2話 二 初対面の印象
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私が初めて美妙と音信したのは『夏木立』発行後間もなくであった。私はその中の「武蔵野」を感嘆した一人であったから、マダ学生の貧しいポッケットの中から『夏木立』をも購読し、『我楽多文庫』をも『都之花』をも愛読していた。
今から考えると幼稚な鑑賞眼が楽隊入りの異形な文章に眩まされたのだろうが、「武蔵野」には非常に驚嘆した。が、続いて発表された他の諸作には余り感服しなかった。殊に『都之花』の巻頭の呼物となった「花車」は愚作であると思った。が、偶然の機会から二、三回音信したのが縁となって、偶々金港堂の編輯所近くへ用達しに行った戻りに天下の人気作者を見るべく刺を通じたのがタシカ明治二十一年の十一月頃であったと思う。
応接室に通されておよそ十五分ばかりも待ってると、やがて軽い靴の音が聞えてスウッと扉を排いて現れたのは白皙無髯の美少年であった。「私が山田美妙斎でござります」と叮嚀に会釈された時は余り若々しいので呆気に取られた。美妙が私と同齢の青年であるとは前から聞いていたが、私の蓬頭垢面に反対えてノッペリした優男だったから少くも私よりは二、三歳弱齢のように見えた。が、一ト言二タ言話して見ると極めて世事慣れていて、物ごし態度も沈着払っていて二つも三つも年長のように思えた。何を話したか忘れてしまったが、こんな色の生白い若い男があんな巧い文章を書くかと呆気に取られた外には初対面の何の印象も今は残っていない。かえって当の美妙斎よりはその時美妙に紹介された同席の中根香亭の清鶴のような表々たる高人の風が今でもなお眼に残っている。香亭は幕人であった。亡朝の遺臣として声利を謝し聞達を求めず、『天王寺大懺悔』一冊を残した外には何の足跡をも残さないで、韜晦して終に天涯の一覊客として興津の逆旅に易簀したが、容易に匹を求められない一代の高士であった。
二度目に美妙を訪うたのは駿河台の自宅であった。水道橋内の莢坂を駿河台へ登り切った堤際の、その頃坊城伯爵が住っていた旗本屋敷の長屋であった。売れッ子の若い人気作者の住居とは思われない古風な武者窓の付いた頗る見窄らしい陰気な長屋であった。(この家は最う三十年も前に取毀たれてしまった。)精々が四室かそこらの家であったが、書斎を兼ねた八畳の座敷の周囲に大小の本箱を積み重ね、ギッシリ塞った和漢洋の書籍が室内を威圧していた。今考えるとそれほどの蔵書ではなかったが、二本立ちの本箱の一つしか持っていなかったその頃の私の眼には非常な大蔵書家であるかのように映った。殊に函入の『源氏物語』や上海版の函入の石印本などが馬鹿に光って無知な書生ッぽの私を驚かした。
その頃の私は文学よりは経済に志ざしていた。が、小説は好きで新刊も旧刊もかなり広く読んでいた。外国小説も語学の研究かたがた少しは見ていた。専門小説家がドレホド広く読んでいたかは知らぬが、読書の量はそれほど負けているとは思わなかった。が、その晩の美妙斎の談が古今東西に渉ってかつて聞いた事もない作家の名を五つも六つも聞かされたには我を折って、自分よりも二つも三つも年下に見えるコンナ若々しい青年がドウしてこんなに博識かと煙に巻かれて降参してしまった。どんな話をしたか、この時の談話はスッカリ忘れてしまったが、古今東西に渉った博覧に煙に巻かれてしまった事だけを記憶しておる。