A LETTER FROM PRISON

8話 EDITOR'S NOTES(1)

8,621字 約17分 2012年4月1日 公開

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*一 幸徳はこれを書いてから數日の後、その辯護人の勸めによつて、この陳辯書と同一の事を彼自ら公判廷に陳述したさうである。'V NAROD' SERIES の編輯者は、此事を友人にして且同事件の辯護人の一人であつた若い法律家 H――君から聞いた。

*二 亂臣賊子の辯護をするのは不埓だといふ意味の脅迫的な手紙が二三の辯護士の許に屆いたのは事實である。さうしてさういふ意見が無智な階級にのみでなく、所謂教育ある人士の間にさへ往々にして發見されたのも事實である。編輯者は當時その勤めてゐる新聞社の編輯局で遭遇した一つの出來事に今猶或る興味を有つてゐる。それはもう晝勤の人々が皆歸つて了つて、數ある卓子の上に電燈が一時に光を放つてから間もなくの時間であつた。予の卓子の周圍には二人の人――マスター・オヴ・アーツの學位を有する外電係と新しく社會部に入つた若い、肥つた法學士――とが集つてゐた。この若い法學士は何處までも「若い法學士」――何事に對しても、たとへば自分の少しも知らぬ事に對しても、必ず何等かの「自分の意見」を持ち出さずには止まれぬ――の特性を發揮した人で、社會部の次席編輯者が數日前の新聞のこの事件の記事に「無政府共産黨陰謀事件」といふ標題を附けたことに就いて頻りに攻撃の言葉を放つた。彼の言ふ處によると、無政府共産黨といふ言葉は全く意味を成さぬ言葉で、この滑稽な造語を敢てした次席編輯者(彼は法學士ではなかつた)は屹度何か感違ひをしてゐるのであらうといふことであつた。さうして彼はその記事の出た朝の新聞を見た時には、思はず吹き出したのださうである。予はこの何事にも自信の強い人の自信を傷けることを遠慮しながら、クロポトキンの或る著述の或る章の標題にたしか Anarchist Communism と書いてあつた筈だと話したが、「法學士」は無論自分の讀んだことのない本のことを自分より無學な者の話すのに耳を傾ける人ではなかつた。『しかし「無政府」といふことと「共産」といふこととは全く別なことなんだから、それを一しよにするのはどうしても滑稽だなあ』これ彼の最後の言葉であつた。彼にとつては、政治は政治、經濟は經濟、さうして又宗教(彼は基督教徒であつた)は宗教、實際生活は實際生活で、その間に何等の内部的關係なく、人生は恰も歌牌の札の如く離れ離れなものであつた。しかし予はもうこの上彼の自信を傷けることはしなかつた。又その所謂滑稽な言葉は、犯罪の動機及性質に就いて檢事總長から各新聞社に對して發表した文書(すでに記事として掲載された)にあつたので、次席編輯者がそれを襲用したに過ぎぬといふことも言はなかつた。何故なれば、予はその時、假りにこの法學士の用ゐた論理を借りると、或る面白い結論を得るといふことに氣が付いたからである。さうして予はただ笑つた。彼の論理に從へば、「尊王攘夷」とか、「忠君愛國」とか、「立憲君主制」とかいふ言葉がすべて滑稽な、矛盾した言葉になる許りでなく、「日本の道徳は忠孝を本とす」といふことさへ「吹き出」さねばならぬことになるのである。

