏はちょっとした咄の途切れに、「Yはこの頃君のとこへ行くかい?」といった。
「二、三日前に来て近々故郷へ帰るといってました。」
「その他に一身上の咄は何もしなかったかい?」
「イイヤ、何にも。」
「困ったよ、」U氏は首を掉って一と言いったぎり顔を顰めて固く唇を結んでしまった。
「Yがドウかしましたか?」
「困ったよ、」と、U氏は両手で頭を抱えて首を掉り掉り苦しそうに髪の毛を掻き揉った。「君はYから何も聞かなかったかい?」
「何にも聞きません。」
「こんな弱った事はない、」と、U氏は復た暫らく黙してしまった。やがて、「君は島田のワイフの咄を何処かで聞いたろう?」
「どんな話をです?」と、氏の問が能く呑込めないので訊き返したが、その時偶っと胸に浮んだのは沼南外遊中からの夫人の芳ばしからぬ噂であった。ツイその数日前の或る新聞にも、「開国始末」で冤を雪がれた井伊直弼の亡霊がお礼心に沼南夫人の孤閨の無聊を慰めに夜な夜な通うというような擽ぐったい記事が載っていた。今なら女優を想わしめるジャラクラした沼南夫人が長い留守中の孤独に堪えられなかったというは、さもありそうな気もするが、マサカに世間で評判するようなソンナ不品行もあるまいと、U氏の島田のワイフの咄というのが何とも計りかねてU氏の口の開くのを待ってると、
「君も薄々知ってるだろうが、島田のワイフが飛んでもない不品行をやってネ……」
私はハッとした。予期した事が実現されたようでもあるし、自分の疑心で迎えてU氏の言葉を聞違えたようにも思って、「ホントウですか、」と反問すると、
「ホントウとも、ホントウとも、」とU氏は早口に点頭いて、「ホントウだから困ってしまった。」
U氏が最初からの口吻ではYがこの事件に関係があるらしいので、Yが夫人の道に外れた恋の取持ちでもした乎、あるいは逢曳の使いか手紙の取次でもしたかと早合点して、
「それじゃアYが夫人の逢曳のお使いでもしたんですか?」というと、
「そんな幇助罪ならマダ軽いが、不品行の対手の本人なんだ。」
「えッ?」と私はまるで狐に魅まれたような気がした。
沼南夫人のジャラクラした姿態や極彩色の化粧を一度でも見た人は貞操が足駄を穿いて玉乗をするよりも危なッかしいのを誰でも感ずるだろう。が、世界の美人を一人で背負って立ったツモリの美貌自慢の夫人が択りに択って面胞だらけの不男のYを対手に恋の綱渡りをしようとは誰が想像しよう。孔雀が豚を道連れにするエソップにでもありそうな図が憶出された。
「あの奥さんがYと?」と私は何度も何度も一つ事を繰返して「そうだよ、ホントウだよ」とU氏に何度もいわれても自分の耳を疑わずにはいられなかった。