7話 聞取書及調書の杜撰
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私共無政府主義者は、平生今の法律裁判てふ制度が完全に人間を審判し得るとは信じないのでしたけれど、今回實地を見聞して更に危險を感じました。私は唯だ自己の運命に滿足する考へですから、此點に就いて最早呶々したくはありませんが、唯だ多數被告の利害に大なる關係があるやうですから、一應申上げたいと思ひます。
第一、檢事の聞取書なるものは、何と書いてあるか知れたものでありません。私は數十回檢事の調べに會ひましたが、初め二三回は聞取書を讀み聞かされましたけれど、其後は一切其場で聞取書を作ることもなければ、隨つて讀み聞かせるなどといふこともありません。其後豫審廷に於て、時々、檢事の聞取書にはかう書いてあると言はれたのを聞くと、殆ど私の申立と違はぬはないのです。大抵、檢事が斯うであらうといつた言葉が、私の申立として記されてあるのです。多數の被告に付いても皆同樣であつたらうと思ひます。其時に於て豫審判事は聞取書と被告の申立と孰れに重きを置くでせうか。實に危險ではありませんか。
又檢事の調べ方に就いても、常に所謂「カマ」をかけるのと、議論で強ひることが多いので、此カマを看破する力と、檢事と議論を上下し得るだけの口辯を有するにあらざる以上は、大抵檢事の指示する通りの申立をすることになると思はれます。私は此點に就いて一々例證を擧げ得ますけれど、クダクダしいから申しません。唯だ私の例を以て推すに、他の斯かる場所になれない地方の青年などに對しては、殊にヒドかつたらうと思はれます。石卷良夫が「愚童より宮下の計畫を聞けり」との申立を爲したといふことの如きも、私も當時聞きまして、また愚童を陷れむが爲めに奸策を設けたなと思ひました。宮下が爆彈製造のことは、愚童、石卷の會見より遙か後のことですから、そんな談話のある筈がありません。此事の如きは餘りに明白で直ぐ分りますけれど、巧みな「カマ」には何人もかかります。そして「アノ人がさう言へば、ソンナ話があつたかも知れません」位の申立をすれば、直ぐ「ソンナ話がありました」と確言したやうに記載されて、之がまた他の被告に對する責道具となるやうです。こんな次第で、私は檢事の聞取書なる者は、殆ど檢事の曲筆舞文、牽強附會で出來上つてゐるだらうと察します。一讀しなければ分りませんが。
私は豫審判事の公平、周到なることを信じます。他の豫審判事は知らず、少くとも私が調べられました潮判事が公平、周到を期せられたことは明白で、私は判事の御調べに殆ど滿足してゐます。
けれど、如何に判事其人が公平、周到でも、今日の方法制度では完全な調書の出來る筈はありません。第一、調書は速記でなくて、一通り被告の陳述を聞いた後で、判事の考へで之を取捨して問答の文章を作るのですから、申立ての大部分が脱することもあれば、言はない言葉が入されることもあります。故に被告の言葉を直接聞いた豫審判事には被告の心持がよく分つてゐても、調書の文字となつて他人が見れば、其文字次第で大分解釋が違うて參ります。
第二は、調書訂正の困難です。出來た調書を書記が讀み聞かせますけれど、長い調べで少しでも頭腦が疲勞してゐれば、早口に讀み行く言葉を聞き損じないだけがヤツトのことで、少し違つたやうだと思つても、咄嗟の間に判斷がつきません。それを考へる中に讀聲はドシドシ進んで行く。何を讀まれたか分らずに了ふ。そんな次第で、數ヶ所、十數ヶ所の誤りがあつても、指摘して訂正し得るのは一ヶ所位に過ぎないのです。それも文字のない者などは適當の文字が見つからぬ。「かう書いても同じではないか」と言はれれば、爭ふことの出來ぬのが多からうと思ひます。私なども一々添削する譯にも行かず、大概ならと思つて其儘にした場合が多かつたのです。第三には、私初め豫審の調べに會つたことのない者は、豫審は大體の下調べだと思つて、左程重要と感じない、殊に調書の文字の一字、一句が殆ど法律條項の文字のやうに確定して了ふ者とは思はないで、孰れ公判があるのだから其時に訂正すれば良い位で、強いて爭はずに捨て置くのが多いと思ひます。是は大きな誤りで、今日になつて見れば、豫審調書の文字ほど大切なものはないのですけれど、法律裁判のことに全く素人なる多數の被告は、さう考へたらうと察します。こんな次第で豫審調書も甚だ杜撰なものが出來上つてゐます。私は多少文字のことに慣れてゐて隨分訂正もさせました。けれど、それすら多少疲れてゐる時は面倒になつて、いづれ公判があるからといふので其儘に致したのです。況んや多數の被告をやです。
聞取書、調書を杜撰にしたといふことは、制度の爲めのみでなく、私共の斯かることに無經驗なるより生じた不注意の結果でもあるので、私自身は今に至つて其訂正を求めるとか、誤謬を申立てるとかいふことは致しませんが、どうか彼の氣の毒な多數の地方青年の爲めに御含み置きを願ひたいと存じます。
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以上、私の申上げて御參考に供したい考への大體です。何分連日の公判で頭腦が疲れてゐる爲めに、思想が順序よく纒まりません。加ふるに、火のない室で、指先が凍つて了ひ、是まで書く中に筆を三度取落した位ですから、唯だ冗長になるばかりで、文章も拙く、書體も亂れて、嘸ぞ御讀みづらいでありませう。どうか御諒恕を願ひます。
兎に角右述べました中に、多少の取るべきあらば、更に之を判官、檢事諸公の耳目に達したいと存じます。
明治四十三年十二月十八日午後
東京監獄監房にて幸徳傳次郎