 やがて、卓子の端に腰かけて片足をぶらぶらさしてゐた外電係兼國際論文記者が口を開くべき機會を得た。この學者――實際この人は、何事にも退嬰的な態度をとることと、その癖平生は人の意見には頓着なしに自分の言ひたいことだけを言ふといつた風な傾きのあることとの二つの學者的な習癖を除いては、殆ど全く非難すべき點のない、温厚な、勤勉な、頭の進んだ學者で、現に東京帝國大學に講師となり、繁劇な新聞の仕事をやる傍ら、其處の商科に社會學及社會政策の講義をしてゐるが、しかしその最も得意とする處は寧ろ國際法學であつて、特にその米國に關する國際法に於ては自分が日本のオオソリチイであると、嘗て彼自ら子供らしい無邪氣を以て語つたことがあつた。彼の論文は時々彼等少數の國際法學者の學會から發行する機關雜誌の卷頭を飾ることがあり、且つ彼の從事してゐる新聞は國際的事件に關する評論を掲ぐること最も多き新聞である。さうして彼はまた十數年以前に於て、日本に於ける最初のバイロン傳の著者であつた。――この學者は、その專門的な立場から、今度の事件に對する日本政府の處置の如何が如何に國際上に影響するかといふことに就いて話し出した。若し噂の如く彼等二十六人をすべて秘密裁判の後に死刑に處するといふやうなことになれば、思想の自由を重んずる歐米人の間に屹度日本に對する反感が起るに違ひない。反感は一度起つたら仲々消えるものでない。さうしてその反感――日本が憎むべき壓制國だといふ感情が一度起るとすれば、今後日本政府の行爲――たとへば朝鮮に於ける――が今迄のやうに好意的に批評される機會がなくなるかも知れぬ。間接ではあるけれども、かういふ影響は却つて豫期しない程の損失を外交上齎すことがないと言へぬといふのであつた。さうして彼は恰もその講座に立つて學生に話す時のやうに、指の短い小さい手を以て一種の調子をとりながら、以上の意見に裏書すべき一つの事實について語り出した。それは露佛同盟が何故その最初の提議から數箇年の後まで締結されなかつたかといふ事情であつた。當時佛國の上下には、露國政府の殘酷な壓制に苦しんでゐる同國の自由主義者及び波蘭人に對する同情が非常に盛んであつた。駐佛露國公使を主賓とした或る宴會に於て、佛國の小壯議員が公使の面前に一齊に盃を擧げて「波蘭萬歳」を叫び、爲めに公使が宴半ばに密かに逃げ出したといふやうな事さへあつた。この事情こそ、實に、兩國の當時の國勢に於て、一方は國債市場を得る意味から、一方は對獨關係から、全く必至の要求であつた所の同盟を、猶且つ數年の間延期せしめた眞の理由であつた。何故なれば、時の佛國政府にして若しも早急にこの同盟を締結しようとすれば、それに先立つて先づ、「壓制者の黨與」てふ惡名を負はされ、おまけにその内閣の椅子を空け渡すだけの決心をする必要があつたのである――。

 恰度比處まで彼の語り來つた時に、やや離れた卓子にゐた一人の記者――その編輯してゐる地方版の一つの大組が遲れた爲めに殘つてゐた――が、何を思つたか、突然椅子を離れて、だらしなく腰に卷いた縮緬の兵子帶の前に兩手を突込み、肩を怒らした歩き方で我々の方に近づいて來た。さうして、謠曲で鍛へた錆のある聲で、叱るやうに言つた。

『さういふ議論は可かん。さういふ議論を聞くと、吾輩も大いに口を出さねばならん』

 彼は故落合直文の門下から出て新聞記者になつた人で、年はまだ三十八九にしかならぬ癖に大分頭の禿げてゐると同じく、その記者としての風格、技倆も何時か知ら時代の進歩に伴はなくなつてゐた。ただ彼は主筆の親戚であつた。さうして彼の癖は醉うて謠曲を唸ることと、常に東洋豪傑的の言語、擧動を弄ぶことであつた。

 我々三人は一樣にその聲に驚かされた。さうして默つて彼の顏を見上げた。彼は直ぐまた口を尖らしてるやうな言葉を續けた。『ああいふ奴等は早速殺して了はなくちや可かん。全部やらなくちや可かん。さうしなくちや見せしめにならん。一體日本の國體を考へて見ると、彼奴等を人並に裁判するといふのが既に恩典だ………諸君は第一此處が何處だと思ふ。此處は日本國だ。諸君は日本國に居つて、日本人だといふことを忘れとる。外國の手前手前といふが、外國の手前が何だ。外國の手前ばかり考へて初めから腰を拔かしてゐたら何が出來る。僕が若し當局者だつたら、彼等二十六名を無裁判で死刑にしてやる、さうして彼等の近親六族に對して十年間も公民權を停止してやる。のう、△△君、彼等は無政府主義だから、無裁判でやつつけるのが一番可いぢやないか。』

 名指された予は何とも返事のしようがなかつた。ただ苦笑した。我が國際法學者はこの時漸くその不意を食つた驚きから覺めたやうに物靜かに笑つた。

『しかし日本も文明國なさうだからなあ』

『さうさ、文明國さ』「日本人」は奪ひ取るやうに言つた。『しかし考へて見たまへ。建國の精神を忘れるのが若し文明なら、僕は文明に用はない。その精神を完全に發揮してこそ眞の文明ぢやないか。文明、文明といつて日本の國體を忘れてるやうな奴は、僕は好かん。第一僕は今度のやうな事の起つた際に、花井だの何だのいふ三百代言共が、その辯護を引受けるのが可かんと思ふのだ。何處を辯護する。辯護すべき點が一つもないぢやないか。貴樣達のやうな事をする奴を辯護する者は日本に一人もゐないぞといふことを示してやらなくちや可かん……』

『それあさういふ極端な保守主義の議論も』と、コツコツ卓子を叩いてゐた鉛筆を左の胸のポケツトにして、法學士が言つた。『日本といふこの特別の國には無くちやならんさ。寧ろ大いに必要かも知れん。僕は君のやうに無裁判で死刑にするの、罪を六族に及ぼすのといふことは贊成しない。すでに法律といふもののある以上は何處までもそれによつて處置して行かなくちやならんと思ふが、しかし日本が特別の國柄だといふことは、議論でなくて事實である。――』

『君は僕の議論を極端な保守主義といふが、何處が極端だ。若し僕の言ふ事が保守主義の議論とすれば、進歩主義の議論とは何か。幸徳傳次郎に同情することか』

『そんな無茶な事を言つては困る。僕はちつとも彼等に同情してゐないさ。歐羅巴でならああいふ運動もそれぞれ或る意義があるけれども、日本でやらうといふのは飛んでもない間違だからなあ』

 辨當屋の小僧が岡持を持つて入つて來た。それは予がこの話の初まる前に給仕に誂へさしたものであつた。小僧は丼と香の物の皿とを予の前に併べた。予等の話を聞いてゐた給仕の一人は茶をいれるべく立つて行つた。我が國際法學者はこの時漸くこの不愉快な場所から離れるべき機會を得た。『さうだ、僕も飯を食つて來なくちやならなかつた』さう言ひながら卓子から辷り落ちて、いそいそと二重しを着て出かけて行つた。法學士も大きな呻を一つして自分の椅子に歸つた。予は默つて丼の蓋を取つた。あたたかい飯から立騰る水蒸氣と天ぷらの香ばしいにほひとが柔かに予の顏を撫でた。

 地方版編輯記者も遂に予の卓子を離れねばならなかつた。予は恰度、予の前に立ちはだかつてゐた一疋の野獸が、咆え、さうして牙を鳴らしただけで、首をらして林の中に入つて行つたやうな安心を感じた。彼は自分の椅子に歸らずに、ストオヴの前に進んで行つた。『日本人にして日本人たることを忘れとる奴がある。』突然かういふ獨語が彼の口から聞かれた。それは出て行つた人と予とに對する漫罵であつた。さうして直ぐ、『貴樣も日本人だから、日本人だといふことを忘れちやいかん。のう、貴樣は犬の頭のやうな平つたい頭をしとるけれども日本人ぢや。のう。』かういひながら、椅子に腰かけて雜誌を讀んでゐた給仕の肩に手をかけて、烈しく搖り動かしてゐるのが見えた。予は「日本人」に對する深い憐れみを以て靜かに箸を動かした。

 しかしかういふ極端に頑迷な思想は、或る新聞などによつてやや誇大に吹聽されてゐるに拘らず、ごく少數者の頭脳を司配してゐたに過ぎなかつた。それはこの事件に對して殆ど何等の國民的憎惡の發表せられなかつた事實に見ても明らかである。國民の多數は、かういふ事件は今日に於ても、將來に於ても日本に起るべからざるもの、既に起つたからには法律の明文通り死刑を宣告されなければならぬものとは考へてゐた。彼等は彼の法學士と同じく決して彼の二十六名に同情してはゐなかつたけれども、而してまた憎惡の感情を持つだけの理由を持つてゐなかつた。彼等は實にそれだけ平生から皇室と縁故の薄い生活をしてゐるのである。また彼等は、一樣にこの事件を頗る重大なる事件であるとは感じてゐたが、その何故に重大であるかの眞の意味を理解するだけの智識的準備を缺いてゐた。從つて彼等は、彼等の所謂起るべからずして起つた所のこの事件(大隈伯さへこの事件を以て全く偶發的な性質のものと解したことは人の知る所である)は、死刑の宣告、及びそれについで發表せらるべき全部若しくは一部の減刑――即ち國體の尊嚴の犯すべからざることと天皇の宏大なる慈悲とを併せ示すことに依つて、表裏共に全く解決されるものと考へてゐたのである。さうしてこれは、思想を解せざる日本人の多數の抱いた、最も普遍的な、且精一杯の考へであつた。

 ただこれに滿足することの出來ぬ、少くとも三つの種類の人達が別に存在してゐた。その一は思想を解する人々である。彼等はこの事件を決して偶發的なものであるとは考へ得なかつた。彼等は日本が特別な國柄であるといふことは、議論ではなくして事實だといふことを知る上に於て、決してかの法學士に劣らなかつた。ただ彼等はその「事實」のどれだけも尊いものでないことを併せ知つてゐた。その二は政府當局者である。彼等はその數年間の苦き經驗によつて、思想を彈壓するといふことの如何に困難であるかを誰よりもよく知つてゐた。かくて彼等はこの事の起るや、恰も獨帝狙撃者の現れた機會を巧みに社會黨鎭壓に利用したビスマアクの如く、その非道なる思想抑壓手段を國民及び觀察者の耳目を聳動することなくして行ひ得る機會に到達したものとして喜んだのである。さうしてその三は時代の推移によつて多少の理解を有つてゐる教育ある青年であつた。彼等は皆一樣にこの事件によつてその心に或る深い衝動を感じた。さうしてその或る者は、社會主義乃至無政府主義に對して強い智識的渇望を感ずるやうになつた。予は現に帝國大學の法科の學生の間に、主としてこの事件の影響と認むべき事情の下に、一の秘密の社會主義研究會が起つたことを知つてゐる。また嘗て予を訪ねて來た一人の外國語學校生徒の、學生の多くが心ひそかに幸徳に對して深い同情をもつてゐることを指摘し、「幸徳の死は最も有力なる傳道であつた」と言つたのを聞いた。また或る日、本郷三丁目から須田町までの電車の中に於て、二人の大學生――二人共和服を着てゐたから何科の學生であるかは解らなかつたが――が、恰度予と向ひ合つて腰かけて、聲高に、元氣よくこの事件について語るのを聞いた。話は電車に乘らぬ前からの續きらしかつた。車掌に鋏を入れさせた囘數切符を袂に捻じ込むや否や、小柄な、嚴しい顏をした一人が、その持前らしい鋭い語調で、『第一、君、日本の裁判官なんて幸徳より學問が無いんだからなあ。それでゐて裁判するなどは滑稽さ。そこへ持つて來て政府が干渉して、この機會に彼等を全く撲滅しようといふやうな方針でやつたとすれば、もう君、裁判とは言はれんぢやないか』

『まあさうだね。それが事實だとすれば』と、顏の平つたい、血色の惡い、五分許りに延びた濃い頬髯を生やした一人が落付いた聲で言つた。『兎に角今度のやうな事件は、いくら政府が裁判を秘密にしたり、辯護を試みたりしたつて默目だよ。かういふ事件が起つたといふことだけで、ただそれだけでも我々の平生持つてゐた心の平和を搖がすに充分なんだからなあ。人の前ぢや知らん顏してるけれど、僕の方の奴にも大分搖がされてるのが有るやうだぜ』

『さうだよ。昨夜山本(予はこの姓を明瞭に記憶してゐる。何故なればそれは予の姉の姓と同じであるから)に會つたら、幸徳のお蔭で不眠症にかかつたつて弱つてゐたつけ』

『不眠症とは少し御念が入り過ぎたね』

『何でも四五日前に誰かと夜遲くまで議論したんだそうだよ――無論今度の事件についてだね。するとその晩どうしても昂奮してゐて眠れなかつたんださうだが、それが習慣になつて次の晩から毎晩眠られないんだそうだ。君もそんなに昂奮することがあるのかつてからかつてやつたら、これでも貴樣より年は一つ若いぞとか何とか言つて威張つてゐたつけがね』

 かう話してゐる二人の聲はあまりに高かつた。予はひそかに彼等のために、若しや刑事でも乘客の中にゐはしないかと危んだ。しかしそれらしい者は見付からなかつた。二人の會話は須田町に近づくまでも同じ題目の上を行きつ戻りつしてゐた。予は其處で他の車に乘換へなければならなかつた。

 かかる間に、彼等の檢擧以來、政府の所謂危險思想撲滅手段があらゆる方面に向つてその黒い手を延ばした。彼等を知り若しくは文通のあつた者、平生から熱心なる社會主義者と思はれてゐた者の殆どすべては、或ひは召喚され、或ひは家宅を搜索され、或ひは拘引された。或る學生の如きは、家宅搜索をうけた際に、その日記のただ一ヶ所不敬にわたる文字があつたといふだけで、數ヶ月の間監獄の飯を食はねばならなかつた。さうしてそれらのすべては晝夜角袖が尾行した。社會主義者の著述は、數年前の發行にかかるものにまで遡つて、殆ど一時に何十種となく發賣を禁止された。

 かくてこの事件は從來社會改造の理想を奉じてゐた人々に對して、最も直接なる影響を與へたらしい。即ち、或者は良心に責められつつ遂に強權に屈し、或者は何時となく革命的精神を失つて他の温和なる手段を考へるやうになり(心懷語の著者の如く)、或者は全くその理想の前途に絶望して人生に對する興味までも失ひ(幸徳の崇拜者であつた一人の青年の長野縣に於て鐵道自殺を遂げたことはその當時の新聞に出てゐた)、さうして或者はこの事件によつて層一層強權と舊思想とに對する憎惡を強めたらしい。亂臣賊子の辯護をするといふ意味の脅迫状を受取つた辯護士達は、又實に同時に、この最後の部類に屬する人々からの、それとは全く反對な意味の脅迫状及び嘆願的の手紙を受取らねばならなかつたのである。

*三 國民の多數は勿論、警察官も、裁判官も、その他の官吏も、新聞記者も、乃至はこの事件の質問演説を試みた議員までも、社會主義と無政府主義との區別すら知らず、從つてこの事件の性質を理解することの出來なかつたのは、笑ふべくまた悲しむべきことであつた。予が某處に於いてひそかに讀むを得たこの事件の豫審決定書にさへ、この悲しむべき無智は充分に表はされてゐた。日本の豫審判事の見方に從へば、社會主義には由來硬軟の二派あつて、その硬派は即ち暴力主義、暗殺主義なのである。

*四 幸徳が此處に無政府主義と暗殺主義とを混同する誤解に對して極力辯明したといふことは、極めて意味あることである。蓋しかの二十六名の被告中に四名の一致したテロリスト、及びそれとは直接の連絡なしに働かうとした一名の含まれてゐたことは事實である。後者は即ち主として皇太子暗殺を企ててゐたもので、此事件の發覺以前から不敬事件、秘密出版事件、爆發物取締規則違反事件で入獄してゐた内山愚童、前者即ちこの事件の眞の骨子たる天皇暗殺企畫者管野すが、宮下太吉、新村忠雄、古河力作であつた。幸徳はこれらの企畫を早くから知つてゐたけれど、嘗て一度も贊成の意を表したことなく、指揮したことなく、ただ放任して置いた。これ蓋し彼の地位として當然の事であつた。さうして幸徳及他の被告(有期懲役に處せられたる新田融新村善兵衞の二人及奧宮健之を除く)の罪案は、ただこの陳辯書の後の章に明白に書いてある通りの一時的東京占領の計畫をしたといふだけの事で、しかもそれが單に話し合つただけ――意志の發動だけにとどまつて、未だ豫備行爲に入つてゐないから、嚴正の裁判では無論無罪になるべき性質のものであつたに拘らず、政府及びその命を受けたる裁判官は、極力以上相聯絡なき三箇の罪案を打つて一丸となし、以て國内に於ける無政府主義を一擧に撲滅するの機會を作らんと努力し、しかして遂に無法にもそれに成功したのである。予はこの事をこの事件に關する一切の智識(一件書類の秘密閲讀及び辯護人の一人より聞きたる公判の經過等より得たる)から判斷して正確であると信じてゐる。されば幸徳は、主義のためにも、多數青年被告及び自己のためにも、又歴史の正確を期するためにも、必ずこの辯明をなさねばならなかつたのである。

 一切の暴力を否認する無政府主義者の中に往々にしてテロリズムの發生するのは何故であるかといふ問ひに對して、クロポトキンは大要左の如く答へてゐるさうである。曰く、「熱誠、勇敢なる人士は唯言葉のみで滿足せず、必ず言語を行爲に飜譯しようとする。言語と行爲との間には殆ど區別がなくなる。されば暴政抑壓を以て人民に臨み、毫も省みる所なき者に對しては、單に言語を以てその耳を打つのみに滿足されなくなることがある。ましてその言語の使用までも禁ぜられるやうな場合には、行爲を以て言語に代へようとする人々の出て來るのは、實に止むを得ないのである。」云々。

 猶予は此處に、虚無主義と暗殺主義とを混同するの愚を指摘して、虚無主義の何であるかを我々に教へてくれたクロポトキンの叙述を、彼の自傳(‘MEMOIRS OF A REVOLUTIONIST’)の中から引用して置きたい。それはこの事件にも、はた又無政府主義そのものにも、別に關係するところのない事ではあるが、かの愛すべき露西亞の青年の長く且つ深い革命的ストラツグルが、その最初如何なる形をとつて現はれたかを知ることは、今日の我々に極めて興味あることでなければならぬ。文章は即ち次の如くである。――

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